春想亭 桜木春緒

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 広壮な豊臣氏の屋敷の跡地の程近く。

 そこに、その趣味人の屋敷がある。



 菊は美しい少女だった。

 美しく生い立つために徹底して管理されていた。

 管理しているのは、趣味人として名高い、雅号を落天斎という男である。

 その管理が始まったのは菊が12歳のときだった。



 彼女が住んでいるのは、広大な落天の屋敷の奥の一角。母屋と一本の渡り廊下でのみつながっており、その一角の中に厠も湯殿もある。茶室まで有った。

 菊はその住まいから出ることを許されていない。庭を少し行くと、植木の間に巧妙に隠された柵がある。そして渡り廊下には番人が居た。

 ひとつには侵入者を許さないということもあるのだろうが、多くは、菊を逃さぬための工夫である。



 落天というその男は、「美」を追い求める一種の芸術家であり、審美家でもあった。さまざまの道具の目利きを諸方から依頼され、高額な謝礼を受けることもままあったようだ。

 出自は良い。元は大名の長男であった。だが、諸事情により廃嫡された。いささかの隠居料を支給されていることは彼にとって喜びであったかなかったか。

 その母は世にまれな美貌の人で、賢婦人の誉れ高かった。だが幼いころ母親と引き離され、その後、彼女になつくこともなかった落天を嫌っていた。

 父はその母を狂おしいほどに愛し、彼女の一瞬の時でさえ支配しようとする、そういう男だった。一方では勇猛な武人でもあり、また落天と同じようにものの美しさを良く知った人として評判が高かった。

 落天はさまざまの美しい道具や、絵画や、書を探し出すことが得手であり、それらのものを自ら作ることも好きであった。



 その時の落天は妻を失ったばかりだった。

 妻は死んだわけではない。家の都合で彼のもとから引き剥がされた。

 その嘆きが生々しいのに、30を超えたばかりの身体ばかりは餓える。一夜妻を買うのも空々しく、早々に倦んだ。

 だから、ただその欲を満たすための器を必要とした。ただ自分を満足させるためだけの、性欲を処理するための器具。

 しかし道具に凝るのは落天の習い性である。

 美しい器具…いや、人を、作ろうと思った。



 そのための素材として選ばれたのが菊である。この少女は、没落した高禄の武家の息女で、両親は彼女の貰い手を探していた。そんなときに父親が旧知の落天の所在を知って訪れた。

 そして菊を引き取ったのである。

 盆栽の手入れをするような凝り方で、落天は将来彼の飢えを満たすための器具としての彼女の手入れに凝った。

 湯浴み、洗髪についての指導は無論、外に出て肌を焼くことを避けるために日中は室内の奥に居ることを強要し、立ち居振る舞いと声の美しさを得るために、謡と仕舞を習わせた。

 また、男女を問わず知性の無い人を落天は不快に感じる性質であるため、古典について自ら教え、礼法についても教授した。

 菊は幸いなことに聡明で、落天にとって都合のいい教え子でもあった。



 だが、ただ菊をこの上なく美しく育てるだけが落天の道楽ではない。

 菊の父と母は、恐らく落天の企みは知らないだろう。単に、愛しいわが子を、彼の元に里子に出したような認識でいる。というよりは、落天に預けはしたが、彼の手配でその実家のほうに奉公するだろうと思っていた節がある。

 だが落天は、菊を里子だとは思っておらず、また手元から出すこともしなかった。いずれ自分の相手とするため、菊を彼の望みどおりの器具に作りたいと思っていた。そのための丹精である。だから、そういう方面の手入れも怠らなかった。

 彼を満たすための器具、だから彼女の呼び名は「きく」である。親に呼ばれていたのは違う名前だった。



 菊は落天の屋敷に引き取られたときから、湯浴みの後には必ず全身に香油を擦りこみ、人前に、といっても彼女に会う人間は端女の他は落天のみであったが、出るときには必ず香草の茶でうがいをするように硬く言いつけられていた。

 くさぐさの落天の指導に対し、菊が従順になったのは恐ろしかったからである。

 菊がはむかったときには、塗籠めに閉じ込め、彼女が失禁するほどに泣き叫んで謝るまで解放しなかった。異臭のする身体を、氷のような眼をした彼に拾い上げられた屈辱は、菊の心を傷つけ、凍えさせた。



 さらに尋常でないこともあった。

 月に一度ほど、落天は菊へのその丹精のほどを確認するために、菊を立たせて素裸にし、その身体の隅々に掌を這わせて点検を行うのだ。

 手足は無論、背中も胸も腰も、内股にも。

 そういうことをされる菊は羞恥と嫌悪で消え入りそうな顔をしているのがだが、するほうの落天は、茶器の鑑定をしているような冷徹な視線で菊の隅々を目利きしているのである。そんなことをしながら、彼は別に欲情するわけでもないらしい。

