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第三章 精霊の御霊
#49 月夜の姫
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ロレンを無事救出して。スケアの王宮に戻った面々は皆休養を取った。一番重症だったのがグレンでエレンはハラハラした。合流してすぐゼイアとリリスに治癒魔術を掛けてもらっていたため今はもうピンピンしている。
王宮に滞在して三日。今夜は出発前ということでカオスが宴を開いてくれた。と言っても、参加者はエレン達一行とカオス、そしてリリスだけなのだが。
王宮の広間に多くの料理が並べられ、それぞれ思い思いに食事を摂っている。ローフィリアとラフェリアルはいなかった。昨日のうちにふらりとどこかへ消えてしまったのだ。挨拶も出来なかったな、と思いながらエレンは白と黒の混じった羽根を手に思う。今朝これが枕元に置いてあった。ローフィリアのものなのはすぐ分かった。
「いやー、ほんと皆無事で良かったよ」
酒瓶を持ったグレンがやって来てそう言う。そんな彼をエレンはじっとりとした目で見る。
「お前が言うことかよ」
「何だ、俺の心配してたのか」
「してねェよ」
「あ?」
「これ。兄弟喧嘩か」
「あ、フェール」
いつもの様子のフェールがやって来る。彼は片足を怪我していたはずだが、普通に歩いている。
「足、大丈夫なのか」
「ああ。少し噛まれただけだ」
そう言うフェールの顔を、グレンはまじまじと見る。
「……お前、何か変わったな」
「ん?」
影色の瞳に見返されて、グレンはハッとして目を逸らす。
「あ、いや。何でもない……んん……えと、なんか吹っ切れた……? みたいな。なんかスッキリした顔してるな」
「そうか?」
僅かにフェールの顔が曇る。エレンは少し嫌な予感がする。
「──────グレン殿、実は……」
「あー! なんか色々昔に戻ったみたいだったよな! フェールだけと関わることって最近ほとんどなかったし……」
フェールを遮ってエレンは大声でそんなことを言う。フェールもグレンも面食らったような顔をしていたが、やがてフェールがくすりと笑う。
「……そうだな。そなたたちの成長も知った。此度は困難な旅だったが良き旅でもあった」
「そうだな、俺も……」
そしてグレンは部屋の隅でエエカトルといるカリサの方を見る。それを見てエレンは笑う。
「話してこなくていいのか?」
「え、何が……今さら話すことなんてそんなねェよ」
「そうか? そうは見えねェけどな」
「何が!」
と、そこへイアリがやって来る。
「おーいエレン、リリスが呼んでるぞ」
「え?」
* * *
呼び出された先はテラスだった。空には月が出ていた。人界の夜と何ら変わらない。
夜風に吹かれる金髪が、月光に当たって輝いていた。こうして見ると、結構な美人だなとエレンは思った。
「……お待たせ」
エレンが声を掛けると、リリスがこちらに振り向いた。
「エレンさん」
手招きされて、エレンは手すりに沿って横に並んだ。
「……話があるって?」
「はい」
リリスはそう答えると、月を見上げる。
「私、ここを出ようと思うんです」
「……え?」
「私、思いました。皆さんとの旅は、今までこの王宮で暮らしていた時よりも、ずっと楽しかった」
そう言うリリスの目は月光に反射して紫水晶のように輝いていた。
「それも……今日で皆さんとお別れだなんて、寂しくて、悲しいなと思ったんです。おかしいですよね、今までの生活に戻るだけなのに……」
話の趣旨が見えない。リリスは続ける。
「今まで、そんなこと思ったことなかったんです。兄は冷たかったけど……それでも、寂しいとか思ったことはこれまで一度もなかったんです」
「……それで? 俺にどうして欲しいんだ?」
「──────ずっと、一緒にいちゃダメですか」
エレンはその言葉の意味を飲み込むのに少し時間がかかった。それを理解した後、思わずリリスの顔を見つめ返してしまう。しかし、リリスの顔は至って真面目だった。
「私、エレンさんと一緒にいたいんです。この王宮から離れて、ずっと、永久に」
「……え」
と、エレンの中でとある単語がぐるぐると回る。
