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あゆみとあゆむ7
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ψ10
あゆむは、銀座でメトロを降りると、そのまま地下を抜けて東銀座まで歩いた。
地上に出る前にトイレによって用を足し、手を洗いながら鏡に一瞥をくれた。鏡の中では風采の上がらない若い男がこちらを見ていた。
やがてトイレの脇の階段を昇って地上に出ると、さっきまでのどしゃ降りが嘘のように思えた。
白い世界。真夏の光が満ち溢れていた。あゆむは思わず微笑むと、肩からはすに掛けたショルダーバッグを開け、マニュアルの一眼レフカメラを取り出した。
あゆむはカメラのストラップをぐるぐるに左手に巻いてカメラを固定させると、ファイダーを覗こうともせずに、先ずは銀座の街に挨拶するようにバシャバシャとノーファインダーでシャッターを切る。
身体全体で光と影を捉えてゆく。信号待ちしている人たちの姿とその足許に伸びる影を狙って、走り去る車やバイクに向けて。信号が青に変わって、こちらに歩いてくる人々を正面からまっすぐ撮る。あからさまに顔を背ける人、笑う人、驚く人、反応は様々だ。
歌舞伎座の前は凄い人だかりで、演目を見ると義経千本桜とあった。年配の女性がほとんどだが、公衆電話ボックス近くにひっそり佇む若い女性が、やけにあゆむの気を惹いた。以前、どこかで見かけたことがあるような……。
劇場の方を向いて立ち話をしている人が大半だが、彼女は違っていた。ひとりぽつねんとあゆむの立つ道路際の方へと半身を向けていた。
あゆむは、すかさずファインダーを通して彼女を見つめ、シャッターを切った。距離は五メートルほどだろうか。人待ち顔で周りを見回しているわけでもなく、何かこの場にはそぐわないオーラを放っているわけでもないのに、何故かすうっと視線がそちらに向いてしまうのだった。
とり立てて美人というわけでもなく、清潔感はあるもののまったく地味といっていい服装は集団に紛れてしまえば、さらに目立たないはずなのに何気なく見つめてしまう、というのは、いったい何故だろうか、やはり、どこかで見かけたことがあるような———などとぼんやり考えていると、不意にけたたましいサイレンが背後の車道から立ちのぼり、振り向いて見ると、覆面パトカーらしき黒塗りの乗用車が赤色灯を回転させながら、猛スピードで眼前を走り抜けてゆく。
呆気にとられて、それを目で追いながら、あゆむは、———しまった、流し撮りすればよかった———などと後悔したが、それも一瞬で再び向き直り、———と、彼女の姿がない。忽然と彼女は姿を消した。
彼女から目を逸らしてしたのは、ほんの数秒だけれども、劇場の前に群がる人々の中へと紛れ込んでしまったのか、あるいは、間近にあるメトロ入り口へと消えたのかと、突然の変化に多少まごつきながら、ふらふらと視線を彷徨わせているうちに、再び彼女を発見した。なんのことはない、彼女は公衆電話のボックスのなかにいたのだった。なんだ、と苦笑いしてその場を立ち去りかけると、ボックスの蛇腹みたいな扉が開いて彼女が出てくるや、あろうことか、まっすぐこちらを向いてつかつかと歩みよってくるではないか。
あゆむは、先程彼女を撮ったことを責められるのかと、はっとして身構えたけれども、彼女はそのまま歩を緩めることなくあゆむの脇を行過ぎてゆくのだった。しかし、通りしな彼女は、あゆむにそっと耳打ちするように「私について来て」というのだった。
あゆむには確かにそう聞こえた。私について来て、と。あゆむはいぶかしんだが、考えるよりも先に足が動いていた。ためらいはあるものの。好奇心の方が勝っていた。時々立ち止まりながら、彼女の後をつかず離れずして追いかけた。
彼女は晴海通りを勝鬨橋方面へ向けて歩いてゆく。映画館を過ぎたあたりから、人通りはまばらになり、勝鬨橋方面へと歩いているものは、いまのところあゆむと彼女だけだった。それでもあゆむは、強いてアマチュア・カメラマンが街中をスナップして歩いている様を演技するように、そこかしこにレンズを向けて、内面の興奮を表すかのごとくシャッターを切っていた。
