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44 寝室の秘密
しおりを挟む早朝の街は人気がない。しかもその日は少し霧が出ていて更に静寂さを増し、いつもの見慣れた景色を、どこか違う場所に迷い込んだように錯覚させた。
どうやら目的地は待ち合わせ場所から近いようで、レジナルドとカルロスは馬から降りて移動した。
「ライアン、君の荷物持ちますからこちらへ」
「最低限の物しか入ってなくて軽いので自分で持ちます」
「そうですか……」
カルロスとライアンのやりとりを見ていたレジナルドは、ライアンの抱えていた袋を難しい顔つきで眺めた。おそらくそれを使う出番がない事を祈っているに違いない。ライアンが用意して持ってきたのは応急処置の道具だ。怪我人、病人どちらでも対応できるようにしてある。薬室以外で人の手当てをするなんて、果たして自分はちゃんとできるのだろうか。
腕の中に道具と不安を一緒に抱えたまま、ライアンが連れてこられたのは街の中で店が並ぶ一角。そこは……、
ローズの家だった。
「裏から入るか」
「そうですね」
レジナルドとカルロスはローズの家の裏手に回ると馬を繋ぎ、裏口の扉の前に立った。どうして二人が自分の家に来たのかわからず、戸惑っていたライアンは、ここでやっと我に返ったように声を上げた。
「な、何やってんですか!?」
「何って、見ればわかるだろ?鍵を壊してるんだよ」
「だから、何で!?」
「そんな大声で騒ぐな。説明なら中でするから」
騒ぎたくもなる。目の前で賊のように物騒なことをして家に進入されそうなのだ。レジナルドは腰に下げてあったナイフで、いとも簡単に扉の鍵を壊した。鍵が貧弱だったのかレジナルドが手慣れていたのかどっちだ?どちらにせよ、必ず弁償させてやるとライアンはレジナルドの背中を睨みつけた。
レジナルドは一度「ローズ、いるか?」と声をかけてから中の様子を伺うように耳を澄ませ、カルロスと目で合図をとってから中に入って行った。そんなに警戒しなくても誰もいない。一人ポツンと外に取り残されたライアンは事の状況が掴めず眉間に皺が寄るばかりだ。もしライアンとして二人と一緒に来なかったら、当然まだ寝室で寝ていた。
怪我人が出るかもしれないからライアンが呼ばれたのに、そんな要素もないローズの所に来たのは何故だろう。一人で考えていても謎は解けない。
ライアンは二人を追うように小走りで家の中に入った。
話し声を頼りに足を進めると、二人は裏口から一番遠い店の部屋にいた。部屋自体に焼き菓子の香りが染み付いているのか、菓子はしばらく並べていないのに甘い香りが漂っている。レジナルドとカルロスは、店の扉の前の床に散乱した手紙の山を見つけ、しゃがみ込んだ。
「この数、かなり前からだぞ」
「変ですね。この手紙を出したのは俺ですが、舞踏会のすぐ後です。そんな前から不在だったんでしょうか」
(……ちゃんといます。手紙は触ってないだけです)
「ここを見張ってた父上の部下を昨日締め上げたんだが、少し前に城に行った時以外、出入りを確認できていないそうだ」
(……見張ってた?レヴァイン国王はまだ私に監視をつけてるのね。というか、締め上げたの?その人無事?)
「ああ、あの喧嘩した日ですね」
(……そうそう。あの日は久しぶりにローズの姿で外出したんだった。それ以外は移転魔法で行動していたから、外から見ると家から出ていないことになってるのね)
「手分けしてもう一度部屋を見て回ろう」
「あの!」
黙って成り行きを見ていたライアンは、二人が奥の部屋へ向かうのを阻止するように立ちはだかり、ごく当たり前の事を言ってみた。
「こんな……人の事探るようなやり方よくないですよ。一体何をしたいんですか?」
レジナルドはまるでライアンの存在を忘れていたようにハッとすると、自身を落ち着かせるためか一呼吸置いてから話し始めた。
「すまん、説明がまだだったな。ここはローズの家だ」
(……知ってるわよ。知りたいのはそっから先。鍵を壊してまで家の中に入った理由よ)
ライアンがコクンと頷くと、今度はカルロスが一歩前に出て口を開いた。
「実はここ暫く彼女と連絡が取れなくて心配になったんです。万が一、体調を崩して倒れていた場合を想定してライアンに来てもらったんです。彼女はもともと人と距離を置くタイプなんですが状況が状況なだけに、ちょっと強引な方法ですが無事だと確認したかったんです。」
(……ちょっと?まぁ、心配してくれての事なら鍵くらい大目に見てもいいけど……)
「状況?何かあったんですか?」
「隣の国の王子がローズにかなり執着している。この家にローズがいなければあいつが攫って行った可能性が高い」
「……え?」
レジナルドがローズの姿を追い求めるように部屋の中を見回した。
どうしてそんな大きな話になってしまった?
