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11話
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第11話 「独立領域」
時刻は19時58分。
地下第2シェルター、廊下側の隔壁ドア前。
俺たちは、並んで立っていた。
列ってほどきれいじゃない。
止血パッド貼ったままのやつ、片腕吊ってるやつ、顔色真っ白なやつ、足引きずってるやつ、泣きはらした目のまま立ってるやつ。
でも——誰も座ってない。
自分の足で、ここにいる。
黛が最前列。
その半歩後ろに俺とアイ。
黒瀬と槙村と七瀬がそれを囲む形。
さらにその後ろに、元クラスメイトたち。花音もそこにいた。立ってるだけで膝がガクガクしてるのに、それでも逃げなかった。
“領域”の空気は、明らかにさっきと違ってた。
息をするだけでわかる。
この空間そのものに、うっすら俺の感覚が混じってる。
「ここは、うちらの場所」っていう意識が、この廊下の壁にも床にも染みてる感じ。
感覚としては……そうだな。
全員の不安を背中に背負ってる、っていうより、全員が俺の背中につながってる感じ。
俺が立ってることで、みんなが立てる。
代わりに、みんなが立ってることで、俺も折れずに済んでる。
あぁこれ、マジで“場所になった”んだな、俺。
19:59。
隔壁ドアのロックランプが、赤から黄に切り替わる。
七瀬が小声で言った。「……来る。管理局側のアクセスキーが入った。あいつだ」
アイが小さく息を吸う。
黒瀬は肩をぐるぐる回しながら、ボソッと呟いた。「心の準備はした。肉体の準備はしてない。まあどうにかなるだろ」
「お前そのノリでよく死なねぇな」と槙村。
「“よく死なない”っていう評価どうなんだ俺」
「褒めてんだよ」
「ありがとユイ愛してる」
「軽い!!!!」
七瀬はタブレットを胸元に抱きしめ、早口で言う。「録音もログも回してる。うち側の回線と、今の“領域ID”の並列表記も記録済み。法的に殴れるとこは全部殴るからね黛先輩、あとは言葉選びだけ気をつけて、ね!? マジで法律に刺さる言い回ししてね!? “俺たちの領土!”とか言わないでね!? それ言ったら一発で国家反逆罪デス!!」
黛「……わかった」
俺「え、今ふつうに言おうとしてなかった?」
黛「言おうとしてたな」
アイ「やめて」
20:00。
隔壁ドアが開いた。
——無音で。
金属の塊が開くのに、音がほとんどしないのは逆に怖い。
これは管理局側の技術っていうより、明らかに神楽坂の“演出”だと思う。出現自体をショー化して、こっちに呼吸させないやつ。
黒いスーツが姿を現す。
神楽坂。
昼間と同じ、完璧に整った姿。
スーツは汚れてない。ネクタイも乱れてない。肩に傷一つない。
その後ろには、監査班の隊員が二人。
御門はいない。
神楽坂は、ほんとに「必要最小限だけ連れてきました」って顔で、こちらに静かに歩いてきた。
彼は足を止めて、俺たち全員をぐるりと見渡す。
包帯だらけの高校生集団と、その後ろで震えてる保護対象。そして、前に立つ黛。
神楽坂は、うすく微笑んだ。
「きみたちは、本当に“全員で”来るんだね」
その口調は、驚きというより観察に近い。
そして、その観察がすでにデータとして冷たく整理されてるのが透けて見える。
黛が低い声で答える。
「提案は聞いた。今から“こちらの回答”を伝える」
神楽坂は「ああ」と頷く。
「楽しみにしているよ」
黛は一拍置いてから、はっきりと言った。
「——拒否する」
空気がピキッと張る。
アイが指先をぎゅっと握る。
黒瀬が小さく鼻を鳴らす。
花音たちの肩が、一斉にすくむ。
でも黛の声は揺れなかった。
「誰も外に出さない。誰も置いていかない。ここにいる全員で残る。……それがうちの選択だ」
神楽坂のまなざしが、ゆっくりと細くなる。
「全員残る、か。——愚かだね」
その言い方は淡々としてる。
感情がこもっていないから、逆に刺さる。
黛はそのまま冷静に返す。
「愚かで結構だ。俺たちはクラスだからな」
「クラス」
神楽坂は、軽く笑った。
「この状態を、まだ“クラス”という言葉で呼べるのが、君たちの強さであり、同時に弱さでもある」
七瀬が小声で俺の袖を引っ張って「いまの“弱さでもある”って言い回し記録。これ完全に“後で潰す理由の伏線”だから」という恐ろしく冷静なメモを入れてくる。怖い。
神楽坂は、穏やかな声で続けた。
「では確認しよう。
きみたちは“隔離”に同意しなかった。
“自主的にここに残った”という物語は使えなくなった」
黛「そうだ」
「つまり——」
神楽坂は、ゆっくりと両手を広げ、宣言した。
「桐生東高校は20時00分をもって、“反乱区域”に指定する」
通路の空気が、ぐっと重くなった。
七瀬のタブレットが赤い警告をはじき出す。
──管理局通達
──臨時決定:第18指定区域“桐生東学区”における特異行動集団を、準武装反乱勢力と見なす
──市街保全のため、隔離・排除オペレーションの許可を発行
……“反乱勢力”。
俺たち、ついに公式に、そう呼ばれた。
アイが、小さく息を呑む。「これ、マジでやる気だ。もう話し合いの体裁とる気ない顔」
槙村が歯を食いしばる。「これであっちからの攻撃は“治安維持”ってラベルついちゃう……!」
花音たちが、ザッと身を寄せる。「やだやだやだやだ」「ムリムリムリムリ」「こわいこわいこわいこわい」
黒瀬は目を細め、ふっと笑った。「あーあ。これ、もう完全に喧嘩だな」
黛は、まっすぐに神楽坂を見る。
「それが、お前らの答えか」
神楽坂は、穏やかに頷く。
「そうだ。これが“都市”の答えだよ。