あゆむは想像する。
勝鬨橋の欄干にもたれて、誘うように微笑む彼女。あゆむがつと手を伸ばすと、するりと身をかわし再び艶然と微笑む彼女。
「もうじらさないでくれよ」
「じゃあ、白状しなさい。あんたきょうずっと私のことつけてたでしょ」
「それはない」
「ふん、とぼけないで。前にもわたしのこと撮ったじゃない」
もしかしたら、そんなこともあったかもしれない。顔に見覚えがあるような、ないような……。
「ほらごらんなさい。あたしのこと、ほしいんでしょ」
「そんなわけない」
「でもね。いい、ひとつだけ約束して。私以外の女は撮っちゃだめ。わかった? 約束できる?」
「うん。もちろんだよ。きみしか撮らない。今だけは」
そんなことを空想しているうちに、常に視界の隅に捉えていた彼女の姿を見失っている自分に気づいた。
彼女は確かに勝鬨橋手前の信号を渡ったはずなのに、真一文字に伸びる勝鬨橋の歩道には、彼女の姿はなかった。
しかし、あゆむは慌てはしない。歩を速めることなく歩道をそれて、川面近くへと降りてゆく階段に向かった。
すると、案の定彼女は、階段下の川に沿って走る遊歩道の鉄柵にもたれかかり、対岸の方を見遣っているようだった。
あゆむは、左手に広がる胸のすくような大パノラマに目を奪われながら、幅広のコンクリートの階段を一段また一段と降りてゆく。
そして、遊歩道の鉄柵に両手をかけて彼女と並んで立った。その距離は七メートルほどだろうか。
彼女の方へとじりじりと間隔を詰めていこうとすると、彼女はまっすぐ前を見つめながら、「それ以上近づかないで」と言うのだった。
驚いたあゆむが彼女の方に向き直ろうとすると、「こっちを見ないで」とさらに凛とした声音で言う。
自分でついて来いと言っておきながら、その言い種はなんなんだとあゆむはむかついたが、次いで自分のスケベ根性丸出しのバカさ加減が情けなく思え、急に後悔の念にかられた。
おれはいったい何をしてるんだろう。写真を撮るための貴重な時間を犠牲にして———と、あゆむは鉄柵から手を離し、その場から行きかけた。
すると彼女が不意に意外な事をはなしはじめるのだった。
「あなたずっとつけられていたのよ」
あゆむは、その言葉に足を止める。
「あなた、銀座のA3出口から出て来たでしょ。あたしその時からずっと見てたのよ。あなた出てきたとたんにバシャバシャ撮ってたわね。目立つのよ、あれだけ派手に撮りまくってたら。今どきなんでまた銀塩カメラなわけ?」
あゆむは振り返らずに言った。
「それで?」
「それで? そう。信用しないってことか。ま、いいわ。私にはどうせ関係ないことだし。でもね、一言だけ忠告しておくけど、フィルムをよこせって言われたら素直に渡したほうが身のためよ」
「誰がそんなこと言うんだよ?」
「さあ、そのうち接触してくるわよ」
「あのさぁ、よくわかんないんだけど……」と、あゆむが振り返りかえりかけると、「ねぇ、せめて写真撮るふりでもしてよ、私まで巻き込まないでよね」
「じゃ、なに? 今も誰かに見張られてるってこと?」
「あなた、相当鈍いのね。当たり前じゃない」
「でもさ、ずっと晴海通りをまっすぐ来ただけだしね、何回か振り返ってみたけど、それらしき人物なんていなかったけどね」
「当たり前じゃないの。見晴らしのいい大通りを馬鹿正直につけてくるわけないじゃない」
「そりゃそうだけど……」
あゆむは、勝鬨橋に向けてシャッターを切る。
「あたしだったら、反対側の歩道をつけてくるわね」
「なるほどね。でも、そんなやばい写真撮った憶えないけどなぁ」
あゆむはそう言って、佃大橋の方に向かってシャーターを切る。
「あなたに全く身に覚えがなくったって、何か後ろ暗いことのある人ならば、レンズを向けられただけでも嫌がるんじゃないかしら」
「そうか。そういうことなら頷けもするけれど……ね、どうなんだろう。うまくまいちゃうって手はないかな?」
