【完結】cat typing ~猫と麦酒~第10回ドリーム小説大賞奨励賞

まみ夜

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引越、まで

ようやくの相続人

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 猫と目が合ったので、猫がいるビア・バーを始めることにした。

 いや、これでは、まったく伝わらないだろう。
 とはいえ、リアル割れしても困る。
 そもそもの始まりは、続柄の呼び方も分からないような遠縁の親戚からの遺産相続だった。

 ある日、僕の職場であるショット・バーに、開店時間前だというのに、弁護士を名乗る老紳士が訪ねてきた。
 彼は、初めて聞く名前を挙げ、その人物の遺産を相続する権利がある、と僕に告げた。
 まず、僕がしたのは、素人ドッキリ撮影のカメラを探すことだった。
 その昔、「飲食店でのマナー違反をお笑い芸人が再現する」という某テレビ番組の「バー編」で撮影に使われた店内であっても、もちろんカメラはなかった。
 ちなみに、このお店での撮影は、演技であるはずの芸人に、大人気なく本気でムカついたオーナーが本気のアイアンクローでお仕置きしたため、映してはいけない液体が出て、一回で打ち切られている。
 寧ろ、一回でも放映された方が奇跡だ。
 コンプライアンスなんて言葉の認知が低い時代のお話だ。
 ドッキリではないならば、ついて行ったら外国にでも売られるのか、と挙動不審になる僕に、老弁護士は根気よく、「詐欺ではなく、ようやく、ようやく探し当てた相続人」である、と力説した。
 確かに、親戚とか、家族に縁の薄い家系なのかもしれない。
 亡くなった両親は一人っ子同士で、両祖父母にも兄弟はなく、僕も一人っ子で、一人ぼっちだ。
 お正月に大勢の親戚が集まってお年玉を貰う、なんて当時は意味が分からなかった。
 その遠縁の人も、家族も親戚もなく遺言で、遺産の一部をどんなに薄くても血の繋がった者を探して渡すように、厳命したらしい。
「ようやく、ようやく肩の荷がおりま、」
「知らない人から物をもらわないように、と親に躾られているので、いらないです」
 と、微笑む老弁護士の顔を、僕は凍りつかせた。
 硬直が溶け、ゆっくりと落胆に移り替わっていく表情に、罪悪感にとらわれていると、いきなり後ろから首を絞められた。
 その太い腕の持ち主が、頸動脈と気管を圧迫しながら、僕に囁く。
「貰える物は、貰っとけ」
「おー、なー?」
 このバーのオーナー、すなわち僕の雇い主の腕を叩き、ギブアップをアピールするが、緩む気配はない。
「一部ってんだ、遠慮するな」
 次第に、目の前が、暗くなっていく。
「立ち話もなんだ。座って話せ、な?」
 僕が首を縦に振ったのは、肯定の意思表示ではなく、意識喪失のためだった。

 意識が戻ってから、仕方なくバー・カウンターに並んで座って話を聞く。
 向かい合ってではなく、横並びに座るのも変だが、テーブル席だと、オーナーに話が聞こえないのが怖くて、カウンター席にした。
 僕は、少々やさぐれた気分だったので、ギネスをパイントで。
 老弁護士は、仕事中だから、とアルコールを固持するので、カクテルのアイリッシュ・コーヒーや農民の知恵などに使うコーヒーをホットでご馳走する。
 彼が繰り返し強調したのは、「ようやく、ようやく探し当てた」こと、「相続してもらうのは、ささやかな分のみ」だった。
 そのささやかさの内容は、建物一軒。
 都心からは離れるが、通勤圏内で、俗にいうベッドタウンだ。
 その建物を土地ごとくれるらしい。
 「ささやか」と強調するからには、猫の額なのだろう。
 とりあえず来週、いっしょに現地を見に行く約束をする、と安心したのか、ようやくコーヒーに口をつけ、ちょっと目を瞠った。
 バーのコーヒーと舐めてはいけない。
 インド・モンスーンをベースにしたブレンドを挽きたてで水出しにして、その都度、湯銭で温めて提供しているのだ。
 ホットキープのヒーターで煮詰まったコーヒーとは、かなり違うはずだ。
 できれば焙煎したて、としたいのだけど、仕込んだ後、営業時間になってもコーヒーの匂いが抜けないので、断念している。
 お金を頂くお客様ではないが、飲み物に喜んでくれるのは、バーテンダーとして、やはり嬉しい。
 ようやく笑顔が出た老弁護士を送り出すと、オーナーがグラスを合わせてきた。
「猫の額に、乾杯」
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