だから、もう一度だけ提案する」
そう言って、神楽坂はゆっくり、俺のほうへ視線を移した。
皮膚がぞわっと粟立つ。
ああ、きたな。
「神谷 蓮」
俺の名前を、静かに、はっきりと呼ぶ。
「きみひとりが管理局に同行するなら——“反乱区域”指定は取り消す。封鎖もしない。きみ以外の生徒は日常へ戻れる」
その場にいた全員の呼吸が、止まる音が聞こえた。
アイの指が、俺の袖をつかんだままぎゅうっと握り込む。
痛い。でも離さないでくれ、って気持ちのほうが強い。
神楽坂は、まるで教師が優等生に「答えられるよね?」と聞くみたいな口調で続ける。
「選びなさい。きみのクラスメイトたちの自由をとるか。きみ自身の自由をとるか」
喉が、カラッカラに乾いた。
これ。
これがこの人のやり口だ。
“選択権を与えている”って形にして、全部押しつける。
“彼らを檻から外に出すかどうかは、きみが決める”ってラベルを貼る。
もし俺が「わかった、行くよ」って言ったら、
みんなは助かる。代わりに俺は終了。サンプル扱い。解剖コース。
もし俺が「行かない」って言ったら、
今度は“みんなが閉じ込められるのはお前のわがままのせい”っていう物語が完成する。
どっちを選んでも、俺は“悪役”だ。
……正直に言う。
心のどっかで、一瞬だけ、揺れた。
「俺が行けば、アイも、花音も、こいつら全員、普通に戻れるなら……」って。
ほんの一瞬だ。
でも、その一瞬は、本物だった。
たぶん俺が俺じゃなかったら、そこで折れてる。
だから、俺はその一瞬を自分で殺した。
腹に力を入れて、ゆっくり息を吐いて、言う。
「悪いけど」
神楽坂の視線が、静かに俺に定まる。
「その二択、もう古いんだよ」
アイが小さく笑った。
その笑い方は泣きそうで、でも誇らしげだ。
「……そういうとこ好き」
「アイ真顔で言うのやめて心臓に悪い!」
神楽坂は首をかしげる。「古い?」
「ああ。今のは“俺ひとり vs 全員”の形だろ? そのフォーマット、もう通じないんだよ。だって俺、ひとりじゃないもん」
そう言ってから、俺は一歩、前に出た。
足が勝手に震えるのが、自分でわかる。
でも、立てる。
立てるのは、今ここにみんながいるから。
俺は、はっきりとした声で宣言した。
「この場所は、もう“桐生東高校”じゃない」
神楽坂の目が、わずかに細くなる。
「何を言っている?」
「ここは、“俺の領域”だ」
七瀬が「言った……!」と息を呑む。
槙村が「ログ取りました……!」と泣きそうに小声で言う。
黒瀬はにやっと笑って「よし、いったな」。
俺は続ける。
「正式名称:《神谷 蓮 領域(仮)》」
「仮ってつけるなよそこは!」アイがツッコむ。
「“仮”って出たんだよシステム上しょうがねぇだろ!」
神楽坂は、目を瞬いた。
ほんの、一秒。
それは驚きだった。
この人から一瞬でも形のない表情が漏れるのは、なんか……ちょっと気持ちよかった。
俺は畳みかける。
「俺は宣言した。ここにいるやつらは全員、俺の“仲間”だ。
その仲間を、この領域の“保護対象”として登録した。
外部の一方的な支配や拘束は、ここでは許さない。
ここでの戦闘行為は、“正当な自衛”として即記録させる」
神楽坂の目が、ほんの少しずつ、冷たくなる。
俺はさらに言った。
「つまり、ここにいるやつらを、管理局の名目ひとつで“連行”することはできない。
“この場所に手を出す”って行為、それ自体が、管理局の違法介入としてログに残る」
七瀬がタブレットを掲げる。「はい録画してまぁーす! はい領域IDと管理局IDの並列表記も自動保存されてまぁーす! はいこれ裁判突きつけたらニュース案件コース入りま~す!」
槙村「“未成年の隔離と強制拘束を行いました”って記録残るの、管理局としてはめっっっちゃ燃える案件だからね」
黒瀬「つまり、下手に手ぇ出したら“お国の顔”が泥だらけってこと。たぶんお偉いさん泣いちゃうわ」
神楽坂は、黙って聞いていた。
目は笑っていない。
でも、口元にはまだほんのり笑みが残ってる。
やがて、彼はゆっくり呼吸を吐いた。
「つまり、きみはこう言いたいわけだ。
この場はもう“学校”ではなく、“きみという異常存在の影響下にある独立領域”である、と。
そして、ここにおける行為は、すべてきみ自身の管理下で行われるので、管理局は勝手に触れない、と」
「そうだよ」
「……ふむ」
神楽坂は、目を閉じた。
そして目を開けたとき——初めて、彼の目に、ほんのわずかな熱が宿った。
「本当に、“神谷蓮領域”と名乗るとは思わなかったよ。面白いね」
アイがボソッと言う。「また“面白い”って言葉で済ませた。殺意沸くな~~~」
神楽坂は続けた。
「ひとつ、だけ。確認しようか」
その声は、今までと違っていた。
やわらかい。けど、底がない。
真空みたいな声。
嫌な汗が背中にじわっと浮く。
「きみは言った。“ここにいるやつらは全員、仲間だ”と」
「言った」
「なら、こうした場合は?」
神楽坂は指を鳴らした。
カチ、と乾いた音。
同時に、後ろの監査班の一人が、金属ケースを静かに持ち上げた。
ケースの上がスライドする。
中から、小型のデバイスが起き上がる。
拳より少し大きい、立方体の機械。
前面には、赤黒い、脈打つようなコア。
見た瞬間、七瀬が蒼白になる。
「やっば。あれ——」
黛が低く呟いた。「あのサイズの圧縮コアを街中で使うか。頭おかしいな」
俺はまだ、何かわからなかった。
でも、神楽坂が次に言った言葉で理解した。
「“神域干渉体 呼び出しビーコン”。
ここにいる誰かの“存在タグ”をサンプルにして、『排除対象です。この個体を捕獲/消去してください』って、上(=神域)に投げるための端末だ」
空気が一瞬で凍った。
