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第六章 DarkMemories
#76 魔障に堕ちし者
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「────天界で、侵入した魔族を倒したあと。神徒が悪魔と化すことがある」
風邪で寝込むイアリと、意識不明のグレンとレイミア、そしてアーガイル、拘束されたフォレンの五人がいないリビングで、ゼイアは淡々と話し始めた。
「俺の堕天は別件だが……まぁ、そういう奴が稀にいる。原因は、魔族の死体から発せられる“魔障”だ」
「魔障?」
エレンが訊き返すとゼイアは頷いて続ける。
「魔界の中心に聳える、暗黒大樹の気だ。それには心の闇を誘発する作用があるんだが……それによって心の闇、たとえば神への不信感なんかを起こされると、神徒の場合は悪魔と化す。これが“堕天”だ。神徒にとって負の感情は罪だからな」
そう言って、ゼイアは自虐的に笑った。
「それが人間で起こると、神徒ほどじゃないが気性が荒くなり見境なく人を襲う。これを“闇堕ち”と言う。……まぁ、暗黒大樹も魔族の侵略もない人界じゃ滅多に起こらない事象だが」
「兄さんはその、“闇堕ち”に?」
ロレンがそう訊くと、今度はゼイアは首を横に振った。
「そうだとも言えるが、そうでないとも言える」
「え……?」
「そもそも闇属性の人間が闇堕ちしようがない。元から持ってんだから」
「どういうこと?」
「闇属性ってのは、現魔王である闇の創造神の力だ。つまり悪魔のそれに近いものだ。厳密には違うがな」
ゼイアは腕を組み、難しい顔をした。
「そう。違うんだよ。守護者の闇の力と、悪魔の闇の力は。その濃度がな。だが……奴の力は悪魔のそれだ。あの翼も、魔障の力も……」
すると、今度はロレンの表情が険しくなった。
「……昔のままだ。あの兄さんは」
「え?」
エレンは先日のロレンの言葉を思い出す。「昔の兄さんに戻ったみたいだ」と、彼はそう言っていた。
「……思い出したのかも。昔の記憶を」
「何、どういうことだロレン」
その話は初耳だった。ロレンは険しい顔のまま口を開く。
「兄さんは、孤児院に辿り着く前の記憶を失くしてたんだ。今までの……優しい兄さんはそれから形成されたものだ。昔はあんな人じゃなかった」
「じゃあ……じゃあ、あれが本性だっていうのかよ」
「────いや。違うよ。でも、片鱗はあった。施設から逃げた時も────」
「施設?」
「……」
ロレンはそれ以上は言わなかった。嫌な思い出があるのだろう。エレンもそれ以上は聞き出そうとは思わなかった。
「……まぁ、ともかく奴は半闇堕ち……みたいな状態なわけだ。理屈は分からんが。昔の人格と、そこに上書きされた後の人格のギャップで精神負荷が掛かり過ぎてぶっ壊れた……って感じか」
「それ……治るのか?」
ユーヤが訊いた。ゼイアは苦い顔をして答えた。
「神徒の場合は堕天したらそれっきりだが。人間ならまだ方法はある。だが少々厳しいかもな。俺の見立てじゃ、あいつはあまりにも闇が強すぎる」
「……方法って……どんな」
ロレンが訊く。ゼイアは続けた。
「聖樹の気、聖燐で浄化する。それだけが闇堕ちを治す方法だ。だが……闇堕ちを治せるほどの聖燐は天界にしか存在しない。聖樹の下にでも連れて行かねェと」
「……天界に行かなきゃってことか」
「そうなるな」
それが無理だとはゼイアは言わなかった。だが、エレンにはどうにも想像が出来なかった。神界には行ったが、天界にも行くことになるのだろうか……。
そんなことを考えていると、ゼイアがぱんと手を叩く。
「まあ、それは最終手段として。とりあえず俺が会話を試みる。気になることもあるしな」
フォレンは小さくされたままだ。あの状態だとどういう風になっているのかは少しエレンは気になる。
「それよりだ。今一番の懸念事項はグレンと、アーガイルのことだ」
「あぁ……」
意識不明の二人。アーガイルは外傷はないのに意識が戻らない。
「……アルに何が起こったんだ」
「あれは魔障に侵されて、“邪気病”を発症してる」
「“邪気病”……」
