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第4章
111.【終】今までとこれから
それから2年後。
アヴリルプランタン王国に大きな変化が訪れようとしていた。
レティシアは少し膨らんだお腹を撫でながら、目の前の光景を目に焼き付けていた。
少し前に史上最年少の宰相が誕生した。今まで数世代に渡り、リュシリュー公爵家が務めてきた宰相という役職。
ナミュール侯爵家の三男が任命されたのだ。
わずか22歳という若輩者。普通ではありえない年齢に、さすがに反感を覚える者も一定数いた。
けれどその反対意見を全て実力でねじ伏せ、その地位を掴み取った。
学生時代は、怠惰な印象を抱いていたものも少なくない。国のために働くその姿勢に、老若男女問わず憧憬を集めた。
卒業してからその実力をメキメキと発揮させて、どんどん味方を増やしていったのだ。
この異例な任命は、アヴリルプランタン王国の歴史に、間違いなく刻まれることだろう。
そして宰相の業務が引き継がれて、一通り落ち着いた今日この日。
小さな部屋には、ここ数年顔を合わせていなかった顔ぶれが揃っていた。
「……レティシア、抜けたくなったら言ってほしい」
「大丈夫ですわ、ジルベール様。それに、わたくしのけじめでもあるので」
「……分かった」
司法の役人が、書類をある人物に手渡す。
「ではこの書類にサインをすれば、リュシリュー公爵家はリュシリュー男爵家に降爵となります。領地を王家に返還する書類はこちらに」
「分かりました」
その書類に躊躇うことなく、サインをする。
(随分老けましたわね。……まあ、今日までやることは山ほどあったでしょうし、ね)
元々少し白髪が混じっていたアッシュグレーは、ほぼ真っ白だ。まだ年齢を考えれば、そこまで白くならないだろうに。
哀れみはするが、同情は一切出来ない。
そしてそれはもう一人にも言えることだった。
(あちらも最後に見た時より、痩せましたわ。顔色も悪いですしあんなに見た目だけは良かったのが、いまや別人のようです)
バンジャマンもジュスタンも、数年顔を合わせなかったことでレティシアの記憶から大分乖離している。
けれどそれをざまあみろとも思えなかった。
その理由を、レティシアはまだ敢えて知ろうとは思わなかった。
バンジャマンがサインを終えて、役人が確認している。
陛下と共に漏れがないか確認し、役人は口を開いた。
「それでは、これで降爵の書類は整いました。失礼します」
役人は書類を抱えて、退出していった。
今残っているのは、レティシアとジルベール、バンジャマンとジュスタン、そして陛下と王妃だ。
無言の時間が流れている。
ジルベールがレティシアを気遣うように、チラチラ見ている。いや、それはバンジャマンとジュスタンもか。
どうしたらいいのか分からないのだろう。というより、自分達から動けないと言った方が正しいか。
レティシアは用意されていた椅子から立ち上がる。
「リュシリュー公爵……いえ、リュシリュー男爵様」
「…………なん、でしょうか」
男爵と呼ぶことでバンジャマン達は、まだレティシアが歩み寄りを見せているわけではないと悟ったのだろう。
こちらは王太子妃、対してあちらはしがない、いや泥船の男爵家だ。
身分差が生まれたことを理解し、相応の態度をとった。
そんなバンジャマン達に、もう何の感情も浮かんでこない。
けれど、これだけは言おうと思っていた。レティシアが出来なかった、いや、やろうともしなかったことを。
「……民を混乱させないように、尽力したこと。ご苦労様でした」
「……‼︎ も、勿体なき、お言葉です」
これは王太子妃としての言葉だ。
決してレティシアとして言った言葉ではない。そうでなければ、何も話したくない。
けれどまさか、レティシアから労いの言葉を貰うなんて想像すらしていなかったのだろう。
震えた声で、バンジャマンは言った。
ジュスタンは泥のついた男爵家の嫡男。言葉を発することすら許されない立場になっている。
だからこみ上げてくる感情を抑えるように、唇を噛み締めていた。
そんなレティシアを、ジルベールと陛下、王妃もただ見守っていた。
本当は恨み言の一つや二つ、言ってもいいのだろうけれど、レティシアはそんな気分にならなかった。
ここまでにしておこうと扉の方へ体を向ける。
「……そうだ、産まれてくる子ですが。医師によると男児だそうですよ」
「……っ! そうですか。王太子妃と御子が無事でありますよう、毎日お祈りさせていただきます」
その言葉に答えることなく、レティシアは陛下たちに言う。
「申し訳ありません。わたくしはこれで失礼いたします」
「ああ。身重な中、ご苦労であった」
「ジルベール、あとは任せなさい」
「ありがとうございます。……行こう、レティシア」
ジルベールはレティシアの腰に手を回し、支えるようにして退出する。
彼らの気配を感じなくなるまで離れる。ジルベールが心配そうに、レティシアを覗き込んだ。
「大丈夫かい? 無理は禁物だよ?」
「ええ。意外と大丈夫よ。それに一度は顔を合わせないと、前に進めない気がしたの。今日を過ぎれば、理由を作れなくなってしまうから」
「……それもそうだね」
恐らくバンジャマン達は今後、必要最低限しか社交界に出てこないだろう。
レティシアが王太子妃としている限り、あまり顔を合わせないようにする。レティシアのために。
だからこそ、今日が最初で最後のチャンスだと思ったのだ。
「けれど少し疲れたわ。ジルベール様の温もりで癒してくれる?」
そう言ってジルベールに擦り寄る。ジルベールは微笑んで、その体を受け止めた。
「本当にレティシアは優しい。あんなサービスするなんてね」
「確かにレティシア個人はあの人たちをまだ許す気は起きないわ。けれど一つの公爵家がなくなることで起こる影響は、計り知れない。それを混乱が起きないように尽力したのは認めないと、王太子妃の名が廃るわ」
「公私混同は確かに良くないと思う。けれど無理しなくていいんだ。”まだ許せない“と言うけれど、当然だよ」
ジルベールの言葉が、柔らかくレティシアに染み込んでいく。
「さあ、今頑張ったのだから、好きなだけ甘えてほしい。お腹の子も休みたいだろう」
「そうね。先ほどまで静かだったのに、今はとても元気よ。わたくしのことを心配してくれているみたい。子供に心配させるわけにはいかないわね」
「ああ。その通りだ」
レティシアはジルベールにエスコートされながら、ふと窓越しに空を見上げる。
結婚式と同じように、大きな虹がかかっていた。
立ち止まったレティシアに気がついたジルベールも、一緒に見ている。
「イーリス様も、わたくしの行動を褒めてくださっているわ」
「ああ。そうだね」
レティシアは急に湧き上がった衝動のまま、ジルベールに口づける。
驚いた表情のジルベールに、レティシアは晴れやかな表情を浮かべた。
「ジルベール様、貴方の隣をこれからも歩いていきます。この子も一緒に」
「……ありがとう。3人で、歩いていこう」
ジルベールもレティシアにお返しのキスをする。
「ジルベール様、今のわたくしは確かに幸せなのよ。貴方が、そしてこの子がいれば、わたくしはどこまでも頑張れるわ」
「私も幸せだ。私たちの幸せが続くよう、頑張っていくよ」
そう改めて誓う2人を祝福するように、虹が一際濃くなった。
この2人の中が長い歴史の中でも、屈指のおしどり夫婦だったと記されるのは、ずっと先の話だ。
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