「……は?」
俺は、思わず素で言った。
「お前ら、神呼べんの?」
「呼べるよ」
神楽坂はあまりにもあっさり言った。
「こちらにもチャンネルがある。神域管理階層とは、協定を結んでいる。必要時には“消去依頼”を上げることができるし、向こうもそれを処理してくれる」
アイの喉が、ごくり、と鳴る。
目が怒りよりも先に、はっきりとした恐怖で揺れる。
「なにそれ……じゃあ、今までの“事故”って……」
槙村が、息を呑んだ。「“神域暴走”ってニュースで言われてたやつ。あれ……本当に偶然だったの?」
神楽坂は、悪びれずに言った。
「場合によるよ」
——あ。
これ、怒りよりも冷たいやつだ。
“この街の災害のいくつかは、管理局が神に依頼して落としてる”。
人間が、神を使って同じ人間を整理してる。
吐き気が、喉の奥からこみ上げる。
神楽坂はつづけた。
「質問を変える。
きみが“仲間”と呼ぶこの集団のうち、ひとりだけを“サンプル”として神に差し出す。それだけで、この区域は当面安全になる。
この“ビーコン”には、その機能がある」
アイの呼吸が止まる。
七瀬の指が震える。
黒瀬の目が、笑いを失う。
「……なぁ、それって」
「そう」神楽坂は頷いた。
「誰かひとりを“排除対象”に指定してくれればいい。
たとえば——」
彼は、ごく自然に、視線を花音に向けた。
世界が、そこで暗くなったように感じた。
花音の目が、びくっ、と揺れる。
「や、だ……やだやだやだやだごめん、やだ、いやだ、やだ……っ」
アイが即座に動いた。
花音の前に、すっと立つ。
肩幅ぶんだけ、完全に花音を覆い隠すように。
動きに、迷いが一切なかった。
震えてない。泣いてもない。
「——殺すよ」
アイの声は低くて静かで、耳の奥に刺さる。
笑ってない。
脅しとか虚勢じゃない。
ほんとにそうするっていう声。
「花音に指一本触れたら、私があんたを殺す。神楽坂」
神楽坂は、ふっと笑った。
「勇ましいね、月城アイ」
「勇ましいじゃない。マジだから」
「でも、現実を見なさい」
神楽坂は静かに続ける。
「これは交渉だよ。
“ひとり差し出す”だけで、残り全員が守られる。
合理的だと思わないかい?」
ああ。
この男は、最後まで同じなんだな。
“守るためだよ”って言葉を、ナイフみたいに使うやつ。
ほんの一瞬、場の空気に、ざらつく気配が走った。
それは恐怖、じゃない。
でも、揺れだ。
「誰かひとりで済むなら……」っていう誘惑が、確かに空間に生まれた。
それを、俺は手で引きちぎった。
「その提案、いらないって言ったろ」
神楽坂がこちらを見る。
目がほんの少し冷える。
「何?」
「“誰かを差し出せば、みんな助かる”っていう話。もうそれ聞き飽きた」
俺は一歩、前に出た。
足が震えるのを隠しもしない。
この震えは、逃げたいからじゃない。むかついてるからだ。
「お前らのルールって全部そうだよな。
“救うためだよ”“守るためだよ”って言いながら、切り捨てる相手を指差させる。
自分らの手じゃなく、俺たちの手で仲間を選ばせようとする。
それ、きれいな言葉で包んだだけのリンチだよ」
神楽坂は、初めて笑わなかった。
声の温度が、ほんの少し下がる。
「君は甘い」
「甘いって言われるのも飽きたわ」
俺は、はっきり言った。
「俺は“全員で生き残る”って言ったんだよ」
その瞬間。
領域が、震えた。
それは、物理的な振動じゃなかった。
頭蓋の内側から、空気そのものから、同時に響いてくる、低い鈴みたいな音。
ピィィィィィィィィン……。
わかる。
これ、“領域”が俺の言葉を受けて動いた。
俺は手を前に突き出した。
俺の目の前に、白いウィンドウが走る。
────────────────
《領域機能:保護宣言》
対象:領域内存在(同一リンク共有者)
効果:
・選択対象の“排除指定”を無効化
・外部ビーコンからのロックを拒否
・反応信号を強制的に“領域主”へリダイレクト
副作用:
・領域主に“排除指定”が集中します
・敵対優先度:最大
────────────────
——あ。
そういう仕組みかよ。
「誰かひとり差し出せば」という話そのものを、無効化する機能。
代わりに、“全員分のヘイトを俺一人に集める”。
わかりやすい。
わかりやすいけど、はっきり言ってクソ。
でも、それでいい。
「《保護宣言》」
俺は言った。
ウィンドウが一気に弾け、仲間たちへ、花音へ、アイへ、黒瀬へ、槙村へ、七瀬へ、黛へ、そして後ろに固まっている元クラスメイトたちひとりひとりへ、光の筋が走る。
その瞬間、神楽坂の持ってきたビーコンが、けたたましく異音を発した。
キィィィィィィィィィィィィィ!!!
監査班の隊員があわてて制御しようとする。「ロックできません! ターゲット指定が、全部——」
「全部、“神谷蓮”に集約されてます!」
神楽坂の目が、そこで明確に細くなった。
「……なるほど。そう来たか」
アイが一歩、俺の隣に立つ。「はい蓮、言う。絶対言う。……“バカ”。」
「いやわかってる!! わかってるけどそれしかやり方ねぇんだよ!!」
「わかってるから言ってんの!!!」
アイの目が潤む。怒ってるのに、泣きそうで、でも笑ってる。
「ほんっとバカ。ほんっとにバカ。だいすき」
「情報量っ!!?」
また心臓が変な鼓動を打った。マジで死ぬわこれ。
神楽坂は、静かにビーコンを見つめてから、目だけを俺に戻す。
「すべてを自分に引き受ける、と。
“この中の誰かひとりじゃなく、全員を守れ。狙うなら俺だけにしろ”と。
それが、きみの今の回答だ」
「そうだよ」
「馬鹿げてる」
「お前らのやり口より好きだわ」
沈黙。
神楽坂は、ほんのわずかだけ、呼吸を吐いた。
「……了解した」
え?
