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導きの魔女と気弱な遣い
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「うぅぅ………胃もたれで昼寝できない………」
魔女は腹を擦り擦り、気だるそうにウロウロさ迷っていた。
このところ大男が置いていった肉を消化する日が続いている。
ある程度腹がこなれていないと寝入ることができないので躍起になって散歩しているのだが、いかんせん魔女は日頃昼寝ばかりしているので、体力がない。散歩すら魔女には重労働である。
「わざわざ歩き回って合間に地獄を覗くなんて趣味ないってのに、なんで散歩なんかせにゃならんの………自分が食べる時に、食べる分だけ持って来いって言っておかないと………」
すっかりストレスが溜まった魔女は早口で愚痴りながら、足はのろのろと歩く。
注意がほぼ愚痴に向いていたので、魔女はそれに気付かなかった―――しっかり踏むまで。
「―――――ぐえぇぇっ」
「…………………………うん?」
歩きながらも魔女は首を捻る。
「………あんな軟らかい岩あったっけ。んにゃ、そもそもあそこに岩なんてあったっけ………あー………蛙とか?―――蛙、いるの?ここに?」
あり得ない発想に、慌てた魔女は回れ右して気持ち急いで歩く。胃が重くなければ走るのだが。
魔女が歩いてきた道に人が倒れていた。
「うわっ、思いきり踏んじゃってたよ!もしもーし、大丈夫ですかーっ?」
焦って呼びかけながら肩を揺する。
綺麗な顔は苦痛に歪められている。
「うーん………美人にこんな表情させるなんて私としたことが………こんなとこに寝てるヒトも悪いとは思うけど、でもこれで嫁ぎ遅れにでもなって祟られると困るし」
「………ぅ………」
「あっ気が付いた?もしもーし。綺麗な顔に傷ついても、気立てとか心根とかで見初められてお嫁に望まれることはいくらでもありますっ。だから簡単に祟らないでください、呪わないでくださぁぁいっ」
「………ちが……わた…お………」
「うん?」
微かに聞こえた声はやけに低かった。
ハスキーボイス美人かな。見た目に反して。
頭のどこかでそんなことを思いつつ、口元に耳を寄せる。
「……わ……たし、は………おと…こ………」
それだけを息絶え絶えに言い「ぐふっ」と沈黙する美人の首に暫し指を当てた魔女は―――
ぺしぃぃぃぃぃんっ
その無駄に綺麗な額を思いきり叩いたのであった。
「―――まったく、なんなんだっつの。久しぶりに美人が来たかなと思えば、死にかけ、厄介な囲われロリータ、そんで次は男!たまにはまともな美人来いっての!」
「すみませんすみません」
「こぉんな綺麗な顔しといて、男!何なのもう!喧嘩でも売るってか!」
「ちがいますちがいます」
「大体、大の男が呑気にあんなとこ寝てるんじゃないわよ、紛らわしい!瀕死ごっこなら余所でやってよね!」
「申し訳ありません申し訳ありません」
魔女は盛大にぼやきながらツカツカ歩く。苛立ちに委せて大股で歩いているので、先程のウロウロ歩きよりも余程運動らしい歩き方になっている。
その後ろを、綺麗な顔の男が申し訳なさそうに言葉を重ねながら小走りで追いかける。その様子は、魔女よりも女性っぽい。男なのに。
だぁぁぁぁっもう!
何なの!?女よりも女っぽい男って、ナニ!?
踏んじゃってごめんとか懺悔しまくった自分が憎いっ。まぁリアルに踏んじゃったけども!
そもそもあんなとこに寝てるってナニ!?ヒロインごっこか!「倒れるワタシも美しい」か!
くぁぁぁぁぁ~っ!
………そもそも、お腹いっぱいじゃなきゃ私が歩き回ることも、あの人踏むこともなかったじゃん!
