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一章 戦国編

第5話 憑きものの娘

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 娘が生まれたの当時、美濃は荒れていた。

 美濃を治めていた斎藤道三は長男・義龍に国を譲り隠居していた。
 しかし、道三と義龍の不仲は深刻なものとなり決別。親子はそれぞれ軍を率いて長良川で激突。勝利したのは義龍であった。
 道三の娘婿である尾張の織田信長も自ら軍を率いて救援に駆けつけたが、間に合わなかった。

 東濃の豪族・明智氏は長良川の合戦にて道三に与したため、義龍により居城の明智城を攻められ、辛うじて脱出した明智光秀は流浪の身となった。
 東農の恵茉郡において岩村遠山氏は、信濃の伊那郡を制圧した武田晴信(信玄)に臣従していた。その一方で義龍に与して明智城攻めに加わるなど、一時的に斎藤氏にも与していた。

 そんな時代にその娘は生まれた。
 恵茉郡の名主である父親は娘に『蓮華れんげ』と名付け可愛がった。
 蓮華は美しく成長する一方で、蓮華は憑き物が憑いているのではないかと噂されていた。
 母親は彼女が生まれると同時に亡くなっており、不可思議なことが幼い彼女の周りで起き始めると周囲の村人たちは、蓮華は狐憑きではないかと噂するようになる。
 
 古来より農村部では憑きもの筋は、家系(女系)に起こると信じられ、総じて富裕な家が多くその家系から嫁を貰うと『憑きもの』も一緒についてきて、嫁ぎ先に災いをもたらすともされ忌み嫌われていた。
 
 幼い蓮華自身も自分がみんなとは違うことを自覚していた。
 最初は一緒に遊ぶ程度だった。
 周囲の村人は自分たちに見えない存在と遊ぶ幼子を不気味に思い、距離を取り始めた。
 唯一父親だけは娘を可愛がっていた。

 そんなある日、事件が起きた。
 蓮華が外で遊んでいると年上の男の子たちが蓮華に悪戯をしようとした。
 その時だった。幼子の影が大きく伸び大きな獣の姿になり、幼子を守るように男の子たちの前に立ち塞がった。
 男の子たちは驚き逃げ去った。

 それが決定機となり村人から八分にされ、蓮華のことをレンゲ草の別名である紫雲英ゲンゲと呼び恐れた。
 それでも蓮華は幸せだった。
 父親からは愛され、遊び相手には影がいたからである。

 しかし、数年後また事件は起きた。
 蓮華に悪戯した男の子たちが、美しく成長した蓮華に再びちょっかいを掛けてきたのだった。
 十にも満たない幼い少女を取り囲む男の子。
 見目麗しい少女の影が伸び獣の姿になる。
 蓮華に触れた男の子たちの手は影に切り落とされ、接吻しようとした男の子の首は影によって失われた。
 それ以来、蓮華には誰も触れることができなくたった。

 そのことが原因となり、蓮華は実の父親からも恐れられるようになり、座敷牢に隔離され育つこととなる。

 その蓮華に目を付けたのは岩村遠山家当主・遠山景任であった。
 景任は金で蓮華を引取り岩村城に幽閉した。
 当時の遠山景任は織田氏と武田氏との両属状態であったが、織田信長は一族である年下の叔母『おつやの方』を景任の妻として嫁がせたため、織田寄りとなっていた。
 
 1572年(元亀3年)8月 遠山景任は後継ぎが無いまま病死。
 信長は東美濃の支配権を奪う好機として、亡くなった景任の養子に信長の五男御坊丸を据えたのだった。

 同年10月、東美濃に侵攻した秋山虎繁は岩村城を包囲、御坊丸の後見人であるおつやの方は信長の後詰を信じ籠城を決意した。

 岩村城、曲輪の一つに小さな神社があった。
 その神社の一室・座敷牢に蓮華は幽閉されていた。

「おいゲンゲ出番だ! お前のその気味の悪い力を見せてみろ」

 座敷牢に幽閉されている蓮華に声を掛けるのは、この神社の神主である男。

「私が従うとでも?」

「従うさ。でないとお前の家族である父親がどうなってもいいのか? 城の麓には武田軍がいてこの城を囲んでいる。援軍が到着するまで時間を稼ぐ必要がある。お前も死にたくなかったら命令には従え」

「……分かった。私はどうすればいいの?」

 蓮華は父親に売られたことを影を通して知っていた。しかし、幼い頃父親から受けた愛情は本物であり大事な家族であった。自分のせいで父親にも辛い目に、辛い判断をさせてしまったことへの謝罪。その父親が危険に晒されているという思いが蓮華を動かした。

「素直になったな。お前の使役するクダだかオサキだか分からん不気味な獣。それを使って麓の武田軍を襲え」

「……分かった」


 蓮華は久しぶりに外の空気を吸った。
 秋風がさあっと蓮華の頬を撫でて、枯れ葉が渦を巻いていく。

「敵は麓の武田軍だ。やれるな?」

 高台から山の麓を見下ろすと遠山の軍旗ではない別の旗が見える。
 それが蓮華にとって敵なのかどうかは分からない。
 だが、命令には従うしかなかった。
 それが自分がこの城に囚われている理由だと知っているから。