「魔障に触れすぎるとなるものだ。光属性の奴は発症が早い。影属性はまだ闇に近く耐性があるが……グレンはフォレンの近くにいすぎた。人間にのみ起こる“闇堕ち”前の潜伏期間だ。掛かったら二日間眠り続ける。目覚めたあとは……どうなるかは俺にも分からない」
「分からないって……」
「ざっくり言えば、闇堕ちするか、そうでないかだ」
「そうでないかって?」
「……何も起こらず克服するか、何かを失うかだ」
渋りながらもゼイアは答えてくれる。なんだかんだで彼は面倒見が良いというか。
「失うって、何を」
「手でも足でも、何でもだ。言葉かもしれねェし、視力かも。もしかしたら、精神が侵食される可能性だってある」
「それじゃあ!!」
「可能性の話だ。さっき行った通り、何も失わず克服することだってある」
じゃあ、アーガイルやグレンが二度と目覚めない可能性もあるのか。そう思うと急に恐ろしくなった。ケレンもそれは同じようで、不安げな顔をする。医者である彼にとっては、彼らに何も出来ないのは余計に悔しくもどかしいことだろう。
「……気休めだが、聖魔導をグレンたちには掛けておいた。俺の力は穢れているし、完全じゃない。邪気病を浄化して治せた前例もない。だが……だが。祈りは無駄じゃない。奴らが無事に帰って来ることを、俺は祈っておくよ」
ゼイアはそう言う。アレスも俯いて目を瞑る。エレンも今は、二人の無事を祈るしかなかった。
* * *
────真っ暗だ。何も見えない。ここはどこだ? 自分は一体どうしたのだろう。
目を開けているはずなのに、視界は真っ暗だった。常闇。だが、滑らかな闇ではなく、何かモヤモヤしたものが辺りに蔓延しているような感じがした。
「……」
仰向けになっていたらしい体を起こす。その時、床が水で満たされていることに気がついた。
「何これ……」
不思議と、そこに寝転んでいたはずの服も何も濡れていなかった。ただ、そこに冷たい水の感触があるだけだ。
「えっと……僕何してたんだっけ……」
自分の記憶を探ってみるが、何だか頭の中までこの空間と同じようにモヤモヤと霧掛かっている。そして、記憶を探っているうちに気がつく。
「……あれ? 僕は……誰だ」
何も思い出せない。何も、分からない。
自分は誰なのか。ここはどこなのか。今まで何をしていたのか。何か……誰か、大切な人がいたような。いや、いない? 自分にはそんな人はいない。そもそも、人ってなんだ。
頭が混乱して来た。そのうち、思考が全て消え失せて、やがてある一つの思考だけが頭を支配した。
……もう、どうでもいいや。
その時。辺りを覆う闇の向こうから、声が聞こえて来た。
『こちらへおいで』
「……誰?」
その問いかけに、声は答えずもう一度言った。
『こちらへおいで』
それは彼の心を強く惹きつけた。
「……僕を迎えてくれるの?」
『全て捨てて、こちらへ来るといい」
そして声は優しく言う。
『誰もお前を見てはいない。誰もお前を想ってはいない。上部だけの、仮初だ。皆、いつしかお前を置いていく』
「そう……かな」
『だが私は────いつまでも。永遠に見守ってやろう』
「……永遠に?」
『そうだ。必ず。私はお前を見捨てない。永遠に、我が子として無限の愛を授けよう』
「本当に……?」
ぼうっと意識が溶けていく。深淵から響く声が、甘く、心に溶けていく。
『さあ来るがいい。お前も、私の息子だ』
「父────さん」
そう呟いた時。頭の中に浮かぶ顔があった。その声の方へ踏み出しかけていた足が止まる。
「……違う……」
頭の中の靄が晴れる。湧き上がって来た言葉を口に出す。
「……違う、お前は違う!」
だが。晴れたように思えた靄も、再び思考を覆い尽くす。ああ、なんだ、もう、分からない。さっき一瞬浮かんだ顔も、もう分からない。あれは、誰だった? 自分は、誰だ。
「……うぅ……あぁ……」
苦しい。潰れてしまいそうだ。頭が割れそうだ。
『どうした。どうした。苦しいだろう。私に身を委ねよ。もう苦しむ必要はない』
「いか……ない。行く……もんか」
誰か。誰か助けてくれ。そう願った。何も分からない中で強く、そう願った。
「しっかりして」
「行っちゃダメだ」
