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四話
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甲高いぴぃーという機械音で目が覚めた。
続いて、数人のやや慌てたような足音。
ドアを開ける音。指示を飛ばす声……。
ゆっくりと目を開くと、
薄暗い部屋の無機質な天井と
間仕切りのカーテンが見えた。
連日の勤務の疲れのせいなのか。
それとも、今まで見ていた
夢のせいなのか……。
記憶が妙に混乱していて
現実がなかなか戻ってこない。
……私は水城桜。この病院の研修医。
……明朝までのわずかな時間に仮眠中。
一つ一つかみしめるように思い出し、
ようやく落ち着いた。
それほど夢の印象は不思議に強かった。
高校一年生の初夏、
私は初めて靖国神社を参拝した。
そこで真詞から聞いた話と
女子高生がお辞儀する姿が気になり、
真詞の助けを借りて調べてみたのだ。
靖国神社のこと、英霊たちのこと。
大東亜戦争とその前後の近現代史。
そして当時を生きていた人々のこと。
それは本当に驚くことばかりだった。
真詞が言った通り、
歴史は歪められて伝えられていて、
きちんとした事実を知らないために
多くの人々が日本や戦争に対して
間違った印象を持たされていると知った。
自分が何も知らなかったことや、
マスメディアを疑いもせず
洗脳にも近い巧妙な情報操作に
踊らされていたことに気づいたとき、
比喩ではなく背筋を震えが走った。
知ることの大切さ、
知らないことの恐ろしさ。
それらを、当たり前と思いつつ
全くわかっていなかったことを実感して、
しばらく当時について調べ続けたのだ。
当時の人々の生活を調べているとき、
繰り返し脳裏に浮かんだのは
司おじいちゃんの横顔だった。
私は幼いころから、
司おじいちゃんの話をたくさん聞いた。
家で栽培するブドウのことに始まり、
道端の雑草や虫、鳥たちのこと……。
やがて、自然の生態系から宇宙にまで、
話は徐々に発展していった。
その話の中で何より大切だったのは、
生命のこと――。
どんな話もわかりやすく面白かったし、
どこまでも無限に広がる世界を感じて
私は理科が大好きになった。
戦争の話は、たくさんの話の中で
付け足しのように聞いていた程度だ。
辛さや悲しさなどは感じさせない
あっさりとした口調だったから、
ただの昔話としか感じていなかった。
あれは中学にあがる前だったろうか……。
風の強い夜だった。
庭の隅にはまだ雪が残っていて、
厚い上着を着ても寒かったと思う。
家の灯りが届かない闇の中、
司おじいちゃんがたたずんでいた。
まだ蕾の固い桜を見上げたまま
凍り付いたように身動きしない。
私に話を聞かせてくれるときとは
あまりに様子が違っていた。
わずかな星明りしかなかったので
はっきりとはわからなかったが、
横顔がひどく苦しそうに見えた。
いつもなら喜んで話しかけるのに、
それはためらわれてできなかった。
私は戸惑いながらも
後ろから少しだけそうっと近寄り、
同じように上を見上げてみた。
黒い桜の枝を透かして、
宝石箱をひっくり返したような
満天の星空が広がっていた。
思わず声をあげそうになるほどに
美しいこの星空を見ているのに
どうして苦しそうなのだろう。
さらに戸惑ってしまった私は
長い間話しかけられずにいて、
足音を忍ばせてその場を後にした。
司おじいちゃんは
本当は何を見ていたのだろう……。
その後も尋ねることができないまま、
私が中学二年生のときに
司おじいちゃんは亡くなった。
時が流れ少しずつ思い出が遠くなっても、
あの横顔を忘れることはできなかった。
戦時中の様々なことを調べていたら、
司おじいちゃんの何気ない話に
実はどれほどの想いがあったのか、
やっと想像できるようになってきた。
詳しいことを知りたくて、
遠子おばあちゃんにも話を聞いた。
その記憶があったからだろうか……。
さっきの夢は、まるで自分が