鉄柵に再び歩み寄ると、水上バスをねらってカメラをパンさせるあゆむ。
「ないこともないけど……」
あゆむはその返事に、思わずシャッターを切り損ねる。
「え、ほんと。どうすればいい?」
「このまま隅田川に飛び込むってのはどう?」
「あのね……」
「ごめんごめん。でも、そんなに大切なフィルムなの?」
「あたりまえじゃん。二度とおんなじものは撮れないんだよ」
「そうなの? じゃ仕方ない逃げるしかないわね。この勝鬨橋を渡ってすぐの交番のところを左に折れるの。そしたらまた小さな橋があって、そこ渡ったらもう月島だから。そこの商店街にまっすぐつづいているのその道。
で、商店街に入ったら、路地に逃げ込んじゃうのよ。細い路地がいっぱいあるの。それで、どこでもいいからお店のなかに入っちゃうのよ。もんじゃのお店ね、そこで時間をかせぐわけ。商店街の先に地下鉄の入り口があるけども、すぐそこに向かっちゃ駄目。追手もそこで張ってるはずだから。
しらみつぶしに一軒一軒捜すと思うけど、それをなんとかやり過ごせたら、なんとかなると思うの。私が見たのはふたりだったから、人数を増やさなきゃひとりが駅を見張って、もうひとりが捜すってことになるから、うまくいけば逃げられると思うんだけど……」
「そうか、相手はふたりか」
そこでフィルムが切れ、新しく装填しながらあゆむは訊く。
「駅の改札は?」
「ひとつだけ」
「そう。じゃ、駅は諦める以外にないか……」
「そうね、もう一度こっちに戻って来るしかないかも。それでもフィルムは渡したくない?」
「そうだね、なるべくならそうしたい」
「そう。でもプロってわけじゃないんでしょ?」
「プロだからアマチュアだからってまったく関係ないよ。人がどう思おうが自分にとっては大切なショットだからね」
「相手もそういうでしょうね」
「……」
「じゃ、もう行った方がいいんじゃない?」
「ああ、そうだね。どうもいろいろとお世話になっちゃって」
そういってあゆむは階段を上りはじめる。
彼女は、「バイバイ頑張ってね」と眼前を横切ってゆく水上バスに向けて手をふる。
あゆむは、勝鬨橋をゆっくりと渡ってゆく。
あゆむは、銀座でメトロを降りると、そのまま地下を抜けて東銀座まで歩いた。
地上に出る前にトイレによって用を足し、手を洗いながら鏡に一瞥をくれた。鏡の中では風采の上がらない若い男がこちらを見ていた。
やがてトイレの脇の階段を昇って地上に出ると、さっきまでのどしゃ降りが嘘のように思えた。
白い世界。真夏の光が満ち溢れていた。あゆむは思わず微笑むと、肩からはすに掛けたショルダーバッグを開け、マニュアルの一眼レフカメラを取り出した。
あゆむはカメラのストラップをぐるぐるに左手に巻いてカメラを固定させると、ファイダーを覗こうともせずに、先ずは銀座の街に挨拶するようにバシャバシャとノーファインダーでシャッターを切る。
身体全体で光と影を捉えてゆく。信号待ちしている人たちの姿とその足許に伸びる影を狙って、走り去る車やバイクに向けて。信号が青に変わって、こちらに歩いてくる人々を正面からまっすぐ撮る。あからさまに顔を背ける人、笑う人、驚く人、反応は様々だ。
歌舞伎座の前は凄い人だかりで、演目を見ると義経千本桜とあった。年配の女性がほとんどだが、公衆電話ボックス近くにひっそり佇む若い女性が、やけにあゆむの気を惹いた。以前、どこかで見かけたことがあるような……。
劇場の方を向いて立ち話をしている人が大半だが、彼女は違っていた。ひとりぽつねんとあゆむの立つ道路際の方へと半身を向けていた。
あゆむは、すかさずファインダーを通して彼女を見つめ、シャッターを切った。距離は五メートルほどだろうか。人待ち顔で周りを見回しているわけでもなく、何かこの場にはそぐわないオーラを放っているわけでもないのに、何故かすうっと視線がそちらに向いてしまうのだった。
