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46 近くて遠い場所
しおりを挟むサイラス王子が客間を去った後、ライアンは膝から崩れ落ちた。
「ライアン?大丈夫ですか、どうしました?」
「今ごろ緊張が……」
カルロスに支えられ何とか立ち上がると、震える手で薬の入った袋を抱きしめた。薬師が倒れてどうするんだと気合いを入れたかったが、馬に乗ってからずっと気を張っていたライアンには限界が近かった。レジナルドは座っているその場から振り返り、後ろにふらふらと立っているライアンの顔を覗き込んだ。
「顔色が良くないな。ここに座れ。そう言えばどうやってここまで来たんだ?」
「このままで大丈夫です。馬で……。馬を借りたんです」
誰からとは言わないでおく。
「ライアンは馬に乗れたんだな。いいから座れ。薬は?色々持って来てるだろ?」
半ば強制的にレジナルドの横に座らされ、持っていた袋を取り上げられた。レジナルドはどれだ?と言いながらガサガサと袋の中をあさった。眉間にシワがあるのは苦手な薬の匂いを我慢しているのだろう。
いつも嗅ぎ慣れた匂いがライアンまで届き、幾分心が落ち着いてきた。開けられた窓から入ってくる風が届けたのは、青臭い薬草の苦い香りと、風上に座っているレジナルドの香りだった。
「もう、大丈夫です。早く帰りましょう。急がないと日が落ちてしまいます」
「無理するなよ。途中で辛くなったら正直に言うんだぞ」
強く約束されられてから城を出た。勝手についてきた挙げ句、気を遣わせてしまい、ライアンはすっかり気落ちした。
乗ってきた馬に再び跨り、馬を労わるように首をひと撫でした。見ず知らずのライアンを大人しく乗せてくれたのだ。お陰でとても助かった。もうひと頑張りしてね、とライアンはコソッと馬の耳元で声をかけた。
先頭をカルロスが行き、次にレジナルド。ライアンは二人の背中を見ながら置いていかれないように馬で駆けた。
かなり急いだが、茜色の空は星空に変わってしまった。しかし夜空は雲もなく晴れていて、縦に細い月が、意外にも周りを明るく照らしていた。視界は良好だったのでお互いはぐれることなく進み、途中何度か休憩を入れて馬を休ませてながら帰路を急いだ。
「つけられてるな」
「ええ。しかも二人います」
休憩中、レジナルドとカルロスが会話を交わしながら何気に周りを警戒した。どうやらサイラス王子が尾行をつけたらしい。一番後ろを走っていたローズは全く気づかなかった。
「どうします?追っ払ってきましょうか?」
「放っておこう。尾行をつけられたということは、サイラスの元にローズがいないということだな。まったく、ローズはどこにいるんだ」
レジナルドはやきもきしながら、大きく息を吐いた。
肩を並べたすぐ隣よ。
あなたの隣に座ってる。
一番離れなくてはいけないのに、いま一番近くにいる。
「レジナルド様。もしかして、彼女を捜す時間を作るために、昨日あんなに早く仕事を片付けていたんですか?」
「ああ、かなり前倒ししてあるから、また明日は違う所をあたってみるつもりだ」
「心当たりがあるんですか?」
「はっきり言って、ない。でも捜す。ライアンは明日は薬室だったな。サボってついてくるなよ」
クシャッと頭部をかき混ぜるように撫でられた。ああ、もう。絶対髪がグチャグチャになってる。睨んでやろうと見上げると、月明かりでレジナルドの寂しそうに笑った顔が見えた。
「もうやめて。捜さないで」と言葉が出そうになったのを唇を噛んで堪えた。レジナルドはローズのために自分を犠牲にし過ぎだ。イザベル姫との婚約も断っていたなんて……。
お酒を飲んだ時、ローズにフラれたら一生独身なんて冗談っぽく言っていたが、レジナルドなら本当に現実になりそうで怖い。
そんな危なっかしい真似をさせてしまうなら、魔女じゃなくても私はレジナルドの隣にはいられない。
ライアンはスクッと立ち上がると馬の側に寄った。