そぉだ!あの男がぜぇぇぇんぶ悪いっ。
ほとんど八つ当りで責任転嫁した魔女は、無理矢理結論付けたところで急停止した。思ったよりハードな運動だったらしく、深呼吸して息を整える。
必死になって追いかけていた男は急に立ち止まった魔女になんとかぶつからないように止まり、かける言葉が見つからずに両手をモジモジと開いたり閉じたりを繰り返しながら小さく唸っていた。
「―――そういえば、なんであんた私についてくるの」
振り返って問うと、男は視線を彷徨わせた。
「わ、わたしのせいで貴女に不愉快な思いをさせたことを謝罪したく………それに」
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅっ
魔女と男の間を静寂が流れる。
「……………とりあえず、何か食べよう」
「も、申し訳―――」
「それいーから。適当に作るからあんたも適当に食べな」
魔女はぱたぱたと手を振ると歩き出す。その後ろを男が小走りについていった。
―――あらまぁ。綺麗な顔でもやっぱり男。食べさせ概があるってもんだわ。
菜箸で鍋の中身を拾いながら、魔女は感嘆のため息をついた。
男は小柄ながら食べる食べる。最初の遠慮はいただきますの挨拶と入れ替わりにどこかへ飛んでいったらしい。飯を差し出せば飯を、鍋をよそって出せば鍋を、とにかく一心に喰らう。
男が我に却って「あっ!」と赤面したのは、鍋の中身を粗方食べ終えた頃だった。
「こ、これはつい―――申し訳」
「いいって。やたら肉があって困ってたから。あんたが食べる方ならもっと肉肉したもの作れば良かった」
惜しいことをした。
魔女の舌打ちを男は不思議そうに見つめる。
「いえ、わたしは普段はこんなに食べないのですが―――」
魔女の視線に慌てたように首を振る。
「いや、なぜ自分でもこんなに食べたのか解らないのです。この数週間は船酔いと不安で食事どころじゃありませんでしたので」
「そんな死にかけるようなマネしてまでどこに行こうっての」
箸を置いて男は深いため息をついた。
「さる大国です。上司からの手紙を届ける役目にありまして」
「郵便配達のどこが不安なの。誰に届ければいいのか解らないとかお手紙食べちゃったってヤツ?」
投げ遣りな魔女の口調にも男は真面目に首を振る。
「出発前に噂で聞いてしまったのですが―――どうも上司は相手と対等の立場であるかのような文面をしたためたらしいのです」
「なにそれ。ヤバイの?」
男は沈痛な面持ちで頷く。
「相手は我が国より広大で文化も制度も軍事力も優れた大国です。それに上司は王ではないのです。王の代わりに政を取り仕切っていますが」
「あんたの国に王さまはいないの?」
魔女が首を傾げると男は難しい表情で、いますが、と唸った。
「今の王は女性なのです。我が国では女子は政に携わってはならぬことになってまして」
「ふぅん」
魔女は面白くなさそうに菜箸を振り回す。
「そんなタイソーなこと宣うなら女の王なんて立てなきゃいーのに」
「成り手がいなくなったのです。次々と王が代わりまして………」
はあっ?と憤慨した魔女に男は首を竦めた。
「今の王は女性ながら人望があり、わたしの上司を含めた重鎮の手綱を執れる優れた方なのです。女子だからと政から遠ざけるのは勿体ないとわたしは思います」
「私に言ってもしょうがないでしょ。本当にそう思うんなら、上に意見しなさいよ」
男は途端に二回りほど小さくなった。
まぁいいけどさ、と魔女はため息をついた。
「つまりあんたはお国を背負って大国とやらに出向こうってことでしょ。今からそんなんで大丈夫なの」
魔女の冷たい視線に男は小さく首を振るが、何も言わない。
魔女は思わずため息をついた。
「………上司とやらも、自分のとこより大きな国に手紙を出そうってのに、なんでこんなナヨッとしたの送り出したんだろ………」
「そうなのですっ!」
「うゎっ!?」