とり立てて美人というわけでもなく、清潔感はあるもののまったく地味といっていい服装は集団に紛れてしまえば、さらに目立たないはずなのに何気なく見つめてしまう、というのは、いったい何故だろうか、やはり、どこかで見かけたことがあるような———などとぼんやり考えていると、不意にけたたましいサイレンが背後の車道から立ちのぼり、振り向いて見ると、覆面パトカーらしき黒塗りの乗用車が赤色灯を回転させながら、猛スピードで眼前を走り抜けてゆく。
呆気にとられて、それを目で追いながら、あゆむは、———しまった、流し撮りすればよかった———などと後悔したが、それも一瞬で再び向き直り、———と、彼女の姿がない。忽然と彼女は姿を消した。
彼女から目を逸らしてしたのは、ほんの数秒だけれども、劇場の前に群がる人々の中へと紛れ込んでしまったのか、あるいは、間近にあるメトロ入り口へと消えたのかと、突然の変化に多少まごつきながら、ふらふらと視線を彷徨わせているうちに、再び彼女を発見した。なんのことはない、彼女は公衆電話のボックスのなかにいたのだった。なんだ、と苦笑いしてその場を立ち去りかけると、ボックスの蛇腹みたいな扉が開いて彼女が出てくるや、あろうことか、まっすぐこちらを向いてつかつかと歩みよってくるではないか。
あゆむは、先程彼女を撮ったことを責められるのかと、はっとして身構えたけれども、彼女はそのまま歩を緩めることなくあゆむの脇を行過ぎてゆくのだった。しかし、通りしな彼女は、あゆむにそっと耳打ちするように「私について来て」というのだった。
あゆむには確かにそう聞こえた。私について来て、と。あゆむはいぶかしんだが、考えるよりも先に足が動いていた。ためらいはあるものの。好奇心の方が勝っていた。時々立ち止まりながら、彼女の後をつかず離れずして追いかけた。
彼女は晴海通りを勝鬨橋方面へ向けて歩いてゆく。映画館を過ぎたあたりから、人通りはまばらになり、勝鬨橋方面へと歩いているものは、いまのところあゆむと彼女だけだった。それでもあゆむは、強いてアマチュア・カメラマンが街中をスナップして歩いている様を演技するように、そこかしこにレンズを向けて、内面の興奮を表すかのごとくシャッターを切っていた。
あゆむは想像する。
勝鬨橋の欄干にもたれて、誘うように微笑む彼女。あゆむがつと手を伸ばすと、するりと身をかわし再び艶然と微笑む彼女。
「もうじらさないでくれよ」
「じゃあ、白状しなさい。あんたきょうずっと私のことつけてたでしょ」
「それはない」
「ふん、とぼけないで。前にもわたしのこと撮ったじゃない」
もしかしたら、そんなこともあったかもしれない。顔に見覚えがあるような、ないような……。
「ほらごらんなさい。あたしのこと、ほしいんでしょ」
「そんなわけない」
「でもね。いい、ひとつだけ約束して。私以外の女は撮っちゃだめ。わかった? 約束できる?」
「うん。もちろんだよ。きみしか撮らない。今だけは」
そんなことを空想しているうちに、常に視界の隅に捉えていた彼女の姿を見失っている自分に気づいた。
彼女は確かに勝鬨橋手前の信号を渡ったはずなのに、真一文字に伸びる勝鬨橋の歩道には、彼女の姿はなかった。
しかし、あゆむは慌てはしない。歩を速めることなく歩道をそれて、川面近くへと降りてゆく階段に向かった。
すると、案の定彼女は、階段下の川に沿って走る遊歩道の鉄柵にもたれかかり、対岸の方を見遣っているようだった。
あゆむは、左手に広がる胸のすくような大パノラマに目を奪われながら、幅広のコンクリートの階段を一段また一段と降りてゆく。
そして、遊歩道の鉄柵に両手をかけて彼女と並んで立った。その距離は七メートルほどだろうか。
彼女の方へとじりじりと間隔を詰めていこうとすると、彼女はまっすぐ前を見つめながら、「それ以上近づかないで」と言うのだった。
驚いたあゆむが彼女の方に向き直ろうとすると、「こっちを見ないで」とさらに凛とした声音で言う。
自分でついて来いと言っておきながら、その言い種はなんなんだとあゆむはむかついたが、次いで自分のスケベ根性丸出しのバカさ加減が情けなく思え、急に後悔の念にかられた。
おれはいったい何をしてるんだろう。写真を撮るための貴重な時間を犠牲にして———と、あゆむは鉄柵から手を離し、その場から行きかけた。
