99 / 100
第七章 黒白の聖戦
#99 進撃せし魔たち
しおりを挟む
──コルニア中心街──
燃え盛る街、帰還門から続々と現れ、溢れ返る魔族。悪魔の他に、様々な姿形をした魔物が街を破壊している。コルニス兵士團総出で討滅に当たっていたが、到底追いつかなかった。
「どれだけいるんだ……キリがない」
「諦めるな! 魔族にだって限りはある、聖・天兵団の誇りに懸けて、我らが崩れる訳にはいかん!」
戦う神徒たちは、武器を振るいながら叫ぶ。
「くそ……何でこんなことに……」
「こら! 弱音を吐くなみっともない!」
小隊長の神徒は、隊員に向かってそう怒鳴る。と、その時だった。突如空から光が溢れ、目の前を覆い尽くしていた魔物たちが消し飛んだ。
「! あれは……!」
光の差した方向を見ると、二体の神々しい姿が浮いていた。片方は白く透明な仮面の顔と、同じく白く透明な胴と腕を持ち、脚はなく光を纏いながらフワフワと浮いている。もう片方は顔をベールに覆われ、優美な衣を纏った女性の姿だった。両者の背に浮かぶのは、光の翼。それらの姿を見て、戦っていた神徒たちの表情は希望に満ちる。
「霊と聖女……レーゲ卿とルエナ様だ!」
「ここにも智天使殿が来て下さった! これならば押し返せる! 皆の者! 魔族共を打ち倒せ!」
【……だってよ、ルエナ】
【期待には応えないとね。さっさと片付けるわよ】
二人は二人にしか聞こえない声で会話すると、再び押し寄せて来た魔物たちへと聖魔導を放つ。
『『“聖魔導・八の裁き”!!』』
光が爆ぜ、魔物の群れを一つ残らず消し飛ばす。しかしそんな威力にも関わらず、街には傷ひとつない。それだけでなく、街を焼く黒い炎を消していた。
裁きの姿、十二ある座の内の二つである“霊”と“聖女”。
霊の所有者は四大貴族の内の一つ、レーゲ家の神徒であり、月女神の子であるイェノ・ラフのテュルフ・レーゲ。
聖女の所有者は、創造主にそうあれかしと創られたマルト・ラフのルエナである。
二人は出自は違えど幼馴染で、同時期に兵士團に入団し、同時期に智天使となったまだ歳若き神徒だった。
街が白い光に包まれ、崩れた箇所が修復されて行く。この街の建物は、聖樹の力である聖燐を元に構成されている。だから聖魔導で補えば、元ある形に、ものの記憶を頼りに自然と戻って行く。
辺りの魔族を一掃し、街を焦がす黒い炎を消した二人はそれぞれ元の神徒の姿へと戻った。“霊”は黒い短髪の青年へ、“聖女”は薄緑色の三つ編みの少女へ。
「この辺は片付いたかな」
「そうね……被害状況を確認して、次の地点へ向かいましょう」
「そうだな」
二人は頷き合うと、向こうで手を振っている小隊長の方へ駆けて行った。
* * *
──王宮 地下五階通路──
ケレンが手にした影の弓を見て、エルネクは首を傾げた。
「……なんだあ、それ、ゆみ? そんなもの、おれには効かないぞ」
「それは、どうかな……」
この弓は、ケレンの思い通りになる。心を写す弓だ。貫くことも、傷付けないことも、自在だ。だが────傷付けることはしたくなかった。たとえ相手が、人間でない、魔物だったとしても────。
『……ケレン殿』
(……まだいいよ。フェールに頼ってばかりもいられないから)
『…………そうか、気を付けなされよ』
ギリ、と矢を引く。一発で当てる。当たれと願えば当てられる。それで、動きを封じる。眠らせる。
「────行け!」
矢はまっすぐに、狙いと違わずエルネクへと飛んで行く。当たると確信した。だが、エルネクはそこから跳んだ。そして矢を自ら迎え撃ちに行く。
「え」
エルネクは、口でその矢を咥え取った。そしてバキリと折ってしまう。
「……ぺ。まずい」
彼が口を開くと、矢は影へ還った。そして跳躍したエルネクは、ケレンへとのし掛かって来た。
「えっ、うわっ!」
残念ながら、ケレンは兄たちのようには動けない。避けられなかったケレンは、床へと押し倒される。手から離れた弓が霧散して帰る。
「う……重……た……」
その体の大きさからしてあり得ないほどの重さがケレンに掛かる。大岩が乗っている。そんな感じだった。