確かにサイラス王子から執拗に求婚攻撃を受けたが、魔法で蹴散らして以降被害はない。
次々と違う部屋を見て回り、ローズの痕跡を辿る深刻な顔のレジナルドを、ライアンは止めたくても止められる術がなかった。
だって、『私はここにいる』とは言えない。
「寝室の扉がどうやっても開きませんね。どうします?」
「これだけ俺達が物音立ててるのに寝室の中が無反応だ。おそらくローズはいないだろうが、確認はしたいな。何で鍵がかかっているんだ?二人で体当たりしてみるか?」
「そうですね」
「ちょっと待って下さい!扉が壊れます!」
「壊すんだよ」
「それはちょっと……!僕が、僕が鍵を開けてみます!」
魔法で直せなくもないが、体当たりされたら衝撃で寝室の中の物が潰れてしまう。ライアンはレジナルドからナイフを借りると扉の前に跼み、裏口を開けていたレジナルドの真似をしてドアの隙間にナイフを差し込んだ。
ローズの寝室は常に防御の魔法が張ってあり、レジナルドとカルロスが体当たりしても壊れるのは扉ではなく二人の肩だ。ライアンの持って来た救急用具が活躍する結末だけは勘弁して欲しい。
ライアンは鍵を開けるフリをして、防御の魔法を解いた。本当は中を見られたくなかったがもう仕方ないだろう。ライアンは腹をくくって「開きましたよ」と扉から下がった。
「嘘だろ、どうやったんだ?俺でも開かなかったぞ」
「俺でも、ってレジナルド様は賊か何かですか」
初めて知ったが、レジナルドは鍵破りが得意のようだ。指先が器用らしい。
その指先が寝室の扉に触れた瞬間、躊躇ったように止まった。
「そういえば、ローズはから寝室に絶対入るなと言われてた。もしかして俺、後でローズに殺されるかも」
苦笑いしているのは、人の秘密を暴くのは気持ちのいいものではないとわかっているからだろう。
「ごめん」と小さく呟いてからレジナルドは寝室の扉を大きく開いた。
「…………これは」
レジナルドに続いて寝室に入ったカルロスも息を飲んだ。
二人の目に飛び込んできたのは一面の花々だった。ベッドの他には家具は何もなく、床一面にそこに植えられているかのように様々な種類の花が広がっていた。壁にも束でいくつか吊るされていて、レジナルドとカルロスはむせ返る花の香りの中、暫く呆然とその景色を眺めた。
その背中をライアンは廊下から大人しく見ていた。この寝室の花を見られたからといって、ローズが魔女だとバレるわけではないが、水の入っていないたくさんの花瓶に、あり得ない量の切り花があったら、やはり不審に思われるだろう。
「なんだ、これ……。どうなってる?俺の贈った花…?じゃないよな。最後に渡したのはかなり前だからもうとっくに枯れてるよな」
複雑な表情でレジナルドは花を一本手に取った。ローズが一番好きなピンク色のバラた。
「他の誰か、ですかね」
「俺以外からも花を受け取ってたから隠したがったのか。かなりショックだ」
隠してた理由は違うが、この状況ではそう思われても仕方ないだろう。他人からしてみれば秘密にするほどの物ではないが、ローズにとっては唯一自分を癒す大切な場所で、大切な物だった。
レジナルドはしゃがみ込んで大きなため息を吐いた。暫し目の前の花を眺めていたと思ったら、急にスクッと立ち上がった。
「花がまだ新しい。攫われたならここ二日間だな」
「ええ。では参りますか」
二人は寝室に入った時とは別人のように顔を引き締めるとスタスタと外へ向かって歩き出した。
「ライアンはもう帰っていい。付き合わせて悪かったな。悪いが今日の事は内密にしておいてくれ」
「えっ、帰っていいって……お二人はどこへ?」
「サイラス王子の所だ。調べていてわかったんだが、舞踏会の夜にサイラスは『攫いたいくらいだ』とローズに迫ったと父上の部下が教えてくれた。きっとローズは攫われて、あいつの所にいる」
……マーク!!内緒にしてって言ったのに!
ここにいないマークに怒っても何も変化は起きない。ライアンは馬に乗るレジナルドの服を掴み、何とか引き止めようと説得したが思い詰めた彼らには無駄だった。馬を走らせ、まだ薄っすら残る霧の中に二人が溶け込むように消えていくのを、ライアンはおたおたしながら見送ってしまった。
「嘘でしょ……!どうしよう!」
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