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17 初めての招待

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「いけない、もうこんな時間?!すみません薬室長、もう帰らせてもらってもいいでしょうか?」


ライアンは薬を調合する道具を慌てて片付けながら、少し離れた場所で弟子の相手をしている薬室長に向かって大きく声をかけた。薬室長はチラリとライアンを見ると気難しそうな表情は変えず、早く行けと言うようにヒラヒラと手を振った。

最初の頃、自慢の白い髭を撫でながら老人とは思えない鋭い眼差しを向けてくる薬室長にライアンはビクビクと怯えていた。だがそのうち弟子達とのやりとりや自分に対する態度でレジナルドが言ったように根は優しい人だと感じとりホッとした。それでもふとした瞬間狙いを定めるようにライアンをじっと見ている時があり、その意図がわからず肩を竦めることはある。

ライアンは薬師の認定証がもらえたのと同時にレジナルドの執務室と薬室を数日おきに交互に通っていた。ライアンの才能をどうしても諦めきれなかった薬室長が何度もレジナルドに交渉した結果そういう形で落ち着いた。せっかくの逸材をそのままにしておくのは勿体無い、薬室で更に知識や経験を増やしてレベルを上げればレジナルドにはもちろん、今後国にとってもいい存在になる。そう薬室長に説得され、なるほどとレジナルドは頷いた。

そうしてライアンは執務室では書類の手伝いをし、薬室では患者が来たら診察して薬を調合する仕事を任せられた。診察に関してはど素人だったが薬室長がきちんと横について教えてくれたためそんなに苦労しなかった。それでも目に見えない体内の不調の判断は難しい。ライアンは時々バレない程度に魔法を使って病気の種類を調べた。入りたてなのに思いの外たくさんの仕事をさせてもらえて恐縮する思いだったが、学びながら自分が人の役に立つこの環境にライアンは満足を覚えた。

因みに薬師の階級は上からSS、S、A、B、C、Dで普通は下のDから試験を受けながら徐々に上へ上がっていくのだが、ライアンの才能を見抜いた薬室長はいきなりAクラスのテストをこっそり試してみた。患者の診察経験がないのでAだったが薬を作る技術に関してはSレベルだった。SSクラスになると薬室長など国に片手ほどしかいない希少な存在だ。


この日、ライアンは用事があるので早く帰りたいと事前に申告してあった。新しくもらったばかりの自分の机を簡単に片付け終わると周りのメンバーに挨拶を済ませ、小走りで薬室を後にした。ちょうど午前から昼に差し掛かる時間帯、移転魔法で家に帰るとすぐにライアンからローズの姿に戻った。直後に家の扉がノックされ、ギリギリ間に合ったと安堵の息をつきながらローズは店の扉を開けた。


「久しぶりだなローズ。会いたかった」

「まさかレジナルド様一人で来たの?護衛は?」

「近くで目立たないように待たせてある」


全身真っ黒ないてたちで一人で立っていたレジナルドに驚いて、ローズはあたりを見回しながら訊ねた。しかし視界に入るのは街の人ばかりで、いつも一緒にいる護衛がどこに控えているのかはさっぱりわからない。今日は花を渡して帰るだけじゃなく、部屋に上がるのだからいつもより滞在時間は長い。その間店の入り口でいかにも護衛してますと仁王立ちされても困ってしまう。ローズはホッとしながらレジナルドを招き入れた。


王太子というのをひけらかしながら訪問されるのをローズが嫌っているのは言わなくてもレジナルドはしっかりわかっているようだ。護衛の配置に距離を置いたのはもちろんだが彼の格好が物語っていた。目立つ金の髪を隠すように頭からすっぽり黒のローブを羽織っている。自分のためにしてくれたのに昼間から怪しすぎるその存在に思わずくすりと笑ってしまった。レジナルドは結局何をしても目立ってしまうのだ。

店の部屋を通り抜けリビングに入るとレジナルドはローブのフードを取り、微笑むと持っていた美しいバラをスッとローズに差し出した。


「今日の分だ。受けとってくれるか?」


以前の彼なら会えなかった分だと言って抱えきれないほどの量を持って来ていただろう。実際過去には何度かあった。そんなにたくさんはいらないと散々言い聞かせた甲斐があったようで、久しぶりにもかかわらずこの日はピンクのバラ一本だけだった。ローズはレジナルドにつられて微笑むと素直にそのバラを受け取った。


「ありがとう。とても綺麗」


バラを鼻に寄せ、香りを楽しんでいるとレジナルドに腰を抱かれ引き寄せられた。視線を少し上げると見慣れた端正な顔立ちが色気を増してローズを見下ろしていた。執務室でキビキビ動くレジナルドは男らしくて凛々しく見えるがローズを腕に収めた彼の表情は別人のように甘さを含んでいる。愛おしそうにローズの頬に手を伸ばすとそっと顔を寄せてきた。