「……ちょ、ちょっと待って……それって……あ」
狼狽える中で、チクりと胸を指すものがあった。……そうだ、自分は……。
「お、俺は……」
どこから話そうか、迷う。最後まで隠し通すつもりだったが、こうなってはこれ以上黙っていられない。
「……俺は、この世界の住人じゃないんだ」
「────────────え?」
もっと遠回しに言おうと思っていたのに、出て来た言葉はそれだった。
「俺は精霊じゃないんだ」
「それじゃあ……」
リリスももう分かっているだろうに、エレンが言うのを待っている。意を決して、エレンはその言葉を口にする。
「俺は……人間なんだ」
その声は、思ったよりも情けなかった。何か、やり切れない思いが胸を満たす。
「そう……ですか」
暗い声が、リリスの口から漏れ出した。
「じゃあ、他の皆さんも人間なんですか?」
「……兄貴と、イアリとロレンだけだ。他はみんな精霊だよ。エレボスは俺の精霊だし……」
カリサとエエカトルのことはこの際黙っておくことにした。色々ややこしい。
「……騙してたんですか」
「!」
思わぬ言葉に、エレンは言葉を詰まらせる。顔を上げたリリスの目には涙が溜まっていた。
「騙してたんでしょう? どうせ、兄は知っていたんでしょうし。何ですか、私だけ何も知らずにいたんですか?」
押し殺した怒りに震える声で、リリスが言う。
「ごめん……」
「酷いですよ、皆して……私が馬鹿みたいじゃないですか……」
「ち、違うんだリリー!」
「じゃあ! 私のこの想いはどうしたらいいんですか?!」
「!」
そう言い放つリリスに、エレンは返す言葉がない。
「理不尽……ですね。この世界って。どうして人界と神界は物理が違うんでしょう」
「リリー……」
「所詮、精霊なんて神が人間との間に置いた障害物にしか過ぎないんでしょうか……」
リリスはそんなことを言う。神の血を引く彼女が言うと、それはとても背徳的に聞こえた。
「そんなことない」
「なら、どうして私たちには“体”がないんでしょうか? 体があれば、私も下界に──────」
そしてリリスはハッとする。エレンも同じくだった。二人の間に同じ案が浮かんでいるのは目を合わせれば分かった。
「…………お前が、俺に憑けばいい?」
「──────そうですよ、その手がありました!」
急に紅潮して晴れた顔になったリリスはエレンの手を取る。
「すごく良い案だと思いませんか!? それなら、ずっとエレンさんと離れずに済みます!」
「…………でも」
「エレボスさんには私からお願いしてみます! それから……」
しゅん、とリリスの言葉尻がすぼむ。顔にも憂いが帯びる。彼女の案じていることを察したエレンは、手を握り返す。
「……話して来いよ」
「え?」
「あの皇帝に、お前の思うこと全てをさ」
「……!」
リリスは顔を上げ目を見開き、そしてまたすぐに俯いた。
「でも……兄はまた、私に兄妹として接してくれるでしょうか」
「してくれるさ。お前から呼んでやれよ」
エレンが言うと、勇気づけられたようにリリスは微笑んだ。
「……分かりました。エレンさんは、皆さんの所へ戻っていて下さい。私は兄の所へ行ってきます」
「分かった」
エレンが頷くと、リリスは手を放して離れた。踵を返してリリスはカオスのいる部屋へと向かって行った。
エレンの手には、まだその温もりが残っていた。
* * *
「おう、戻って来たか」
皆のいる部屋に戻るなり、イアリが声を掛けて来た。その後ろで酔ったらしいロレンがうつらうつらとしている。エレンの視線に気が付いたらしく、イアリは笑う。
「あー、もうちょっと早く戻って来たら面白かったんだけどなー」
「何が」
「ロレンだよ。いやーほんと……」
クスクスとイアリは笑うだけで、その先は教えてくれなかった。エレンがじとっとした目を向けていると、イアリががばっと肩を組んで来る。
「なっ」
「で? 何だったんだよ」
「……は?」
「お前だよ、リリスに呼ばれてったろ~」
イアリはにやにやとしている。エレンは困る。正直なことは言えない。と、そんな様子を見ていたほろ酔いな様子のグレンが笑う。
「おやぁ~なんか怪しいなぁ~」
「ちっ……! 何がだ!」
「テラスで男女二人、何してたんだってーの。あの朝も二人で戻って来るしよ~、怪しいなあ?」