新たな声が聞こえて来た。さっきの地底から響いて来るような声とは違う。その二つの声は、はっきりと耳に届いた。
「誰……」
二つの声は、交互に言う。
「ほら、ゆっくり落ち着いて」
「誘いに乗ったらいけないよ」
「ここに何が見える?」
「真っ暗なんかじゃないよ」
「光がなければ作ればいいの」
「僕たちは光を生み出せるんだからさ!」
徐々に、体に感覚が現れる。辺りを覆っていた靄が、晴れる。
「ほら、段々見えて来たでしょ?」
「光のない世界なんてないよ」
「感じて。あなたの周りにあるものを」
「君の大切なものを、思い出して」
目を開けると、薄暗い天井が見えた。ゴツゴツとした岩壁のようだ。少し離れたところに壁があるだけで、出口はないようだった。
その時、何か暖かくて柔らかいものに挟まれていることに気が付いた。
「……どこ、ここ」
ふと呟いて、視線を落とす。まず見えたのは前髪の一部が赤い銀髪の女の子。そして、後ろにも温かさを感じてゆっくり首を回すと、そこにはひたいに傷のある金髪の女の子がいた。
「……良かった、晴れた」
「本当にびっくりしたよ~、降りて来たらいきなり真っ暗なんだもん。間違って闇の守護者に降りて来ちゃったのかと思ったよ」
銀髪の子が顔を上げる。そこでようやく理解する。……今、二人の女の子に挟まれていることを。
「あの……えっと……君たちは」
言いながら、無意識に体を捩ると後ろの女が慌てて言った。
「ああごめんなさい、もしかして、嫌だった?」
「あーそうかも。ごめん、咄嗟のことで」
と、二人はすごすごと離れると目の前に並んで座った。そして、金髪の方が先に口を開いた。
「私はイルトリア・トロワ。こっちは妹のミシュカ。私たち双子なの」
「よろしくねん」
ミシュカと紹介された銀髪の女は手をひらりと上げて笑った。
「あ、僕はアーガイル。アーガイル……エウィン。君たちは……何者?」
と、そう訊きながら────アーガイルは自分が何者かを思い出せて安堵する。それも、ここにいる彼女たちのお陰なのだろうが……。
答えたのはミシュカだった。
「僕たちは精霊だよ。ついさっき君に憑いたの。いやーしかし、タイミングが良かったかな。上手く行くかは半分半分だったけど」
そう言う彼女は青い装束を着ていて、イルトリアに比べると光の精霊感がない。水の精霊と言われた方がしっくり来るが────双子だという以上彼女も光の精霊なのだろう。
「……つまり憑神っていうやつ?」
「それは知ってるんだね~、そうだよ」
「まぁ……身の回りに色々いるからね」
ふと辺りの気配を探る。自分たち以外には誰もいないようだった。
「さっきのは……一体……」
「僕たちもよく分かんないんだよねぇ」
「良くない状況だったのは確かだけど。苦しそうだったし」
「あぁ、そうだ。助けてくれてありがとう」
アーガイルがそう言うと、二人はにこりと笑う。笑顔がとてもそっくりだと、そう思う。
「勿論! アーガイルさんは私たちの主だもの」
「持ちつ持たれつって奴だよ~、気にしないで」
「そっか……あ、それから……僕のことはアルって呼んで」
「分かったわ。じゃあ、私のことはイルと」
「僕はそのままでいいよ~」
二人は揃ってよく喋る。顔はあまり似ていないがなんとも双子らしい。
「ええと。……イルとミシュカ。ここは……どこ?」
「心理の窟だよ。君の中の心の空間、僕らの下界での生活空間だよ~」
言われて、辺りを見渡す。しばしばエレンから聞かされていたことを思い出す。
「これが……あの」
「存在については知っていたようね」
「まぁ……」
しかし、一度に二人とは。彼女たちは双子だから、一緒に行きたいと言ったのだろうか。あれほどまでに焦がれた憑神だというのに、アーガイルはまだ実感がなかった。二人。……エレンと同じ。
「っていうか、僕は何してたんだろ……」
「ここにいるということは、眠っているということよ」
「僕らしばらくこっそりいようと思ってたのに、君が既にここにいるんだもの」
イルトリアとミシュカは口々にそう言った。
「……そっか。ここからはどうやったら出られる?」
「外に出ようと思えば出られるわ」
「簡単でしょ?」
とても感覚的なアドバイスだと思う。だがそう言われてはそれを試すしかない。アーガイルは二人に礼を言って、外へ意識を傾けた。