「つぶれる?」
「!」
エルネクの手が顔へ伸びて来た。死を感じる。頭を潰される。そのイメージが頭の中を過った時、突然その重さが消える。
「……あ」
「無茶をするなケレン殿」
フェールが杖を構えて少し離れた所に立っていた。彼の魔術がエルネクを吹き飛ばしたのだった。壁にぶつかった彼は、頭を振りながら立ち上がる。その背後にはその小さな体がぶつかったとは思えないヒビと凹みが出来ていた。
「ひと……ふえた……みんな殺す?」
「頑丈な奴よの。どうも見た目と中身は違うらしい」
フェールがそう言って目を細める。ケレンも同意する。
「ふたり……きいてない。めんどくさい」
エルネクがそう呟く。と、突然彼は自分の眼帯を毟り取った。
「!」
そこに現れたのは、右目とは違う特異な目だった。目全体が赤く、そこに小さく瞳孔が開いている。本能的に恐怖を煽る、獣の目だった。
「ぜンぶまとめて……ぶっツぶす」
「……ケレン殿!」
「えっ?! わっ!」
フェールがケレンを押し退けて立ち塞がり、そして防護壁を張った。ズン、という音がして防護壁にヒビが入った。
「な、何これ……」
「なるほど、こういう訳か」
フオオォォと黒い息を吐いて、その怪物は赤い瞳でこちらを見ていた。頭から生えた、こちらを向く黒い大きな角。顔はサイのようでも犬のようでもあり、手足は人のものに近い形をしているが、爪が黒く長かった。太く長い尾が床を打つたび、地が揺れるのを感じた。
「……これ、“ベヘモット”?」
「そうさな、古い書物にもある怪物だ。洞窟に住み、岩を喰ろうてその重さを我が物とする……」
読者好きなケレンは本で見たことがあった。昔見た神話の本だ。その一つに、ベヘモットの話が載っていた。魔界から現れ、地上を食い荒らす悪食の獣。最後は天からやって来た英雄に倒され、めでたしめでたし……という物語だったが、幼いケレンは暴虐の限りを尽くすベヘモットの描写な恐ろしくて震え上がって、眠れなくなったことがあった。大人になった今は伝説上の存在だと、そう思っていたが────。
「実在するなんて……」
「人にとっての伝説は、ほとんどが古来の真実だ」
フェールは冷静にそう言った。ならばあの重さにも合点が行く。だが、今の大きさからすると先ほどの比ではなさそうだった。盛り上がった背中が天井に着きそうだ。今は前足を防護壁に乗せている為に、本来よりも背中の位置は高くなっているが……。
「……ケレン殿」
「何?」
「まずい」
「え?」
「────すまぬ、耐えられん」
「!」
と、途端に防護壁がバリンと割れた。ベヘモットの前足が落ちて来る────前に、ケレンはフェールに押されて退避した。
地震さながらの揺れが起こり、ただでさえフェールに押されていたケレンは転んだ。フェールは杖で体を支えると、怪物の姿を見据えた。
「ヲオオォォォォォ」
野太い狼のような声で吼えると、ベヘモットは尾を揺らし、湿った洞窟のような臭いの黒い息を吐き出した。
* * *
──王宮 聖樹の下──
「ぬるい。退屈だ……」
「ッ……」
バロスは欠伸を噛み殺して、大鎌を肩に担いだ。ゼイアは痛む体に鞭打ち、剣を支えに立ち上がる。
強い。強過ぎる。他の悪魔の比ではない。邪神でも相手にしているような心持ちだった。
戦闘が始まってものの十五分ほど。ゼイアはバロスに一撃も入れられず、そして一方的に攻撃を受けていた。
大鎌での攻撃に加え、無尽に暗黒魔導を駆使して来る。聖樹のお陰で威力はいくらか弱まっているものの、そんな生温いものではなかった。
「まだ立つのか?」
「負ける訳には……行かねェんだよ俺は」
「もはや吹けば消えるような虫の息。そんな状態で抗って何になる」
「さぁな……一体何なんだろうな」
裁きの姿は使えない。あれはグレンに負荷が大き過ぎる。使ったとて、この邪神クラスの大悪魔に通用する気がしなかった。ゼイアの聖魔導を、彼は悉く打ち消し、跳ね返して来る。
「この身を賭してでも……この場所を護るのが俺の役目だ」
堕ちた自分を信じてくれた仲間たち、そして創造主のために。心まで悪魔に屈する訳には行かない。