フェールと喧嘩した日のことを言っている。それは全くそういうつもりではなかったが、下手なことは言うまいとエレンは口を真一文字に結ぶ。
「そーかそーか、エレンさんもそういう時期ですか」
「ちがわい!」
「ほほーう」
と、イアリまでニヤける。イアリもだいぶ呑んでいるはずだが全然酔っていなさそうだ。
「そおか……リリーちゃんにね……」
「お、お前まで何言ってんだ!」
「照れちゃってまぁ」
「~~~!」
どこかでプチッと音がした。耐えられなくなったエレンは叫ぶ。
「お前らなんか知らん!」
「あ、エレン!」
ごめんって~と言うイアリと大笑いするグレンを放ってエレンは隅にいるカリサの方へ来た。
「……よう」
「何だい。グレンじゃなくて君が来るとはね」
と、カリサはグレンの方を見る。
「あいつあんなに酒癖悪いのか」
「普段そんな呑まねェからな……たまにやるとああなる」
「関わりたくないね」
「全くだ」
そう返事して、エレンは気になっていたことを聞いた。
「……お前、これからどうするんだ」
「どうするも何も。俺は10年で皇帝の許可を得てカレンに会いに行く。体は選べねェが……下に降りられればなんとでもなるだろ」
「そこに風の守護者いるけど……」
「あん? 嫌だよあんなの。同居も嫌」
グレンを宥めているイアリを見ながらカリサがそう言うのでエレンは苦笑する。
「……まぁ、俺がいなくてもカレンなら一人で生きていけるんだろうけど……何せ10年以上もほったらかしにしてたからな。……悪いことしたなって、今は思うよ。当時はカレンのためにって思ってたけど……」
そういうカリサの顔は、心から後悔しているようだった。あの復讐鬼の顔はどこへやらだ。本当に同一人物か? と今さらながらエレンは疑いたくなる。
「なぁ、一つ頼み事してもいいか」
「? 何だ」
「カレンに伝言を頼みたい」
言われて、エレンは困る。
「俺面識ないけど……」
「直接言えとは言ってない。俺が言うことを書き起こしてポストに入れるなり彼女に直接届けるなりしてくれたらいい。そういうの朝飯前だろ? 泥棒さん」
「泥棒をなんだと思ってるんだ!」
「いいだろ一つくらい聞いてくれても。いいか、よく聞いとけよ」
拒否権はないようだ。仕方ないな、と思いエレンはカリサの言葉を真剣に聞くのだった。
* * *
カオスは一人だった。広い王の間に誰一人いれず、ただ一人で月を眺めていた。
「……陛……兄様」
「!」
カオスが驚いた顔で振り向いた。
「……あ、あぁ、リリスか、気が付かなかった」
一体どちらに驚いたのか、リリスには分からなかった。兄と呼ばれたことか、それともリリスに気が付かなかったことか。それともその両方か。
カオスはまた窓の方を向いて言った。
「皆の所へ行かなくていいのか」
「兄様こそ、こんなところで何してるんですか」
「俺だって一応皇帝なんだ。皆の輪に加わろうとは思わないさ」
「なら、もう少し皇帝らしくしたらどうですか」
「これが俺らしさってわけ」
そう言って肩を竦める。リリスが苦笑交じりにため息を吐くと、今度はカオスはこちらを向いた。
「で、何だ? わざわざそんな話をしに来たわけじゃないだろう」
「……兄様」
「珍しいな、お前が俺をそう呼ぶなんて」
そう言うカオスの目は優しく見えた。それに何かモヤッとしたものを感じつつ、リリスは言う。
「私、王宮を出ます」
「……え?」
「好きな人が出来ました。だから私は皇家を出て、暮らします」
さすがにカオスも戸惑いの表情を見せる。
「ちょっと待て、それはいくらなんでも急すぎないか!」
「もうその人とは話はついてます。私は人界へ行きます。兄様が許可して下されば……」
「そんなことを言ってるんじゃない!」
突然怒鳴られて、リリスは口を噤む。カオスは、あっ、という表情を見せてから続けた。
「そんなことじゃなくて……もっと大事なことを……」
「大事なことって何ですか。今まで他人面して来たくせに……!」
視界が滲んだ。反射的にリリスは俯く。
「私が……皇族としての能力を持たずに生まれたから。私は皇女であることを許されず、一介の兵士として宮廷に所属することになって……父様も母様も、兄様も! 私には家族として接してくれなかった」
「リリー……」
