わたしのお友達

七生雨巳

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 焼きあがった、サッちゃんの頭を、九十九が丁寧に磨いている。
 手や足、胴体も、作業台の上に、並べられていた。
 お母さんは、すっかりサッちゃんに夢中だ。これを着せましょうと、お母さんがピンクのドレスを、縫っている。
 九十九は黙々と、サッちゃんの頭を磨いている。
 タクちゃんとマキちゃんは、叫ぶのも泣くのもやめて、ただ、ぼんやりと、地下室にうずくまっている。
 わたしがそっと地下室に入ると、マキちゃんだけが気づいて、悲しそうな、疲れた笑みを向けてくる。
 どうして怒らないんだろう。
 不思議だった。
 怒ってもいいのに。
 怒って当然なのに。
 一緒に遊んだお友だちは、地下室に入れられると、みんな、わたしやお母さん、それに九十九のことを、声を荒げて罵った。お人形にされるまで、そうやって、泣き叫んでいた。
 部屋のドアが開いた。
 ビクリ――と、タクちゃんとマキちゃんが、震えた。
 裸電球に照らされたお母さんは、赤く染まっている。
「トモの新しいお友だちが完成したのよ」
 そう言って、お母さんは、ピンクのドレスを着た、くるくる巻き毛のお人形を、ふたりに見せた。
 怯えた二対の瞳が、大きく見開かれて、お母さんが胸の前で抱えているお人形を凝視している。
 ふたりの下瞼から、こらえ切れなかった涙が、溢れ出した。
 首をイヤイヤと振る。
 そんなふたりに、
「次は、誰が、トモのお友だちになってくれるの?」
 お母さんが、にっこりと、笑った。
 オレンジ色の電球に染まって、お母さんの笑顔は、まるで、鬼のようだ。それが、とっても、悲しくて、わたしは、その場に、うずくまった。
「トモちゃん」
 マキちゃんがわたしの名前をつぶやいた。背中を撫でてくれるマキちゃんのやさしい手に、わたしは顔を上げた。
 お母さんが、ぼうぜんと、ただ、マキちゃんを見ているのを、わたしは、視線の片隅に捉えていた。
「トモちゃんは、お人形いらないって言ってるのに。お母さんがいればそれでいいんだって」
 小さな声だった。けれど、マキちゃんが、お母さんに向かってゆっくりと言った言葉は、お母さんの耳に届いていた。
 お母さんの目が、大きく、これ以上ないくらい大きく見開かれ、そうして、部屋中をさまよう。
「トモ……どこ。いるの?」
 お母さんの、しわがれた声。
「ここ。ここに、トモちゃん、いるよ」
 マキちゃんの指し示す先、わたしがいる場所に、お母さんのまなざしが、注がれる。目を眇めて、お母さんが、わたしを凝視する。
 お母さん。やっと、気づいてくれたんだ。
 わたしが死んでから、お母さんがわたしを見てくれたのは、はじめてだった。
 立ち上がったわたしが、お母さんに近づこうとした時、かしゃんと音をたてて、サッちゃんが、お母さんの手から落ちた。
 お母さん?
 わたしをしっかりと見て、こっちに来ようとしたお母さんは、なのに、どうしてだろう、ふらふらと、わたしに背中を向けた。青ざめたお母さんが、よろめきながら部屋を出てゆく。
どこに行くの?
待って。
 追いかけようとして、気がついた。ドアの鍵がかかっていない。
 マキちゃん、タクちゃん、逃げて。
 マキちゃんが、タクちゃんの手を掴み、立ち上がった。
「いいの?」
 マキちゃんに訊ねられて、わたしは、大きく首を縦に振った。
 ごめんね。恐い思いをさせて、本当にごめんなさい。
 ありがと。お母さんに、わたしのこと気づかせてくれて、ありがとう。
 わたしは、マキちゃんを抱きしめた。そうして、お母さんを、追ったのだ。


 薄暗い部屋の中で、お母さんは、たくさんの人形に囲まれていた。ぺったりと床に座り込んで、ぼんやりと、天井を見上げている。
 わたしのために、お母さんが集めてくれた、お人形たちが、ガラスの目を恐ろしいくらいに光らせて、お母さんに手を伸ばす。
 帰して。
 家に帰して。
 お母さんの髪に、顔に、手に、足に、服に、曲がらない指を曲げて、開かない口を開いて、襲いかかる。
 お母さんは、動かない。
 やめて。
 ごめんなさい。
 お母さんを、許して。
 お母さんを抱きしめたわたしのからだを通り抜けて、人形が、お母さんに、たかり、噛みつき、引き裂く。
 きゃあ――突然、お母さんの口から、大きな悲鳴がほとばしった。
 甲高い悲鳴が、いつまでも緒を引く。
 ドンッ! 
 大きな音をたてて、九十九が駆け込んできた。途端、人形たちが、そろって、九十九を見た。感情を映すことのないガラスの瞳が、九十九をぎらぎらと、睨みつけた。
 部屋の惨状に、ドアのところで、九十九が凍りつく。
 軽い音が次々と響いて、人形たちが、蹲っているお母さんから、離れた。
 そうして、蒼白を通り越している九十九に向かったのだ。
 骨の混ざった陶器の触れ合う音が、九十九の悲鳴に混じって聞こえる。
 振り払われた人形の、壊れる音が、聞こえる。

 お母さんは、息も絶え絶えに、苦しそうだ。それでも、お母さんは、今度は、本当に、わたしを見ている。わたしがお母さんを抱きしめていることに気づいている。
 トモ―――と、お母さんがわたしの名前を呼ぶ。
 トモ、ごめんね。お母さんを許してね。
 お母さん。
 涙がこみあげてくる。
 どんなに、お母さんに、気づいてほしかっただろう。
 どんなに、名前を呼んでほしかっただろう。
 ちっとも、怒ってなんかないよ。
 そう言うと、お母さんは、本当に嬉しそうな笑顔を見せて、最後に大きく息を吸った。



 二十メートルほどの高さの山頂付近に、古めかしい、木造の洋館がある。昔の地主の持ち物だ。今では、六十くらいの女性と、どんな関係なのやら、彼女より少し若そうな男とが、ふたりきりで暮らしている。どうやら、男が人形を作って、それで暮らしているらしい。山の上ということもあり、近所づきあいは、なかった。
 そこから火の手があがっていることに気づいたのは、山裾の田を見回っていた老人だった。
 サイレンの音を響かせて、消防車が、細い山道をかろうじて登ってゆく。
 激しく燃えさかる家に水をかけようとホースを引きずり出していた隊員たちは、そこではじめて、ぼんやりと佇んでいる二つの影を見つけたのだ。


 彼らが一月ほど前、葬式の邪魔になるからと家を出されて以来、行方不明になっていた、三人の子供のうちのふたりだと知るのは、いま少し後のこと。
 焼け跡から出てくるであろう焼死体も、発見された子供たちの口からやがて語られるだろう出来事も、今はまだ、当の子供たちをのぞいては、知るものは、いなかった。
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