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しおりを挟む美容院の名前が思い出せないまま数日が過ぎた。店の場所は覚えているので、足を運べは確実に愁に情報を渡せるのだが、そのうちと思って他の事を優先していた。凛斗は面倒ごとを後回しにするタイプだった。当然のようにシャンプーの練習台の返事も引き伸ばしにしていた。
その日は友達に急なバイトが入って約束していた食事がキャンセルになり、まだ明るい夕方に家に帰ることになった。その途中、雲行きが怪しくなり家に着く頃には大粒の雨が降り出した。傘を持っていなかったので小走りで玄関先に駆け込んだが結構濡れてしまった。どこかに寄り道でもしていたらもっとびしょ濡れになっていただろと自分が来た道に視線を向けると、道路を挟んだ向かい側の紗希の家の玄関口に誰かが立っているのが見えた。愁だ。
「あ?あいつ……何やってんだ?」
愁も凛斗に気づいたようでこちらに向かって軽く会釈した。傘がないなら紗希に借りればいいのにと思いつつ凛斗もペコッと頭を下げる。気にはなったが鍵を開けて家に入り、二階の自分の部屋に行った。タオルで濡れた顔を拭きながら窓の外を見るとまだ愁はそのままジッと立っていた。横なぐりの雨は玄関先の小さな屋根では役に立たない。凛斗は仕方なく携帯を手にした。連絡先には登録してあったが最初にメールでやりとりしただけで愁に電話をかけるのは初めてだ。何度かコール音がした後、落ち着いた低い声が耳に響いた。
『はい』
『伴野だけど……濡れてんじゃねぇかよ。紗希に中に入れてもらえよ。もしかしてケンカでもしたのか?』
窓から愁を見下ろしながら訊ねると、愁も凛斗の方を見上げながら会話を続けた。雨のせいで霞んで表情までは見えない。
『いいえ、ケンカして締め出しされてるわけじゃないです。紗希ちゃんの家で待ち合わせだったんですが僕の方が早目に着いてしまっただけです』
おいおい、紗希の事をちゃん付けで呼んでんのかよ。人の彼女を俺が呼び捨てにしたのマズくないか?
余計な心配をしつつ、愁の濡れ具合がヤバいのが気にかかる。紗希の家は凛斗の家と同じで両親が共働きだ。この時間は誰もいない。つまり紗希が帰らないと愁はこのまま雨に打たれる事になる。さすがに目の前で見て見ぬふりはできない。
「俺ん家で待つか?」
『え?……いいんですか?』
「ああ。待ってろ、傘持って迎えに行くから」
『この距離だったら俺がそちらへ走ります』
「濡れるぞ、いいから待ってろ」
一方的に通話を切って早足で玄関へ向かい、傘を二本手に取った。片方は女物で小さいがないよりマシだろう。愁より小さい自分が使えばいい。玄関の扉を開けるとそこには既に愁が立っていて凛斗はその濡れ具合に驚いた。まるで服のままプールに入って這い上がったみたいだった。
「おまっ……!待ってろって言っただろ!」
凛斗は怒鳴りながら自分の首にかけていたタオルを愁の頭から被せた。その際、背伸びをし たのが何となく虚しい。
「どうせ濡れていたので……。ありがとうございます」
愁は小さく笑うと、タオルで顔にかかったびしょ濡れの前髪を拭いた。その口調や仕草に凛斗は言葉を忘れて見入った。同じ歳のはずだが、愁のこの大人のような落ち着き具合は何だろう。自分の周りにいる同学年の他の奴らとは明らかに雰囲気が違う。初めて愁を目にした時のようにジーッと見ていると不意に愁と目が合った。慌てて視線を逸らし家の奥へ足を運んだ。
「おい、何やってんだ?来いよ」
後ろからついて来ないのを変に思い声をかけたが、愁は靴を脱ぐ気配がない。
「雨宿りならここで十分ですよ。あ、でもここにいたらお家の方が帰ってきた時にびっくりしますよね」
