御陵さま

七生雨巳

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前編

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 むかしむかしのお話です。



 ………え? むかしって江戸時代かって? いえいえもっとズ~ッとむかしのことですよ。平安? いえいえ。これは、ず~っとず~っとむかしのお話です。



 このあたりは……このあたりって何県の何町かですって? このあたりといったらこのあたりのこと。そう、このお話を読んでいるあなたの住んでいる所なんですってば。



 コホン。さて、気を取り直してっと。









 むかしむかし、このあたりはガハールと呼ばれる男神おがみさまの統べる土地でした。



 艶やかな黒髪、白い肌、金色の瞳のとってもきれいな男神さまです。男神さまがこの土地を守り統べるようになったきっかけを、これからお話しましょう。









 男神さまは、そのむかしファリスと呼ばれる普通の可愛らしい少年だったのです。小さな里の女長おんなおさをなさっているお母さまをたいそう愛されておりました。お父さまは早くに亡くなられて、たった二人きりの家族だったというのも理由でしょう。



 女長はとっても平和に里を治めておられましたが、女の長ということが気に入らないひとたちもいたのです。



 少し前に、遠く離れた土地で偉大な女王が弑され、次の王には男が立ったという話が聞こえてきましたから、それは時代の流れというものだったのかもしれません。



 長は男がなるものだ!



 そう言って、この小さな里でも、女長に仕えていたはずの男たちが反旗を翻したのです。



 それは、少年が十七才の年。どんよりと重たるい夜空が今にも雨を降らせそうな、梅雨のことでした。



 月のない空を背景に、蛍が舞っています。



 さらさらと、せせらぎの音も聞こえてきます。



 じっとりとまといつくような湿気も気にならない、とってもきれいな景色です。



 お母さまとファリスはお家の庭に出て、その風景を眺めていました。



 飛んでくる蛍を、袋状の淡い紫の花の中に捕えると、花がぼんやりと宵闇に浮かび上がります。



 穏やかで幸せなひとときは、思いもよらない反乱に踏みにじられたのです。



 女長は、助けようとしたファリスの目の前で、無惨にも殺されてしまいました。



 そうして、ファリスもまた…………。



 けれども、殺されてしまったファリスでしたが、ファリスは死にきれず、怨霊となってお母さまの復讐をしていったのです。



 まず、お母さまを直接その手にかけた青年にとり憑き、その家族を次々と殺しました。青年の意識は泣いて許しを請いましたが、ファリスの怒りはそれくらいではおさまりません。



 青年は自分の家族を殺したことで狂ったようになって自殺してしまいます。とり憑く相手を失ったファリスは、別の相手にとり憑き、またそのひとの家族を殺してゆきます。



 里の人々は、ファリスのことを『ドゥルアジズ』と呼んで恐れました。



 かつての平和な里の面影すらありません。



 『ドゥルアジズ』のお母さまが殺された時、里人たちは何もしませんでした。積極的に弑逆者に加勢こそしませんでしたが、女長を助けるのにも積極的ではなかったのです。



 それは、『ドゥルアジズ』に祟られるのに足る理由だと思えたのです。



 里人たちはびくびくと、次は誰がとり憑かれたのだろうと疑心暗鬼に囚われていました。畑を耕すのも猟に出かけるのも、家事をするのさえ、やっとのことなのです。



 猟に出たものは、小さな物音に兎よりも敏感に反応して、一目散に逃げてしまいます。それは、畑に出たものも家事をしているものも、一日で一番ゆったりとするはずのお風呂の時すらもそうでした。



 もちろんのこと里は荒れましたし、里人たちも恐怖のあまり無気力で、いつもおなかをへらしていました。



 これ以上はもう堪えられないと、やっとこのとで、女長を殺して里長になった男に「どうにかしてください」と言っても、彼は何もしてくれません。



 そう、今や里で誰よりも戦々恐々と怯えているのが、ほかならない里長なのですから。



 いつとり憑かれるか、とり憑かれた状態で家族を殺し狂って死ぬのか、それとも、とり憑かれた誰か家族に殺されるのか………。



 どの死に方も、ご免こうむりたいものでした。









 そうして、『ドゥルアジズ』の恐怖が里を席巻してやがて五年が過ぎようとしていました。









 どんよりと鈍い空が今にも泣き出しそうな梅雨のその日、ひとりの少年が里にやってきたのです。



 いえ、正確には通りかかったのですが。



 鳶色の瞳に黒い猫毛の、やんちゃそうで可愛らしい少年です。



 少年は、旅の呪師まじしでした。



 『ドゥルアジズ』の恐怖に怯えた里人のある家族が、宿を求める少年を泊めることにしたのは、少年の邪気のないような表情も一因でありましたが、なによりも彼が呪師であるということが大きかったのでしょう。



 その翌日、少年が泊めてくれたお礼になにかしましょう――と言い出す前に、彼の前に集まった里人の有志たちがひれ伏しました。



 そうして、



「どうか『ドゥルアジズ』を鎮めてください」



と、そう願ったのです。



 これこれこうと里人たちが語ったこと。それは嘘偽りのない真実でした。



 『ドゥルアジズ』と呼ばれる怨霊に、少年は同情しました。が、今は里人たちの窮状のほうが問題です。なぜなら、里人たちはだれもかれもが痩せさらばえていて、あまりにも可哀相に見えたからです。



「わかった。なんとかしてみるよ」



 少年は、にっこりと微笑んで引き受けたのです。

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