司おじいちゃんになったかのようだった。
いつの間にか先ほどまで聞こえていた
やや慌てた感じの物音が落ち着いている。
淡々と作業する雰囲気が伝わってきて、
ひんやりとしたものが胸に落ちてきた。
――たぶん、また亡くなったのだ。
COVID-19。
感染力が強く無症状の感染者が多いことから、
感染拡大を防ぐのが難しい感染症だ。
無症状の人が多い反面、
どんな年齢の人でも重症化して
死に至る危険が十分にある厄介な病気……。
ウイルスを直接殺す薬はなく、
打ち勝つには免疫力に頼るしかない。
免疫力がウイルスを倒すまでには
どうしてもある程度の時間がかかるが、
その間の激烈な炎症に耐え抜くだけの
体力の蓄えがなければ、
人は容易く死んでしまう。
それでも最近は、
ある程度の治療方法はできてきた。
ウイルスの増殖を抑える薬は有効だが、
薬が不足していて、
全国で安定的に供給するために
国が配給する仕組みが取られていて、
いつでも自由に使えるものではない。
他にも免疫の暴走を抑える方法があり、
さらに重症化した場合には、
身体中の血を溶かしつつ固めるという
真逆のことを同時に行う方法があるが、
非常に難しい治療になる。
そしてどんなに手を尽くしても、
あっけなく多くの命が失われている。
感染のリスクがあるため、
家族は見舞うことも
臨終や火葬に立ち会うこともできない。
ついこの間まで
何気ない日常を共にしていた人が、
突然目の前からいなくなり、
ただ心配するだけの無為な時間の後、
骨壺を渡されて終わるのだ。
どれほど受け入れがたく
悲しく悔しいことだろう。
今まで見ていた夢のせいだろうか。
まるで戦時中のようだ、とも思った。
突然の空襲で、もしくは赤紙で、
多くの人々が大切な家族や命を奪われた。
いや、戦時中よりは
お骨があるだけましなのだろうか。
でも今も、『戦争』だと思う。
歴史を知らないだけでなく、
たった今自分に迫っている脅威を
きちんと知ることなく行動すれば、
命が失われていく時代なのだから……。
時計を見ると、まだ少し時間がある。
今日もまた忙しい日常が待ち構えているのだ。
少しでも寝ておこうと思い、また目を閉じた。
続いて、数人のやや慌てたような足音。
ドアを開ける音。指示を飛ばす声……。
ゆっくりと目を開くと、
薄暗い部屋の無機質な天井と
間仕切りのカーテンが見えた。
連日の勤務の疲れのせいなのか。
それとも、今まで見ていた
夢のせいなのか……。
記憶が妙に混乱していて
現実がなかなか戻ってこない。
……私は水城桜。この病院の研修医。
……明朝までのわずかな時間に仮眠中。
一つ一つかみしめるように思い出し、
ようやく落ち着いた。
それほど夢の印象は不思議に強かった。
高校一年生の初夏、
私は初めて靖国神社を参拝した。
そこで真詞から聞いた話と
女子高生がお辞儀する姿が気になり、
真詞の助けを借りて調べてみたのだ。
靖国神社のこと、英霊たちのこと。
大東亜戦争とその前後の近現代史。
そして当時を生きていた人々のこと。
それは本当に驚くことばかりだった。
真詞が言った通り、
歴史は歪められて伝えられていて、
きちんとした事実を知らないために
多くの人々が日本や戦争に対して
間違った印象を持たされていると知った。
自分が何も知らなかったことや、
マスメディアを疑いもせず
洗脳にも近い巧妙な情報操作に
踊らされていたことに気づいたとき、
比喩ではなく背筋を震えが走った。
知ることの大切さ、
知らないことの恐ろしさ。
それらを、当たり前と思いつつ
全くわかっていなかったことを実感して、
しばらく当時について調べ続けたのだ。
当時の人々の生活を調べているとき、
繰り返し脳裏に浮かんだのは
司おじいちゃんの横顔だった。
私は幼いころから、
司おじいちゃんの話をたくさん聞いた。
家で栽培するブドウのことに始まり、
道端の雑草や虫、鳥たちのこと……。
やがて、自然の生態系から宇宙にまで、
話は徐々に発展していった。
その話の中で何より大切だったのは、
生命のこと――。