ぐゎばっ!と顔を上げた男に、魔女は驚愕の声をあげた。
「上司はとても素晴らしいお方です。国を良くするための策を次々と打ち立て実行なさる。わたしは―――」
熱をもって話し始めたが、次第に俯く。
「わたしは、家のなかでは落ちこぼれなのです」
魔女は無言でお茶を注いで出した。
男は湯飲みの中をじっと見つめて続ける。
「わたしの家は元は貧しい農民でした。そのためか身体が丈夫な者が多く、戦が多かったときに戦士として活躍する者が多く出たのです。しかし、わたしは駄目だった」
「あんたもそれなりに丈夫そうだけど」
魔女は静かな口調で言葉を挟む。
船酔いは別に良いのだ。人間とは元々生まれた大地を離れる想定になかった生き物だから。
これも、人間が神から離れた証の一つだろう。
時機にここを訪れるヒトもいなくなるだろう。それどころか、弱体化する神にとって変わろうと考えるヒトすら現れるだろう。
神は怒り狂うだろうなぁ。プライド高いから。
神と人間の戦いとなった時、導きの魔女とか呼ばれちゃってる自分はめちゃくちゃ八つ当りされそうだなぁ。
面倒だなぁ。
「身体的能力では劣ってはいないと思うのですが………武具をとって戦うとか、その為に訓練するといったことに身が入らなかったのです。恥ずかしながら、学門をする方が楽しくて」
「まぁ人間には向き不向きってモンがあるからね」
相槌を打ちながら、お茶を淹れて差し出す。
男は頭を下げて一口飲む。
「上司はそんなわたしを取り立てて下さったのです。その恩に報いるためにも、上司の元で研鑽を積むのがわたしの歓びであったのに。なぜこのような大役にわたしなどを差し出したのか………」
「あんただから任せたんじゃない」
男は目を見開いて「まさかそんな」と口をパクつかせた。
断言はできないけどさ、と魔女はお茶を啜る。
「上司は頭いいんでしょ。なら、あんたが適任と考えて任せたんだよ。あんたは選ばれたんだから、堂々とするんだね」
「堂々と、でしょうか」
そうだよ、と頷いて続ける。
「相手は大国なんでしょ。勉強するものはたくさんある筈だよ。船酔いやプレッシャーでへばってる時間はない。手紙で相手が怒ってすぐ帰ることになろうが、何か知識なり情報なり手にいれなきゃ、骨折り損のくたびれ儲けじゃないか」
男の目に力が宿るのを、魔女は微笑んで見守った。
「あれだけ食べたんだ。船酔いの方は大丈夫だろう。気合いいれて渡り合うんだね」
光に包まれながら、男は力強く頷いてみせた。何か口を動かしているが、その声はすでに聞こえなかった。
ドスッという大きな音と共に現れた気配に、魔女はげんなりと振り返る。
「………今洗い物終わったばかりなんだけど」
「そう言うなよ。分厚く切ってステーキとかでいいからさ」
「解ってないわねー。切って焼きゃいいってワケでもないんですー」
それ持って帰れ帰れ、と手を振る魔女に、大男は動じることなく椅子に座る。
「んじゃ、トンカツ」
「揚げるなんて面倒な工程増えてるじゃない」
魔女は頬を膨らませる。
毎度毎度言いなりに料理なんてしませんよ。
料理上手な天使を持ってる女神の所に持ち込めばいいのよ。こんなやたら大量の肉なんて。
「しょうが焼き」
「あのねぇ」
はっきり断るつもりでキッと振り返る魔女だが、大男が虚ろな目を彷徨わせてテーブルに頬杖をついているのを見ると、一つ大きなため息をつき、ぼやきながら大男が持ってきた包みを開けたのだった。
「お代り。今度はしょうが焼きがいい」
「はっ?さっきステーキ焼いたばかりでしょうが」
「もう食った。お代り」
………あんなに空腹なんてとか同情した私が馬鹿だった。
魔女はぶつぶつ言いながら空のお茶碗と皿を受けとる。
大男は身体に相応しい食欲を見せた。
―――まぁね、食べる元気があるって幸せなことよ。起きて食べることができりゃ英気は養われるからね。
だからってヒトを毎度おさんどん扱いってどうなの?ご飯くらい自分でよそいなさいよ!
