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#183 夢の残滓(円山町+)
しおりを挟むついさっき映画の打ち上げで知り合ったばかりの知らない若い子と、ラブホどこにしようかなんて、冗談めかしてしゃべりながら、円山町をぐるぐる回っていた。
つまり、歩きながら半分口説いていたわけだけれども、見知らぬ彼女と早々と再会を果たしたとき、なぜか切ない気持ちになったのだった。
それは、ノスタルジーでもないだろうし、いや、もしかしたなら超短期のノスタルジーなのかもしれない、恋に堕ちるときってそんなもんじゃないだろうか。
彼女の方もアルコールが入って少し大胆になり、欲望を解放する気がなきにしもあらず、といったところだったかもしれない。
実は、映画がクランクアップしたので、それまでの監督とプロデューサー側との対立は陰を潜めたが、撮影隊はギリギリまで一触即発の状態だった。
自分は、製作部で演出部とはあまり意思の疎通がとれていないが、監督には心酔しているという微妙な立ち位置だった。
クランクアップはとにかくうれしかったが、それはもうこんな現場にいなくて済むから、という理由からでもあった。
なので、打ち上げに顔を出す程度で、すぐさま帰ってしまえばよかったのだけれど、自分でもよくわからない、スイッチの切り替えがまだ出来なかったといえばいいだろうか。
もやもやと何かが燻っていてスッキリとしないということではなく、
ほんとうにしんどかった撮影がやっと終わったという安堵感で、気持ちに余裕ができ、もう少しその余韻に浸っていたかった、ということなのかもしれない。
様々なシガラミから解放され、一秒でも早くひとりになって自由を謳歌したいはずなのに、もう戦いは終わり、戦場から離脱できることがわかっているからこそ、逆に戦場にとどまっていたのかもしれない。
映画という非日常と日常のボーダーラインの上で、そのギャップを楽しんでいたのだろうか。
まあ、映画の撮影はマジに過酷という話だが、グズグズしているうちにプロデューサーのやっているお店に連れていかれたりして、P側のベテランのスタッフさんからは、敵情視察に来たのか、みたいな冷たい視線を投げられたりもした。
見知らぬ女子は、むろん、映画のスタッフなどではない、衣装さんだかメイクさんの友だちの友だちのまたその友だちが、打ち上げの会場だった店にたまたま居合わせて、こちらに合流したのだった。
映画は、進行している内に監督側とプロデューサー側とで見事に溝が生じて分断してしまい、非常に危うく深刻な状態だった。
撮影が進むにつれ、乖離がはっきりと現われ、撮影隊は崩壊寸前だったが、それでもなんとかクランクアップに漕ぎ着けたのだった。
そして、プロデューサーの店から抜け出して、帰ろうと渋谷の駅に向かっていると、1次会で見かけたメイクさんだかの友だちの友だちに、またばったりと遭遇したというわけだった。
さっき知り合ったばかりだったけれど、なぜか旧知の仲のように自然に振る舞える自分が不思議だった。
撮影が終わり、何物にも束縛されない完全なフリーになった解放感が、後押ししたのかもしれないが、彼女がとびきりの美人だったから、というのは否めない。
そういえば、まだ名前すら知らなかった。
「なんて呼べばいい?」
「葉月。葉っぱの葉に、月」
「葉月ちゃんか、いい名前だね」
「酔い醒ましに少し散歩しない?」
そんな見え透いたセリフが口からするすると出ていった。
道玄坂をふたりして歩きながら、飲み直そうか、あるいはマンキツに行くとか、ジャズ喫茶は? なんてとりとめのないくだらないことを喋りながら、それでも酔いが回っているからという大義名分があるので、ケラケラ笑いながらも、しっかりとラブホ街である円山町方面に向かっていったのだ。
それから暫くして彼女からもう疲れた、休みたいというサインがでたので、ほなほな、休憩しましょと近くのラブホに入った。