その言い方は、いつもと同じ柔らかさなんだけど。
でも、その柔らかい言葉が、今回は別の意味を持ってた。
「了解した?」黛が低く言う。
「今ここでの直接制圧は行わない」神楽坂は淡々と言った。
全員が一瞬、息を呑んだ。
七瀬が思わず「っしゃああああああああああ!!!」って叫びそうになって、槙村に口をふさがれる。
神楽坂は続ける。
「理由はふたつ。
ひとつ。きみたちの“領域”は、現時点で法的グレーゾーンだ。ここで未成年に対して即時の武力行使をすれば、上に説明が難しい」
七瀬がタブレットを握りしめ、顔をクシャッとさせる。小さく、震える声で「記録してよかった……!」って呟いた。涙声だった。
「ふたつめ」
神楽坂は、ほんの一瞬、笑った。
今度の笑いは、妙に正直だった。
「きみは確かにバグだ、神谷 蓮。
だが——」
その目が、冷たい光に変わる。
「バグというものは、放置するだけで自己増殖してくれることがある。
わざわざ潰さずとも、きみは勝手に“神側と管理局側の両方から”狙われる。
つまり、きみはもう“都市の外敵を引きつける磁石”になった。……利用価値がある」
空気が一気に冷える。
アイの顔が、怒りで歪む。「……は?」
神楽坂は結論だけを、穏やかに言った。
「だから今は、手を出さない」
ああ。そういうことか。
「守ってやるよ」じゃないんだ。
「この状況、お前をエサにして使えるから、今は殺さない」ってことだ。
お前は囮として役に立つから、まだ殺さない。
そう言われて、逆に腹の底が静かになった。
こいつは、ちゃんと敵だ。
やっぱり敵だ。
敵でいてくれるほうが、わかりやすい。
神楽坂は、俺を見て、ほんの少しだけ目をすがめる。
「神谷 蓮。
きみは、今日この時点で、正式に“都市級リスク”として登録された。
今後きみは、管理局にとっての対象X、神域管理階層にとっての逸脱因子、そして人間社会にとっての不安定要素として扱われる」
七瀬がタブレットを睨んで「“対象X”登録きた……マジで特別指名手配じゃん……」と顔をしかめる。
神楽坂は続ける。
「世界は、もうきみを普通の高校生とは見なさない。
これは、礼儀として伝えておく」
「礼儀て」
「期待しているよ」と神楽坂は言った。「この街が壊れる前に、きみがどこまで足掻けるか」
その言葉は、本当に心からのものみたいに聞こえた。
だからこそ、ぜんぶ腹が立った。
「——最後に忠告だ」
神楽坂は踵を返しながら言った。
「“神谷蓮領域”の宣言は、神域側にもすべて共有されている。
彼らは興味を持った。
今夜のうちに、君に直接“やりとり”を求めてくるだろう。
それは交渉じゃない。スカウトだ。覚悟しておけ」
アイが低く唸る。「……また“神側に来い”ってやつ」
「そう」
神楽坂は振り返らずに言った。
「今度は、優しい言い方じゃないはずだよ」
そのまま彼は、監査班とともに歩き去っていく。
隔壁ドアが再び閉じ、ロックランプが赤に戻った。
音が消える。
静寂。
張りつめていたものが、一気に緩む。
その瞬間——
「は、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!」
七瀬がその場で崩れ落ちて、床に転がった。
「し、死ぬかと思った!!! なにこれ!!! ハイレベル交渉生で見るやつじゃないから!!! 私まだ十代だから!!!」
槙村も安堵で腰が抜けて、その場にぺたんと座り込む。「よ、よかったぁぁぁぁぁぁ……!」
黒瀬は壁に背中を預けて、ゆっくりと息を吐いた。「あー……はい、生存確認。俺まだ生きてるわ。やったな」
花音はその場で膝を突いて、両手で顔を覆い、肩を震わせて泣き出した。
泣き声は子供みたいにぐしゃぐしゃで、ずっと我慢してたのが崩れたみたいだった。
アイは——俺の胸に頭をゴンッとぶつけてきた。
「痛い痛い痛い!」
「うるさいバカ!!!!」
「なんで俺殴られてんの!?」
「バカだからに決まってるでしょ!!!!」
「理不尽だな!? いやわかってるけど!!」
アイは俺の服をぐしゃっと掴んだまま、顔を押しつけるようにして小さく言った。
「ありがと。生きてて。……ちゃんと私の隣にいてくれて」
胸が熱くなる。
一瞬だけ、手を伸ばしてアイの頭に触れた。
髪、ばさばさだな。汗でぺたぺただし、血ついてるとこあるし。
でも、あったかい。
「……約束したからな」
「うん」
「全員で生き残る」
「うん」
「だから、まだだ。まだ終わってねぇ」
アイは小さく笑って、俺の胸を軽く拳でコツンと叩いた。
「うん。終わってない」
その時。
俺の視界に、勝手にウィンドウが開いた。
真っ黒な背景に、白い文字だけが浮かぶ。
────────────────
《神域直接接続 リクエスト》
送信元:上位監理層
優先度:最上位
メッセージ:
「——あなたの“領域”は、興味深い。
交渉ではない。選択でもない。宣告だ。
神谷蓮。
あなたは、神々の戦場に足を踏み入れた。
以後、あなたは“人間代表”として扱う」
────────────────
……。
は?
“人間代表”って何その肩書。
勝手に決めんな。
いや待て。
“代表”ってことはつまり、“これからは人間と神との話はお前通してやるから”ってことだよな?
俺を経由しないでこの街に干渉しません、その代わり、俺以外に直接手を出すとログ残るよ、ってことだよな?