 その点検の作業よりももっと菊が嫌がっているのが、落天による惨い鍛錬である。

 菊の白い全身を嘗め回すように見つめた後、落天はおもむろに菊を横たえさせ、自らの指に香油をたっぷりつけて、菊の秘所にその指を沈める。

「この指」

と、初めて彼女にそれを為したときに落天は言った。そのとき菊はまだ12歳だった。

「全体を、強く締め付けられるように鍛えよ」

 それが、彼の命令だった。まるで事務的な声と表情。冷徹すぎて、不気味である。

 その後、ほぼ月に一度ずつの割合で、落天は菊をそうして点検し、鍛錬の成果を試した。菊がそれをうまく出来なかったときは、素裸のまま塗籠めに閉じ込めるような罰を加えた。寒さに凍え、闇を恐れ、狂奔して泣き叫ぶまで落天は菊を解放しなかった。その時覚えた恐怖は長いこと菊を怯えさせた。

 鍛錬の道具として、つるつるした白磁で出来た、落天の中指くらいの太さと長さの棒状のものを与えられた。

 罰が恐ろしい菊は、従順にそれを使用して、たいていは入浴の前の時間に、その鍛錬を行っていた。仰臥して開脚し、香油で滑らかにした白磁の棒を其処に収め、身体の筋肉の色々なところに力を込めて、それを締め付けるようにする。また、それを収めた状態で立ち上がり、膝を合わせることなく、可能な限り落とさぬように堪える。そういった鍛錬であった。



 数ヶ月して白磁のものが壊れると、すぐに新しいものが渡された。大きさは以前と変わらず、鹿の角をそれらしく形作ったものになっている。

 その物体が、まだその周辺に彩りのない菊の白い其処の中に入っていくさまを、落天は淫靡な心地で眺めた。それを挿し入れたまま立ち上がってしばらく耐えた菊の中から、そのものが、ごとん、と音を立てて落天の眼下に落ちたとき、彼はついのどを上下させて唾液を飲み込んでいた。その用具はぬらぬらと照っていた。



 菊はそんな異常な日々を送りながら、年月を重ねた。

 落天の5年に及ぶ丹精のおかげか、申し分なく美しく育っている。

 肌の透き通るような白さと、しなやかな体つきで、さして大きくは無いが形の良い乳房が実っている。

 彼女が身にまとっているものも、落天が徹底的にこだわって作らせたものであるために、生地の織りも鮮やかで、繊細な染めも、当代一流の職人が作った一品ぞろいである。

 落天は、菊に茶を立てさせている。なかなかの手前だと、それを教えた落天は満足していた。

 長い睫毛が影を落とす滑らかな白い頬と細く通った鼻筋と、そこに艶やかな黒髪が翳りを沿え、見慣れているはずの落天さえ、切なく胸騒ぎがするような菊の美しさ。

 (そろそろ良いだろうか)とは、落天の思案である。そろそろ、菊の実りを味わっても良いだろうか。

 昨年も落天はそんな気持ちになっていた。しかし、こらえた。こらえるのも甘美な困難である。

 だが、もう良いだろう。

 待った甲斐があってか、菊は昨年より眼差しに艶が出た。



 落天の徹底ぶりは、わざわざその菊の艶を引き出すために、恋をさせたことである。

 相手は、落天がひいきにしている絵師の弟子で、当時17歳でいささか線が細かったが端正な顔をした少年であった。

 日々、この屋敷の一角に閉じ込められたままの菊が、彼を見れば、それは恋もするだろうというのが、落天の予想で、それはまったく思惑通りになったのだ。

 菊の部屋に彼を招き入れ、彼に菊の肖像を描かせる。その時は無論、落天も立ち会っている。

 肖像を描くという作業は、非常に恋に落ちやすい状況であった。絵師は熱っぽい目で対象を見つめ、その視線に見られるほうもまた感応する。まして、菊は、美の審判者であるところの落天が丹精を込めて手入れをした美少女。

 みるみるうちに絵師が菊に魅入られていくのが、落天には嫉妬を感じつつも可笑しかった。

 二人を眺めている落天に気を使いながらも、菊も絵師に焦がれるような眼を向けるようになった。好ましい少年なのだ。おそらく、菊ではないどの少女が見ても、立ち居のさわやかさ、目元の涼しさには魅かれたことだろう。そんな彼に、じっと見つめられて胸が騒がないはずがない。それも落天には計算済みであった。