* * *
────神暦38326年6月19日 夜────
視界が暗転して、次に目を開けた時には自分の部屋だった。体を起こす。……やはり、なぜ自分が意識を失っていたのかが分からない。
フォレンが暴れていたことまでは思い出した。だが……。
部屋を見渡す。誰もいない。エレンか兄くらいはいてもいいのに……と、少し寂しい気持ちが湧く。
そんな思いにため息を吐きつつ、ハッとする。さっき深淵の向こうから聞こえて来た声は、こういう心の隙に入り込もうとして来たのだ。あれは、優しい声だったが良いものではなかった。声についていってしまっていたら、どうなっていたのだろう。
「……イル? ミシュカ?」
『いるよ~』
『アルさん。声に出さなくて大丈夫よ。心の中で話し掛けてくれれば聞こえるわ』
頭の中に直接二人の声が響いて来る。これは確かに、精霊と話しているとボケッとしてしまうなとアーガイルは相棒の姿を思い出しながらそう思った。
ようやく、二人の存在が自分の中で現実味を帯びて来た。自分は、ようやくこの力を手に入れたのだ。これなら。これならきっと。
────もっと早ければ、彼と一緒に神界でも戦えたのに。
ベッドの上で膝を抱えて丸くなる。嬉しいはずなのに、何故か悔しかった。
「────変化を望まないのは、僕の方か」
独り言。自分は変わりたいのに──────エレンには。変わって欲しくない。そのままでいて欲しい。そう思っている。
追いつけない。エレンの隣に行きたいのに。自分はその後を追うばかりだ。
……強くなりたい。そう思う。何者にも負けないくらいに。そう。何者にも────。
────首を横に振る。自虐的に笑う。頭に一瞬過った考えを振り払う。馬鹿馬鹿しい。何を考えているんだ。
あの不気味な声のせいだ。アーガイルはそう思う。
扉を開けて部屋を出ようか。そう考えたところで、今はまだ、出たくないと思った。今は────どんな顔をしてエレンと会ったらいいか、分からない。
#76 END
To be continued...
風邪で寝込むイアリと、意識不明のグレンとレイミア、そしてアーガイル、拘束されたフォレンの五人がいないリビングで、ゼイアは淡々と話し始めた。
「俺の堕天は別件だが……まぁ、そういう奴が稀にいる。原因は、魔族の死体から発せられる“魔障”だ」
「魔障?」
エレンが訊き返すとゼイアは頷いて続ける。
「魔界の中心に聳える、暗黒大樹の気だ。それには心の闇を誘発する作用があるんだが……それによって心の闇、たとえば神への不信感なんかを起こされると、神徒の場合は悪魔と化す。これが“堕天”だ。神徒にとって負の感情は罪だからな」
そう言って、ゼイアは自虐的に笑った。
「それが人間で起こると、神徒ほどじゃないが気性が荒くなり見境なく人を襲う。これを“闇堕ち”と言う。……まぁ、暗黒大樹も魔族の侵略もない人界じゃ滅多に起こらない事象だが」
「兄さんはその、“闇堕ち”に?」
ロレンがそう訊くと、今度はゼイアは首を横に振った。
「そうだとも言えるが、そうでないとも言える」
「え……?」
「そもそも闇属性の人間が闇堕ちしようがない。元から持ってんだから」
「どういうこと?」
「闇属性ってのは、現魔王である闇の創造神の力だ。つまり悪魔のそれに近いものだ。厳密には違うがな」
ゼイアは腕を組み、難しい顔をした。
「そう。違うんだよ。守護者の闇の力と、悪魔の闇の力は。その濃度がな。だが……奴の力は悪魔のそれだ。あの翼も、魔障の力も……」
すると、今度はロレンの表情が険しくなった。
「……昔のままだ。あの兄さんは」
「え?」
エレンは先日のロレンの言葉を思い出す。「昔の兄さんに戻ったみたいだ」と、彼はそう言っていた。
「……思い出したのかも。昔の記憶を」
「何、どういうことだロレン」
その話は初耳だった。ロレンは険しい顔のまま口を開く。
「兄さんは、孤児院に辿り着く前の記憶を失くしてたんだ。今までの……優しい兄さんはそれから形成されたものだ。昔はあんな人じゃなかった」
「じゃあ……じゃあ、あれが本性だっていうのかよ」
「────いや。違うよ。でも、片鱗はあった。施設から逃げた時も────」
