わたしとわたし

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しあわせ

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「目を閉じて、息を吸って。さあ、ゆっくり息を吐きましょう…」

パソコンから、中年女性の優しそうな声がわたしに深呼吸を促してくる。



すぅー、はぁ~…。



見る人が見たら変な光景だ。
宗教かスプリチュアル的な何かかと眉をひそめられるかもしれない。
でもこれはマインドフルネスというやつで、最近注目されているのだ。美容院の雑誌にそう書いてあったし、有名なモデルさんもやっていたからきっと流行しているのだろう。そもそも瞑想は東洋で生まれたものなのに、欧米でもてはやされた途端逆輸入されたらしい。なんともミーハーなものだなぁと思う。流行に飛びつく私もたいがいだけど。


「雑念が出てきたら、そのまま流して、自分の呼吸に集中しましょう。」

中年女性の声。

おっと、また雑念だったなぁ。でも、案外自分の呼吸って意識を向けないものね。
無意識に吸って、吐いていたんだなぁ、あぁ、呼吸ってこんな風にしていたんだなぁ、という謎の驚きがある。


でも今回は、この雑念の海の中に浸ってみたい。



どうせミーハーなものなんだから、何でも取り入れていけばいいじゃないか。


すぅー、はぁ~~。


思えば、わたしの人生、雑念との戦いだった。

わたしを責めるのは、誰よりもわたし。


“お前なんかに、生きる価値はない”


過去の苦しい思い出と共に、わたしの声がわたしを責め立てる。
まだこの罵声にうまく対処できなくて、ひたすらギュッと目をつむったり、口の中を噛んだりして、やり過ごすしかないのだ。

“わたし、おかしいのかな…。”


目を閉じて、何も見えない暗闇の中に雑念の言葉が浮いて、ぼうっと光る。
何度も噛まれた頬の内側のザラザラとした触感を感じると、なぜか申し訳なくなり、償うように優しく舌で撫でる。
わたしだってこんなこと、したくないんだけれど。

すぅー、はぁ~~。



“お前はおかしい!!消えてしまえ!!”


ドクン!と心臓が飛び跳ねる。
突然叫ぶのはやめてほしい…。この人はいつも心の平穏の邪魔をする。
たいてい、何もしていない時や嫌な事を思い出した時、あとは退屈なお勉強なんかをしている時に出没することが多いのだ。わたしは平和でいたいのに。


しかし、そんなことして何のメリットがあるというのか…。
この人だってわたしなんだから、もしそれでわたしが鬱になったりしたら、脳だって萎縮するし、プラスにならないじゃない。
癌だってそう。何で寄生する宿り主である身体を自ら殺すのか。非合理的だ。

合理的なものはいつも正しく、美しい。そうありたい。
でも、世の中は非合理で溢れている。合理性を願うわたしの内側でさえ非合理でいっぱいだ。


すぅー、はぁ~~~。


なんか、ばかばかしいな。こんなものに怯えて暮らすだなんて。
いつも一方的に責められて怖かったけれど、今日は思い切って返事をしてみようかしら。


”ねぇ。”


呼ばれた相手が一瞬ビクリと肩を上げたのを感じる。
なんたって、この10年近く、向こうから罵声を浴びせられることこそあれ、こちらから話しかけた事は皆無なのだから。


“わたし、あなたを小説にしたいな。
腐れ縁だけど、一回も向き合ってこなかった。
だから、いい機会でしょう。うまくいけば、仲良くなれるかもしれない。いいアイデアじゃない?”


すぅー、はぁ~~~。


緊迫感が漂う。


”変!キモい!!死ね!!”

案の定、お怒りの様だ。
そして、この言葉のナイフに何度はわたしは傷つけられてきたことだろう。


すぅー、はぁ~~。

”そうだね、普通はこんなことしないもんね…。”


すぅー、はぁ~~。


肯定してやると、否定できずに、グッと言葉をのみこむ。しかし臨戦態勢だ。

次にお前が何か口にしようものなら、最大限に否定してやると言わんばかりにこちらを睨みつけている。
わたしは怯え、また気づいたら頬の内側が歯で噛まれている。


”はぁ~、あなたは…本当に…難しい。いつ消えてくれるの?”