「休憩ありがとうございました。もう行きましょう」
「この後止まらずに駆けるが、行けそうか?」
「大丈夫です」
明るくそう答えると慣れた動きで馬に飛び乗った。よく考えたら馬に乗ったのは、十年も前にレジナルド達と遠乗りしたきりだった。かなり久しぶりなのに身体は覚えているものだと、ライアンは馬の首を撫でた。
その後、サイラス王子がつけた尾行は、ライアンが目くらましの魔法でこっそり追い払った。
なんとか夜が明ける前には街にもどった三人は、さすがに疲労の色は隠せなかった。
「ライアンは明日……もう今日だな、今日は薬室に行くのは午後からでいい。薬室長にちゃんと言っておくから午前はゆっくり休め」
「そんな、大丈夫です。薬室での仕事は慣れたので、最近は暇な時があるくらいなんです」
「いいから、俺の頼みだと思って従ってくれ。遠くまで付き合わせて悪かったな。じゃあな」
レジナルドに手を振って別れた後、ライアンは馬を元いた宿に返しに行った。ライアンからの置き手紙をどう思ったのかは不明だが、ローズを捜して宿に泊まっていたサイラス王子の部下はまだ滞在しているようだった。馬がいなければどこにも行けないから、素直に馬が戻されるのを待っているのもしれない。
「いっぱい走らせちゃってごめんね。疲れたでしょう?食べ物用意してあげたかったんだけど、こんな時間お店は開いてないし、家にも何もなかったの。お金を置いて行くから美味しいものを買ってもらってね」
馬はとても性格のいい馬だった。ライアンのことが気に入ったらしく、顔を擦り寄せ甘えてきた。甘えられると満更でもない。ライアンは馬の鼻先を撫で、感謝の気持ちを込めてつぶらな瞳の横に軽く口づけをした。
家に帰ったライアンは壊れた裏口の扉を見てため息をついてから家の中に入った。長い一日だった。朝からの事を思い出すと一気に疲れと眠気が襲った。早く横になりたいと思った瞬間、すぐ目の前に黒い服の男が現れた。
少し長めの金の髪を後ろで束ねている背の高い男。青空のような青い瞳は何の感情も表さず真っ直ぐライアンを見下ろしていた。
「……っ!!」
ライアンは驚き、そのまま気を失った。
目を覚ました時はローズの姿に戻っていて、男の姿はなかった。
***
「おや、ライアン。おまえさん午後からじゃなかったのか?」
「えっと、一人でいたくなくて……」
ライアンはいつもと同じどころか、一番乗りで薬室に入ってしまった。薬室長は常にここにいるので先着にカウントされない。
「何だかえらくくたびれているのぉ。ついさっきここに来たレジナルドも同じような顔をしとったぞ」
「……そうですか」
ローズを捜しに行くと行っていたからもう城を出たころだろうか。あてもなく人を捜すなんて不確かな事するなんて苦労するに決まってる。どうしてそこまでしてローズに執着するのだろう。
レジナルドだけじゃない。みんなローズの見た目に騙されているだけだ。本当は人を呪う魔女なのに。
「レヴァイン様に酷く叱られたんじゃと。暫く謹慎になったと言って不貞腐れておったわい」
「え?謹慎?」
もしかしてサイラス王子の所に乗り込んだのがバレたんだろうか。謹慎と言われても、そんな境遇になった事がないライアンにはピンとこない。
「謹慎って、レジナルド様は今はどこにいるんですか?」
「カルロスと二人で自分の執務室にいると思うがの」
謹慎になった時は、たいがい一日中苦手な書類を山積みにされると薬室長は髭を撫でながら笑った。その様子だと、レジナルドは笑い話で済む程度の謹慎を何度も受けたことがあるようだった。ライアンは暫くどこか遠くを眺めるように何かを考え、やがてゆらりと歩き出した。
「……薬室長、少し出かけてきます」
薬室長の返事を待たずに、ライアンは何かに引っ張られるように薬室を出て行った。
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