「兄様は。父様と母様が亡くなられたあとも、変わらなかった。もしかしたら、と思っていたのに」
ポロポロと泣くリリスに、カオスは歩み寄る。
「リリス。俺は……」
俯いたカオスは言葉を紡ぐ。
「俺は──────本当は、ちゃんと兄として接したかった。でも、父上も母上も、それを許して下さらなかった。そんな生活を長らくして来たからかな、お前とどう接していいのか分からなくて……」
「兄様……」
「言い訳にしか、聞こえないかもしれないが。それでも、これが今俺が言える本心だ」
リリスはそれが嘘だとは思わなかった。兄もずっと苦しかったのだと、そう思った。
「お前の決断を、俺に変える資格はない。お前が自分の意志で降りると言うのなら、それを尊重する。ここへ帰って来なくてもいい。……少し寂しいが……」
「……兄様、それなんですけど」
一番大事な本題に戻り、リリスは少しカオスから離れた。そして目を見てはっきりと言う。
「私、エレンさんに憑きたいんです」
「……何だって?」
途端に空気が変わる。はたと額を抑えたカオスはしばらくの思案のあと何とも言えない顔をした。
「お前……好きな人ってエレンか……」
「そうです」
「あいつ人間って明かしたのか……」
「はい。打ち明けてくれました。……ずっと黙っていられたのはちょっと傷付きましたけど」
「……人間を連れ込むことは禁忌だ。出来るだけ明かしたくなくて……」
「兄様が認めた人間なら、私も受け入れますよ」
「そうか……」
すまん、とカオスは眉をひそめて謝った。少しの罪悪感はあったのだ。
「……だが、エレンには既に猫公が……」
「エレボスさんには言ってあります。ここに来る前に会ったので。 『良いよ』って言ってくれました。結構あっさり……」
行動を共にした時間も長かった。それなりに信頼関係は築けていたのだと思う。
「だから、あとは兄様の許可だけなんです」
「……」
カオスは目を伏せる。そして大きな息と共に言葉を吐き出した。
「……良い。許可する」
「やった!」
小さくガッツポーズをするリリスに、カオスは微笑む。
「頑張って来いよ」
「はい!」
#49 END
To be continued...
王宮に滞在して三日。今夜は出発前ということでカオスが宴を開いてくれた。と言っても、参加者はエレン達一行とカオス、そしてリリスだけなのだが。
王宮の広間に多くの料理が並べられ、それぞれ思い思いに食事を摂っている。ローフィリアとラフェリアルはいなかった。昨日のうちにふらりとどこかへ消えてしまったのだ。挨拶も出来なかったな、と思いながらエレンは白と黒の混じった羽根を手に思う。今朝これが枕元に置いてあった。ローフィリアのものなのはすぐ分かった。
「いやー、ほんと皆無事で良かったよ」
酒瓶を持ったグレンがやって来てそう言う。そんな彼をエレンはじっとりとした目で見る。
「お前が言うことかよ」
「何だ、俺の心配してたのか」
「してねェよ」
「あ?」
「これ。兄弟喧嘩か」
「あ、フェール」
いつもの様子のフェールがやって来る。彼は片足を怪我していたはずだが、普通に歩いている。
「足、大丈夫なのか」
「ああ。少し噛まれただけだ」
そう言うフェールの顔を、グレンはまじまじと見る。
「……お前、何か変わったな」
「ん?」
影色の瞳に見返されて、グレンはハッとして目を逸らす。
「あ、いや。何でもない……んん……えと、なんか吹っ切れた……? みたいな。なんかスッキリした顔してるな」
「そうか?」
僅かにフェールの顔が曇る。エレンは少し嫌な予感がする。
「──────グレン殿、実は……」
「あー! なんか色々昔に戻ったみたいだったよな! フェールだけと関わることって最近ほとんどなかったし……」
フェールを遮ってエレンは大声でそんなことを言う。フェールもグレンも面食らったような顔をしていたが、やがてフェールがくすりと笑う。
「……そうだな。そなたたちの成長も知った。此度は困難な旅だったが良き旅でもあった」
「そうだな、俺も……」
そしてグレンは部屋の隅でエエカトルといるカリサの方を見る。それを見てエレンは笑う。
「話してこなくていいのか?」
「え、何が……今さら話すことなんてそんなねェよ」
「そうか? そうは見えねェけどな」
