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愛犬シロ
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飼っていた犬が死んだ。名前はシロ。真っ白な大型犬で、人懐っこく私は彼を溺愛していた。正確には、私だけがシロを死んだと思い込んでいる、ということになっている。
死んだのは去年の8月、私はいつも通りシロの散歩をしていた。いつもの散歩コース、いつもの喫茶店の前を抜けて、いつもの横断歩道を渡るために信号待ちをしていた。
信号待ちの途中、突然、いつもは大人しいシロが急に吠え出した。まるで、横断歩道の先の「何か」がいるように。その「何か」に向かって威嚇しているようだった。しかし、私には何も見えない。
「ねぇ、どうしたの?何に吠えてるの?」
私は今にも赤信号を突っ切って走り出しそうなシロのリードを引っ張って静止する。虚空に向かって吠えているシロはまるで自我をなくしているようだった。
瞬間、シロの気性がさらに荒くなり、道路に向かって走り出そうとした。リードが強く引っ張られる。
中学生の私は大型犬の力に勝てるはずもない。このままでは道路に引きずられると思った私は恐怖心もあり、リードから手を放してしまった。
私はとっさに目を閉じた。ドン、ドシャ。乾いた音がした。
数秒遅れてグチィ、グシャアと、液体を含んだ柔らかいものが引きずられるような、生々しい音がする。目を開けなくてもどんな光景が広がっているかは明らかだった。
「お嬢ちゃん。大丈夫かい?」
震える肩を優しく止めるように、後ろから手を置かれた。声をかけられ、振り向いた先には優しそうなお婆ちゃんがいた。
「さっきから震えているけれども、何かあったのかい?」
「え、いやだって」
シロが死んだのだ。今、目の前で。いくら人でないとは言え、生き物が目の前で死んだというのに、お婆ちゃんはやけに冷静で淡白だった。
私は、事故があったであろう横断歩道に目を向ける。
しかし―――、そこには青に変わった信号を平然と渡っている人だかりしかなかった。周りの人達は何事もなかったかのように、道を歩いている。
「え…」
私は混乱した。周りを見渡しても事故の痕跡なんてどこにもない。
「今日は、暑いからねぇ。もしかして、熱中症でボーとしてたのかい?歩けるようなら、帰って早くおやすみ」
お婆ちゃんは私の身体を心底心配するように優しい声で労わってくれた。
「あ、はい。ありがとうございます」私はとりあえずお礼を言うしかなった。
私の左手にはシロをつなぎとめていたリードがあったが、首輪にはシロの姿はなかった。
自分でも頭の整理がつかないまま、家に帰ってきた私に両親は訊ねた。シロをどこにやったの?どこかにつなぎとめて置いてきたんじゃないの?
色んな質問を投げかけられたが、私はありのままあったことを話した。しかし、当然信じてもらえない。何度事故にあったと言っても、シロを轢いたであろう車も、死体すらないのだから当たり前だ。
両親は、警察にシロの捜索願をだしたり、近所に張り紙をしたりしてシロを探し始めた。私も形だけは協力する素振りはしたが、見つかるわけがないと思った。
だって、あの衝突音、生々しく引きずられた音は確実にシロの死を意味していた。
シロの捜索を始めてから一年、現在に至る。
「もう、シロのことは諦めるしかないのか」そう、自分の部屋で考えていた夜だった。
『ピンポーン』と、インターホンが鳴った。来訪者はいつもなら両親がすぐに出るのだが、今日は両親が仕事で遅くなると言っていた。なので、私が出るしかない。しかし、もう既に22時を周っている。こんな夜に誰だろう。
相手はピンポーン、ピンポーンと何回も鳴らしている。もう夜も遅いのに。私は少し恐怖心を抱いていた。もしかしたら不審者かもしれない。念のため、インターホンのカメラを確認した。
そして確認したことを後悔した。
「え…なに…コレ?」
脳が状況を理解するのに時間がかかった。というよりも、理解をすることを拒んでいたのだと思う。
あまりの光景に、体の中のものをその場で吐き出しそうになり、私は口を抑える。
カメラにはとてもこの世の物とは思えない『生き物』がいた。
頭を後ろに下げて、思いっきり振り下ろす。頭を下げて振り下ろす。頭を下げて振り下ろす。何度も何度も何度も何度も。
ガンッ、ガンッ、ガンッ。インターホンに向かって首を振って頭突きを繰り返しているソイツの行為によってインターホンが鳴りやまない。
全身が肌色、犬のような四足歩行に首が伸びている。その四足歩行の状態で、頭の位置が大人の胸くらいの高さだった。極めつけは、本来ならソイツの頭と思われる位置に、顔を構成する要素が何一つないのだ。まるで、人間の子ども程の大きさのソーセージ。それが、こいつ「頭」なのだ。
卑猥にも見えるソイツの頭がインターホンを何度も打ち付ける。ピンポーン、ピンポーンという音と同時に、ガンッガンッという音もインターホン越しに伝わってくる。音で頭がおかしくなりそうだ。