“お前が死ねば。”


”生きている間は? ずっと付きまとわれるの?”


”お前がクズなのは事実だ。
なぜならお前は今までずっと人とうまくやってこれなかった、学生時代も嫌われ、職場ではいじめられた。
低能であり、社会不適合者なのは間違いない。お前が生きている限りわたしは消えない”


すぅー、はぁ~~…。


”わたしのこと、嫌い?”


”……きらい。”


”わたしもきらい。”


わたしは、わたしが嫌いで、だからわたしはわたしを責める。嫌いなんだから当然だ。合理的。

でも厄介なのは、責められる自分がいるということ。何故か苦しむわたしがいるということ。
”わたし”という殻から脱皮して、一緒にわたしをあざ笑うことができたらいいのだが、抜け出すことは現在の医療ではできない。いや、脳を移植すればできるのだろうか?いや、脳ごとならば、それはわたしである。
やっぱりわたしはわたしから逃れられないんだろう、生きている限り。



しかし自己嫌悪とは不思議な現象である。

自分はコントロールできるもののはずなのに。いや、そうでもないかもしれないが。

何にせよ、自分が理想に至れないのは能力の低さ故だが、いつまでその理想にしがみついているつもりなのか。若い学生ならともかく、もう成人しているのだから。
いや、そもそも”理想”という自覚がないのだろう。そうあるべきだと思っている。

理想が9割の人間がなれる“普通”の状態であり、そこに至れない自分を“異常”としているのだ。
確かに少数派なんだろう。異常なんだろう。


しかし能力が低い物は低いのだから、異常を普通として認めなければいけない。理想はあくまで理想なのだということを認めなければいけない段階にきているのではないだろうか。


すぅー、はぁ~~。


少しづつ思考がクリアになってきた。
合理的なわたしは、思考を整理していくのが好きなのだ。


そう思うと、この責め立てる人物は恐らく理想という妄想に取りつかれているのだろう。
それが幸せだと信じているのだろう。
それを指針にして、”おかしく”ならないようにし、すべての判断基準を委ねてきたような気がする。


”あなたはわたしに幸せになってほしいの?“


”キッモい!!死ね!!!!”


ひと際大きな声で怒鳴られる。
心がグサリと痛んだが、耐えて少し微笑み返した。


”ねぇ、わたしはわたしらしく異常な人生を楽しもうと思うよ。”


”開き直るな!!!野垂れ死ぬ負け犬人生!!友達はみんな愛されて結婚して仕事もして美しくて、お前だけがおかしくて孤独で低能で醜い…”


”うん。でもわたし異常でも楽しい事もあったの。
人生で辛いことばっかりだけど、楽しい事もほんのちょっぴりあったの。
もちろん年が衰えていって、できなくなることも増えて、そういうことも減るだろうけれど…

でもね、今楽しいの。わたしは好きなものを見つけた。見つけたというより、再発見したような。自分に、もう一度出会えたような…。だから、だからね、わたし……”


少し鼻がツンとする感覚と共に、閉じていた瞼が震え、潤む。
うまく言葉が紡げない。これでは突っ込まれてしまう。完全丸腰だ、ノーガードだ。


“そんなことできても、何の得にもならない、自己満足。いい年してダサい。”


すぅー、はぁ~~…。



”最低限家事はできるようになれよ、クソが”

と睨んで言われ、消えていった。


”…うん、わかってる。さようなら、またね”




初めてお別れを言えた。

もちろんまたこの人は来るのだろう。でも、お別れを言えたことは何か大きな前進であるように感じた。


わたしを構成したいろいろなものや思い出は情けなく、みっともない。とても人に言えたもんじゃない。

でも、愛おしい。

・・・なんて。いつか、そんな風に思えたらいいな。




はぁ~~~…。
過去を排出するように、息を大きく吐く。
頬のザラつきを優しく撫でる。


さぁ、クズ人生を頑張ろう。
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