それってつまり、俺が正式に“窓口”になっちまったってことだよな。
……えぐい。
俺はウィンドウを見つめて、口の端だけで笑った。
「なぁ、みんな」
アイが顔を上げる。
黛がこちらを向く。
黒瀬と槙村と七瀬も、花音も、視線をこっちに向ける。
俺は、言った。
「世界、マジで俺たちのこと本気で敵に回したわ」
七瀬「知ってたぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
黒瀬「やっと本番ってことか」
槙村「死なないでねマジで私メンタル死ぬから」
花音「どこにも行かないで……」
アイ「じゃ、決まりだね」
「決まり?」
アイは涙の跡が残った顔で、いつもの調子で言った。
「“人間代表”とか“対象X”とか“バグ”とか好きに呼べばいいよ。
でも——」
アイは拳を握り、胸の前に上げる。
「うちらは“クラス”。それだけは変わんない」
胸が、じんわり熱くなった。
そうだ。
肩書きがどう増えようが、敵がどれだけ増えようが、世界にどう扱われようが。
俺たちは、俺たちだ。
俺は小さく笑って、拳をアイの拳にコツンと当てた。
「よし。じゃあ……」
喉が乾いてるのに、声がちゃんと出る。
「クラスのみんな——ようこそ、反乱区域《神谷 蓮 領域》へ」
その瞬間、通路に笑い声とすすり泣きが混ざって、ぐしゃぐしゃな音になった。
でもそれは、ちゃんと生きてる音だった。
(第11話 終)
時刻は19時58分。
地下第2シェルター、廊下側の隔壁ドア前。
俺たちは、並んで立っていた。
列ってほどきれいじゃない。
止血パッド貼ったままのやつ、片腕吊ってるやつ、顔色真っ白なやつ、足引きずってるやつ、泣きはらした目のまま立ってるやつ。
でも——誰も座ってない。
自分の足で、ここにいる。
黛が最前列。
その半歩後ろに俺とアイ。
黒瀬と槙村と七瀬がそれを囲む形。
さらにその後ろに、元クラスメイトたち。花音もそこにいた。立ってるだけで膝がガクガクしてるのに、それでも逃げなかった。
“領域”の空気は、明らかにさっきと違ってた。
息をするだけでわかる。
この空間そのものに、うっすら俺の感覚が混じってる。
「ここは、うちらの場所」っていう意識が、この廊下の壁にも床にも染みてる感じ。
感覚としては……そうだな。
全員の不安を背中に背負ってる、っていうより、全員が俺の背中につながってる感じ。
俺が立ってることで、みんなが立てる。
代わりに、みんなが立ってることで、俺も折れずに済んでる。
あぁこれ、マジで“場所になった”んだな、俺。
19:59。
隔壁ドアのロックランプが、赤から黄に切り替わる。
七瀬が小声で言った。「……来る。管理局側のアクセスキーが入った。あいつだ」
アイが小さく息を吸う。
黒瀬は肩をぐるぐる回しながら、ボソッと呟いた。「心の準備はした。肉体の準備はしてない。まあどうにかなるだろ」
「お前そのノリでよく死なねぇな」と槙村。
「“よく死なない”っていう評価どうなんだ俺」
「褒めてんだよ」
「ありがとユイ愛してる」
「軽い!!!!」
七瀬はタブレットを胸元に抱きしめ、早口で言う。「録音もログも回してる。うち側の回線と、今の“領域ID”の並列表記も記録済み。法的に殴れるとこは全部殴るからね黛先輩、あとは言葉選びだけ気をつけて、ね!? マジで法律に刺さる言い回ししてね!? “俺たちの領土!”とか言わないでね!? それ言ったら一発で国家反逆罪デス!!」
黛「……わかった」
俺「え、今ふつうに言おうとしてなかった?」
黛「言おうとしてたな」
アイ「やめて」
20:00。
隔壁ドアが開いた。
——無音で。
金属の塊が開くのに、音がほとんどしないのは逆に怖い。
これは管理局側の技術っていうより、明らかに神楽坂の“演出”だと思う。出現自体をショー化して、こっちに呼吸させないやつ。
黒いスーツが姿を現す。
神楽坂。
昼間と同じ、完璧に整った姿。
スーツは汚れてない。ネクタイも乱れてない。肩に傷一つない。
その後ろには、監査班の隊員が二人。
御門はいない。
神楽坂は、ほんとに「必要最小限だけ連れてきました」って顔で、こちらに静かに歩いてきた。
彼は足を止めて、俺たち全員をぐるりと見渡す。
包帯だらけの高校生集団と、その後ろで震えてる保護対象。そして、前に立つ黛。
神楽坂は、うすく微笑んだ。
「きみたちは、本当に“全員で”来るんだね」
その口調は、驚きというより観察に近い。
そして、その観察がすでにデータとして冷たく整理されてるのが透けて見える。
黛が低い声で答える。
「提案は聞いた。今から“こちらの回答”を伝える」
神楽坂は「ああ」と頷く。
「楽しみにしているよ」
黛は一拍置いてから、はっきりと言った。
「——拒否する」
空気がピキッと張る。
アイが指先をぎゅっと握る。
黒瀬が小さく鼻を鳴らす。
花音たちの肩が、一斉にすくむ。
でも黛の声は揺れなかった。
「誰も外に出さない。誰も置いていかない。ここにいる全員で残る。……それがうちの選択だ」
神楽坂のまなざしが、ゆっくりと細くなる。
「全員残る、か。——愚かだね」
その言い方は淡々としてる。
感情がこもっていないから、逆に刺さる。
黛はそのまま冷静に返す。
「愚かで結構だ。俺たちはクラスだからな」
「クラス」
神楽坂は、軽く笑った。
「この状態を、まだ“クラス”という言葉で呼べるのが、君たちの強さであり、同時に弱さでもある」
七瀬が小声で俺の袖を引っ張って「いまの“弱さでもある”って言い回し記録。これ完全に“後で潰す理由の伏線”だから」という恐ろしく冷静なメモを入れてくる。怖い。
神楽坂は、穏やかな声で続けた。
「では確認しよう。
きみたちは“隔離”に同意しなかった。
“自主的にここに残った”という物語は使えなくなった」
黛「そうだ」
「つまり——」
神楽坂は、ゆっくりと両手を広げ、宣言した。
「桐生東高校は20時00分をもって、“反乱区域”に指定する」
通路の空気が、ぐっと重くなった。
七瀬のタブレットが赤い警告をはじき出す。
──管理局通達