「親が帰ってくんのは夜だから気にすんな。早く上がれって。そのタオルで足も拭けばいいから」
「……じゃあお言葉に甘えてお邪魔します」
愁のあまりに謙虚な姿勢に、もしかして声をかけない方が良かったのかとか思ってしまう。しかし、電話で「来るか?」と訊ねた時はそんな嫌そうではなかった。まだ顔見知り程度の相手の家だし、きっと服が濡れているから気をつかっただけだろう。
凛斗は愁を風呂場まで連れて行くと棚からバスタオルを取って手渡した。
「とりあえずシャワー浴びろ。その間に使えそうな着替え探しとくから」
「凛斗さんは?」
「俺はそんなに濡れてないから後でいい」
そう言って踵を返すと後ろからとんでもないセリフが聞こえた。
「じゃあ一緒に入りません?」
「は??」
「前にシャンプーの練習台になってくれって頼んだの覚えてます?ついでだから今どうですか?」
クソ真面目な顔で言われて凛斗は迷った。
『考えておく』と返事をしたままで了承はしていない。約束を取り付けるのが面倒なだけだったから、別に今でも構わないと言えば構わない。シャンプーの練習は彼らの専門学校に凛斗が出向いてするものだと勝手に思っていた。まさか風呂場でやるとは想像しておらず、一緒にシャワーを浴びるという状況が何となく気が引けた。
戸惑って返事をしない凛斗の表情を見た愁は、困ったように笑った。
「急に言われても抵抗ありますよね。すみませんでした。シャンプーの練習はまた今度お願いします。その代わりブローをやらせてもらえません?」
「ブロー?」
「ドライヤーで髪を乾かすやつです」
「あ、ああ、それくらいなら別に……」
ホッとしながらオッケーしていまい、あからさま過ぎたかもと愁の顔色を伺う。特に気にしている感じではない。再び安堵し、凛斗は自分の部屋に戻った。
「なんか……意外に大胆な奴だな……」
笑ったりはしていたが、その場に合わせて表情を作っていただけの愛想笑いだった。本心で何を考えいるかわからなくて会話するのに気を使う。嫌いじゃないが今まで接した事のないタイプだ。
「紗希はよくあんな奴と付き合ってるな」
紗希自身ちょっと変わった面があるから思いの外、気が合うのかもしれない。俺が女だったら無理だな……。
凛斗は自分の持っている服の中から愁が着れそうなサイズのTシャツとハーフパンツ、新品の下着を持って風呂場へ下りた。Tシャツはおそらく問題ないが、ハーフパンツはもしかしたら腰回りがピチピチかもしれない。万が一着れなかったら父親のタンスを漁るしかない。廊下から耳を澄まして脱衣所の中を伺うとまだシャワーの水音が聞こえた。凛斗は脱衣所の扉を少し開け、着替えを床に置くと中にいる愁に聞こえるように声を張った。
「着替え置いとくぞ。もし着れなかったら言ってくれ。他のを探してくる…から」
凛斗が話している途中でシャワーが止まり、浴室の扉が躊躇いもなく開いた。モクモクと白い湯気と一緒に、しっかり鍛えられた愁の肉体が現れた。凛斗は音を立てて脱衣所の扉を閉めた。
「前くらい隠せよ!」
「ああ、すみません。男同士だから気にしないかと。着替えありがとうございます。よく新しい下着なんてありましたね」
「時々ダチが急に泊まりに来るから一応用意はしてあるんだよ。それ百円のやっすいヤツだからな。履き心地とか求めるなよ。洗って返さなくていいからな。使い捨てにしろ」
見慣れた自分と同じ男の裸だというのに動揺がハンパない。無意識で口が勝手にベラベラ喋ってた。
「はい、ありがとうございます」
慌てふためいてる凛斗とは間逆の、穏やかな声が返ってきた。
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