頭を何度も強打しているせいか、ソイツの頭から血が噴出している。全身が既にズタボロなのだ。
ビチャッ、グチャッ。音とともに、ソイツ自信の血でカメラが赤く黒く染まりだす。
「なに、何なのコイツ!」私は必死でインターホンのボタンを押した。このボタンを押せば、カメラがオフになるはずなのだ。しかし、全く消えない!ずっとソイツが頭を打ち付ける映像が映し出されている。
耳を塞いでも、なぜか音が頭の中に入ってくる。
ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン、ガンッガンッガンッガンッガンッガンッガンッ。
「なんなの、どこか行って!」その言葉以外にも、追い出す言葉をいくつも上げた。喉が痛むくらいに。何を叫んでいたかは自分でも分からなかった。
「------、------、---------------、だよ…、だよ…」
うるさい音の他に、何か「声」のようなのが聞こえた気がした。
本当は聞くべきではないのだろうが、私は冷静さを欠いていた。その「声」をきくために耳を塞いでいた両手を離してしまったのだ。
本当に手を離すべきではなったのだ。
「シロだよ!シロだよ!僕、シロだよ!早く開けて!ねぇ、ここ僕の家!!なんで開けてくれないの!?」
私は、聞こえてきた言葉を信じたくなかった。ソイツは口どころか顔もないのに、そう叫んでいたのだ。
図太く低い声、まるで映画のゾンビのうなり声のような声で、人間の言葉を話している。
「そんなわけない!シロはもっと小さい、そんな気持ち悪い顔じゃない!」私は恐怖心を取り払うように、そう言った。
しかし―――
「シロだよ!シロだよ!家に入れてよ!ねぇ!」
ソイツはそんなことをおかまいなしに叫び続ける。
あまりの凄惨な光景と頭の中で鳴り響くインターホンと打撃音。私は、その場で気持ち悪くなり、半分気絶したようにその場で耳を塞ぎ続けた。
何時間経ったのかは分からない。
「――ちゃん。どうしたの?」聞き覚えのある声がして、その声の方向を向いた。そこには、仕事から帰ってきたと思われる母と父がいた。
私は、今あったことを事細かに説明した。もちろん、信じてもらえないとは思っていた。でも、パニック状態の私は誰かに今の出来事を話さないと、心の安定が得られなかった。
それよりも、そのことを信じてもらえなかった以上に驚愕したのは、
「シロって…誰?」
母も父も、シロのことさっぱり忘れていたのだ。
この日以来、シロのことを覚えているのは私しかいない。
死んだのは去年の8月、私はいつも通りシロの散歩をしていた。いつもの散歩コース、いつもの喫茶店の前を抜けて、いつもの横断歩道を渡るために信号待ちをしていた。
信号待ちの途中、突然、いつもは大人しいシロが急に吠え出した。まるで、横断歩道の先の「何か」がいるように。その「何か」に向かって威嚇しているようだった。しかし、私には何も見えない。
「ねぇ、どうしたの?何に吠えてるの?」
私は今にも赤信号を突っ切って走り出しそうなシロのリードを引っ張って静止する。虚空に向かって吠えているシロはまるで自我をなくしているようだった。
瞬間、シロの気性がさらに荒くなり、道路に向かって走り出そうとした。リードが強く引っ張られる。
中学生の私は大型犬の力に勝てるはずもない。このままでは道路に引きずられると思った私は恐怖心もあり、リードから手を放してしまった。
私はとっさに目を閉じた。ドン、ドシャ。乾いた音がした。
数秒遅れてグチィ、グシャアと、液体を含んだ柔らかいものが引きずられるような、生々しい音がする。目を開けなくてもどんな光景が広がっているかは明らかだった。
「お嬢ちゃん。大丈夫かい?」
震える肩を優しく止めるように、後ろから手を置かれた。声をかけられ、振り向いた先には優しそうなお婆ちゃんがいた。
「さっきから震えているけれども、何かあったのかい?」
「え、いやだって」
シロが死んだのだ。今、目の前で。いくら人でないとは言え、生き物が目の前で死んだというのに、お婆ちゃんはやけに冷静で淡白だった。
私は、事故があったであろう横断歩道に目を向ける。
しかし―――、そこには青に変わった信号を平然と渡っている人だかりしかなかった。周りの人達は何事もなかったかのように、道を歩いている。
「え…」
私は混乱した。周りを見渡しても事故の痕跡なんてどこにもない。
「今日は、暑いからねぇ。もしかして、熱中症でボーとしてたのかい?歩けるようなら、帰って早くおやすみ」
お婆ちゃんは私の身体を心底心配するように優しい声で労わってくれた。
「あ、はい。ありがとうございます」私はとりあえずお礼を言うしかなった。
私の左手にはシロをつなぎとめていたリードがあったが、首輪にはシロの姿はなかった。
自分でも頭の整理がつかないまま、家に帰ってきた私に両親は訊ねた。シロをどこにやったの?どこかにつなぎとめて置いてきたんじゃないの?
