異世界奴隷記

鼻髭 抜太郎

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プロローグ

プロローグ「無音」

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 もう、何もわからなかった。

 ただ漠然とした絶望感が己を押し潰さんとしているということ以外、何も分からなかった。
 目の前では、暗い室内をボンヤリとした表情でフラフラと歩き回る父親。目的もなく何を見るわけでもなく、ただ虚空を見つめ徘徊する姿は不気味そのものである。
 部屋にはモノが散乱しており、衣類や書類、ゴミなどが乱雑に放置されていた。明かりは無く、半開きの窓から吹き込む12月の風が皮膚に刺さる。
 俺はふと姿見に写る自らの姿を見た。
 華奢で小柄な体付きに色白な肌、少し長めの髪には艶があり一見女子に見える。しかし、その体にはあちこちに痣や傷が目立ち、こうして自らを見つめる瞳もどこか虚しげであった。

「また……いじめ…………られた?」

 無感情な声で、発せられた父の言葉に俺は僅かに身震いする。そして、同時にその声に込められた薄い哀れみが限りなく腹立たしく感じた。

 お前さえ、いなければ……!

 怒りに任せ勢いよく振り向いたものの、その先に立つ弱々しい姿を見て、俺は鎮火された残り火の様に感情が一瞬にして静まるのを感じた。
 何故かはわからない。
 よく考えれば分かることなのかもしれないが、今の俺にはそれを考えるほどの思考が残されていなかった。
 ただ瞬間的に、彼のかつての姿、父として歪ながらも存在していたころの姿がちらついた。
 それを見た途端、私の中で、父を慕っていた頃の感情、父を憎む感情、最後の家族としての愛など、曖昧でかつ至極人間的な感情が渦巻く。

 怒りよりも、哀しかった。

 わからない。分からない。判らない。解らない。ワカラナイ。

 俺は、苦しくなってその場にうずくまる。
 うずくまって気が付いたのだが、俺はいつの間にか悪臭の漂う台所に移動していた。
 ぼんやりとしてうちにいつの間にか姿見から、ここまで移動していたのだろう。
 うずくまった俺は、鈍い痛みの走る全身を抱きしめ寒さとさむさ・・・に必死に耐える。

 その時だった。

 不意に俺の脳裏に、ある案が浮かぶ。
 この状況を打開し、この苦しみから逃れるごく簡単な方法を――――。

 俺は立ち上がると、善は急げと言わんばかりに汚水の溜まった食器の山に手を突っ込む。
 そして、その山から素早く包丁を引き抜くと、一切の躊躇いなく己の心臓に突き立てた。

 これまでに味わったことのない激痛。せき込むように吐き出された大量の血液。スッと覚めるような感覚とともに、視界の隅で目を見開いた父の姿が見えた。

 俺は、一体何を!?

 瞬間的に正常な思考を取り戻した俺であったが、時すでに遅く。
 諦めると同時に、先ほどまでの錯乱的な思考と感情が正常な思考をもみ消した。

 もぅ、何もわからなかった。



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