──臨時決定:第18指定区域“桐生東学区”における特異行動集団を、準武装反乱勢力と見なす
──市街保全のため、隔離・排除オペレーションの許可を発行
……“反乱勢力”。
俺たち、ついに公式に、そう呼ばれた。
アイが、小さく息を呑む。「これ、マジでやる気だ。もう話し合いの体裁とる気ない顔」
槙村が歯を食いしばる。「これであっちからの攻撃は“治安維持”ってラベルついちゃう……!」
花音たちが、ザッと身を寄せる。「やだやだやだやだ」「ムリムリムリムリ」「こわいこわいこわいこわい」
黒瀬は目を細め、ふっと笑った。「あーあ。これ、もう完全に喧嘩だな」
黛は、まっすぐに神楽坂を見る。
「それが、お前らの答えか」
神楽坂は、穏やかに頷く。
「そうだ。これが“都市”の答えだよ。
だから、もう一度だけ提案する」
そう言って、神楽坂はゆっくり、俺のほうへ視線を移した。
皮膚がぞわっと粟立つ。
ああ、きたな。
「神谷 蓮」
俺の名前を、静かに、はっきりと呼ぶ。
「きみひとりが管理局に同行するなら——“反乱区域”指定は取り消す。封鎖もしない。きみ以外の生徒は日常へ戻れる」
その場にいた全員の呼吸が、止まる音が聞こえた。
アイの指が、俺の袖をつかんだままぎゅうっと握り込む。
痛い。でも離さないでくれ、って気持ちのほうが強い。
神楽坂は、まるで教師が優等生に「答えられるよね?」と聞くみたいな口調で続ける。
「選びなさい。きみのクラスメイトたちの自由をとるか。きみ自身の自由をとるか」
喉が、カラッカラに乾いた。
これ。
これがこの人のやり口だ。
“選択権を与えている”って形にして、全部押しつける。
“彼らを檻から外に出すかどうかは、きみが決める”ってラベルを貼る。
もし俺が「わかった、行くよ」って言ったら、
みんなは助かる。代わりに俺は終了。サンプル扱い。解剖コース。
もし俺が「行かない」って言ったら、
今度は“みんなが閉じ込められるのはお前のわがままのせい”っていう物語が完成する。
どっちを選んでも、俺は“悪役”だ。
……正直に言う。
心のどっかで、一瞬だけ、揺れた。
「俺が行けば、アイも、花音も、こいつら全員、普通に戻れるなら……」って。
ほんの一瞬だ。
でも、その一瞬は、本物だった。
たぶん俺が俺じゃなかったら、そこで折れてる。
だから、俺はその一瞬を自分で殺した。
腹に力を入れて、ゆっくり息を吐いて、言う。
「悪いけど」
神楽坂の視線が、静かに俺に定まる。
「その二択、もう古いんだよ」
アイが小さく笑った。
その笑い方は泣きそうで、でも誇らしげだ。
「……そういうとこ好き」
「アイ真顔で言うのやめて心臓に悪い!」
神楽坂は首をかしげる。「古い?」
「ああ。今のは“俺ひとり vs 全員”の形だろ? そのフォーマット、もう通じないんだよ。だって俺、ひとりじゃないもん」
そう言ってから、俺は一歩、前に出た。
足が勝手に震えるのが、自分でわかる。
でも、立てる。
立てるのは、今ここにみんながいるから。
俺は、はっきりとした声で宣言した。
「この場所は、もう“桐生東高校”じゃない」
神楽坂の目が、わずかに細くなる。
「何を言っている?」
「ここは、“俺の領域”だ」
七瀬が「言った……!」と息を呑む。
槙村が「ログ取りました……!」と泣きそうに小声で言う。
黒瀬はにやっと笑って「よし、いったな」。
俺は続ける。
「正式名称:《神谷 蓮 領域(仮)》」
「仮ってつけるなよそこは!」アイがツッコむ。
「“仮”って出たんだよシステム上しょうがねぇだろ!」
神楽坂は、目を瞬いた。
ほんの、一秒。
それは驚きだった。
この人から一瞬でも形のない表情が漏れるのは、なんか……ちょっと気持ちよかった。
俺は畳みかける。
「俺は宣言した。ここにいるやつらは全員、俺の“仲間”だ。
その仲間を、この領域の“保護対象”として登録した。
外部の一方的な支配や拘束は、ここでは許さない。
ここでの戦闘行為は、“正当な自衛”として即記録させる」
神楽坂の目が、ほんの少しずつ、冷たくなる。
俺はさらに言った。
「つまり、ここにいるやつらを、管理局の名目ひとつで“連行”することはできない。
“この場所に手を出す”って行為、それ自体が、管理局の違法介入としてログに残る」
七瀬がタブレットを掲げる。「はい録画してまぁーす! はい領域IDと管理局IDの並列表記も自動保存されてまぁーす! はいこれ裁判突きつけたらニュース案件コース入りま~す!」
槙村「“未成年の隔離と強制拘束を行いました”って記録残るの、管理局としてはめっっっちゃ燃える案件だからね」
黒瀬「つまり、下手に手ぇ出したら“お国の顔”が泥だらけってこと。たぶんお偉いさん泣いちゃうわ」
神楽坂は、黙って聞いていた。
目は笑っていない。
でも、口元にはまだほんのり笑みが残ってる。
やがて、彼はゆっくり呼吸を吐いた。
「つまり、きみはこう言いたいわけだ。
この場はもう“学校”ではなく、“きみという異常存在の影響下にある独立領域”である、と。
そして、ここにおける行為は、すべてきみ自身の管理下で行われるので、管理局は勝手に触れない、と」
「そうだよ」
「……ふむ」
神楽坂は、目を閉じた。
そして目を開けたとき——初めて、彼の目に、ほんのわずかな熱が宿った。
「本当に、“神谷蓮領域”と名乗るとは思わなかったよ。面白いね」
アイがボソッと言う。「また“面白い”って言葉で済ませた。殺意沸くな~~~」
神楽坂は続けた。
「ひとつ、だけ。確認しようか」
その声は、今までと違っていた。
やわらかい。けど、底がない。
真空みたいな声。
嫌な汗が背中にじわっと浮く。
「きみは言った。“ここにいるやつらは全員、仲間だ”と」
「言った」
「なら、こうした場合は?」
神楽坂は指を鳴らした。
カチ、と乾いた音。
同時に、後ろの監査班の一人が、金属ケースを静かに持ち上げた。
ケースの上がスライドする。
中から、小型のデバイスが起き上がる。
拳より少し大きい、立方体の機械。
前面には、赤黒い、脈打つようなコア。
見た瞬間、七瀬が蒼白になる。
「やっば。あれ——」
