わたしの忠犬

結城鹿島

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満開の藤棚の下、くるくると女が回っている。
ひらひらと、まるで蝶のように。
着物の袖、片側をだらりと垂らした帯、長い下ろし髪が、女の動きにあわせて舞っている。裾が翻り、萌黄の裏地がちらちらと覗く。
視線を下げれば、女は裸足だ。足が土で汚れるのを気にした様子もなく、無邪気な笑みを浮かべながら、踊りともいえない子供のような動きでくるくると回り続けている。
 
                  ◆

途中から、観客がいることに気がついていた。
少し離れたところから、浮浪者のような身なりの男が姿を隠すことすらせずに、ぼうっとこちらを見ている。その手に匕首あいくちが握られていることにだって勿論、気付いている。
けれど、構わなかった。
くるくると、ただ、くるくるとわたしは回る。
やがて、人が集まってきた。
見回りの下男が侵入者の痕跡を発見したのだろう。下男たちは、わたしに見入ったままの男を囲み、あっという間に取り押さえた。

「よくも、入り込みやがったな、このやろう」
下男たちは代わる代わるに侵入者を蹴った。
「汚らわしい犬畜生め!」

沙羅さら様をさらいにきたんだか、殺しにきたんだか分からねえが、罰当たりなことこのうえねえ。さっさと処分すんべえ」

侵入者を連れて行こうとする下男たちを止めるために、わたしは声を上げた。

「その犬はわたしが拾うわ」

下男たちが一様に眉を顰める。

「犬が迷い込んでくることは知っていたの」
続けて言うと、下男たちは一瞬怯えた表情を浮かべてから、渋々だが頷いた。

「犬、だと……? 詐欺師風情が、よくも言う……」

侵入者が土と血で汚れた顔で呻く。わたしを見上げる目つきは、痩せこけた犬のようだ。着ている物は貧相だし、ぼさぼさの髪に無精ひげの荒んだ顔つきだが、瞳の底には野性的な美しさがある。

「――そうよ、お前は犬よ。ほら、犬なのだからお舐め」

戯れに足を男の口元に近づけてみる。
ここで、わたしの機嫌を損ねたら自分の命がないことは分かっているだろうに、男は動かない。誇りが邪魔をするのだろう。下男たちの下卑た笑いに見守られ、屈辱で震えている。
しかし、随分と経ってから、男はわたしの足を舐めた。
わたしは嬉しくなって、にこりと笑いかけた。

「よくできたわね」

下男たちが声を上げて囃し立てる。
「こりゃあ、躾けがいのある犬ですぜ、沙羅様」「いい退屈つぶしができるでしょうな」「いいざまだ」

「沙羅様がお望みなら、きっとお許しがでるでしょうが、こいつが誰の指図で忍び込んだかだけは聞き出さにゃあなりません」
下男たちをまとめる使用人頭だけは、苦りきった顔で犬になった男を睨んでいる。

「話さないわよ。忠犬なの、この犬は。それに問題はないわ、大した相手じゃない」

わたしがきっぱり言いきれば、使用人頭は納得した。――否、

「汚れを落としたらわたしの部屋へよこして頂戴。そうだ、名前がいるわね……。そうね……クロでいいかしらね」

下男たちは「そいつは随分立派な名前ですや」と、再び笑い声を上げた。

                  ◇

夜の明ける少し前、わたしは強い視線を感じて目を覚ました。
クロと名付けた犬が彫像のようにじっと、わたしを見下ろしている。わたしの眠る布団の傍らで、一体いつからそうしていたのか。
小さな鏡台しかないがらんとした部屋の中、わたしたちは見つめ合った。
しばらく経ってから、

「貴様は――一体なんなんだ。俺はお前を殺しにきたのに、なんでそんな……っ無防備なんだ」
クロは神経質な声を零した。

質問に答えず、わたしは手を伸ばす。

「家に上がるのに綺麗にしてもらったのね、いい子ね、クロ」

頬を撫でてやる。
無精ひげは剃られ、ぼさぼさだった髪にも手が入れられ、男らしくすっきりした印象だ。色あせた藍染めの着物は誰かのお古だろう、見覚えがあった。
傷の手当もしてもらったようで、体からは消毒液の匂いが漂ってくる。

