Strain:Cavity

Ak!La

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Chapter 2 The [C]apricious

Act7:女性を力強く守ることのできる者だけが、女性の愛顧を得るに値する

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 開店前の娼館を訪れる。夕暮れ時。Closeの札が提げられたその扉を開けると、見慣れた光景が目に飛び込んで来る。エントランスで談笑していた女たちが、こちらに気付く。

「あら、リアンじゃない! お帰り」

「……ただいま」

 リアンは微笑んでそう答える。ここは実家のような場所だ。でも、帰ってくるべき場所ではなかった。

 彼女たちが寄ってくる。どこか嬉しそうな彼女たちに、リアンも歩み寄る。

「元気にしてたの~? 何か食べてく? お腹空いてるでしょ」

「いいよ、金ないから……」

「いいのよ! いくらでも奢ってあげるから! 相変わらず可愛いわね~ん~っ!」

 頬を両手でこねられ、キスされる。リアンはやんわりと彼女を遠ざけると、言う。

「ちょっと、聞きたいことがあってさ。……ヒルダのこと……」

「ヒルダ? 会ってないの? あの子ならもう半月も前にやめたわよ」

「いや。会ってはいるんだけどさ。……彼女、何か悩んでそうだったから。何か知らない?」

 嘘だ。そんな素ぶりはなかった。だが、彼女たちが知っているなら何か出てくるだろうと、カマをかけた。

「直接聞けばいいのに。……そうねぇ……」

「彼女は何で店やめたの?」

 リアンがヒルダと最初に出会ったのはここだった。店をやめたから、夜いつでも会えるよと、半月前に言われた。

 彼女は顔を曇らせる。当たりか、とリアンは思う。

「……太客がいたのよ。でも、その人が……酷い人で」

「酷い?」

 話している彼女だけでなく、周りの女たちも表情が暗い。

「毎日来て、毎日誰かを指名して……って感じなんだけど。ヒルダを気に入ってて、ヒルダがいた時はほぼ毎日指名してたわ。でも扱いが……乱暴で。私も指名されたことあるけど、ほんとに……」

「……彼から逃げるためにやめた?」

「そう。しばらくは、頑張ってたんだけど。その人には黒い噂もあってさ、怖いって……」

 間違いなくアダンのことだな、と心の中で頷く。父親にはバレずとも、女たちの間では噂になっていたのだろう。その影がチラついていたか、アダン自身が話したのか。バックに恐ろしい組織がいて、多額の金を落としているとなると、オーナーも迂闊に手出しができないのだろう。

「……最近、その男は?」

「来るわよ。……ヒルダがやめてから、色んな店を転々としてるみたいだけど────ここへは毎週、水曜と金曜日に」

 そう言ってから、彼女は不安そうな顔をする。

「ねぇリアン。どうするつもり?」

「……何が」

「その男のことよ! ……わざわざ訊いてきたってことは……ねぇ、お願いよ。危ないことはしないで」

「大丈夫だよ。ただ……困ってるなら見過ごせない」

 他人事ではいられなくなった。世話になった彼女たちが脅かされているのなら、傍観しているわけにはいかない。勿論、自分一人ではどうにも出来ない。自分に出来ることを、する。

「助けになる。だから、俺を信じて話してくれ」







 日が沈んだ頃に、ヒルダの家に向かった。曲がり角を曲がって、その通りに差し掛かったところで声が聞こえて来た。思わず足を止める。

「ヒルダ! ヒルダ! いるんだろう⁈ 開けてくれよなぁ!」

 ドアを叩いている男がいる。ただならぬ雰囲気に、そっと近付いた。ピシリとしたスーツの男。片手にバラの花束を持っていた。

「頼むよ! 一生懸命探したんだよ……! ほら! 何一つ不自由にはさせない!」

 ……顔を見なくても、誰だかは察しがついた。リアンはわざとらしく咳払いした。振り向いた顔は、やはり知っている。写真で見た男だ。

 彼は怪訝な顔でこちらを見ている。リアンは彼の方を見ながら徐ろに携帯を取り出すと、耳に当てる。

「……ちょっと待て!」

 男が駆け寄って来て右手を掴んで来た。リアンは眉を上げて、言う。

「あら。警察呼ばれちゃマズいの?」

「僕は怪しいモンじゃない! 彼女に会いに来ただけだ!」

 男は必死そうだった。きちんとした身なり。大声で叫びながら家のドアを叩いていなければ、怪しい人ではないだろうなとリアンは思う。

「フラれたんでしょ。悪いけど今は俺の彼女なんだ────帰ってくれない?」

「は? お前どこのどいつだ! ヒルダがお前みたいな馬の骨なんかに……」

「馬の骨かもしれないけどさ。大事な女なんだよ。俺は彼女がいないと生きていけない」

 何を言っているんだろうな、とリアンは思う。大袈裟だけど、それは一部本心だった。

「な、何を……!」

「彼女を想うなら帰ってくれよ。じゃないと本当に警察を呼ぶ」

 殴りかかられる。リアンはひょいと避けた。喧嘩慣れはしていないなと一目で分かった。

「ねぇ。人を殴ったら暴行罪だよ。良いの? 次期社長だろ?」

「! ……お前……」

「大人しく退きなよ、今ならまだ黙っててあげる。色んなことを、ね」

 花束の花弁が散っている。男は悔しそうな顔をして、キッ、とリアンを睨んだ。

「────覚えたからな、お前の顔。覚悟しろ」

「それはどうも」

 リアンはヘラリと笑って見せる。男は足早に去って行った。少し離れた所に停まっていた黒い車に乗って、あっという間に見えなくなった。

(……あれがアダン・エレディアね)