どんな話もわかりやすく面白かったし、
どこまでも無限に広がる世界を感じて
私は理科が大好きになった。
戦争の話は、たくさんの話の中で
付け足しのように聞いていた程度だ。
辛さや悲しさなどは感じさせない
あっさりとした口調だったから、
ただの昔話としか感じていなかった。
あれは中学にあがる前だったろうか……。
風の強い夜だった。
庭の隅にはまだ雪が残っていて、
厚い上着を着ても寒かったと思う。
家の灯りが届かない闇の中、
司おじいちゃんがたたずんでいた。
まだ蕾の固い桜を見上げたまま
凍り付いたように身動きしない。
私に話を聞かせてくれるときとは
あまりに様子が違っていた。
わずかな星明りしかなかったので
はっきりとはわからなかったが、
横顔がひどく苦しそうに見えた。
いつもなら喜んで話しかけるのに、
それはためらわれてできなかった。
私は戸惑いながらも
後ろから少しだけそうっと近寄り、
同じように上を見上げてみた。
黒い桜の枝を透かして、
宝石箱をひっくり返したような
満天の星空が広がっていた。
思わず声をあげそうになるほどに
美しいこの星空を見ているのに
どうして苦しそうなのだろう。
さらに戸惑ってしまった私は
長い間話しかけられずにいて、
足音を忍ばせてその場を後にした。
司おじいちゃんは
本当は何を見ていたのだろう……。
その後も尋ねることができないまま、
私が中学二年生のときに
司おじいちゃんは亡くなった。
時が流れ少しずつ思い出が遠くなっても、
あの横顔を忘れることはできなかった。
戦時中の様々なことを調べていたら、
司おじいちゃんの何気ない話に
実はどれほどの想いがあったのか、
やっと想像できるようになってきた。
詳しいことを知りたくて、
遠子おばあちゃんにも話を聞いた。
その記憶があったからだろうか……。
さっきの夢は、まるで自分が
司おじいちゃんになったかのようだった。
いつの間にか先ほどまで聞こえていた
やや慌てた感じの物音が落ち着いている。
淡々と作業する雰囲気が伝わってきて、
ひんやりとしたものが胸に落ちてきた。
――たぶん、また亡くなったのだ。
COVID-19。
感染力が強く無症状の感染者が多いことから、
感染拡大を防ぐのが難しい感染症だ。
無症状の人が多い反面、
どんな年齢の人でも重症化して
死に至る危険が十分にある厄介な病気……。
ウイルスを直接殺す薬はなく、
打ち勝つには免疫力に頼るしかない。
免疫力がウイルスを倒すまでには
どうしてもある程度の時間がかかるが、
その間の激烈な炎症に耐え抜くだけの
体力の蓄えがなければ、
人は容易く死んでしまう。
それでも最近は、
ある程度の治療方法はできてきた。
ウイルスの増殖を抑える薬は有効だが、
薬が不足していて、
全国で安定的に供給するために
国が配給する仕組みが取られていて、
いつでも自由に使えるものではない。
他にも免疫の暴走を抑える方法があり、
さらに重症化した場合には、
身体中の血を溶かしつつ固めるという
真逆のことを同時に行う方法があるが、
非常に難しい治療になる。
そしてどんなに手を尽くしても、
あっけなく多くの命が失われている。
感染のリスクがあるため、
家族は見舞うことも
臨終や火葬に立ち会うこともできない。
ついこの間まで
何気ない日常を共にしていた人が、
突然目の前からいなくなり、
ただ心配するだけの無為な時間の後、
骨壺を渡されて終わるのだ。
どれほど受け入れがたく
悲しく悔しいことだろう。
今まで見ていた夢のせいだろうか。
まるで戦時中のようだ、とも思った。
突然の空襲で、もしくは赤紙で、
多くの人々が大切な家族や命を奪われた。
いや、戦時中よりは
お骨があるだけましなのだろうか。
でも今も、『戦争』だと思う。
歴史を知らないだけでなく、
たった今自分に迫っている脅威を
きちんと知ることなく行動すれば、
命が失われていく時代なのだから……。
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