「抵抗しなければ、苦しまずに殺してやるというのに」
バロスが大鎌を一振りした。周囲の壁に亀裂が入る。聖樹だけはその力に護られて無傷だった。だが、ゼイアはそうは行かない。
「ッ……!」
剣で何とか凌ぐが、風圧でコートがピシピシと切れる。剣で攻撃を振り払い、そして飛び立った。バロスもそれを追って来る。グンと上昇するが、あっという間に追いつかれた。
「逃さんぞ」
「王宮をあまり壊されると困るんだよ……!」
時間が経てば聖樹の力で自然と修復はされるが、そういう問題ではない。大切なものが壊される様を見るのは、あまり気分の良いものではない。
大鎌による斬撃を防ぎ、自ら斬り込んだ。しかしバロスはそれを柄で受け流すと、そのままゼイアの後ろへ回り込む。
「!」
逆光で黒い影となったバロス。そのシルエットが、ゆっくりと足を動かす。次の瞬間、ゼイアは地面に叩きつけられていた。自身の周りにクレーターが出来ている。息が詰まった。翼で多少の衝撃は吸収されているが────普通の蹴りで、この威力。
「がはっ……!」
振り下ろされる鎌。それを横に転がって躱し、その勢いを利用して起き上がる。と、バロスはその鎌を下ろし切らずに横向きにするとそのままこちらへ跳んだ。
「チッ……!」
大鎌というのは扱いにくい武器だ。使い手も、受け手も共に扱い辛い。剣のようには斬り込めないし、受けられない。その刃に掛かることは、死を意味する。命を抉り取る、そういう形をしている。
「────“聖魔導・五十の裁き”!!」
「“暗黒魔導・聖滅斬”」
渾身の聖魔導は、暗黒魔導で打ち消された。バロスは散った雷には目もくれず、その大鎌を振った。
屈んで躱す。潜り抜け、その懐へと突っ込み剣を下から振り上げた。
貰った。そう確信した。だが、バロスは冷めた顔で言い放った。
「──死はお前のすぐ側にある……」
「!」
神語で紡がれた言葉。だがそれは呪文ではなかった。ゼイアに向けられた言葉だった。その瞬間、背後にゾクリとしたものを感じる。
思わず振り向いた。そこには眼が見えた。黒い靄の中に、ギョロリとした眼が覗いている。
「“死の顎”」
体が動かない。何か、見えない力で締め付けられているような感覚だった。
「何……」
拘束呪。恐らくこの大鎌に宿る能力だった。その大鎌には眼が埋められていたが────それはきっと、“魔眼”と呼ばれる邪神の眼であった。それを今、ゼイアは確信する。
バロスはゼイアの首に鎌の刃を掛けた。彼は眠そうな顔をして、虫ケラでも見るような目をゼイアに向ける。
「終わりだ。実に退屈な戦いだった。時間を無駄にしたな」
「クソ……」
動け、動けよ俺の体。ゼイアはそう思うが、呪いに縛られた体はピクリとも動かない。────封印式ならば、解けたのに────。
バロスが鎌を振る。死を覚悟した。だが────その時、ゼイアは誰かに押し倒された。途端に拘束呪が解けて、体が自由になった。
「……ん?」
バロスが怪訝な顔をして、その闖入者の姿を見た。ゼイアもその姿を見て、眉を顰める。
「……馬鹿野郎、何で出て来た」
「友を見殺せと言うのか。それは出来ん相談だな」
それはアレスだった。彼はゼイアから離れ、立ち上がると片眉を上げた。ゼイアは苦笑を返した。
「そうだな。助かったよアレス。……だが」
「精霊の俺は、奴には敵わない。そう言いたいのだろう?」
「……分かってんなら……」
「だが忘れるな。言っただろう、俺は皇族だと」
「!」
そうだった。アレスは普通の精霊ではない。神の、戦に名高き闘軍神と、戦乙女の血を引く精霊であった。
バロスに向かって立つ戦友の背に、その面影を見てゼイアはある事を決意する。
「……アレス」
「何だ」
「時間を、稼いでくれ」
倒せとは言わなかった。ゼイアは賭けに出る事にした。
「少しでいい。俺が詠唱する時間を作ってくれ。俺は身動きが取れなくなるから……」
「……何をする気だ?」
アレスの問いに、ゼイアは一呼吸置いて答えた。
「……グレンを元に戻す。浄化の儀を、今、ここでやる」
#99 END
#To be continued...