「施設?」
「……」
ロレンはそれ以上は言わなかった。嫌な思い出があるのだろう。エレンもそれ以上は聞き出そうとは思わなかった。
「……まぁ、ともかく奴は半闇堕ち……みたいな状態なわけだ。理屈は分からんが。昔の人格と、そこに上書きされた後の人格のギャップで精神負荷が掛かり過ぎてぶっ壊れた……って感じか」
「それ……治るのか?」
ユーヤが訊いた。ゼイアは苦い顔をして答えた。
「神徒の場合は堕天したらそれっきりだが。人間ならまだ方法はある。だが少々厳しいかもな。俺の見立てじゃ、あいつはあまりにも闇が強すぎる」
「……方法って……どんな」
ロレンが訊く。ゼイアは続けた。
「聖樹の気、聖燐で浄化する。それだけが闇堕ちを治す方法だ。だが……闇堕ちを治せるほどの聖燐は天界にしか存在しない。聖樹の下にでも連れて行かねェと」
「……天界に行かなきゃってことか」
「そうなるな」
それが無理だとはゼイアは言わなかった。だが、エレンにはどうにも想像が出来なかった。神界には行ったが、天界にも行くことになるのだろうか……。
そんなことを考えていると、ゼイアがぱんと手を叩く。
「まあ、それは最終手段として。とりあえず俺が会話を試みる。気になることもあるしな」
フォレンは小さくされたままだ。あの状態だとどういう風になっているのかは少しエレンは気になる。
「それよりだ。今一番の懸念事項はグレンと、アーガイルのことだ」
「あぁ……」
意識不明の二人。アーガイルは外傷はないのに意識が戻らない。
「……アルに何が起こったんだ」
「あれは魔障に侵されて、“邪気病”を発症してる」
「“邪気病”……」
「魔障に触れすぎるとなるものだ。光属性の奴は発症が早い。影属性はまだ闇に近く耐性があるが……グレンはフォレンの近くにいすぎた。人間にのみ起こる“闇堕ち”前の潜伏期間だ。掛かったら二日間眠り続ける。目覚めたあとは……どうなるかは俺にも分からない」
「分からないって……」
「ざっくり言えば、闇堕ちするか、そうでないかだ」
「そうでないかって?」
「……何も起こらず克服するか、何かを失うかだ」
渋りながらもゼイアは答えてくれる。なんだかんだで彼は面倒見が良いというか。
「失うって、何を」
「手でも足でも、何でもだ。言葉かもしれねェし、視力かも。もしかしたら、精神が侵食される可能性だってある」
「それじゃあ!!」
「可能性の話だ。さっき行った通り、何も失わず克服することだってある」
じゃあ、アーガイルやグレンが二度と目覚めない可能性もあるのか。そう思うと急に恐ろしくなった。ケレンもそれは同じようで、不安げな顔をする。医者である彼にとっては、彼らに何も出来ないのは余計に悔しくもどかしいことだろう。
「……気休めだが、聖魔導をグレンたちには掛けておいた。俺の力は穢れているし、完全じゃない。邪気病を浄化して治せた前例もない。だが……だが。祈りは無駄じゃない。奴らが無事に帰って来ることを、俺は祈っておくよ」
ゼイアはそう言う。アレスも俯いて目を瞑る。エレンも今は、二人の無事を祈るしかなかった。
* * *
────真っ暗だ。何も見えない。ここはどこだ? 自分は一体どうしたのだろう。
目を開けているはずなのに、視界は真っ暗だった。常闇。だが、滑らかな闇ではなく、何かモヤモヤしたものが辺りに蔓延しているような感じがした。
「……」
仰向けになっていたらしい体を起こす。その時、床が水で満たされていることに気がついた。
「何これ……」
不思議と、そこに寝転んでいたはずの服も何も濡れていなかった。ただ、そこに冷たい水の感触があるだけだ。
「えっと……僕何してたんだっけ……」
自分の記憶を探ってみるが、何だか頭の中までこの空間と同じようにモヤモヤと霧掛かっている。そして、記憶を探っているうちに気がつく。
「……あれ? 僕は……誰だ」
何も思い出せない。何も、分からない。
自分は誰なのか。ここはどこなのか。今まで何をしていたのか。何か……誰か、大切な人がいたような。いや、いない? 自分にはそんな人はいない。そもそも、人ってなんだ。
頭が混乱して来た。そのうち、思考が全て消え失せて、やがてある一つの思考だけが頭を支配した。