「レジナルド様、今日は何か話があってきたのでしょう?別の目的なら追い出すわよ」

「キスもダメなのか?」

「当たり前でしょう」


おあずけをくらってしまったレジナルドは「残念」と軽く笑ってローズの片手を取ると手の甲に口づけ淑女にするように通常の挨拶をした。


ライアンが提案したローズへの手紙を実行したレジナルドは何度かやりとりしたのち、ローズと二人で会う約束を取り付けたのだった。今まではレジナルドが空いた時間にローズの店《いえ》に突撃訪問していたが、事前に日時を決めて足を運ぶのはこれが初めてだった。
かなり無理して時間を作ったレジナルドを直接執務室で見ているローズは彼をちゃんと客人として迎え入れた。ローズからしてみればライアンの姿でほぼ毎日会っているが、レジナルドがローズと会うのは再び深い仲になってしまった以来でひと月ぶりだった。次に会ったら気まずいかと思っていたが、そこはやはり幼馴染だからか気を使うような空気にはならなかった。


リビングのソファーに深く座って部屋の中をあちこち見回すレジナルドの前のテーブルに紅茶を置くと、ローズは向かい側の席に腰を下ろした。レジナルドがこの部屋に入ったのは二度目で物珍しいのか、まるで物色するように部屋の隅々までジロジロ見ている。幼馴染だから許されるが普通ならとても失礼だ。


「ところで話って何かしら?」

「久しぶりに会ったのにいきなり本題か? 」

「だってレジナルド様と会話が盛り上がるような話題が何一つ浮かばないわ」

「フッ、酷いな」


レジナルドは苦笑いしながら紅茶に口をつけた。ティーカップを下ろすと穏やかだった顔がスッと真顔に変わり、碧い瞳がローズを捉えた。急に真剣な面持ちになったレジナルドにローズは一瞬ギクリと身構えた。話があるから会ってほしいと手紙をもらって一応了承したものの、わざわざ訪問してまでする話の内容が何か気になっていた。
レジナルドの真剣な顔に嫌な予感がしてきたが、ローズはレジナルドの目線から逃げずにいつもの無表情で見返した。レジナルドは懐からおもむろに一枚の封筒を取り出すとローズに手渡した。


「これは?」

「今度城で隣国の来賓を迎えての舞踏会を予定している」

「……舞踏会。まさか招待状なの?私がそういう場所を嫌いで避けているのを知ってるでしょう?」

「エスコートは俺がするから来てくれないか?」

「冗談でしょ!?誰か他の方を誘ってくださる?レジナルド様ならどの女性でも二つ返事で喜ぶわ」

「じゃあローズも二つ返事で了承してくれ。俺はどうしてもおまえがいいんだ」

「お断りします」


ローズが強い口調で断ってもレジナルドはローズの前で片膝をついて跪き、もう一度頼み込んで来た。ギョッとしたローズは席を立つと逃げるようにその場から後ずさった。


「王太子という立場の人がそんな簡単に頭を下げないで!どんなに頼まれても無理よ!」

「いいと言ってくれるまで帰らない。 ローズは何もしなくていい。隣に居てくれるだけでいいんだ。頼む」


頼むと言いながらレジナルドはローズにジリジリ迫り寄ってきた。切羽詰まった表情ではあるが、これはもう頼むという態度ではない。壁まで追い詰められて両腕で囲われ、背の高いレジナルドから見下ろされてローズはまるで脅迫されているような気分だった。

舞踏会に興味がなく参加したことのないローズにでも、適齢期で婚約者のいない王太子にエスコートされるとまわりからどういう目で見られるかは想像できる。レジナルドに相応しいかどうか品定めするような視線が刺さるように向けられ、更にどんな相手なのか探りが入るに違いない。それに加え恋人という噂を肯定する決定打になってしまう。


「レジナルド様にエスコートされて隣に立ってるだけで済むわけないでしょう?私はマナーもダンスも身につけてないし絶対無理。それにとっても忙しいの。ねぇ、話しづらいから離れて」

「忙しい?ああ、そういえば最近頻繁に出かけてるみたいだな。どこに行ってるんだ?」

「し、仕事よ。仕事を始めたの。離れてってば、座って話しましょう。ね?」

「仕事?菓子店を閉めてまでか?どこで、どんな仕事だ?」

「それは……言えないけど、変な所じゃないから、その……」

「変な所じゃないならどうしてそんなに狼狽えてるんだ?」

「レジナルド様が顔を近づけすぎるからでしょう!離れてよ!」


さっきから全然会話と行動が噛み合っていない。徐々に近くなってきた端麗な顔は互いの額が触れ、何か話すたびに息がかかり、隙を見せると距離感がゼロになってしまう。勘弁してほしいとローズなりに華奢な手で目一杯レジナルドの身体を押し返しているが全く意味のない抵抗のままだった。吸い込まれそうな碧さの瞳を睨みつけてもレジナルドは気にもとめずに問い詰めてくる。


「まさか男に会いに行ってるんじゃないだろうな?」

「そ、そんな事してないわよ!」

「何故目を逸らした?怪しいな。他の男に手をつけられてないか確かめる」

「えっ?……」


ローズの唇はあっという間にレジナルドに塞がれた。早急に差し込まれた厚みのある舌は歯列をなぞってローズの舌にこれでもかと絡み始めた。二人の距離感からいつキスされてもおかしくなかった。最初こそ抵抗したローズだったが、逃げ場のない状況で体温の上がるようなキスをされて頭までクラクラしてきた。次第に大人しくなり、結局レジナルドの腕の中に抱え込まれた。


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