「馬鹿にするな。俺はお前を殺しにきたと言っただろうが」

手を払われた。しかし加減はされている。

「……犬などと――俺を助けたつもりか。何を考えている?」

ああでも言わなければ酷い拷問の末に、あのまま処分されていただろう。それに、この屋敷に忍び込むにあたって、クロだって下調べはしただろうから理解できているはずだ。中に入ることはできても、外へ出ていくのは困難だと。
大人しく身を整えられている辺り、今は我慢するしかないと、クロにも理解できているのだろう。ただ、割り切れぬのか、凄まじい仏頂面だ。

「しばらくしたら逃がしてあげる。だから、わたしの暇つぶしに付き合いなさい」

言うと、クロは眉間の皺を一層深めた。

「貴様は死ぬのが怖くないのか? 俺が、もう貴様に危害をくわえないと、どうして信じられる?」

わたしはゆっくり体を起すと、クロを抱きしめた。子供をあやすように背中を撫でてやる。

「心配しなくていいわ。お前は長生きするわよ」

クロの体が、びくりと強張った。

「な――……」

「沙羅様、御目覚めでしょうか」

「ええ」

襖の向こうから下女の声。
「お支度をお願い致します。本日の依頼者はニ人の予定です」

「そう。朝食はいらないわ。それから例の物は用意してくれた?」

「はい。お持ちしました」

わたしが下女と話している最中も、ずっとクロはされるまま大人しくしていた。わたしの腕の中、身を強張らせ、それでも静かに撫でられている。
まったく、従順さは犬の最大の美徳だとわたしは思う。

                  ◇

「きつくはない? 暫くは我慢なさいね」

下女に用意させた『例のもの』とは、首輪代りの縄だ。
屋敷の表までの長い廊下を、首に縄をかけたクロを連れて歩いていく。まるで、犬の散歩をするように。
クロは、先ほどから声をかけても返事がない。せっかく少し懐いたと思ったのに、再び態度が硬化してしまったようだ。
だが、縄を外してやるわけにはいかない。

「昔ね、犬を拾ったことがあるのよ」

わたしが立ち止まると、縄の余裕がなくなりクロも足を止めた。わたしの昔話になど興味がないというように、庭へ目をやっている。

「黒い毛の、本当の犬よ。見た目は良くないけど可愛い子だった。無残に死ぬことがわかっていたのに――わたしはその犬を拾ってしまった」

クロが視線だけわたしに向けてくる。

「まだわたしは幼かったから、隠しきれなくて……。犬が見つかってしまった時、つい言ってしまったの『その子を連れて行かないで、友達なの』って。棒で打たれてぼろぼろになるのを、見せられることになるってわかってたのに」

「『どんな未来でも見通せる占者せんじゃ沙羅』……。本当だとでも言うつもりか? そういう触れこみで、人を騙す詐欺師ではないのか、貴様は」

そう、簡単に信じられることではないだろう。未来を見通すことができるなどと。

「どう受け取るかは聞くほう次第ね。ともかく、家の者たちは信じているの。わたしが未来を占うことが出来るって。そして未来を占うためには、何か執着するものがあっては邪魔になるって。だからお前はただの犬なの。犬である限り長生きするわよ」

わたしはにこりと笑った。



長い廊下を渡った先、屋敷の表にはわたしの暮らす離れとは違い、大勢の人間が存在している。その誰も彼もが、首に縄をかけられたクロに、嘲笑や侮蔑の眼差しを向けてきた。
屈辱的であっても我慢するしかないクロは、口をへの字にして盛大に顔を顰めている。
憤怒の形相も可愛いと思っていることがばれたら、またへそを曲げられてしまいそうなのでわたしは笑みを噛み殺す。念の為、
「無駄に吠えたりするんじゃないわよ」
と、言ったら睨まれた。

託宣たくせんと呼ばれる座敷へ入ると、既に客の男が待ち構えていた。客は裕福な身なりの者たちばかりで、今日の男も確か商社の社長だかなにかだった筈だ。
詳細は知らないが、相当な額の見料を払えねばこの場に来ることは出来ないのだという。
クロを伴って上座へ腰を下ろすと、直ぐに声をかけられた。

「沙羅様、なんとも珍しい者を連れておりますなあ」

わたしは傍らの脇息の足にクロの縄を結びながら説明する。
「犬を拾ったんです。前に、お会いした時に言ったでしょう? 次はわたしの犬を紹介できるかもしれないと」

客は下卑た笑いを張り付け、何度も頷いた。
「そういえば、仰っておりましたな。なるほど、さすが沙羅様、確かに仰っていた通りの毛色の犬ですな。いやあ、さすがさすが。本日も愚かな儂に、沙羅様の見通す力をわけて頂きたい」