 次に連れてこられたのは神社の祭壇。
 ここで祈祷しろとでも言いたいのだろう。
 蓮華は祭壇の前に座ると影にお願いする。

 影は蓮華の願いを聞き入れるように目の前でくるっと回転すると、風のように消えていった。
 影を送りでした蓮華は祈り続ける。

 しばらくすると影が戻ってくる。
 蓮華は「おかえり、よく頑張ったね」と影を撫でる。

「もう帰ってきたのか? して、成果の程はどうじゃ?」

 しかし、蓮華にはその問いに答えることができない。

「まあ、よい。こちらで確認を取る故ゲンゲ、お前は座敷牢に戻り沙汰があるまで待機せよ」

 神主の蓮華を見下すような態度に影は飛び掛かりそうになるが、蓮華はそれを抑えると言われたように静々と座敷牢へと戻っていった。
 その蓮華を見ていた神主と城兵の下に確認に出ていた兵が戻ってくる。

 その知らせはすぐさま城代である艶の下に届けられた。

「お艶様、ゲンゲの使役する化け物めが麓の武田方を襲撃、物見からの知らせでは混乱が起きているとのこと」

 知らせを聞いた重臣たちは沸き上がった。
 しかし、城代である艶は顔をしかめる。

「ゲンゲではなく蓮華であろう、怪異な力を恐れるのは分かるが年端もいかぬ少女になんじゃその物言いは? まあよい。蓮華には褒美を取らせよ。くれぐれも失礼のないようにな」

 艶の叱咤に部下たちは顔を歪める。


「おらっゲンゲ飯だ。戦時中故、制限があるがお艶様より特別にお前にだそうだ」

 蓮華に出された食事の盆には、所々食べられた形跡がある。
 しかし、蓮華は無言でそれを頂く。食事を頂けるだけましというもの。

 そして三日後、また蓮華は外に連れ出されることになる。
 向かった先は以前影を飛ばした祭壇のある部屋。
 またかと蓮華は思ったが命令には従うしかない。
 蓮華は再び影を飛ばす。
 影が戻るとまた座敷牢へと戻る。

 それを何回か繰り返していると蓮華の座敷牢に珍客が訪れた。

「蓮華……すまぬな、お主には辛いことを申し付けてしまって」

「あなたは誰?」

 蓮華は見たこともない人物に驚く。
 その人物は蓮華が見てきた中で一番美しいと思える女性だった。

「ああすまない。私はこの城の主であった遠山景任が妻、艶」

 なんと、その人物は城代であるお艶の方であった。

「お艶様? どうしてそんなお方がこんな所に?」

「蓮華、お主にどうしても詫びたくてな。今この城は知っての通り敵である武田に包囲されておる。信さまの援軍を待っているが浅井朝倉、それに加えて本願寺と敵に囲まれている状況では援軍も厳しかろうて」

「お艶様……」

「しかし、信様はきっと援軍を送ってくださる。それまでの辛抱じゃ。それまでお主のその力でこの城を……この地の民を守ってはくれぬか……この通りじゃ」

「お、お艶様顔を上げてください。お武家様が下賤の身である私に頭を垂れるなどあってはならぬこと。そのお気持ちだけで一杯ですから、どうか頭を上げてください」

「よいのか? お主には辛いことをさせておるのじゃぞ」

「私とてこの状況は理解しています。この城も長くは持たないことも……」

「すまぬな蓮華、お主には苦労をかける。これは私からのせめてもの礼じゃ、受け取ってほしい」

 蓮華に差し出された物は美しい柄の着物だった。籠城中で食事もろくに食べれない状況下で、お艶のせめてもの心遣いであった。
 
「お艶様ありがとうございます」

「せっかく可愛らしいお顔をしておるのじゃ、触れることはできなくとも身だしなみくらいは整えておいて損はなかろう」

「お艶様に可愛いと言ってもらえるとは恐れ多いことです。ですが、この身に触れる者など居りません故」

「蓮華、悲しいことを言うでない。確かに人と違う力を持つお主に恐れを抱く者はいる。だが、お主の運命の殿方が何時かは現れる。お主を抱き締め救ってくれる殿方が……辛いだろうがそのときまでの辛抱じゃ」

「運命の殿方?」

「そうじゃ。きっと素敵な方じゃろうな。そのときは私にも紹介してたもれ」

「はい」

 その日以降、お艶の方は度々蓮華の下に訪れるようになった。
 ときには幼齢である御坊丸を連れて、そんなお艶の方に蓮華も次第に心を開いていった。



 そんなある日、いつものように祭壇で影を飛ばす蓮華の下に影が戻ってきた。

「おかえり。いつもより早いけど、どうしたの?」

「彼に出会った。彼はこの時代、敵方に混じってお嬢を迎えに来たようだ」

「彼? 彼って誰? この時代って何? 私を迎えにってどういうこと?」

「詳しくは言えぬ。だが、これで我は安心できる。お嬢も彼に会えば分かる」

「ちょっとどういうこと? 説明してよ」

 蓮華は意味が分からなかった。
 彼とは誰なのか? 呪われたこの身を救ってくれる人物なのだろうか? 蓮華は疑問に思う。お艶の方が言う運命の殿方なのだろうか?
 だが、影はそれ以上答えてくれない。
 それどころか影は蓮華の命令を聞こうとはしなくなった。ただ、蓮華を害する輩を守る行動しかしなくなったのだ。


 城の守り手の一つを失った岩村城は、次第に窮地に追い込まれていった。
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