「何が!」
と、そこへイアリがやって来る。
「おーいエレン、リリスが呼んでるぞ」
「え?」
* * *
呼び出された先はテラスだった。空には月が出ていた。人界の夜と何ら変わらない。
夜風に吹かれる金髪が、月光に当たって輝いていた。こうして見ると、結構な美人だなとエレンは思った。
「……お待たせ」
エレンが声を掛けると、リリスがこちらに振り向いた。
「エレンさん」
手招きされて、エレンは手すりに沿って横に並んだ。
「……話があるって?」
「はい」
リリスはそう答えると、月を見上げる。
「私、ここを出ようと思うんです」
「……え?」
「私、思いました。皆さんとの旅は、今までこの王宮で暮らしていた時よりも、ずっと楽しかった」
そう言うリリスの目は月光に反射して紫水晶のように輝いていた。
「それも……今日で皆さんとお別れだなんて、寂しくて、悲しいなと思ったんです。おかしいですよね、今までの生活に戻るだけなのに……」
話の趣旨が見えない。リリスは続ける。
「今まで、そんなこと思ったことなかったんです。兄は冷たかったけど……それでも、寂しいとか思ったことはこれまで一度もなかったんです」
「……それで? 俺にどうして欲しいんだ?」
「──────ずっと、一緒にいちゃダメですか」
エレンはその言葉の意味を飲み込むのに少し時間がかかった。それを理解した後、思わずリリスの顔を見つめ返してしまう。しかし、リリスの顔は至って真面目だった。
「私、エレンさんと一緒にいたいんです。この王宮から離れて、ずっと、永久に」
「……え」
と、エレンの中でとある単語がぐるぐると回る。
「……ちょ、ちょっと待って……それって……あ」
狼狽える中で、チクりと胸を指すものがあった。……そうだ、自分は……。
「お、俺は……」
どこから話そうか、迷う。最後まで隠し通すつもりだったが、こうなってはこれ以上黙っていられない。
「……俺は、この世界の住人じゃないんだ」
「────────────え?」
もっと遠回しに言おうと思っていたのに、出て来た言葉はそれだった。
「俺は精霊じゃないんだ」
「それじゃあ……」
リリスももう分かっているだろうに、エレンが言うのを待っている。意を決して、エレンはその言葉を口にする。
「俺は……人間なんだ」
その声は、思ったよりも情けなかった。何か、やり切れない思いが胸を満たす。
「そう……ですか」
暗い声が、リリスの口から漏れ出した。
「じゃあ、他の皆さんも人間なんですか?」
「……兄貴と、イアリとロレンだけだ。他はみんな精霊だよ。エレボスは俺の精霊だし……」
カリサとエエカトルのことはこの際黙っておくことにした。色々ややこしい。
「……騙してたんですか」
「!」
思わぬ言葉に、エレンは言葉を詰まらせる。顔を上げたリリスの目には涙が溜まっていた。
「騙してたんでしょう? どうせ、兄は知っていたんでしょうし。何ですか、私だけ何も知らずにいたんですか?」
押し殺した怒りに震える声で、リリスが言う。
「ごめん……」
「酷いですよ、皆して……私が馬鹿みたいじゃないですか……」
「ち、違うんだリリー!」
「じゃあ! 私のこの想いはどうしたらいいんですか?!」
「!」
そう言い放つリリスに、エレンは返す言葉がない。
「理不尽……ですね。この世界って。どうして人界と神界は物理が違うんでしょう」
「リリー……」
「所詮、精霊なんて神が人間との間に置いた障害物にしか過ぎないんでしょうか……」
リリスはそんなことを言う。神の血を引く彼女が言うと、それはとても背徳的に聞こえた。
「そんなことない」
「なら、どうして私たちには“体”がないんでしょうか? 体があれば、私も下界に──────」
そしてリリスはハッとする。エレンも同じくだった。二人の間に同じ案が浮かんでいるのは目を合わせれば分かった。
「…………お前が、俺に憑けばいい?」
「──────そうですよ、その手がありました!」
急に紅潮して晴れた顔になったリリスはエレンの手を取る。
「すごく良い案だと思いませんか!? それなら、ずっとエレンさんと離れずに済みます!」
「…………でも」
「エレボスさんには私からお願いしてみます! それから……」