 ターゲットに接触した。殺すのは自分の仕事じゃない。素人の自分がヘマをしては迷惑がかかる。だから、今は見逃した。それよりヒルダだ。事前に連絡はしているから、家にはいるはずだ。

 呼び鈴を鳴らす。反応がない。……それはそうか、とリアンは思い、ドアの前に立つ。

「ヒルダ! 俺だよ、あいつは追っ払ったよ。だから安心して」

 しばらくして、ドアが少しだけ開いた。隙間から彼女の目が覗いて、リアンと目が合うと勢いよく開いて、ヒルダが飛び出して来た。

「うわぉ」

「リアン! 怖かった……」

「大丈夫? 中に入ろう」

 抱きついて来た彼女と共に、そのまま玄関に入る。離れた彼女の目元は赤くなっていた。

「娼館の皆んなに聞いたよ。あいつから逃げるために店をやめたんだって?」

「そうなの。……でも、ついに見つかっちゃった…………」

 一昨日、明るく振る舞っていたのは不安を隠すためだったのか。明日も会おうと言ったのは、一人じゃ不安だったからなのか。

 リアンは彼女を安心させるように、肩を撫でる。

「あの人、私と結婚したがってるの。でも、嫌。話しても楽しくないし、優しく抱いてくれないし……もうすぐ社長になるんだって言うけど、ヤバいことに手を出してるのは間違いないもの」

「彼が話した?」

「酔った時にね。自慢げに話すの……多分彼は、覚えてないけど」

 酒癖が悪い、というのは向こうでも聞いた。酒を大量に飲んで、毎晩ベロベロになる。翌朝にはケロッとしているらしいが────酔っている間に、女たちに乱暴なことをすると、そう聞いた。

「どうしよう、リアン。もう私……逃げられないかも。どうしよう…」

 ヒルダは泣き出しそうだった。胸がキュッとなる。リアンはその感情に、名前をつけてはいなかった。

「……ヒルダ。俺、君を助けられるかもしれない」

 強いて言うならば、男としての矜持。泣いている女のコを、放っては置けなかった。

 彼女が顔を上げる。リアンは真剣な顔をして、腰を屈めて視線を合わせた。

「俺を信じて。……少しだけ、君に嫌な思いをさせるかもしれないけど────必ず助けるよ。よく聞いて。俺に考えがある」

 それはある種の賭けだった。自分一人では完成しない作戦だった。だから、力が必要だ。殺し屋の二人と、そして、この彼女の────。

「本当に……?」

「うん」

 力強く、頷いた。彼女の両手を握る。細い指先は冷え切っていた。リアンの体温が、伝わる。

「……分かったわ。信じる」

「ありがとう」

 優しく笑う。第一段階。さぁ、やってやろうじゃないかと、リアンはこれまでにないやる気を感じていた。







 ヒルダの家に一泊して。彼女に戸締まりをしっかりするように言ってから、リアンはアルヴァーロの所に戻って来た。

「お帰り。収穫はあった?」

「色々。……作戦を立てたんですけど、聞いてもらえますか」

「お、そう? 聞こうかな」

 アルヴァーロはリアンをソファに促す。部屋からルチアーノが出て来た。ルチアーノが座った隣にアルヴァーロは座り、リアンはその向かいに座った。

「作戦の前に、まず得たことを聞きたいな」

「そうっすね……」

 何から話そうか、と思考を巡らせる。

 アダンの通う娼館のこと。一人の女に執着していること────見聞きして来たこと全てを話した。ヒルダの家の前であった一件、自分がアダンと接触したことも、含めて。

「なるほどね。十分な成果だ。それで?」

 アルヴァーロは穏やかに、リアンに話の続きを促す。

「……ヒルダを、使います」

「部外者を? それは困るよ」

「拉致は俺がやる。俺はもう顔見られてるし……ヒルダは俺を信じてる。……実行は、ルチアーノに頼みたい」

 ピクリとルチアーノが反応する。彼が何か言う前に、アルヴァーロは笑って言う。

「俺には別のことをやらせたいってこと?」

「……そうです」

 リアンは真剣な目で、真正面からアルヴァーロの紫の瞳を見据えた。

「アダン・エレディアの裏にいる組織を、潰して下さい」

「……理由を聞こうかな」

 無理だ、と彼は言わなかった。穏やかな笑みの向こうで、瞳が一瞬、恐ろしげな光を帯びたのをリアンは見た。

「アダンを消した後に、ヒルダが疑われたりして……酷い目に遭うことを、避けたい。それに、放っておけばオール・メリー社全体に悪影響を与えるかもしれない。あの会社はこの町にとっても大事な会社なんだ。……だから……」

