死にたがりのユキと死神のハルナ

志月さら

文字の大きさ
5 / 8

5.死神の少女と死にたがりの少女

しおりを挟む
「……ただいま」

 小さな声で言って、玄関のドアを閉める。家の中はしんとしていた。
 なるべく、足音を立てないように廊下を歩いていく。そっとリビングを覗くと、たった一日いなかっただけで室内はかなり散らかっていた。ビールの空き缶に、カップ麺の容器、タバコの吸い殻。

 ため息をつきながら一度部屋に戻る。制服から部屋着に着替えて、リビングを片付け始めた。父の姿がないことに少しだけほっとした。玄関に靴がなかったから、どこかに出かけているのかもしれない。いっそ帰ってこなければいいのに。

 昨日は、ユキちゃんの家に泊まって、楽しかったな。
 友達の家に泊まるのは初めてだった。ユキちゃんのお母さんは優しくて、誰かが作ってくれるご飯を食べるのも久しぶりで、すごくおいしかった。

「……春奈?」

 突然、低い声が聞こえてきて、びくりと肩が震えた。必死に平静を保ちながら、ゆっくり振り返る。

「お父さ――」

 振り返った瞬間、頬に強い衝撃が走って、気が付くと尻もちをついていた。じわじわと右のほっぺたが痛くなってきて、殴られたのだと少し遅れて気付いた。
 頬に手を当てて、呆然と父の姿を見上げる――手を上げられたのは、初めてだった。

「どこ行ってた」
「友達の家、だよ。泊まるってメールし、」
「口答えするな!」

 怒鳴られて、身体が竦んだ。ごめんなさい、と小さな声で謝る。二発目が来ることを恐れたけれど、それ以上殴られることはなかった。コンビニの袋を提げた父は、私の横を通り過ぎてリビングのソファーに腰を下ろした。
 まだ夕方なのに、父からはお酒のにおいがした。

***

 母は私が生まれてすぐに死んだ。
 私の世話をしてくれた父方の祖母は私が三歳の頃に病気で亡くなったらしい。
 仲良くしていた友達は小三のときに交通事故で死亡した。
 他にも、よく挨拶をする近所の人や、仲良しの子がよく病気になったり怪我をしたりすることが多かった。

 極めつけは小学校を卒業する直前のことだった。父が当時お付き合いしていた女の人と初めて顔を合わせた帰り道、駅の階段から落ちて大怪我をしたらしい。その後、父とは別れたみたいだ。

 それから、父はおかしくなった。
 毎晩お酒をたくさん飲むようになった。やめていたらしいタバコも吸い始めた。毎日、残業をしては遅くまでお酒を飲んでから帰ってくる。顔を合わせることが少なくなった。
 小学校の卒業式にも、中学校の入学式にも、一人で出席した。

 小学生のときは忙しい仕事の合間を縫って来てくれていた授業参観に来てくれなくなった。そもそも、通知を渡すことさえできなかった。
 酔った父と時々顔を合わせると、私のことを死神だ、疫病神だといつも蔑んだ。
 素面のときはそんなこと言わないけれど、私のことを見るといつも気まずそうに目を逸らす。話をすることはほとんどなかった。
 男手ひとつで苦労することもあっただろうけれど、昔の父は一生懸命働きながら、家のことも一緒にやってくれて、優しかった。でも、そんな父の面影はもうどこにもなかった。

 お前なんか生まれてこなければよかったと言われたこともある。
 そんなに私のことが嫌になったのなら、いっそのこと施設にでも入れてくれたらいいのにそうはしない。
 料理も掃除も洗濯も気が付けばひとりでやるようになっていた。めんどくさかったけど、でも、やらないと私が困るから。幸い、生活費は毎月箪笥の中に入れておいてくれたから、いまのところお金に困ってはいない。でも、いつお金をくれなくなるかわからないから、自分のことに使うお金はなかった。お小遣いがほしいなんて言い出せなかった。

 最低限の衣服に文房具、生理用品などどうしても必要なものしか買わなかった。
 子どもの頃から家の手伝いばかりしていたから、趣味もなかった。部活にも入らなかった。お金もないし、私と関わると不幸になるかもしれないから、学校で話す以外友達とも遊ばなくなった。時間があると勉強ばかりしていた。
 ご飯だけは毎日作った。どうせ父は食べないとわかっていながら、二人分のおかずを作ってしまう。余った分は朝食やお弁当に回していた。