……もう、どうでもいいや。
その時。辺りを覆う闇の向こうから、声が聞こえて来た。
『こちらへおいで』
「……誰?」
その問いかけに、声は答えずもう一度言った。
『こちらへおいで』
それは彼の心を強く惹きつけた。
「……僕を迎えてくれるの?」
『全て捨てて、こちらへ来るといい」
そして声は優しく言う。
『誰もお前を見てはいない。誰もお前を想ってはいない。上部だけの、仮初だ。皆、いつしかお前を置いていく』
「そう……かな」
『だが私は────いつまでも。永遠に見守ってやろう』
「……永遠に?」
『そうだ。必ず。私はお前を見捨てない。永遠に、我が子として無限の愛を授けよう』
「本当に……?」
ぼうっと意識が溶けていく。深淵から響く声が、甘く、心に溶けていく。
『さあ来るがいい。お前も、私の息子だ』
「父────さん」
そう呟いた時。頭の中に浮かぶ顔があった。その声の方へ踏み出しかけていた足が止まる。
「……違う……」
頭の中の靄が晴れる。湧き上がって来た言葉を口に出す。
「……違う、お前は違う!」
だが。晴れたように思えた靄も、再び思考を覆い尽くす。ああ、なんだ、もう、分からない。さっき一瞬浮かんだ顔も、もう分からない。あれは、誰だった? 自分は、誰だ。
「……うぅ……あぁ……」
苦しい。潰れてしまいそうだ。頭が割れそうだ。
『どうした。どうした。苦しいだろう。私に身を委ねよ。もう苦しむ必要はない』
「いか……ない。行く……もんか」
誰か。誰か助けてくれ。そう願った。何も分からない中で強く、そう願った。
「しっかりして」
「行っちゃダメだ」
新たな声が聞こえて来た。さっきの地底から響いて来るような声とは違う。その二つの声は、はっきりと耳に届いた。
「誰……」
二つの声は、交互に言う。
「ほら、ゆっくり落ち着いて」
「誘いに乗ったらいけないよ」
「ここに何が見える?」
「真っ暗なんかじゃないよ」
「光がなければ作ればいいの」
「僕たちは光を生み出せるんだからさ!」
徐々に、体に感覚が現れる。辺りを覆っていた靄が、晴れる。
「ほら、段々見えて来たでしょ?」
「光のない世界なんてないよ」
「感じて。あなたの周りにあるものを」
「君の大切なものを、思い出して」
目を開けると、薄暗い天井が見えた。ゴツゴツとした岩壁のようだ。少し離れたところに壁があるだけで、出口はないようだった。
その時、何か暖かくて柔らかいものに挟まれていることに気が付いた。
「……どこ、ここ」
ふと呟いて、視線を落とす。まず見えたのは前髪の一部が赤い銀髪の女の子。そして、後ろにも温かさを感じてゆっくり首を回すと、そこにはひたいに傷のある金髪の女の子がいた。
「……良かった、晴れた」
「本当にびっくりしたよ~、降りて来たらいきなり真っ暗なんだもん。間違って闇の守護者に降りて来ちゃったのかと思ったよ」
銀髪の子が顔を上げる。そこでようやく理解する。……今、二人の女の子に挟まれていることを。
「あの……えっと……君たちは」
言いながら、無意識に体を捩ると後ろの女が慌てて言った。
「ああごめんなさい、もしかして、嫌だった?」
「あーそうかも。ごめん、咄嗟のことで」
と、二人はすごすごと離れると目の前に並んで座った。そして、金髪の方が先に口を開いた。
「私はイルトリア・トロワ。こっちは妹のミシュカ。私たち双子なの」
「よろしくねん」
ミシュカと紹介された銀髪の女は手をひらりと上げて笑った。
「あ、僕はアーガイル。アーガイル……エウィン。君たちは……何者?」
と、そう訊きながら────アーガイルは自分が何者かを思い出せて安堵する。それも、ここにいる彼女たちのお陰なのだろうが……。
答えたのはミシュカだった。
「僕たちは精霊だよ。ついさっき君に憑いたの。いやーしかし、タイミングが良かったかな。上手く行くかは半分半分だったけど」
そう言う彼女は青い装束を着ていて、イルトリアに比べると光の精霊感がない。水の精霊と言われた方がしっくり来るが────双子だという以上彼女も光の精霊なのだろう。
「……つまり憑神っていうやつ?」
「それは知ってるんだね~、そうだよ」