怒りに任せて切ったのでやたら山盛りになってしまったキャベツの千切りを誤魔化すために、チャレンジメニューばりにしょうが焼きを乗せまくって持っていく。
地味に重い。
なんとかテーブルに運び、きびすを返したところで「おい」と呼び止められる。
「どこ行くんだ。お前も食べろ」
「お腹空いてない」
「いいからそこ座れ」
「洗い物あるのよ」
大男は方眉を上げると、のしのしと魔女に歩み寄り片手で持ち上げた。
「ちょっと!なにすんの!」
「洗い物なんてどうせこれから増えるんだから座れ」
魔女の抗議もよそに大男は椅子に魔女を丁寧に下ろす。
頬を膨らませながらも動く気配がないことを確認して、大男は満足そうに座り直す。
料理しろだの座れだの、何なのもう。
盛大にため息をついたところで、「ほれ」と声が聞こえた。
見ると、大男がしょうが焼きでご飯を巻いて差し出している。
「いらないって言ってんじゃん」
「ちょっとは食えよ。精をつけないと畑仕事できんぞ」
尚も肉を差し出す大男に魔女は盛大に眉をしかめてみせた。
「あんたが置いてった肉を食べ過ぎて、お腹いっぱいなの!昼寝できないの!」
「なんだ、そんなことか」
ヒトの苦しみをそんなことと一掃しやがった。
「肉を持ってくるなら、自分が食べる量にしてよ。処理も大変なんだから」
大男は悪怯れることなく肉を頬張った。
「野菜ばっか食ってるからそうなるんだ。少しは肉食え。偏食は成長の妨げになるぞ」
「成長………あんた、ヒトにご飯作らせといて喧嘩売るつもり」
「滅相もない。忙しい導きの魔女サマには、充実した食生活をおくって頂きたいだけさ」
「私の充実した睡眠のために肉は最小限にして」
目の据わった魔女を前に、大男は暫し考え込み、良いことを思い付いたとにこりと笑った。
「じゃあ、ここに俺用の寝床を作ろう。そうすりゃ、いつだって肉食えるし、移動も楽だしな」
「ふざけるなっ!私にいいことなんてないじゃないのっ」
怒りで顔を真っ赤にして喚く魔女を前に、大男は機嫌良く肉を食べ続けた。
魔女は腹を擦り擦り、気だるそうにウロウロさ迷っていた。
このところ大男が置いていった肉を消化する日が続いている。
ある程度腹がこなれていないと寝入ることができないので躍起になって散歩しているのだが、いかんせん魔女は日頃昼寝ばかりしているので、体力がない。散歩すら魔女には重労働である。
「わざわざ歩き回って合間に地獄を覗くなんて趣味ないってのに、なんで散歩なんかせにゃならんの………自分が食べる時に、食べる分だけ持って来いって言っておかないと………」
すっかりストレスが溜まった魔女は早口で愚痴りながら、足はのろのろと歩く。
注意がほぼ愚痴に向いていたので、魔女はそれに気付かなかった―――しっかり踏むまで。
「―――――ぐえぇぇっ」
「…………………………うん?」
歩きながらも魔女は首を捻る。
「………あんな軟らかい岩あったっけ。んにゃ、そもそもあそこに岩なんてあったっけ………あー………蛙とか?―――蛙、いるの?ここに?」
あり得ない発想に、慌てた魔女は回れ右して気持ち急いで歩く。胃が重くなければ走るのだが。
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「うわっ、思いきり踏んじゃってたよ!もしもーし、大丈夫ですかーっ?」
焦って呼びかけながら肩を揺する。
綺麗な顔は苦痛に歪められている。
「うーん………美人にこんな表情させるなんて私としたことが………こんなとこに寝てるヒトも悪いとは思うけど、でもこれで嫁ぎ遅れにでもなって祟られると困るし」
「………ぅ………」
