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番外編:春

春の運動会

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 僕は、ビニールテープを裂いてつくったポンポンを手、腰ミノを着けて、踊っていた。
 どうして、こうなったのだろう?

 喫茶タイムに、マカロンを噛み砕きながら、菊池さんは、ノートに何かを書いていた。
 桜の葉の塩漬けを刻み入れたマカロン生地に、軽く沸かしたチェリーのリキュールで伸ばし、ほんのり薄紅に染まった白餡を一絞り、細かく千切った求肥を散らして挟む。
 塩抜きした桜の花を飾って、桜のマカロンの出来上がり。
 おかわりのマカロンをテーブルに運ぶ、とノートに描かれた洞窟の壁画が目に入った。
 いや、クレヨンで所々が赤く塗られていて、業火に焼かれる罪人の地獄絵図だろうか。
 まず、浮かんだ感想は「病んでる」だ。
 描いている菊池さんが、苦悶の表情なのだ。
 小さく口遊んでいる曲が明るくアップテンポなのが、逆に怖い。
 このまま、お皿を持ってカウンターに戻りたいが、そうもいかない。
「あの、桜のマカロン、おまたせしました」
 小さく、声をかけるが、集中しているのか、反応がない。
 仕方なく、テーブルにお皿を置いて立ち上がる、と菊池さんが叫んだ。
「まんぼ!」
 寝ていた雪さん、雨くんが、飛び上がって、階段を駆け上がって逃げていった。

 結論から言う、と保育園の運動会で年長組がやるダンスの振り付けを考えていたそうだ。
 そう、あの洞窟壁画のような奴だ。
 統一した衣装は用意できないので、ワンポイントの飾りも考えていたそうだ。
 そう、罪人に絡まる、あの煉獄の炎のような奴だ。
 曲は決まっているそうで、僕でも知っている、夏の甲子園の入場曲になると評判の曲だ。
 そう、菊池さんの口から、平坦に紡がれていた音がソレだ。
 ようやくできたので、歓喜の叫びが漏れたそうだ。
 「まんぼ!」のどこに、完成の意味があるのか、教えてほしい。
「ダンスの振り付け考えていたんだから、まんぼ以外にないでしょ」
 との説明では理解できない僕は、感性の乏しい朴念仁なのだろう、きっと。
 お客様に対して、笑顔を絶やさず、
「どうぞ、ごゆっくり」
 と立ち去ろうとした僕の足が、ガシっと掴まれた。
「ひいっ」
 思わず、悲鳴が漏れた。
 まるで、業火に炙られる悪鬼のように、菊池さんが嗤った。
「踊るから、見て」
 数分後、急に動いて気持ちが悪くなった菊池さんは帰っていったが、僕と猫たちは、リビングでの暗黒儀式の波動が消え去るまで、寝室に引き籠った。

「いや、無理ですってば、」
 僕は、ビニールテープを裂いてつくったポンポン、腰ミノを押し付けられて、拒んでいた。
 というか、僕は運動会を見にきた近所の住人で、父兄でもなんでもない。
 菊池さんの説明によれば、「儀式」いや「踊り」は、園児の両端で大人が踊らなければ、完成しないそうだ。
 やっぱり、儀式だろう、それ?
 春うららかな土曜日に、どんな邪神を降臨させるつもりだ?
 予定していた踊り手が、体調崩して休んだって、儀式の悪影響でじゃないの?
 やや現実逃避していたら、他の先生に囲まれ、手にポンポンを縛りつけられ、腰にミノを巻かれた。
「いや、一回しか見てないし、」
「エアロビやってるんだから、できるでしょ」
「いや、他の先生の方が、」
「「「忙しいから!」」」
 息の合った全否定に、忙しいなら、どうして、ここで人の腰にミノ巻いてるんだ?
『次の種目は、年長さんのダンス、「風ふわりふらり」です!』
 アナウンスが響き、拍手が起こる。
 祭りの神輿の起源って、こうだったのかな、と複数の手で、押し出されながら思った。

 不思議なことに、園で撮っていたビデオには、この踊りが写っていず、公式な録画は残らなかった。

 僕は翌日、何を呑んだかまったく思い出せない壮絶な二日酔いで目が覚めた。
 きっと、あの儀式のせいだ。

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番外編の解説(作者の気まぐれ自己満足と忘備録的な)

「春の」は、エピローグ後の登場人物がどうしているか、一人ひとりに焦点を当てていく番外編で、今回は、菊池さんです。
(書いたもの勝ちの後付け設定)

ダンスの振り付けに悩む独身の菊池さんを「かっこいい父兄が見にきますよ」「既婚者ばっかりだよ?」と励ますような構想だったのですが、ちょっと違ったデキとなりました。

オチも、お店でビデオ鑑賞会をやって、静まり返る、だったのですが、無残すぎるので変更で、当初の構想は、跡形も残っていません。

果たして、菊池さんに「春」は来るのか?
まあ、そもそも続くかどうかがわからないのが、番外編の醍醐味ですよね?

また、機会がありましたら、このお店にお付き合いくださいませ。

まみ夜
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