「まぁ……身の回りに色々いるからね」
ふと辺りの気配を探る。自分たち以外には誰もいないようだった。
「さっきのは……一体……」
「僕たちもよく分かんないんだよねぇ」
「良くない状況だったのは確かだけど。苦しそうだったし」
「あぁ、そうだ。助けてくれてありがとう」
アーガイルがそう言うと、二人はにこりと笑う。笑顔がとてもそっくりだと、そう思う。
「勿論! アーガイルさんは私たちの主だもの」
「持ちつ持たれつって奴だよ~、気にしないで」
「そっか……あ、それから……僕のことはアルって呼んで」
「分かったわ。じゃあ、私のことはイルと」
「僕はそのままでいいよ~」
二人は揃ってよく喋る。顔はあまり似ていないがなんとも双子らしい。
「ええと。……イルとミシュカ。ここは……どこ?」
「心理の窟だよ。君の中の心の空間、僕らの下界での生活空間だよ~」
言われて、辺りを見渡す。しばしばエレンから聞かされていたことを思い出す。
「これが……あの」
「存在については知っていたようね」
「まぁ……」
しかし、一度に二人とは。彼女たちは双子だから、一緒に行きたいと言ったのだろうか。あれほどまでに焦がれた憑神だというのに、アーガイルはまだ実感がなかった。二人。……エレンと同じ。
「っていうか、僕は何してたんだろ……」
「ここにいるということは、眠っているということよ」
「僕らしばらくこっそりいようと思ってたのに、君が既にここにいるんだもの」
イルトリアとミシュカは口々にそう言った。
「……そっか。ここからはどうやったら出られる?」
「外に出ようと思えば出られるわ」
「簡単でしょ?」
とても感覚的なアドバイスだと思う。だがそう言われてはそれを試すしかない。アーガイルは二人に礼を言って、外へ意識を傾けた。
* * *
────神暦38326年6月19日 夜────
視界が暗転して、次に目を開けた時には自分の部屋だった。体を起こす。……やはり、なぜ自分が意識を失っていたのかが分からない。
フォレンが暴れていたことまでは思い出した。だが……。
部屋を見渡す。誰もいない。エレンか兄くらいはいてもいいのに……と、少し寂しい気持ちが湧く。
そんな思いにため息を吐きつつ、ハッとする。さっき深淵の向こうから聞こえて来た声は、こういう心の隙に入り込もうとして来たのだ。あれは、優しい声だったが良いものではなかった。声についていってしまっていたら、どうなっていたのだろう。
「……イル? ミシュカ?」
『いるよ~』
『アルさん。声に出さなくて大丈夫よ。心の中で話し掛けてくれれば聞こえるわ』
頭の中に直接二人の声が響いて来る。これは確かに、精霊と話しているとボケッとしてしまうなとアーガイルは相棒の姿を思い出しながらそう思った。
ようやく、二人の存在が自分の中で現実味を帯びて来た。自分は、ようやくこの力を手に入れたのだ。これなら。これならきっと。
────もっと早ければ、彼と一緒に神界でも戦えたのに。
ベッドの上で膝を抱えて丸くなる。嬉しいはずなのに、何故か悔しかった。
「────変化を望まないのは、僕の方か」
独り言。自分は変わりたいのに──────エレンには。変わって欲しくない。そのままでいて欲しい。そう思っている。
追いつけない。エレンの隣に行きたいのに。自分はその後を追うばかりだ。
……強くなりたい。そう思う。何者にも負けないくらいに。そう。何者にも────。
────首を横に振る。自虐的に笑う。頭に一瞬過った考えを振り払う。馬鹿馬鹿しい。何を考えているんだ。
あの不気味な声のせいだ。アーガイルはそう思う。
扉を開けて部屋を出ようか。そう考えたところで、今はまだ、出たくないと思った。今は────どんな顔をしてエレンと会ったらいいか、分からない。
#76 END
To be continued...
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物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
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