黛が低く呟いた。「あのサイズの圧縮コアを街中で使うか。頭おかしいな」
俺はまだ、何かわからなかった。
でも、神楽坂が次に言った言葉で理解した。
「“神域干渉体 呼び出しビーコン”。
ここにいる誰かの“存在タグ”をサンプルにして、『排除対象です。この個体を捕獲/消去してください』って、上(=神域)に投げるための端末だ」
空気が一瞬で凍った。
「……は?」
俺は、思わず素で言った。
「お前ら、神呼べんの?」
「呼べるよ」
神楽坂はあまりにもあっさり言った。
「こちらにもチャンネルがある。神域管理階層とは、協定を結んでいる。必要時には“消去依頼”を上げることができるし、向こうもそれを処理してくれる」
アイの喉が、ごくり、と鳴る。
目が怒りよりも先に、はっきりとした恐怖で揺れる。
「なにそれ……じゃあ、今までの“事故”って……」
槙村が、息を呑んだ。「“神域暴走”ってニュースで言われてたやつ。あれ……本当に偶然だったの?」
神楽坂は、悪びれずに言った。
「場合によるよ」
——あ。
これ、怒りよりも冷たいやつだ。
“この街の災害のいくつかは、管理局が神に依頼して落としてる”。
人間が、神を使って同じ人間を整理してる。
吐き気が、喉の奥からこみ上げる。
神楽坂はつづけた。
「質問を変える。
きみが“仲間”と呼ぶこの集団のうち、ひとりだけを“サンプル”として神に差し出す。それだけで、この区域は当面安全になる。
この“ビーコン”には、その機能がある」
アイの呼吸が止まる。
七瀬の指が震える。
黒瀬の目が、笑いを失う。
「……なぁ、それって」
「そう」神楽坂は頷いた。
「誰かひとりを“排除対象”に指定してくれればいい。
たとえば——」
彼は、ごく自然に、視線を花音に向けた。
世界が、そこで暗くなったように感じた。
花音の目が、びくっ、と揺れる。
「や、だ……やだやだやだやだごめん、やだ、いやだ、やだ……っ」
アイが即座に動いた。
花音の前に、すっと立つ。
肩幅ぶんだけ、完全に花音を覆い隠すように。
動きに、迷いが一切なかった。
震えてない。泣いてもない。
「——殺すよ」
アイの声は低くて静かで、耳の奥に刺さる。
笑ってない。
脅しとか虚勢じゃない。
ほんとにそうするっていう声。
「花音に指一本触れたら、私があんたを殺す。神楽坂」
神楽坂は、ふっと笑った。
「勇ましいね、月城アイ」
「勇ましいじゃない。マジだから」
「でも、現実を見なさい」
神楽坂は静かに続ける。
「これは交渉だよ。
“ひとり差し出す”だけで、残り全員が守られる。
合理的だと思わないかい?」
ああ。
この男は、最後まで同じなんだな。
“守るためだよ”って言葉を、ナイフみたいに使うやつ。
ほんの一瞬、場の空気に、ざらつく気配が走った。
それは恐怖、じゃない。
でも、揺れだ。
「誰かひとりで済むなら……」っていう誘惑が、確かに空間に生まれた。
それを、俺は手で引きちぎった。
「その提案、いらないって言ったろ」
神楽坂がこちらを見る。
目がほんの少し冷える。
「何?」
「“誰かを差し出せば、みんな助かる”っていう話。もうそれ聞き飽きた」
俺は一歩、前に出た。
足が震えるのを隠しもしない。
この震えは、逃げたいからじゃない。むかついてるからだ。
「お前らのルールって全部そうだよな。
“救うためだよ”“守るためだよ”って言いながら、切り捨てる相手を指差させる。
自分らの手じゃなく、俺たちの手で仲間を選ばせようとする。
それ、きれいな言葉で包んだだけのリンチだよ」
神楽坂は、初めて笑わなかった。
声の温度が、ほんの少し下がる。
「君は甘い」
「甘いって言われるのも飽きたわ」
俺は、はっきり言った。
「俺は“全員で生き残る”って言ったんだよ」
その瞬間。
領域が、震えた。
それは、物理的な振動じゃなかった。
頭蓋の内側から、空気そのものから、同時に響いてくる、低い鈴みたいな音。
ピィィィィィィィィン……。
わかる。
これ、“領域”が俺の言葉を受けて動いた。
俺は手を前に突き出した。
俺の目の前に、白いウィンドウが走る。
────────────────
《領域機能:保護宣言》
対象:領域内存在(同一リンク共有者)
効果:
・選択対象の“排除指定”を無効化
・外部ビーコンからのロックを拒否
・反応信号を強制的に“領域主”へリダイレクト
副作用:
・領域主に“排除指定”が集中します
・敵対優先度:最大
────────────────
——あ。
そういう仕組みかよ。
「誰かひとり差し出せば」という話そのものを、無効化する機能。
代わりに、“全員分のヘイトを俺一人に集める”。
わかりやすい。
わかりやすいけど、はっきり言ってクソ。
でも、それでいい。
「《保護宣言》」
俺は言った。
ウィンドウが一気に弾け、仲間たちへ、花音へ、アイへ、黒瀬へ、槙村へ、七瀬へ、黛へ、そして後ろに固まっている元クラスメイトたちひとりひとりへ、光の筋が走る。
その瞬間、神楽坂の持ってきたビーコンが、けたたましく異音を発した。
キィィィィィィィィィィィィィ!!!
監査班の隊員があわてて制御しようとする。「ロックできません! ターゲット指定が、全部——」
「全部、“神谷蓮”に集約されてます!」
神楽坂の目が、そこで明確に細くなった。
「……なるほど。そう来たか」
アイが一歩、俺の隣に立つ。「はい蓮、言う。絶対言う。……“バカ”。」
「いやわかってる!! わかってるけどそれしかやり方ねぇんだよ!!」
「わかってるから言ってんの!!!」
アイの目が潤む。怒ってるのに、泣きそうで、でも笑ってる。
「ほんっとバカ。ほんっとにバカ。だいすき」
「情報量っ!!?」
また心臓が変な鼓動を打った。マジで死ぬわこれ。
神楽坂は、静かにビーコンを見つめてから、目だけを俺に戻す。
「すべてを自分に引き受ける、と。
“この中の誰かひとりじゃなく、全員を守れ。狙うなら俺だけにしろ”と。
それが、きみの今の回答だ」
「そうだよ」
「馬鹿げてる」
「お前らのやり口より好きだわ」
沈黙。
神楽坂は、ほんのわずかだけ、呼吸を吐いた。
「……了解した」
え?