安い部屋から空室はなくなっていくのか、そのラブホに入った時にはもう一番高い部屋しか空きはなかった。
たまたま受付が一緒になったメンズのカップルは断られてしまったらしく、こちらを恨めしそうに見ていたが、こっちもぐずぐずしていたら朝になってしまうので仕方なくそこに決めた。
そして、冷蔵庫に入っていたキンキンに冷えたチリ産の安いシャルドネを自分はがぶ飲みした。
そして、シャワーを浴びている知り合ったばかりの美しい女「葉月」を、静かに待っていた。借りてきた猫みたいに緊張しながら。
しかし、その安ワインが呑みやすく、知らず知らずに呑み過ぎてしまったようだった。
うら若き半裸のヴィーナスが、地上に舞い降りてきた時には、自分は軟体動物みたいにグデングデンに酔っ払っていた。
とにかく気分は上々、解放感が堪らなかった、だから後先考えずがぶ呑みしてしまった。
そして、後悔しても後の祭り。
勃つわけもないのだった。
やがて明け方近くに阿鼻叫喚のような嗚咽する女たちの声で泥のような眠りからふと目覚めた自分は、地の底から聞こえてくるような女たちの悦びとも哀しみともつかぬ声を聞いた。そして、その女たちの本物の欲望剥き出しの声にぞくりとした。
その女たちのヒーヒーと啜り泣く悦びの声は、再びオスである自分を駆り立てた。
葉月は、背中を向けて眠っていた。その背中にぴたりと抱きつき、脚も葉月のようにくの字に曲げると、目覚めたときから実ははちきれんばかりにきつく勃起していたものが、どうしてもお尻にあたってしまうのだった。
それからもう我慢できなくなって、下着をめくってぬるぬると突き挿していった。
葉月は、うーとかあーとか何か言いながらも、まだ夢の中のようで、自分は葉月の名を繰り返し囁きつつ、寄せては返す波のようにゆっくりと腰を使いながら、夢見心地で、再び奈落の底へと堕ちていった。
*
自分は、それ以降しばらくは映像の仕事には就かなかった。映画ではなく、2Hのドラマに何度か誘われもしたが、断ってしまった。
あの夜、初めて会った葉月と関係をもっていなかったら、何かが変わっていただろうか。というか、自分はやはり後悔しただろうか。
幾度となく、そんなバカげたことを考えた。
一晩だけのゆきずりの恋で人生が変わるわけもないとは思うのだけれど、関係を持ったからこそ、甘く苦い想い出の残滓が、彼女の美しい面影と共にいつまでも心に巣食っているのだった。
彼女は、声優を目指して東京に出てきたと言っていたけれど、夢は叶っただろうか。
今は、映画とはまったく関係のない、どこにでもいるただのつまらないサラリーマンとなった自分は、監督になるという夢を諦めてしまった。
そして家庭を持ち、家族がいるという喜びがあると同時に、雁字搦めだと思う自分もいるのだった。
不謹慎だと言われるかもしれないが、家庭に縛られれば縛られるほど、映画みたいな彼女との劇的な再会が用意されているのではないかなどと妄想してしまうのだ。
そして、そんな奇跡が待っていたならば、その時は、自分もしっかりと夢のつづきを、回収したいと思っている。
しかし。それは結局、なにものにもなれなかった自分への言い訳、誤魔化しにすぎない。
実は、家族に縛られていなかったならば、才能あるオレは監督にまで、のぼり詰めていたはずなのだ、なんてあまりにも酷い自己欺瞞であり、一周まわって自虐ネタでしかない。
とどのつまり、憧れは、手の届かないものだから、いつまでも光り輝く存在なのであり、憧れは、憧れのまま、うっとりと夢見心地で見つめていればいい。
想うだけで夢見心地になれる存在のある今こそが、ほんとうはいちばん幸せなのかもしれなかった。
追記:
以上の話は、かれこれ3年前の出来事であり、今現在自分は離婚して社畜も辞め、タイミーやらシェアフルといった単発バイトで日銭を稼ぎ、なんとか食い繋いでいるただのドルヲタだ。
そして、葉月(仮名)は地下アイドルになった。
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