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夜会の招待5

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トトの挨拶がすめば、以降はただの社交の場だ。吸血鬼の集まりにはなんの決まりもない。広間の真ん中で踊りに興じる者もいれば、端の方でカードに興じる者もいる。
食堂で飲食するのは各々の自由。吸血鬼には血しか飲まないものもそれなりにいるので。

「ヴィオラ、ひさしぶりだな」

「あ、やっと見つけたわ。ジョン、相変わらず元気そうね、って、ちょっと」

赤毛の少年に腕を取られて、ホールの中央へと誘われる。
相手は探していた知り合いだ。見上げなくても視線が合う。

「一曲踊ろうぜ。釣り合いが取れる相手がなかなか居ねーんだよ」
「もう、強引なんだから。一曲だけよ? 行ってくるわねジェフリー」

引っ張られながら、肩越しにジェフリーを見ると凄まじい眉間の皺だった。あれは本格的に怒ってるやつだ。
(ああ、また淑女らしく、って怒られるわ……)
だが強くでられても断れないのは、彼、ジョン・ローグがヴィオラの貴重な同類だから。ヴィオラと同じ――成人前に転化した――子供姿の吸血鬼。
しかもジョンはもうすぐ百歳に届くという、珍しく長生きをしている子供姿の吸血鬼だった。

夜会だからか、珍しく燕尾服を着ているが、盛大に着崩している。それが野性的な魅力になっているのだから狡い。赤い髪はいつ見ても跳ねている。吸血鬼の癖に健康的、それがジョンの印象だ。

「おっさんは相変わらず陰気くさい顔してたなあ」

「って、わ、ちょっと待って。ワルツかと思ったら、みんな滅茶苦茶に踊ってるの!?」
右の方からはスローなワルツの曲が聴こえてくるし、左の方からは滅茶苦茶なタンゴの曲が聴こえてくる。

「細かいことは気にするなよ」

「わわっ」

ただ飛び跳ねるような踊りには、どうにかついていくのがやっとだ。周りも似たような無造作な踊りがほとんどだが、時折凄まじい技術の踊り手もいる。
視界の端で拍手したくなるような連続ターンを繰り広げているペアに感心しながら、ヴィオラはジョンに尋ねた。

「最近どうなの?」

「トトの手伝いだな。暇をしてるとロクなこと考えねーからな」

「そうね、判らなくはないわ」

「まあでもヴィオラはおっさんがいるから暇はしてねーんだろ?」

跳び跳ね、降りて、くるりと回る。

「ええ」
ヴィオラは満面の笑みで答えた。



ジェフリーは対面の壁際でヴィオラの様子を眺めていた。
いや、正しくは、踊るヴィオラと相手の少年とを。年恰好だけは似合っているが、いかんせん少年の動きは粗野だ。お嬢様の相手にはもっと、紳士的で理知的な青年が似合う。と、思う。

「やあ、執事君、男が壁の花を気取るのはどうなのかなー?」
トトが横に並んだ。

「……」

「…………え、え? ちょっと執事君? 反応なし?」

ジェフリーはほとんど無視しかけて、やっぱり止めた。

「――何か仰いましたか? サルヴァトーレ様。お嬢様の様子を観察するのに熱中していたものですから聞き逃してしまいました」

視線は一点から外さない。
相変わらずヴィオラは少年と跳びはねるように踊って、時折、声を上げて笑っている。

「君も混じればいいのに。ヴィオラと踊ってるあの子、見た目はヴィオラと同じくらいだけど、中味の方は君より年上だよ? いつだったか、前に紹介した時にも話したけど。だからさ、君も遠慮無用だよ?」

