詐欺る

黒崎伸一郎

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吾郎との出会い

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「何かあったのかもしれない」という予感が「消されたに違いない」と感じるまでそう時間はかからなかった…!
 

「マスター、いつものやつお願い!」
渋いグレーのスーツを着た三十半ばのサラリーマン風の男性が、店のドアを開けるとすぐにオーダーを注文した。
「いらっしゃい、吾郎ちゃん。
豚肉うどんダブルの玉子半熟ね」
と両手でテコを操っていた私は左手のテコを手元の熱くない板の部分に置き、その手で素早く麦茶を入れ差し出した。
「マスター、今日店終わったらカラダ空いてる?」
吾郎は麦茶を一気に飲みグラスをテーブルに置いた。
「いつも空いてるよ。何かいいことあったの?吾郎ちゃん…」
吾郎ちゃんと呼ぶ男は山本吾郎と名乗り,今年はじめ頃から週三回ほど来る常連さんだ。
マスターと呼ばれる私(黒崎伸一郎)はブーブーという名の喫茶兼お好み焼き屋の店主で、割と繁盛していた。
吾郎は右手で小さなテコを口に運びながら「じゃあ,店終わったら飲みに行かない…?」と誘った。
「珍しい……というか初めてだね。
吾郎ちゃんからお誘いあるなんて!」
吾郎が店に来始めて三ヶ月程経つが、飯とか飲みとかには誘われたことは一度もない。
というか、吾郎はいつも夕方五時半ごろに来て六時過ぎには店から帰宅していたので、飲みに行くことなどしない真面目なサラリーマンだと思っていた。
その吾郎からの誘いである。
私は断る理由もなく「オッケー!じゃあ九時に店終わるからその時間に来てよ」と、新しく通ったオーダーのお好み焼きを大きなテコを両手で動かしながら作っていた。
「うまいな、マスターのテコ捌き。
見惚れちゃうよ」
と言う吾郎の言葉に「前の店でも十年やってたからね。
でもお世辞言っても何も出ないよ」
口ではそう言ったのだが、飲みに行く以上、やはり奢るつもりでいた。
いつも来てくれる常連さんだからである。
理由は他にもあった。
今日は常連さんの一人で、飲み屋のママの誕生日ということで飲みに行く約束をしていたのだ。
「じゃあ九時に来るね。ご馳走様」とカウンターに千円札を置きすぐ席を立った。
「あ、お釣りは…」と口に出したがすぐにドアを開け店の外に出て行った。
(まあ、九時に来たときにお釣りは渡すか…)と思いながら千円札をレジの中に入れ込んだ。
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