「あっ気が付いた?もしもーし。綺麗な顔に傷ついても、気立てとか心根とかで見初められてお嫁に望まれることはいくらでもありますっ。だから簡単に祟らないでください、呪わないでくださぁぁいっ」
「………ちが……わた…お………」
「うん?」
微かに聞こえた声はやけに低かった。
ハスキーボイス美人かな。見た目に反して。
頭のどこかでそんなことを思いつつ、口元に耳を寄せる。
「……わ……たし、は………おと…こ………」
それだけを息絶え絶えに言い「ぐふっ」と沈黙する美人の首に暫し指を当てた魔女は―――
ぺしぃぃぃぃぃんっ
その無駄に綺麗な額を思いきり叩いたのであった。
「―――まったく、なんなんだっつの。久しぶりに美人が来たかなと思えば、死にかけ、厄介な囲われロリータ、そんで次は男!たまにはまともな美人来いっての!」
「すみませんすみません」
「こぉんな綺麗な顔しといて、男!何なのもう!喧嘩でも売るってか!」
「ちがいますちがいます」
「大体、大の男が呑気にあんなとこ寝てるんじゃないわよ、紛らわしい!瀕死ごっこなら余所でやってよね!」
「申し訳ありません申し訳ありません」
魔女は盛大にぼやきながらツカツカ歩く。苛立ちに委せて大股で歩いているので、先程のウロウロ歩きよりも余程運動らしい歩き方になっている。
その後ろを、綺麗な顔の男が申し訳なさそうに言葉を重ねながら小走りで追いかける。その様子は、魔女よりも女性っぽい。男なのに。
だぁぁぁぁっもう!
何なの!?女よりも女っぽい男って、ナニ!?
踏んじゃってごめんとか懺悔しまくった自分が憎いっ。まぁリアルに踏んじゃったけども!
そもそもあんなとこに寝てるってナニ!?ヒロインごっこか!「倒れるワタシも美しい」か!
くぁぁぁぁぁ~っ!
………そもそも、お腹いっぱいじゃなきゃ私が歩き回ることも、あの人踏むこともなかったじゃん!
そぉだ!あの男がぜぇぇぇんぶ悪いっ。
ほとんど八つ当りで責任転嫁した魔女は、無理矢理結論付けたところで急停止した。思ったよりハードな運動だったらしく、深呼吸して息を整える。
必死になって追いかけていた男は急に立ち止まった魔女になんとかぶつからないように止まり、かける言葉が見つからずに両手をモジモジと開いたり閉じたりを繰り返しながら小さく唸っていた。
「―――そういえば、なんであんた私についてくるの」
振り返って問うと、男は視線を彷徨わせた。
「わ、わたしのせいで貴女に不愉快な思いをさせたことを謝罪したく………それに」
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅっ
魔女と男の間を静寂が流れる。
「……………とりあえず、何か食べよう」
「も、申し訳―――」
「それいーから。適当に作るからあんたも適当に食べな」
魔女はぱたぱたと手を振ると歩き出す。その後ろを男が小走りについていった。
―――あらまぁ。綺麗な顔でもやっぱり男。食べさせ概があるってもんだわ。
菜箸で鍋の中身を拾いながら、魔女は感嘆のため息をついた。
男は小柄ながら食べる食べる。最初の遠慮はいただきますの挨拶と入れ替わりにどこかへ飛んでいったらしい。飯を差し出せば飯を、鍋をよそって出せば鍋を、とにかく一心に喰らう。
男が我に却って「あっ!」と赤面したのは、鍋の中身を粗方食べ終えた頃だった。
「こ、これはつい―――申し訳」
「いいって。やたら肉があって困ってたから。あんたが食べる方ならもっと肉肉したもの作れば良かった」
惜しいことをした。
魔女の舌打ちを男は不思議そうに見つめる。
「いえ、わたしは普段はこんなに食べないのですが―――」