燃え盛る街、帰還門から続々と現れ、溢れ返る魔族。悪魔の他に、様々な姿形をした魔物が街を破壊している。コルニス兵士團総出で討滅に当たっていたが、到底追いつかなかった。
「どれだけいるんだ……キリがない」
「諦めるな! 魔族にだって限りはある、聖・天兵団の誇りに懸けて、我らが崩れる訳にはいかん!」
戦う神徒たちは、武器を振るいながら叫ぶ。
「くそ……何でこんなことに……」
「こら! 弱音を吐くなみっともない!」
小隊長の神徒は、隊員に向かってそう怒鳴る。と、その時だった。突如空から光が溢れ、目の前を覆い尽くしていた魔物たちが消し飛んだ。
「! あれは……!」
光の差した方向を見ると、二体の神々しい姿が浮いていた。片方は白く透明な仮面の顔と、同じく白く透明な胴と腕を持ち、脚はなく光を纏いながらフワフワと浮いている。もう片方は顔をベールに覆われ、優美な衣を纏った女性の姿だった。両者の背に浮かぶのは、光の翼。それらの姿を見て、戦っていた神徒たちの表情は希望に満ちる。
「霊と聖女……レーゲ卿とルエナ様だ!」
「ここにも智天使殿が来て下さった! これならば押し返せる! 皆の者! 魔族共を打ち倒せ!」
【……だってよ、ルエナ】
【期待には応えないとね。さっさと片付けるわよ】
二人は二人にしか聞こえない声で会話すると、再び押し寄せて来た魔物たちへと聖魔導を放つ。
『『“聖魔導・八の裁き”!!』』
光が爆ぜ、魔物の群れを一つ残らず消し飛ばす。しかしそんな威力にも関わらず、街には傷ひとつない。それだけでなく、街を焼く黒い炎を消していた。
裁きの姿、十二ある座の内の二つである“霊”と“聖女”。
霊の所有者は四大貴族の内の一つ、レーゲ家の神徒であり、月女神の子であるイェノ・ラフのテュルフ・レーゲ。
聖女の所有者は、創造主にそうあれかしと創られたマルト・ラフのルエナである。
二人は出自は違えど幼馴染で、同時期に兵士團に入団し、同時期に智天使となったまだ歳若き神徒だった。
街が白い光に包まれ、崩れた箇所が修復されて行く。この街の建物は、聖樹の力である聖燐を元に構成されている。だから聖魔導で補えば、元ある形に、ものの記憶を頼りに自然と戻って行く。
辺りの魔族を一掃し、街を焦がす黒い炎を消した二人はそれぞれ元の神徒の姿へと戻った。“霊”は黒い短髪の青年へ、“聖女”は薄緑色の三つ編みの少女へ。
「この辺は片付いたかな」
「そうね……被害状況を確認して、次の地点へ向かいましょう」
「そうだな」
二人は頷き合うと、向こうで手を振っている小隊長の方へ駆けて行った。
* * *
──王宮 地下五階通路──
ケレンが手にした影の弓を見て、エルネクは首を傾げた。
「……なんだあ、それ、ゆみ? そんなもの、おれには効かないぞ」
「それは、どうかな……」
この弓は、ケレンの思い通りになる。心を写す弓だ。貫くことも、傷付けないことも、自在だ。だが────傷付けることはしたくなかった。たとえ相手が、人間でない、魔物だったとしても────。
『……ケレン殿』
(……まだいいよ。フェールに頼ってばかりもいられないから)
『…………そうか、気を付けなされよ』
ギリ、と矢を引く。一発で当てる。当たれと願えば当てられる。それで、動きを封じる。眠らせる。
「────行け!」
矢はまっすぐに、狙いと違わずエルネクへと飛んで行く。当たると確信した。だが、エルネクはそこから跳んだ。そして矢を自ら迎え撃ちに行く。
「え」
エルネクは、口でその矢を咥え取った。そしてバキリと折ってしまう。
「……ぺ。まずい」
彼が口を開くと、矢は影へ還った。そして跳躍したエルネクは、ケレンへとのし掛かって来た。
「えっ、うわっ!」
残念ながら、ケレンは兄たちのようには動けない。避けられなかったケレンは、床へと押し倒される。手から離れた弓が霧散して帰る。
「う……重……た……」
その体の大きさからしてあり得ないほどの重さがケレンに掛かる。大岩が乗っている。そんな感じだった。
「つぶれる?」
「!」
エルネクの手が顔へ伸びて来た。死を感じる。頭を潰される。そのイメージが頭の中を過った時、突然その重さが消える。