わたくしは執事でございますので」

観察されるようにじろじろ見られているのが煩わしい。不躾な視線にしばらく耐えていると、トトがにやにやと笑みを浮かべたのがわかった。

「まあいいか。君たちもしばらくは狩りを控えるんだよ。いいね? ヴィオラは心配ないかもしれないけど」

トトはヴィオラがジェフリーの血だけを飲んでいることを知っている。

「ヴィオラには、もうちょっと偏食は控えてほしいもんだけどね……。君がそんな味だから中毒なのかなぁ……」

「そんな味とはどういうことですか」

聞き流そうと思ったジェフリーだったが、つい訊き返してしまった。
なにせ、あるじに甘ったるい血だと言われた記憶も新しい。
そして、ヴィオラの血も甘かった。だから理由があるというなら知りたい。
なにより、自分が貶されるのはどうでもいいが、主が悪食のように言われるのは不愉快だ。
なるべ感情を表に出さぬように心がけ、トトの答えを待つ。

「うーん、君らはさ、そういう血統だからね」

「そういう、とはどういうことですか」

「昔、教えてあげただろう? 吸血鬼は血統によって特徴があるって。君たちは精神に干渉するのに長けた血統なんだってば。だからヴィオラの『魅了チャーム』の力も強い。日頃もね、意識せずとも人の感情を読むのに秀でている」

それがどう血の味に関係してるというのだ。これだから年寄りは話が回りくどい。ジェフリーは心中で毒づいた。

「ことに吸血行為なんてのはね、もはや、魂に直接アクセスしているといっていい。だから、執事君の血が甘々なのはね。――ヴィオラへの君の思いが甘々だってことさ」
最後の部分は小声で。ヴィオラの方へ顔を向けながらトトは言った。

「トト!! 私、あなたのピアノが聴きたいわ!」

ジョンを置いて会場を全速力で横切って駆け寄ってくるヴィオラを、トトが満面の笑みで迎える。

「かわいいよねえ。僕が執事君に近寄ってからずっと、会話の内容に聞き耳をたててたんだよ、ヴィオラってば」

言われてもジェフリーは硬直して反応が出来ない。



「もう、いいでしょ! トト!」
ヴィオラは叫んでトトの腕を引っ張った。
「ほら! ピアノ弾いてくれるって言ってたじゃない! 他の人も聴きたがってるわよ!」
急いでジェフリーと引き離す。
ひっそりと聞き耳を立てていたことが、バレバレなのはまあいい。トトなら、この広間全員の会話内容を把握してたって驚かない。
ヴィオラが狼狽えたのはそんなところではない。
(血が甘い理由が感情を読んでいたせいだなんて……・!)
だって、試しに自分の血を飲んだジェフリーが言っていたのだ。

『なんですか、これは。お嬢様の血だって砂糖菓子に蜂蜜かけたみたいな甘さじゃないですか。まあ、少量で胸いっぱいになるので構いませんが』

脳裏に蘇るジェフリーの満足そうな顔。
(どういうことよ……!? それって、まさか、りょ、両想い……!?)
ジェフリーの顔が見れない。

「やれやれしょうがないなあ、ヴィオラのために何かご機嫌な狂詩曲 ラプソディー を弾いてあげよう」



トトを引っ張っていくヴィオラの背中をジェフリーは無言で見つめていた。
広間の真ん中から引き上げてきたジョンに、顔をまじまじとねめつけられている気がするが、口を開くと表情が崩れてしまうだろうから無言を貫く。

「おいおっさん、めちゃめちゃ顔が赤くなってるぞ」

ジェフリーは口元を押さえて俯いた。

「放っておいてください」

思い出すのは――言わずもがなの血の甘さ。ヴィオラの血は砂糖菓子にさらに蜂蜜をかけたような甘さだった。それが感情の現れというなら、自惚れてもいいのだろうか。
少なくとも疎まれてはいない。いや、ちょっとくらいは――多分、きっと――好かれている、はず。
こうして、吸血鬼にもコミュニティがあり、孤独ではないと理解していても、ヴィオラは特別だ。
もはや一人きりの家族――といっても過言ではない、相手だから……。

「おい、だいじょぶかよ、おっさん」

「駄目かもしれません」

大きな溜息が聞こえてくるが、どうしようもない。熱が上がっていく。
ジェフリーは確信した。
そのままでいい、と言われたけれど、きっとますます自分の血は甘くなっていくだろうと。
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