下女がうやうやしく膳を運んで来た。今日もこれから仕事だ。

「いい子にしてるのよ」

わたしの隣で胡坐をかき、所在なさげにしているクロに言った。
ムッとしたクロから、目の前に運ばれてきた膳へと視線を動かす。膳にかけられた白い布を剥ぐと、赤子の頭ほどの水晶玉が置かれている。
水晶玉に恭しく手を翳し、わたしは語りだす。

「――大陸での商売は早めに畳んだ方がよろしいでしょうね」

客が一番気になっているであろうことから始め、明日の昼に何を食べるべきか、庭師の男をいつ解雇するべきか、妻と愛人への贈り物をいつどこで買うべきか、細々と多岐に渡る項目を一つずつ教え導いていく。
傍らのクロの、身じろぐ気配を捉えられていられたのは僅かな間のこと。
意識は遠くへ飛んでいく。時の彼方へと。

                  ◇

同じように続けてニ件の『占い』をこなし終えた頃には、すっかり日は傾いていた。
すでに客は帰ったが、体が重く、立ち上がることができない。脇息にもたれて息を整える。使用人たちは必要がなければわたしに接触してこないので、しばらく休んでから奥へ帰ることにする。

「貴様は……一体なんなんだ」

ようやくはっきりしてきた意識をクロに向ければ、怯えの混じる視線と間近でぶつかった。
ああ、本当にできた犬だこと、わたしは感心した。仕事の最中には全くクロの存在を意識することがなかった。随分と静かにしていたらしい。脇息に縛った縄を解いてやる。満足するわたしと反対に不審は深まっていくようで、クロは疑問をいよいよ口にした。

「……あれが占いだと?」

「ああ、やっぱりわかったの? さすが嗅覚が鋭いわね」

「顔を見ただけだろうが」

――そう、わたしには、本当は水晶玉なんて必要ない。いらぬ畏れを抱かれぬように、道具が必要なフリをしているだけだ。
わたしは、ただ。占いなどではなく、人知を超えた異能の力だ。
幼児の頃にこの力が現れてからずっと、わたしは屋敷に閉じ込められ、客の未来を読む日々を過ごしている。無論、客の選別をする権限はわたしにはない。

「ねえ、クロ。お前の元の飼い主の大垣様は、わたしの忠告を無視して破滅したのでしょう? それも見えていたって言ったら信じる?」

「!」

クロを拾った時、使用人頭に背後関係を聞き出す必要がないと言ったのは、予め知っていたからだ。
皆がわたしの言葉を受け入れるのも、わたしが一度たりとて未来を外したことがないから。
詐欺師なんてかわいいものではない。わたしは、掛け値なしに化け物だ。
自嘲しながら立ち上がった瞬間に、眩暈を感じてよろめく。

「おい」

案外しっかりした腕に支えられ、わたしは倒れずに済んだ。
腕の中から見ると、咄嗟に手を出してしまった、という風にクロは顔を歪めていた。

「いい子ね、ありがとう。単純に見るだけならともかく、わたしの言葉で変わる先まで語るのは疲れるの……。しばらくすれば治まるわ」

「……朝からなにも食ってないからだろう」

「水は飲んでたわ。それにクロだって同じでしょう」

「俺は空腹には慣れている。何か持ってこさせたらどうだ?」

「入らないからいらない。しばらくすれば落ち着くから」

そう言っているのにクロは不安そうだ。散々悩んでから襖を開け、
「すまない、だれか」
と、廊下にむかって声を上げた。すぐに下女がやってくる。

「おんや、沙羅さま、大丈夫ですか?」

「ちょっと疲れただけよ。今日はもう休むわ。早いけどとこべて頂戴」

「へえ。じゃあ誰か男衆を呼んできますから、お待ちください」

「いや、俺が運ぶ」
クロは不愛想に言うと、わたしを抱え上げた。

「離れまではかなり距離があるわよ?」
クロは無言で歩きはじめる。徐々にその眉間の皺が深まっていくのを、わたしは美しく思いながら眺めた。

「どうして怒っているの? クロ」

「なぜ……」

クロの囁きはすぐに消え入り、続きの言葉は紡がれることがなかった。
――なぜ、家の者は心配している風ではないのか? それとも、倒れるほどに疲労するまで未来を読むのか? 続く言葉をそんな風に夢想するのは、うぬぼれがすぎるだろうか。
わたしは瞼と口を閉じ、大人しく運ばれることにした。
                 