色んな質問を投げかけられたが、私はありのままあったことを話した。しかし、当然信じてもらえない。何度事故にあったと言っても、シロを轢いたであろう車も、死体すらないのだから当たり前だ。
両親は、警察にシロの捜索願をだしたり、近所に張り紙をしたりしてシロを探し始めた。私も形だけは協力する素振りはしたが、見つかるわけがないと思った。
だって、あの衝突音、生々しく引きずられた音は確実にシロの死を意味していた。
シロの捜索を始めてから一年、現在に至る。
「もう、シロのことは諦めるしかないのか」そう、自分の部屋で考えていた夜だった。
『ピンポーン』と、インターホンが鳴った。来訪者はいつもなら両親がすぐに出るのだが、今日は両親が仕事で遅くなると言っていた。なので、私が出るしかない。しかし、もう既に22時を周っている。こんな夜に誰だろう。
相手はピンポーン、ピンポーンと何回も鳴らしている。もう夜も遅いのに。私は少し恐怖心を抱いていた。もしかしたら不審者かもしれない。念のため、インターホンのカメラを確認した。
そして確認したことを後悔した。
「え…なに…コレ?」
脳が状況を理解するのに時間がかかった。というよりも、理解をすることを拒んでいたのだと思う。
あまりの光景に、体の中のものをその場で吐き出しそうになり、私は口を抑える。
カメラにはとてもこの世の物とは思えない『生き物』がいた。
頭を後ろに下げて、思いっきり振り下ろす。頭を下げて振り下ろす。頭を下げて振り下ろす。何度も何度も何度も何度も。
ガンッ、ガンッ、ガンッ。インターホンに向かって首を振って頭突きを繰り返しているソイツの行為によってインターホンが鳴りやまない。
全身が肌色、犬のような四足歩行に首が伸びている。その四足歩行の状態で、頭の位置が大人の胸くらいの高さだった。極めつけは、本来ならソイツの頭と思われる位置に、顔を構成する要素が何一つないのだ。まるで、人間の子ども程の大きさのソーセージ。それが、こいつ「頭」なのだ。
卑猥にも見えるソイツの頭がインターホンを何度も打ち付ける。ピンポーン、ピンポーンという音と同時に、ガンッガンッという音もインターホン越しに伝わってくる。音で頭がおかしくなりそうだ。
頭を何度も強打しているせいか、ソイツの頭から血が噴出している。全身が既にズタボロなのだ。
ビチャッ、グチャッ。音とともに、ソイツ自信の血でカメラが赤く黒く染まりだす。
「なに、何なのコイツ!」私は必死でインターホンのボタンを押した。このボタンを押せば、カメラがオフになるはずなのだ。しかし、全く消えない!ずっとソイツが頭を打ち付ける映像が映し出されている。
耳を塞いでも、なぜか音が頭の中に入ってくる。
ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン、ガンッガンッガンッガンッガンッガンッガンッ。
「なんなの、どこか行って!」その言葉以外にも、追い出す言葉をいくつも上げた。喉が痛むくらいに。何を叫んでいたかは自分でも分からなかった。
「------、------、---------------、だよ…、だよ…」
うるさい音の他に、何か「声」のようなのが聞こえた気がした。
本当は聞くべきではないのだろうが、私は冷静さを欠いていた。その「声」をきくために耳を塞いでいた両手を離してしまったのだ。
本当に手を離すべきではなったのだ。
「シロだよ!シロだよ!僕、シロだよ!早く開けて!ねぇ、ここ僕の家!!なんで開けてくれないの!?」
私は、聞こえてきた言葉を信じたくなかった。ソイツは口どころか顔もないのに、そう叫んでいたのだ。
図太く低い声、まるで映画のゾンビのうなり声のような声で、人間の言葉を話している。
「そんなわけない!シロはもっと小さい、そんな気持ち悪い顔じゃない!」私は恐怖心を取り払うように、そう言った。
しかし―――
「シロだよ!シロだよ!家に入れてよ!ねぇ!」
ソイツはそんなことをおかまいなしに叫び続ける。
あまりの凄惨な光景と頭の中で鳴り響くインターホンと打撃音。私は、その場で気持ち悪くなり、半分気絶したようにその場で耳を塞ぎ続けた。
何時間経ったのかは分からない。
「――ちゃん。どうしたの?」聞き覚えのある声がして、その声の方向を向いた。そこには、仕事から帰ってきたと思われる母と父がいた。
私は、今あったことを事細かに説明した。もちろん、信じてもらえないとは思っていた。でも、パニック状態の私は誰かに今の出来事を話さないと、心の安定が得られなかった。
それよりも、そのことを信じてもらえなかった以上に驚愕したのは、
「シロって…誰?」
母も父も、シロのことさっぱり忘れていたのだ。
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