しゅん、とリリスの言葉尻がすぼむ。顔にも憂いが帯びる。彼女の案じていることを察したエレンは、手を握り返す。
「……話して来いよ」
「え?」
「あの皇帝に、お前の思うこと全てをさ」
「……!」
リリスは顔を上げ目を見開き、そしてまたすぐに俯いた。
「でも……兄はまた、私に兄妹として接してくれるでしょうか」
「してくれるさ。お前から呼んでやれよ」
エレンが言うと、勇気づけられたようにリリスは微笑んだ。
「……分かりました。エレンさんは、皆さんの所へ戻っていて下さい。私は兄の所へ行ってきます」
「分かった」
エレンが頷くと、リリスは手を放して離れた。踵を返してリリスはカオスのいる部屋へと向かって行った。
エレンの手には、まだその温もりが残っていた。
* * *
「おう、戻って来たか」
皆のいる部屋に戻るなり、イアリが声を掛けて来た。その後ろで酔ったらしいロレンがうつらうつらとしている。エレンの視線に気が付いたらしく、イアリは笑う。
「あー、もうちょっと早く戻って来たら面白かったんだけどなー」
「何が」
「ロレンだよ。いやーほんと……」
クスクスとイアリは笑うだけで、その先は教えてくれなかった。エレンがじとっとした目を向けていると、イアリががばっと肩を組んで来る。
「なっ」
「で? 何だったんだよ」
「……は?」
「お前だよ、リリスに呼ばれてったろ~」
イアリはにやにやとしている。エレンは困る。正直なことは言えない。と、そんな様子を見ていたほろ酔いな様子のグレンが笑う。
「おやぁ~なんか怪しいなぁ~」
「ちっ……! 何がだ!」
「テラスで男女二人、何してたんだってーの。あの朝も二人で戻って来るしよ~、怪しいなあ?」
フェールと喧嘩した日のことを言っている。それは全くそういうつもりではなかったが、下手なことは言うまいとエレンは口を真一文字に結ぶ。
「そーかそーか、エレンさんもそういう時期ですか」
「ちがわい!」
「ほほーう」
と、イアリまでニヤける。イアリもだいぶ呑んでいるはずだが全然酔っていなさそうだ。
「そおか……リリーちゃんにね……」
「お、お前まで何言ってんだ!」
「照れちゃってまぁ」
「~~~!」
どこかでプチッと音がした。耐えられなくなったエレンは叫ぶ。
「お前らなんか知らん!」
「あ、エレン!」
ごめんって~と言うイアリと大笑いするグレンを放ってエレンは隅にいるカリサの方へ来た。
「……よう」
「何だい。グレンじゃなくて君が来るとはね」
と、カリサはグレンの方を見る。
「あいつあんなに酒癖悪いのか」
「普段そんな呑まねェからな……たまにやるとああなる」
「関わりたくないね」
「全くだ」
そう返事して、エレンは気になっていたことを聞いた。
「……お前、これからどうするんだ」
「どうするも何も。俺は10年で皇帝の許可を得てカレンに会いに行く。体は選べねェが……下に降りられればなんとでもなるだろ」
「そこに風の守護者いるけど……」
「あん? 嫌だよあんなの。同居も嫌」
グレンを宥めているイアリを見ながらカリサがそう言うのでエレンは苦笑する。
「……まぁ、俺がいなくてもカレンなら一人で生きていけるんだろうけど……何せ10年以上もほったらかしにしてたからな。……悪いことしたなって、今は思うよ。当時はカレンのためにって思ってたけど……」
そういうカリサの顔は、心から後悔しているようだった。あの復讐鬼の顔はどこへやらだ。本当に同一人物か? と今さらながらエレンは疑いたくなる。
「なぁ、一つ頼み事してもいいか」
「? 何だ」
「カレンに伝言を頼みたい」
言われて、エレンは困る。
「俺面識ないけど……」
「直接言えとは言ってない。俺が言うことを書き起こしてポストに入れるなり彼女に直接届けるなりしてくれたらいい。そういうの朝飯前だろ? 泥棒さん」
「泥棒をなんだと思ってるんだ!」
「いいだろ一つくらい聞いてくれても。いいか、よく聞いとけよ」
拒否権はないようだ。仕方ないな、と思いエレンはカリサの言葉を真剣に聞くのだった。
* * *
カオスは一人だった。広い王の間に誰一人いれず、ただ一人で月を眺めていた。
「……陛……兄様」
「!」
カオスが驚いた顔で振り向いた。
「……あ、あぁ、リリスか、気が付かなかった」