 父は私の作ったご飯は食べないで、外食してくることもあれば、コンビニ弁当やらカップ麺やらを食べてはお酒ばかり飲んでいる。
 あんな生活をしていると、そう遠くない未来に父も死んでしまうかもしれない。
 そうなると、やっぱり私は死神なのかな、なんて。

 学校では優等生のいい子を演じていた。いい成績を取って、クラス委員もやって、評価されれば、もしかしたら父も優しくしてくれるんじゃないかと、少しだけ期待していた。でも、テストの結果にも通知表にも見向きもしないし、三者懇談にも来てくれない。仕事が忙しいみたいで、と先生にはいつも言い訳していた。
 毎日、なんのために生きているのかわからなかった。

 来年は受験生だけど、そんなこと考えられなかった。こんな父に進路相談なんてできるわけがないし、そもそも高校に行かせてもらえるかもわからない。
 中卒で働くことも考えてみたけれど、現実的ではないと思い直した。
 そんなこと、できるわけないよね。

 いっそ死んでしまえたら楽になるのかなって思ったけど、自殺するような勇気も行動力もない。交通事故とかに遭えたらいいのに、そう簡単に遭遇することもない。わざと飛び出すようなことはできなかった。あーあ。あんまり長生きしないで、早く死にたいな。
 それか、せめてどこか遠くに行きたい。こんな現実から逃げ出したい。

 誰かに話したら助けてもらえるかな。でも、誰に?
 友達? 先生? 他の大人の人?
 誰に、なんて言ったら、ここから抜け出せるの?
 全然、わからない。これから、どうしたらいいのかな。ずっとこのままなのかな。


 ぐちゃぐちゃな頭の中で放課後の校舎内を意味もなく歩いていた。
 そんなとき、――あの子を見つけた。
 誰もいない教室のベランダで、橙色の夕陽に照らされていた有村由貴さん。
 なんとなく、ピンと来た。この子、自殺しようとしているなって。
 だって私も、死ぬとしたらこんな日がいいなと思っていたところだったから。私には、そんな勇気はないけれど。仲間を見つけたようで、嬉しかった。

 この子なら、私の気持ち、わかってくれるかもしれない。
 そんな期待を込めながら声をかけた。私は私のために、あの子の自殺を止めたかった。
 だって、あなたひとりだけでこの苦しい世界から逃げ出すなんて、許せないから。
 私と一緒に、苦しみを分かち合って生きてほしい。
 それができないなら、一緒に死んでほしい。いますぐに、じゃなくていいから。

 結局、ユキちゃんは私ほどの事情を抱えてはいなかったけれど。
 些細な苦しみで、死にたくなるくらい悩んでいる子がいることを知って、なんだか、嬉しかった。
 私だけじゃなかったんだって。死にたがっている中学生は他にもいるんだって。
 嬉しくて、彼女と、友達になりたいと思った――。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

幼馴染を溺愛する旦那様の前からは、もう消えてあげることにします

睡蓮
恋愛
「旦那様、もう幼馴染だけを愛されればいいじゃありませんか。私はいらない存在らしいので、静かにいなくなってあげます」

【書籍化】番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました

降魔 鬼灯
恋愛
 コミカライズ化決定しました。 ユリアンナは王太子ルードヴィッヒの婚約者。  幼い頃は仲良しの2人だったのに、最近では全く会話がない。  月一度の砂時計で時間を計られた義務の様なお茶会もルードヴィッヒはこちらを睨みつけるだけで、なんの会話もない。    お茶会が終わったあとに義務的に届く手紙や花束。義務的に届くドレスやアクセサリー。    しまいには「ずっと番と一緒にいたい」なんて言葉も聞いてしまって。 よし分かった、もう無理、婚約破棄しよう! 誤解から婚約破棄を申し出て自制していた番を怒らせ、執着溺愛のブーメランを食らうユリアンナの運命は? 全十話。一日2回更新 完結済  コミカライズ化に伴いタイトルを『憂鬱なお茶会〜殿下、お茶会を止めて番探しをされては?え?義務?彼女は自分が殿下の番であることを知らない。溺愛まであと半年〜』から『番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました』に変更しています。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...