「……あ」
「無茶をするなケレン殿」
フェールが杖を構えて少し離れた所に立っていた。彼の魔術がエルネクを吹き飛ばしたのだった。壁にぶつかった彼は、頭を振りながら立ち上がる。その背後にはその小さな体がぶつかったとは思えないヒビと凹みが出来ていた。
「ひと……ふえた……みんな殺す?」
「頑丈な奴よの。どうも見た目と中身は違うらしい」
フェールがそう言って目を細める。ケレンも同意する。
「ふたり……きいてない。めんどくさい」
エルネクがそう呟く。と、突然彼は自分の眼帯を毟り取った。
「!」
そこに現れたのは、右目とは違う特異な目だった。目全体が赤く、そこに小さく瞳孔が開いている。本能的に恐怖を煽る、獣の目だった。
「ぜンぶまとめて……ぶっツぶす」
「……ケレン殿!」
「えっ?! わっ!」
フェールがケレンを押し退けて立ち塞がり、そして防護壁を張った。ズン、という音がして防護壁にヒビが入った。
「な、何これ……」
「なるほど、こういう訳か」
フオオォォと黒い息を吐いて、その怪物は赤い瞳でこちらを見ていた。頭から生えた、こちらを向く黒い大きな角。顔はサイのようでも犬のようでもあり、手足は人のものに近い形をしているが、爪が黒く長かった。太く長い尾が床を打つたび、地が揺れるのを感じた。
「……これ、“ベヘモット”?」
「そうさな、古い書物にもある怪物だ。洞窟に住み、岩を喰ろうてその重さを我が物とする……」
読者好きなケレンは本で見たことがあった。昔見た神話の本だ。その一つに、ベヘモットの話が載っていた。魔界から現れ、地上を食い荒らす悪食の獣。最後は天からやって来た英雄に倒され、めでたしめでたし……という物語だったが、幼いケレンは暴虐の限りを尽くすベヘモットの描写な恐ろしくて震え上がって、眠れなくなったことがあった。大人になった今は伝説上の存在だと、そう思っていたが────。
「実在するなんて……」
「人にとっての伝説は、ほとんどが古来の真実だ」
フェールは冷静にそう言った。ならばあの重さにも合点が行く。だが、今の大きさからすると先ほどの比ではなさそうだった。盛り上がった背中が天井に着きそうだ。今は前足を防護壁に乗せている為に、本来よりも背中の位置は高くなっているが……。
「……ケレン殿」
「何?」
「まずい」
「え?」
「────すまぬ、耐えられん」
「!」
と、途端に防護壁がバリンと割れた。ベヘモットの前足が落ちて来る────前に、ケレンはフェールに押されて退避した。
地震さながらの揺れが起こり、ただでさえフェールに押されていたケレンは転んだ。フェールは杖で体を支えると、怪物の姿を見据えた。
「ヲオオォォォォォ」
野太い狼のような声で吼えると、ベヘモットは尾を揺らし、湿った洞窟のような臭いの黒い息を吐き出した。
* * *
──王宮 聖樹の下──
「ぬるい。退屈だ……」
「ッ……」
バロスは欠伸を噛み殺して、大鎌を肩に担いだ。ゼイアは痛む体に鞭打ち、剣を支えに立ち上がる。
強い。強過ぎる。他の悪魔の比ではない。邪神でも相手にしているような心持ちだった。
戦闘が始まってものの十五分ほど。ゼイアはバロスに一撃も入れられず、そして一方的に攻撃を受けていた。
大鎌での攻撃に加え、無尽に暗黒魔導を駆使して来る。聖樹のお陰で威力はいくらか弱まっているものの、そんな生温いものではなかった。
「まだ立つのか?」
「負ける訳には……行かねェんだよ俺は」
「もはや吹けば消えるような虫の息。そんな状態で抗って何になる」
「さぁな……一体何なんだろうな」
裁きの姿は使えない。あれはグレンに負荷が大き過ぎる。使ったとて、この邪神クラスの大悪魔に通用する気がしなかった。ゼイアの聖魔導を、彼は悉く打ち消し、跳ね返して来る。
「この身を賭してでも……この場所を護るのが俺の役目だ」
堕ちた自分を信じてくれた仲間たち、そして創造主のために。心まで悪魔に屈する訳には行かない。
「抵抗しなければ、苦しまずに殺してやるというのに」