 落天が不在の時には、絵師は菊の部屋に決して入ることは出来なかったが、恋文や花を人に託して菊に届けさせることを続けていた。菊も、それに対して返書を書き、思いを募らせた。

 落天は、絵師と菊のそういう恋の期間を半年与えた。半年間、絵師に菊を描かせるために出入りを許していた。

 (私を連れ出して)言外に、菊は絵師にそれを訴えた。

 傍目には、落天は菊を溺愛しているように思われていたものだったのだが、彼は菊を単なる玩具に仕上げているだけなのだ。菊の自由をしばり、彼の勝手な規矩でただ彼女をがんじがらめに縛って、とても他人には言えないような屈辱的な行いを強いる。

 どんなに美しい衣装を与えられても、どんなに心地よい空間を与えられても、菊には自らの心と身体を解放させる自由がなかった。そのことが、菊にとってもっとも苦痛に感じられたことだった。



 二人の別れは簡単だった。

 絵師が、その師匠とともに西国へ旅立ったのだ。それは彼の師匠が落天の斡旋で大名に抱えられ、その城のふすまなどの絵を描く仕事を与えられたからであった。

 絵師は、そんな立場を捨ててしまおうと思ったが、落天に逆らうことは仕事を失うことと同義であることを師匠に諭され、結局は彼は菊を捨て業を取って彼女の許を去った。

 以後、文も来ない。本当は来ていたし、菊も出していたのだが、落天が全て握りつぶした。失恋を悟り、菊は泣いた。



 その後の例の点検で、落天は自らの計画が当たったと思った。

 菊の大きな眸に霞が潤みかかるような艶と愁いが生まれている。(これは)と落天は胸がさざめいた。だがその動揺を抑え、黒髪を掻き揚げて首筋をよく点検し、背中から腰を見て、その絹のような滑らかな手触りを確認したのち、椀を伏せたような形の良い乳房に触れた。乳首が、まるで桜の蕾のような淡い紅色に息づいている。それから脇から胴回りに手をやる。申し分の無いくびれであった。

 やがて菊の身を横たえ、つま先から上のほうへと足を調べる。そのとき、落天は菊が声もなく泣いていることに気がついた。あの絵師を想ってのことだろう。だからといって落天は別に怒ることもせず、いつもどおりに、菊の鍛錬の成果を試すために、香油に指を浸す。菊のそこには、5年前とは違い、薄墨のようなつややかな彩りがあった。中に指を沈めていく。

「…せよ、菊」

 落天は事務的なほど淡々とした口調で命じた。菊は声も無く泣いていたが、その部分は落天の指を迎えた瞬間から、別の生き物のように蠢動し、その侵入者を締め付けた。もはや身体がそのように成ってしまったのだろう。

「なかなか具合が良い」

 指を抜くと、菊を裏返しにし、ひざを立たせてその桃のような腰を掲げさせた。そしてまたそこに指を入れる。同様の成果があった。

 その後、鍛錬のための棒に、落天は香油を塗りこめる。

 何代目かになるその器具は、現在は黒檀を滑らかに磨いたものになっている。大きさは指程度なので重さはたかが知れているが、それなりの重量はある。それを、仰臥させた菊のその部分にゆっくり差し込んだ。

 この一年前くらいから、落天は更なる鍛錬を、菊に覚えさせようとしていた。

 収めた棒を、其処の部分の力で押し出せというのである。

 高名な名妓が自慢にしていた技だという。名妓がした物は梅の実だったそうだが妓はそれを三尺先に飛ばしたそうだ。そしてその名妓の持ち物の具合の良さは、とにかく評判が高かった。

 「ん……っ!」小さな声で呻きながら、菊は黒ずんだ棒を、其処から吐き出した。多少の重みがあるから遠くへ飛ばすことはさすがにできない。すぐに落天はその落ちたものを拾い、再び菊の裡に押し込み、

「立て」と命じた。

 その状態で無言のまま、菊は身体を起こし、脚を肩幅にして立った。彼女の正面に座っている落天には見えなかったが、臀部の筋肉が小刻みに震えている。落天が一〇回ほど呼吸をしたころ、菊の其処から黒ずんだ物が、ずるり、と重力に従って下りてきた。う、と菊が低く呻くが、それは其処にとどまらずにゆっくり下がってきて、しまいには床の上に、鈍い音を立てて落ちた。

 少し息を荒げながら、菊がその場に膝をついてうずくまる。このような羞恥も何も通り越した卑猥なことを落天の前でしなければならない屈辱に胸が煮えている。

 そんな菊の心情を知ってか知らずか、落天は常のように冷徹に言う。

「では、さらに励むように」

 落天が出て行ってから、菊は胎児のような姿勢で咽び泣いた。

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