その言い方は、いつもと同じ柔らかさなんだけど。
でも、その柔らかい言葉が、今回は別の意味を持ってた。
「了解した?」黛が低く言う。
「今ここでの直接制圧は行わない」神楽坂は淡々と言った。
全員が一瞬、息を呑んだ。
七瀬が思わず「っしゃああああああああああ!!!」って叫びそうになって、槙村に口をふさがれる。
神楽坂は続ける。
「理由はふたつ。
ひとつ。きみたちの“領域”は、現時点で法的グレーゾーンだ。ここで未成年に対して即時の武力行使をすれば、上に説明が難しい」
七瀬がタブレットを握りしめ、顔をクシャッとさせる。小さく、震える声で「記録してよかった……!」って呟いた。涙声だった。
「ふたつめ」
神楽坂は、ほんの一瞬、笑った。
今度の笑いは、妙に正直だった。
「きみは確かにバグだ、神谷 蓮。
だが——」
その目が、冷たい光に変わる。
「バグというものは、放置するだけで自己増殖してくれることがある。
わざわざ潰さずとも、きみは勝手に“神側と管理局側の両方から”狙われる。
つまり、きみはもう“都市の外敵を引きつける磁石”になった。……利用価値がある」
空気が一気に冷える。
アイの顔が、怒りで歪む。「……は?」
神楽坂は結論だけを、穏やかに言った。
「だから今は、手を出さない」
ああ。そういうことか。
「守ってやるよ」じゃないんだ。
「この状況、お前をエサにして使えるから、今は殺さない」ってことだ。
お前は囮として役に立つから、まだ殺さない。
そう言われて、逆に腹の底が静かになった。
こいつは、ちゃんと敵だ。
やっぱり敵だ。
敵でいてくれるほうが、わかりやすい。
神楽坂は、俺を見て、ほんの少しだけ目をすがめる。
「神谷 蓮。
きみは、今日この時点で、正式に“都市級リスク”として登録された。
今後きみは、管理局にとっての対象X、神域管理階層にとっての逸脱因子、そして人間社会にとっての不安定要素として扱われる」
七瀬がタブレットを睨んで「“対象X”登録きた……マジで特別指名手配じゃん……」と顔をしかめる。
神楽坂は続ける。
「世界は、もうきみを普通の高校生とは見なさない。
これは、礼儀として伝えておく」
「礼儀て」
「期待しているよ」と神楽坂は言った。「この街が壊れる前に、きみがどこまで足掻けるか」
その言葉は、本当に心からのものみたいに聞こえた。
だからこそ、ぜんぶ腹が立った。
「——最後に忠告だ」
神楽坂は踵を返しながら言った。
「“神谷蓮領域”の宣言は、神域側にもすべて共有されている。
彼らは興味を持った。
今夜のうちに、君に直接“やりとり”を求めてくるだろう。
それは交渉じゃない。スカウトだ。覚悟しておけ」
アイが低く唸る。「……また“神側に来い”ってやつ」
「そう」
神楽坂は振り返らずに言った。
「今度は、優しい言い方じゃないはずだよ」
そのまま彼は、監査班とともに歩き去っていく。
隔壁ドアが再び閉じ、ロックランプが赤に戻った。
音が消える。
静寂。
張りつめていたものが、一気に緩む。
その瞬間——
「は、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!」
七瀬がその場で崩れ落ちて、床に転がった。
「し、死ぬかと思った!!! なにこれ!!! ハイレベル交渉生で見るやつじゃないから!!! 私まだ十代だから!!!」
槙村も安堵で腰が抜けて、その場にぺたんと座り込む。「よ、よかったぁぁぁぁぁぁ……!」
黒瀬は壁に背中を預けて、ゆっくりと息を吐いた。「あー……はい、生存確認。俺まだ生きてるわ。やったな」
花音はその場で膝を突いて、両手で顔を覆い、肩を震わせて泣き出した。
泣き声は子供みたいにぐしゃぐしゃで、ずっと我慢してたのが崩れたみたいだった。
アイは——俺の胸に頭をゴンッとぶつけてきた。
「痛い痛い痛い!」
「うるさいバカ!!!!」
「なんで俺殴られてんの!?」
「バカだからに決まってるでしょ!!!!」
「理不尽だな!? いやわかってるけど!!」
アイは俺の服をぐしゃっと掴んだまま、顔を押しつけるようにして小さく言った。
「ありがと。生きてて。……ちゃんと私の隣にいてくれて」
胸が熱くなる。
一瞬だけ、手を伸ばしてアイの頭に触れた。
髪、ばさばさだな。汗でぺたぺただし、血ついてるとこあるし。
でも、あったかい。
「……約束したからな」
「うん」
「全員で生き残る」
「うん」
「だから、まだだ。まだ終わってねぇ」
アイは小さく笑って、俺の胸を軽く拳でコツンと叩いた。
「うん。終わってない」
その時。
俺の視界に、勝手にウィンドウが開いた。
真っ黒な背景に、白い文字だけが浮かぶ。
────────────────
《神域直接接続 リクエスト》
送信元:上位監理層
優先度:最上位
メッセージ:
「——あなたの“領域”は、興味深い。
交渉ではない。選択でもない。宣告だ。
神谷蓮。
あなたは、神々の戦場に足を踏み入れた。
以後、あなたは“人間代表”として扱う」
────────────────
……。
は?
“人間代表”って何その肩書。
勝手に決めんな。
いや待て。
“代表”ってことはつまり、“これからは人間と神との話はお前通してやるから”ってことだよな?
俺を経由しないでこの街に干渉しません、その代わり、俺以外に直接手を出すとログ残るよ、ってことだよな?
それってつまり、俺が正式に“窓口”になっちまったってことだよな。
……えぐい。
俺はウィンドウを見つめて、口の端だけで笑った。
「なぁ、みんな」
アイが顔を上げる。
黛がこちらを向く。
黒瀬と槙村と七瀬も、花音も、視線をこっちに向ける。
俺は、言った。
「世界、マジで俺たちのこと本気で敵に回したわ」
七瀬「知ってたぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
黒瀬「やっと本番ってことか」
槙村「死なないでねマジで私メンタル死ぬから」
花音「どこにも行かないで……」
アイ「じゃ、決まりだね」
「決まり?」
アイは涙の跡が残った顔で、いつもの調子で言った。
「“人間代表”とか“対象X”とか“バグ”とか好きに呼べばいいよ。
でも——」
アイは拳を握り、胸の前に上げる。
「うちらは“クラス”。それだけは変わんない」
胸が、じんわり熱くなった。
そうだ。
肩書きがどう増えようが、敵がどれだけ増えようが、世界にどう扱われようが。
俺たちは、俺たちだ。
俺は小さく笑って、拳をアイの拳にコツンと当てた。
「よし。じゃあ……」
喉が乾いてるのに、声がちゃんと出る。
「クラスのみんな——ようこそ、反乱区域《神谷 蓮 領域》へ」
その瞬間、通路に笑い声とすすり泣きが混ざって、ぐしゃぐしゃな音になった。
でもそれは、ちゃんと生きてる音だった。
(第11話 終)
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