「依頼外だ。そうでしょアルヴァーロさん」

 ルチアーノが言う。アルヴァーロはそうだね、と頷く。

「分かってます。だからこれは、俺からの依頼として受けてくれませんか」

「……俺は構わないけど……高くつくよ?」

「っ……」

 そうだった、とリアンは俯いた。金なんて持ってない。殺し屋に正式に依頼するからには報酬がいる────。

 どうしよう、と考えていると、不意にフッとアルヴァーロが笑う。

「なんてね。まぁ、こっちの都合で勝手に君の身柄を預かったわけだし……ひとつくらいお願いを聞いてあげてもいいよ」

「あ……」

「大事なんだね、彼女のことが」

 言われて、リアンは顔を逸らす。大事なのは大事だ。彼女個人への感情ではなくとも────どうでもいいなんて、思っていない。

 不満そうなのは、ルチアーノだった。

「それはそれで良いですけど。俺がコイツと行動するってことですよね」

「そうだよ。仲良くね」

 ぽん、とアルヴァーロはルチアーノの肩に手を置く。彼はひとつため息を吐くと、睨むようにリアンを見る。

「…………足引っ張るなよ」

「頑張るよ」

 人殺しの手伝いか、と今さらながら思う。もう後には引けないし、ヒルダを助けたいことに変わりはない。彼らは依頼でアダンを殺すことは決まっているわけだし────この仕事が終われば、この町とも、この暮らしともこれでお別れになるのだな、とリアンはその時感じた。

「決行日は? 君に任せるよ、リアン」

「ヒルダにお願いして……アダンを夜に呼び出して貰いました。早いですけど、今夜です」

「助かるね。そっちのことはそっちに任せるよ。……あぁ、そうだ。君にこれを」

 と、アルヴァーロはゴソゴソとコートの内から、何かを取り出してリアンに差し出した。受け取ると、折りたたみナイフだった。

「武器になるもの、持ってないだろう。銃を扱うには訓練が必要だし、まぁとりあえず、護身用としてそれ持っておきなよ」

「あ、ありがとう……ございます」

 引き出した刃は決して大きくないが、握ってみると心強いような感じがした。

「さて、それじゃあ決行だ。俺は先に出るよ」

「あ、あの」

 立ち上がるアルヴァーロを、リアンは思わず呼び止める。ん、と首を傾げるアルヴァーロ。白いコートが揺れる。

「……依頼しといてなんなんすけど、大丈夫なんですか?」

「何が?」

「だって、相手は何人もいるのに……一人で」

「俺のこと心配してくれるの? 優しい子だね。大丈夫だよ」

 にこ、とアルヴァーロは笑う。不安げなままのリアンに、ルチアーノはため息を吐く。

「アルヴァーロさんには軍隊でも勝てねェよ」

「そこまでじゃないけど……」

「お前はアルヴァーロさんの心配するよりてめぇの心配をしろ」

 びし、とルチアーノに指をさされる。それはそうだ。自分の行動の如何に、ヒルダの命運もかかっているのだ。急に実感がやって来て、緊張する。

 俯いたリアンのすぐ前に、アルヴァーロがやって来る。

「大丈夫だ。君なら出来る。彼女を守りたいんだろう。守りたいものがあれば、強くなれるよ」

 折りたたんだナイフを握った手を、アルヴァーロの温かい手が包む。その時、緊張がスゥッと解けて、代わりに何か力が湧いて来るような、そんな気がした。

「ほら。ね。じゃ、頑張って」

 不思議な人だな、と思う。アルヴァーロはにこりと笑うと白いコートを翻して家を出て行った。

 二人残され、リアンはルチアーノの方へ目を向ける。ルチアーノは不服そうな隻眼を向けて来た。

「……それで。具体的な作戦を聞こうか」

「ねえ。上から目線な感じやめてくれない?」

「俺の方が歳上だよ。……お前のこと、認めてねェからなまだ」

 仲良くなるには程遠いな、とリアンは思う。難しいけど、とりあえず歩み寄るしかない。リアンは笑ってみせる。

「じゃあ、俺の計画を話すね。そう難しいことじゃない。ルチアーノは俺の言う場所で待っててくれればいいからさ」

 この作戦の肝は、自分、そしてヒルダだ。彼女と自分がうまくやらなければ頓挫する。一通り作戦を話して────リアンは、ルチアーノの顔を伺った。

「どう?」

「……悪くない」

 その言葉にホッとする。ルチアーノは立ち上がる。

「だが、お前にかかってるぞリアン。しくじるなよ」

「分かってるよ」

 リアンも立ち上がる。お互い右手を出して、ガシリと握り合った。ギリギリとルチアーノの手が締め付けてくる。痛いが、リアンは笑う。

「よろしく」

「フン」

 ルチアーノもニヒルな笑みを浮かべた。手を離して、彼は先に歩き出す。

「下見だ。行くぞ」

「はいはい」

 二人は共に連れ立って、外へ出た。慣れた潮風が頬を撫でる。先に歩き出した赤色の背中を、リアンは追いかけた。



#7 END
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