                  ◇

気をつかって歩いたらしく、クロは時間をかけてゆっくりとわたしを運んだ。
丁寧に布団に下ろされ、思わず苦笑が浮かぶ。殺しにきた男が、ここまでわたしの体調を心配しているなんて――なんて、笑える。

「ここは牢屋なんだな」
ぽつりとクロが呟いた。

離れの中を自由に歩くことは出来る。離れを囲む広大な庭園も同じく、自由に散策できる。格子戸に鍵をかけられている訳でも、繋がれている訳ではない。ただ、庭の先、屋敷をぐるりと囲む塀の外には決して出ることは出来ない。
許された自由を維持するためには、望まれるだけ未来を読まなければならない。
わたしがそれらを内心でウンザリしながらも受け入れているのは、逃げられる未来が見えないからだ。

「クロは心配しなくていいわ。お前はいつか逃がしてあげるから」

「貴様は……」

言葉が見つからないでいるクロに、わたしは微笑んでみせた。

「さあ、難しい顔をしないで。運んでもらったご褒美をあげなきゃね」

言いながら、わたしは帯を解いていく。

「お、おい、なにをしている!?」

叫び声を上げるものの、クロは呆然と硬直している。
わたしが肌襦袢にまでなったところで、

「やめろ、体調が悪いのだろうが! 男狂いか、貴様は!」

彼は慌てて一歩下がった。
わたしは構わず、

「知っていたのよ、わたし。拾った犬はわたしを愛するようになるって、

襦袢も脱ぎ捨て裸になると、クロの首の縄を引いた。わたしに向かって膝をつくように、力なくクロが倒れこんでくる。

「そ、そんな……ことは、ありえない……」

だって、俺はお前を殺しにきたのだから――そう言葉を続けられないクロの顔を両の手で挟んでわたしは言い聞かせる。

「お前はわたしを愛するのよ」

舐めるようにわたしの肌へ視線を這わせているクロの息が荒い。

「大垣様への恩返しのためなら――貴様に復讐するためなら、命だって賭けられると思っていたのに……」
熱病に浮かされたようにクロは呻き続ける。

「――なのに、あの藤棚の下で回る貴女を見た時に、殺すなんてできないと思った」

「わたしには理由は分からないわ。ただ先が見えるだけだから」

「未来が見えるということは、俺がこの先に何をするかが見えていて、それでもなお俺の命を助けたというのか」

わたしはクロの唇を啄ばんで端的に答えた。



「っ!」

弾かれたように押し倒され、食べられてしまうのではと思うほど荒く口づけられた。
はあはあと荒い息をさせながら、クロがわたしの体をまさぐっていく。乱暴な愛撫もそこそこに性急に穿たれ、わたしは息をのんだ。犬のように激しく腰を動かして、クロはわたしを貪っていく。

「んっ……ううぅ」

体を裂かれるような痛みはあるが、喜びが全身に満ちていく。だって、


――これでこの男の人生はわたしのものだ。


未来は幾重にも重なって見えることがある。
だが、どうしても変えられない起点もそこここに存在する。クロの行く末を左右する分かれ道があるとするなら、まさに今日、この時が始まりだ。

「犬で……いい。貴女のそばに居られるなら……それで……っ」

クロの声が、遥か彼方へ飛ぼうとするわたしの意識を引き戻す。


互いに果てた後、裸のまま抱き合い、頭を撫でてやる。

「クロ、お前は死ぬのが怖いのに、どうしてわたしを殺しに来たの?」

例え、わたしを殺すのに成功しても、その後に殺されるだろうと思わなかったのだろうか。そんな筈はない。自分が殺されることになっても、わたしが死ぬのならばそれで満足できると思ったのだろうか。破滅したクロの元飼い主に、多少の嫉妬が湧かなくもない。
わたしは、人の感情は読めない。だから尋ねた。わたしを殺したその先、何を求めていたのか。

「……死ぬのは嫌だ。惨めに死んでいく下らない連中を見てきた。ああなるのは嫌だ。だが……心底いやなのは、為すべきことが何もないことだ」

「クロったら、苦労してきたのねえ」

わたしが言うと、クロは妙な顔をしてから、苦笑いを浮かべた。

「貴女に言われると、自分が下らない連中と同類な気がしてくる」

「お前は下らない人間じゃないわ。それに長生きするって言ったでしょう。わたしは未来が見えるのだから、信じなさい」

わたしは迷子の犬を安心させてやるように、何度も繰り返した。

それからも、クロに抱かれる度にわたしは言った。
大丈夫、お前は長生きするから、安心なさいと。
見えない縄で繋ぐように。
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