バロスが大鎌を一振りした。周囲の壁に亀裂が入る。聖樹だけはその力に護られて無傷だった。だが、ゼイアはそうは行かない。
「ッ……!」
剣で何とか凌ぐが、風圧でコートがピシピシと切れる。剣で攻撃を振り払い、そして飛び立った。バロスもそれを追って来る。グンと上昇するが、あっという間に追いつかれた。
「逃さんぞ」
「王宮をあまり壊されると困るんだよ……!」
時間が経てば聖樹の力で自然と修復はされるが、そういう問題ではない。大切なものが壊される様を見るのは、あまり気分の良いものではない。
大鎌による斬撃を防ぎ、自ら斬り込んだ。しかしバロスはそれを柄で受け流すと、そのままゼイアの後ろへ回り込む。
「!」
逆光で黒い影となったバロス。そのシルエットが、ゆっくりと足を動かす。次の瞬間、ゼイアは地面に叩きつけられていた。自身の周りにクレーターが出来ている。息が詰まった。翼で多少の衝撃は吸収されているが────普通の蹴りで、この威力。
「がはっ……!」
振り下ろされる鎌。それを横に転がって躱し、その勢いを利用して起き上がる。と、バロスはその鎌を下ろし切らずに横向きにするとそのままこちらへ跳んだ。
「チッ……!」
大鎌というのは扱いにくい武器だ。使い手も、受け手も共に扱い辛い。剣のようには斬り込めないし、受けられない。その刃に掛かることは、死を意味する。命を抉り取る、そういう形をしている。
「────“聖魔導・五十の裁き”!!」
「“暗黒魔導・聖滅斬”」
渾身の聖魔導は、暗黒魔導で打ち消された。バロスは散った雷には目もくれず、その大鎌を振った。
屈んで躱す。潜り抜け、その懐へと突っ込み剣を下から振り上げた。
貰った。そう確信した。だが、バロスは冷めた顔で言い放った。
「──死はお前のすぐ側にある……」
「!」
神語で紡がれた言葉。だがそれは呪文ではなかった。ゼイアに向けられた言葉だった。その瞬間、背後にゾクリとしたものを感じる。
思わず振り向いた。そこには眼が見えた。黒い靄の中に、ギョロリとした眼が覗いている。
「“死の顎”」
体が動かない。何か、見えない力で締め付けられているような感覚だった。
「何……」
拘束呪。恐らくこの大鎌に宿る能力だった。その大鎌には眼が埋められていたが────それはきっと、“魔眼”と呼ばれる邪神の眼であった。それを今、ゼイアは確信する。
バロスはゼイアの首に鎌の刃を掛けた。彼は眠そうな顔をして、虫ケラでも見るような目をゼイアに向ける。
「終わりだ。実に退屈な戦いだった。時間を無駄にしたな」
「クソ……」
動け、動けよ俺の体。ゼイアはそう思うが、呪いに縛られた体はピクリとも動かない。────封印式ならば、解けたのに────。
バロスが鎌を振る。死を覚悟した。だが────その時、ゼイアは誰かに押し倒された。途端に拘束呪が解けて、体が自由になった。
「……ん?」
バロスが怪訝な顔をして、その闖入者の姿を見た。ゼイアもその姿を見て、眉を顰める。
「……馬鹿野郎、何で出て来た」
「友を見殺せと言うのか。それは出来ん相談だな」
それはアレスだった。彼はゼイアから離れ、立ち上がると片眉を上げた。ゼイアは苦笑を返した。
「そうだな。助かったよアレス。……だが」
「精霊の俺は、奴には敵わない。そう言いたいのだろう?」
「……分かってんなら……」
「だが忘れるな。言っただろう、俺は皇族だと」
「!」
そうだった。アレスは普通の精霊ではない。神の、戦に名高き闘軍神と、戦乙女の血を引く精霊であった。
バロスに向かって立つ戦友の背に、その面影を見てゼイアはある事を決意する。
「……アレス」
「何だ」
「時間を、稼いでくれ」
倒せとは言わなかった。ゼイアは賭けに出る事にした。
「少しでいい。俺が詠唱する時間を作ってくれ。俺は身動きが取れなくなるから……」
「……何をする気だ?」
アレスの問いに、ゼイアは一呼吸置いて答えた。
「……グレンを元に戻す。浄化の儀を、今、ここでやる」
#99 END
#To be continued...
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる