Strain:Cavity

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Chapter 2 The [C]apricious

Act5:才能は静かな場所で成長し、人格は激流の中で成長する

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 一糸纏わぬ若い男女が、ベッドの上で体を絡めている。

 開け放たれたカーテン。窓の向こうの水平線に、夕陽が沈んで行く。

 女のなだらかな柔肌に、男は指を食い込ませる。上がる嬌声に、男は長い栗色の髪の間から笑みを覗かせた。



 今日もまた、歳上の女を抱いている。昨日とは違う女だった。前に会ったのはいつだっただろう。一週間前か、それより前か。それは忘れたが、名前はしっかり覚えている。毎日違う女と会っても、名前を間違えたことは一度もなかった。



「……ねぇ、リアン」

 月が西へ向かい始めた頃、座って明日のことを考えていた男に、隣で寝転んでいた女が名を呼ぶ。男────リアンは、前髪を掻き上げて微笑む。

「なに?」

「明日も会わない?」

「……ごめんね。明日は別の約束があるんだ」

 困った顔をして、笑う。女は体を起こして怒ったような顔をする。

「またそうやって…………」

「ヒルダ。愛してるよ」

 唇を塞いで黙らせる。優しく頬を撫でる。離れてみれば、女の顔はまんざらでもないように、照れて、赤い。

 ぐぅ、と腹が鳴る。リアンは笑った。

「お腹空いちゃった。何か作ってよ」



 北の港町、ロバストキール。沿岸沿いの斜面にあるこの町は、丘の上からの水平線の眺めが最高だった。白い街並みと、澄んだ碧色の景色は美しく、観光に訪れる者も多い。

 漁師が多く暮らすこの街の娯楽は、釣りと、そして夜に明々と灯りを灯す歓楽街の賭博と、女だった。

 街の一角に、いくつかの娼館が立ち並んでいる。リアンはその中で生まれた。比喩ではなく、そのままだ。リアンの母親は娼婦で、父親はどうやら客の一人らしい。だから顔も名前も分からない。何ならリアンは、自分を可愛がる女たちのどれが自分の母親なのかも分からなかった。だけど、世話をしてくれる人には事欠かなかったし、それが親の愛ではなくとも何かしらの愛は受けて育った。

 リアンは自分が不幸だとは思っていなかった。

 物心ついた頃には、母親が分からないほど女に囲まれていた。いつの間にか────13歳かそこらの時に、今は顔も覚えていない不埒な女に性を覚えさせられた。それすらも、リアンは生きるために利用した。

 可愛い顔だと言われて育った。自分でも可愛いと思っている。サラリとした栗色の髪と、しっかりとした鼻筋と眉、二重でぱっちりとした、海のような青い瞳。それら全てが武器だった。少し笑って、愛想を見せればこの街の女はすぐに家に招いてくれるし、飯だって作ってくれる。夜には体を重ねて、朝には別れを告げて去る。そうやって渡り歩いている。

 日が高々と昇った頃に、朝食を食べている。港町の料理はほとんどが魚介類だった。慣れ親しんだこの味。この街の女は大概料理が出来る。たまには出来ない人間もいる。そういうのに当たると、リアンはそっと彼女を避けるようになる。少しまずいくらいならいい。壊滅的に出来ない人間は困る。そのうち、関わりを持つ前になんとなくそういう気配を察知出来るようになった。あとは、そう。

「ねぇ聞いて、リアン、そう言えばこの前フランがさー、結婚間近だった男と別れたらしいんだよねー」

「フラン? あぁ、漁師の人と婚約してた……」

 この街の男はほとんどが漁師だが。

「そうそう。前から少し怪しいと思ってたんだけどさ、この前ついに破局したって! やーだね」

「何で別れたの?」

「男側の不満が爆発したんだよ! フランは魚が触れないから、せっかく獲って来た魚を捌けないの! 『魚料理はあんたが作って』って作らせてたのよ。信じられないでしょ」

「…………人それぞれだと思うけどね」

「じゃあ何で漁師なんかと付き合ったんだって話よ。魚が嫌いなら山にでも引っ越せば良いのよ。バカよね」

 ぎゃあぎゃあとよく喋る。リアンは適当に聞き流しながら朝食を食む。女たちは噂が好きだ。それくらいしか娯楽がないからだ。小さな町だから噂はすぐ巡る。下らない痴話喧嘩だって、大きな事件だって、変わらない速度で知れ渡る。この街の女たちは口が軽い。秘密なんて話そうものなら、もうそれは秘密にならない。

 リアンは噂はしないが、噂はこうして仕入れている。これも生きる術だ。たまにしか帰って来れない漁師なんかが、街の様子を知りたがることがある。そういう時に、駄賃と引き換えに噂の中から教えてやる。そんなに役に立つ噂はほんの一握りだ。女たちが騒ぐ噂は、大抵のことは下らない。

「ねぇ、そう思うでしょ?」

「そうだね」

 適当に相槌を打てば、機嫌は取れる。意見どうこうはいらない。同意が欲しいだけだ。

「ごちそうさま。美味しかったよ」

 食器を置いて、笑う。向かいのヒルダはリアンの手に手を重ねて言う。

「ねぇ、次はいつ会えるの」

「いつだろう。いつがいい? また連絡して。会いに来るから」

 自分の手に重ねられた手を取って、その甲にキスをした。安心させるように、子供のような笑みを見せる。ヒルダも、笑う。

「分かったわ」







 波が港の桟橋と停泊した船の間で、チャプンと音を立てている。目を降ろすと小さな黒い魚影が、船の下でじっといている。

 綺麗な海だ。潮の匂いを息いっぱいに吸い込む。冬の冷たい風が心地よい。リアンは丘の上からの景色よりも、港を歩くこの空気感の方が好きだった。

 三つ編みにした長髪が風になびく。娼館の誰かがくれたリボンがその先で揺れている。この身は、たくさんの人によって繋がれている。でも、それと同時に彼には居場所がどこにもなかった。

「……今日はロラのところ……明日……明日は決まってないな…」

 ため息。舟留めの上に座る。今、少し体を傾けてこの海に落ちても、自分を必死に探す人なんていないのだろうな、とそんなことを思う。

 生きている意味を、時々思う。死にたくないから。今はそれだけ。

 海では時々人が死ぬ。水死体は何度か見たことがある。水で膨れて、魚についばまれて無惨な姿になっていた。あんな風になって死ぬのはゴメンだと思った。死ぬなら、このまま綺麗な身でいたい。

 神を信じるのに熱心な女がいた。彼女が言うには、人は死んだら神の元に行くらしい。良い行いをしていれば、幸せに暮らせる。悪い事をすれば、地獄に落ちて、苦しい思いをする。全ては神の思し召し。────馬鹿馬鹿しい。

(本当に神様がいるなら、俺をこんな所に置いとかないでしょ……)

 無為な毎日。不幸ではない。毎日腹は膨れるし、温かいベッドで眠れる。でも、幸せでもなかった。どこか満たされない。

 生きては行ける。何不自由なく生きては行けるが、自分が穏やかに、町の漁師たちのように、笑って年老いて行く姿を想像できない───。



「────おい」

 突然かかった声に、我に返った。振り向くと、自分と歳の変わらなさそうな青年が立っていた。

 この辺りでは目立つ赤毛。右目の眼帯と、赤いシャツが仰々しい。見ない顔だ。

「……何、誰」

「お前、ちょっとついて来い」

「……はぁ?」

 黒ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、眼帯の青年はぶっきらぼうにそう言う。リアンは立ち上がると、肩を竦める。

「人にものを頼む時はさぁ、頼み方ってものがあるでしょ。っていうか知らない人にはついて行くなって、お母さんから教わらなかったの?」

 リアンも教わっていないが。

「俺はお前の名前を知ってる。……いいから来い。急いでるんだ」

「ヤだよ。……俺の名前を知ってるって言った?」

 さてはリアンが会わなくなった女の関係者か。今の彼氏がリアンをブン殴ろうとか、そういう……。

 そう思ったリアンは、首を傾げて笑う。

「路地に連れ込んでやっちまおうってこと? 悪いね、男に誘われるシュミはないんだ。それじゃ」

「は? 待てコラ……!」

 踵を返した肩を、眼帯の青年が掴んでくる。それを振り払って、リアンは拳を握りしめて彼の顔を殴った。

「……イッ……!」

「大人しく殴られてやるほど俺は大人しくないからな! 喧嘩する気ならここで相手になってやる。すぐ海に突き落としてやるからよ」

「……はぁ⁈ 喧嘩売って来たのはそっちだろ!」

 青年は隻眼を大きく見開いて怒鳴る。リアンは笑みを浮かべてちょいちょいと相手を手で挑発する。

「ほら来いよ。殴られてムカつくだろ」

「このやろ……!」

 青年が拳を振る。リアンは避けて殴り返すが今度は受け止められる。

「何度も食らうかよ」

 ドッ、とリアンは頬に衝撃を受けて倒れた。

「いたっ、顔はやめろ顔は!」

「……気が変わった……半殺しにして連れて行く………」

「やれるもんならやってみろ!」

 起き上がって、リアンは青年に向かって行く。青年も拳を握りしめて走って来る。

 リアンは腕っぷしにはそれなりに自信があった。体格はいいし、女絡みでイヤな男に絡まれることはたまにある。そういう状況を切り抜けるために、喧嘩には強くなっていた。だが、この相手はなかなか強かった。戦い慣れている。力いっぱい殴ってもなかなか倒れない。上手くいなされているようだった。そして、受ける打撃も痛い。

「うおおおぉっ!」

 互いの拳が互いを打とうとした寸前、二人は同時に後ろから何かに押されて、額をぶつけた。

「⁈」

「だっ‼︎」

 ぐらぐらして、二人は後ろに転ける。リアンが目を回しながらなんとか体を起こすと、二人の間に新たに人が立っていた。

「もー、やーめなさいって、何で喧嘩になってんの」

「………それやめて下さい、死ぬかと思うんで……」

 青年が額を抑えて起き上がりながら言う。間に立っていた白いコートの男は、笑って謝りながら青年の頭を撫でると、リアンに目を向けた。

「悪いね。こいつ人付き合いが苦手なんだ。悪気はないから許してやって?」

「………別れた女のカレシじゃ、ない……?」

「何のこと? 俺は君に用があるからルチアーノに呼んできてくれって頼んだだけだ。……あ、ルチアーノってこいつのことね」

 白い男は眼帯の青年を指差して笑う。ルチアーノはその指を跳ね除ける。

「どうせ来るならアルヴァーロさんが呼びに来れば良かったじゃないですか」

「だってお前同年代の友達いないじゃん。せっかくだからと思ってさ。………心配して見に来て良かった」

 リアンは混乱する。何が何だか分からない。そもそもこの男がいつから近くにいたのかも分からない。まったく気が付かなかった。

「……何者……? 俺に用って何……?」

「リアン・ローガン。俺たちは勧誘に来た。……まぁ、君に拒否権はほとんどないけどね」

 白い男は、リアンの前で屈む。

「俺はアルヴァーロ。アルヴァーロ・ビアンキ。………殺し屋だ」

 ドキリとする。この美しい町には似合わない、血生臭い職業だと思った。でも、目の前の男はこの町のように白かった。自分を見つめる紫の瞳は穏やかで、とても人を殺しそうには見えなかった。

「……勧誘? 何で」

「君を情報屋として仲間に入れたい。どうかな。人を殺せとは言わないよ。……手伝ってくれると、そりゃ嬉しいけどね。必要なのは情報だ。君の能力が欲しい」

「能力……? そんなもの、ない」

「いいや。類稀なる記憶力、人から話を聞き出す上手さ……人に取り入るその魅力。全てが君の恵まれた能力だよ」

 褒められた。リアンは顔以外のことを褒められたのは初めてだった。アルヴァーロの穏やかな声を心の中で反芻していると、不機嫌な声が耳に入って来る。

「……アルヴァーロさん、やめましょう。俺こいつのこと嫌いです」

「んなっ……」

「そんなこと言うなよルチアーノ。次のターゲットは情報が命なんだ。お前が代わりに集めて来るのか? 無理だろ。彼なら出来るよ」

「でも……」

「仲間にしないなら、殺さないと。俺たちの名前を教えちまったから」

「なっ、えっ、断ったら俺死ぬの⁈」

 とんでもないワードを聞いて、リアンは慌てる。死にたくない。生きている理由もないが死にたくもなかった。

 アルヴァーロの目がリアンを向く。少し意地悪に、彼の目が細められる。

「悪いね。立場上、仲間以外に正体が割れてるとまずいんだ。君が情報屋である以上、誰かに言いふらされない保証もないし……」

「……俺、自分で情報屋って名乗った覚えないんだけど……」

「そう? 漁師のおじさんたちが情報屋だって君のことを紹介してくれたんだけど」

「……………」

 そういうことになるのか。リアンは自分が追い詰められているのを感じる。彼が「拒否権はない」と言ったのはそういうことだ。仲間になるか死ぬか、二つに一つだからだ。

「……誰の情報が必要なんだ」

「おっ、乗ってくれるの。ま、仕事の話はあとでいい。聞いてから無理だって断られるのも困るしさ」

 鬼だ。優しい顔と声で嫌なことを言う。どの道、こうなった以上はリアンは乗るしかない。逃げられるなんて思えなかった。足音も気配もなく近づいて来たこの人から。

「………やる。やりますよ。やればいいんでしょ」

「やったぁ」

 アルヴァーロは嬉しそうに笑う。手を強い力で引っ張られ、立ち上がる。ぶんぶんと右手を両手で握られて振られる。

「これからよろしく、リアン。ルチアーノとも仲良くしてやってくれ」

「あ、それは無理かもしれないです……」

 苦笑を浮かべながらルチアーノをチラリと見ると、彼はフンと顔を逸らした。







「しばらくここを拠点として借りてるんだ。ま、くつろいでよ」

 町の隅の小さな一軒家。2LDK。それぞれの小部屋にきっちり二人の荷物が置かれているのを見て、リアンは首を傾げる。

「……俺はどこで寝れば……?」

「ルチアーノと同じ部屋。大きなベッドだったから二人行けるだろ」

「はぁ⁈ 嫌ですよ!」

 ルチアーノが叫ぶ。リアンも同意だ。二人とも190cm近い身長をしている。大きい男が二人で並んで寝るのは、何と言うか、イヤだ。

「……いいっすよ、俺、他のところ行くんで……」

「他って、どこに。お前、家がないって聞いたけど」

 どこまで知ってるんだ、この人達は。とリアンは辟易としてアルヴァーロを見る。

「ガールフレンドのお家に。今日も約束があるんでさ。大丈夫、朝には戻るから」

「毎日そんな生活してるのか。親は?」

「いない。知らない」

「“ローガン”て名前があるのに?」

「………あだ名だよ」

 いつしか、姓のように定着していたが。親が分からないリアンに、姓があるはずがなかった。誰かが遊びで、リアンの事を“小さな空洞ローガン”と呼び始めた。何も持たずに流れる自分にはピッタリの名だと思っていた。響きも悪くないし、リアンの名と合わせてフルネームっぽく使っていた。

「……そうか」

 アルヴァーロは腕を組み目を伏せると、リアンの方へ近付いてくる。すると突然、わしわし、と頭を撫でられる。

「⁈」

「よし。俺のことを父親代わりだと思えばいいよ。ここがお前の帰って来る場所だ」

 ニカリとアルヴァーロが笑う。リアンはポカンとする。

「……えぇ…」

「帰る場所が無いから、女のところに泊まるんだろ?」

 言われて、考える。そういうことなのか。そういうことなのかもしれない。だが、何か違うような気もする。答えが出ないまま、現状どうするべきかをまず考える。

「………今日は、行くよ。約束してるんだ。行かないと、怒られる」

「……そう。まぁ、約束なら仕方ないか」

 アルヴァーロは納得したのか、頷いた。

「朝には帰って来るんだよな。飯、いる?」

「食べてから帰って来る。………行ってきます」

「おう」

 ……家族みたいなやり取り。本物のそれをリアンは知らないが、そう思う。



 リアンが出て行ってから、ルチアーノはどかっとソファに座った。

「………情報屋が必要なのは分かりますけど。一時的に雇うんじゃダメだったんですか?」

「あの子のこと、嫌い?」

「嫌いです。いきなり殴るし……」

「それはお前の態度が悪かったからだよ。人との付き合い方を学ばないと。お前の方がお兄さんなんだから」

「………」

 アルヴァーロと出会って三年。ルチアーノは21歳になった。戦闘のスキルは随分身についた。その分……彼は、何かを失い始めていた。

「……アルヴァーロさん」

「何?」

 隣に座って来たアルヴァーロに、ルチアーノは不機嫌な声で言う。

「それにしたって、同じ布団で寝るのは無いです」

「……そうか。ごめん」



#5 END
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