すると彼女が不意に意外な事をはなしはじめるのだった。
「あなたずっとつけられていたのよ」
あゆむは、その言葉に足を止める。
「あなた、銀座のA3出口から出て来たでしょ。あたしその時からずっと見てたのよ。あなた出てきたとたんにバシャバシャ撮ってたわね。目立つのよ、あれだけ派手に撮りまくってたら。今どきなんでまた銀塩カメラなわけ?」
あゆむは振り返らずに言った。
「それで?」
「それで? そう。信用しないってことか。ま、いいわ。私にはどうせ関係ないことだし。でもね、一言だけ忠告しておくけど、フィルムをよこせって言われたら素直に渡したほうが身のためよ」
「誰がそんなこと言うんだよ?」
「さあ、そのうち接触してくるわよ」
「あのさぁ、よくわかんないんだけど……」と、あゆむが振り返りかえりかけると、「ねぇ、せめて写真撮るふりでもしてよ、私まで巻き込まないでよね」
「じゃ、なに? 今も誰かに見張られてるってこと?」
「あなた、相当鈍いのね。当たり前じゃない」
「でもさ、ずっと晴海通りをまっすぐ来ただけだしね、何回か振り返ってみたけど、それらしき人物なんていなかったけどね」
「当たり前じゃないの。見晴らしのいい大通りを馬鹿正直につけてくるわけないじゃない」
「そりゃそうだけど……」
あゆむは、勝鬨橋に向けてシャッターを切る。
「あたしだったら、反対側の歩道をつけてくるわね」
「なるほどね。でも、そんなやばい写真撮った憶えないけどなぁ」
あゆむはそう言って、佃大橋の方に向かってシャーターを切る。
「あなたに全く身に覚えがなくったって、何か後ろ暗いことのある人ならば、レンズを向けられただけでも嫌がるんじゃないかしら」
「そうか。そういうことなら頷けもするけれど……ね、どうなんだろう。うまくまいちゃうって手はないかな?」
鉄柵に再び歩み寄ると、水上バスをねらってカメラをパンさせるあゆむ。
「ないこともないけど……」
あゆむはその返事に、思わずシャッターを切り損ねる。
「え、ほんと。どうすればいい?」
「このまま隅田川に飛び込むってのはどう?」
「あのね……」
「ごめんごめん。でも、そんなに大切なフィルムなの?」
「あたりまえじゃん。二度とおんなじものは撮れないんだよ」
「そうなの? じゃ仕方ない逃げるしかないわね。この勝鬨橋を渡ってすぐの交番のところを左に折れるの。そしたらまた小さな橋があって、そこ渡ったらもう月島だから。そこの商店街にまっすぐつづいているのその道。
で、商店街に入ったら、路地に逃げ込んじゃうのよ。細い路地がいっぱいあるの。それで、どこでもいいからお店のなかに入っちゃうのよ。もんじゃのお店ね、そこで時間をかせぐわけ。商店街の先に地下鉄の入り口があるけども、すぐそこに向かっちゃ駄目。追手もそこで張ってるはずだから。
しらみつぶしに一軒一軒捜すと思うけど、それをなんとかやり過ごせたら、なんとかなると思うの。私が見たのはふたりだったから、人数を増やさなきゃひとりが駅を見張って、もうひとりが捜すってことになるから、うまくいけば逃げられると思うんだけど……」
「そうか、相手はふたりか」
そこでフィルムが切れ、新しく装填しながらあゆむは訊く。
「駅の改札は?」
「ひとつだけ」
「そう。じゃ、駅は諦める以外にないか……」
「そうね、もう一度こっちに戻って来るしかないかも。それでもフィルムは渡したくない?」
「そうだね、なるべくならそうしたい」
「そう。でもプロってわけじゃないんでしょ?」
「プロだからアマチュアだからってまったく関係ないよ。人がどう思おうが自分にとっては大切なショットだからね」
「相手もそういうでしょうね」
「……」
「じゃ、もう行った方がいいんじゃない?」
「ああ、そうだね。どうもいろいろとお世話になっちゃって」
そういってあゆむは階段を上りはじめる。
彼女は、「バイバイ頑張ってね」と眼前を横切ってゆく水上バスに向けて手をふる。
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