一体どちらに驚いたのか、リリスには分からなかった。兄と呼ばれたことか、それともリリスに気が付かなかったことか。それともその両方か。
カオスはまた窓の方を向いて言った。
「皆の所へ行かなくていいのか」
「兄様こそ、こんなところで何してるんですか」
「俺だって一応皇帝なんだ。皆の輪に加わろうとは思わないさ」
「なら、もう少し皇帝らしくしたらどうですか」
「これが俺らしさってわけ」
そう言って肩を竦める。リリスが苦笑交じりにため息を吐くと、今度はカオスはこちらを向いた。
「で、何だ? わざわざそんな話をしに来たわけじゃないだろう」
「……兄様」
「珍しいな、お前が俺をそう呼ぶなんて」
そう言うカオスの目は優しく見えた。それに何かモヤッとしたものを感じつつ、リリスは言う。
「私、王宮を出ます」
「……え?」
「好きな人が出来ました。だから私は皇家を出て、暮らします」
さすがにカオスも戸惑いの表情を見せる。
「ちょっと待て、それはいくらなんでも急すぎないか!」
「もうその人とは話はついてます。私は人界へ行きます。兄様が許可して下されば……」
「そんなことを言ってるんじゃない!」
突然怒鳴られて、リリスは口を噤む。カオスは、あっ、という表情を見せてから続けた。
「そんなことじゃなくて……もっと大事なことを……」
「大事なことって何ですか。今まで他人面して来たくせに……!」
視界が滲んだ。反射的にリリスは俯く。
「私が……皇族としての能力を持たずに生まれたから。私は皇女であることを許されず、一介の兵士として宮廷に所属することになって……父様も母様も、兄様も! 私には家族として接してくれなかった」
「リリー……」
「兄様は。父様と母様が亡くなられたあとも、変わらなかった。もしかしたら、と思っていたのに」
ポロポロと泣くリリスに、カオスは歩み寄る。
「リリス。俺は……」
俯いたカオスは言葉を紡ぐ。
「俺は──────本当は、ちゃんと兄として接したかった。でも、父上も母上も、それを許して下さらなかった。そんな生活を長らくして来たからかな、お前とどう接していいのか分からなくて……」
「兄様……」
「言い訳にしか、聞こえないかもしれないが。それでも、これが今俺が言える本心だ」
リリスはそれが嘘だとは思わなかった。兄もずっと苦しかったのだと、そう思った。
「お前の決断を、俺に変える資格はない。お前が自分の意志で降りると言うのなら、それを尊重する。ここへ帰って来なくてもいい。……少し寂しいが……」
「……兄様、それなんですけど」
一番大事な本題に戻り、リリスは少しカオスから離れた。そして目を見てはっきりと言う。
「私、エレンさんに憑きたいんです」
「……何だって?」
途端に空気が変わる。はたと額を抑えたカオスはしばらくの思案のあと何とも言えない顔をした。
「お前……好きな人ってエレンか……」
「そうです」
「あいつ人間って明かしたのか……」
「はい。打ち明けてくれました。……ずっと黙っていられたのはちょっと傷付きましたけど」
「……人間を連れ込むことは禁忌だ。出来るだけ明かしたくなくて……」
「兄様が認めた人間なら、私も受け入れますよ」
「そうか……」
すまん、とカオスは眉をひそめて謝った。少しの罪悪感はあったのだ。
「……だが、エレンには既に猫公が……」
「エレボスさんには言ってあります。ここに来る前に会ったので。 『良いよ』って言ってくれました。結構あっさり……」
行動を共にした時間も長かった。それなりに信頼関係は築けていたのだと思う。
「だから、あとは兄様の許可だけなんです」
「……」
カオスは目を伏せる。そして大きな息と共に言葉を吐き出した。
「……良い。許可する」
「やった!」
小さくガッツポーズをするリリスに、カオスは微笑む。
「頑張って来いよ」
「はい!」
#49 END
To be continued...
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この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
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