魔女の視線に慌てたように首を振る。
「いや、なぜ自分でもこんなに食べたのか解らないのです。この数週間は船酔いと不安で食事どころじゃありませんでしたので」
「そんな死にかけるようなマネしてまでどこに行こうっての」
箸を置いて男は深いため息をついた。
「さる大国です。上司からの手紙を届ける役目にありまして」
「郵便配達のどこが不安なの。誰に届ければいいのか解らないとかお手紙食べちゃったってヤツ?」
投げ遣りな魔女の口調にも男は真面目に首を振る。
「出発前に噂で聞いてしまったのですが―――どうも上司は相手と対等の立場であるかのような文面をしたためたらしいのです」
「なにそれ。ヤバイの?」
男は沈痛な面持ちで頷く。
「相手は我が国より広大で文化も制度も軍事力も優れた大国です。それに上司は王ではないのです。王の代わりに政を取り仕切っていますが」
「あんたの国に王さまはいないの?」
魔女が首を傾げると男は難しい表情で、いますが、と唸った。
「今の王は女性なのです。我が国では女子は政に携わってはならぬことになってまして」
「ふぅん」
魔女は面白くなさそうに菜箸を振り回す。
「そんなタイソーなこと宣うなら女の王なんて立てなきゃいーのに」
「成り手がいなくなったのです。次々と王が代わりまして………」
はあっ?と憤慨した魔女に男は首を竦めた。
「今の王は女性ながら人望があり、わたしの上司を含めた重鎮の手綱を執れる優れた方なのです。女子だからと政から遠ざけるのは勿体ないとわたしは思います」
「私に言ってもしょうがないでしょ。本当にそう思うんなら、上に意見しなさいよ」
男は途端に二回りほど小さくなった。
まぁいいけどさ、と魔女はため息をついた。
「つまりあんたはお国を背負って大国とやらに出向こうってことでしょ。今からそんなんで大丈夫なの」
魔女の冷たい視線に男は小さく首を振るが、何も言わない。
魔女は思わずため息をついた。
「………上司とやらも、自分のとこより大きな国に手紙を出そうってのに、なんでこんなナヨッとしたの送り出したんだろ………」
「そうなのですっ!」
「うゎっ!?」
ぐゎばっ!と顔を上げた男に、魔女は驚愕の声をあげた。
「上司はとても素晴らしいお方です。国を良くするための策を次々と打ち立て実行なさる。わたしは―――」
熱をもって話し始めたが、次第に俯く。
「わたしは、家のなかでは落ちこぼれなのです」
魔女は無言でお茶を注いで出した。
男は湯飲みの中をじっと見つめて続ける。
「わたしの家は元は貧しい農民でした。そのためか身体が丈夫な者が多く、戦が多かったときに戦士として活躍する者が多く出たのです。しかし、わたしは駄目だった」
「あんたもそれなりに丈夫そうだけど」
魔女は静かな口調で言葉を挟む。
船酔いは別に良いのだ。人間とは元々生まれた大地を離れる想定になかった生き物だから。
これも、人間が神から離れた証の一つだろう。
時機にここを訪れるヒトもいなくなるだろう。それどころか、弱体化する神にとって変わろうと考えるヒトすら現れるだろう。
神は怒り狂うだろうなぁ。プライド高いから。
神と人間の戦いとなった時、導きの魔女とか呼ばれちゃってる自分はめちゃくちゃ八つ当りされそうだなぁ。
面倒だなぁ。
「身体的能力では劣ってはいないと思うのですが………武具をとって戦うとか、その為に訓練するといったことに身が入らなかったのです。恥ずかしながら、学門をする方が楽しくて」
「まぁ人間には向き不向きってモンがあるからね」
相槌を打ちながら、お茶を淹れて差し出す。
男は頭を下げて一口飲む。
「上司はそんなわたしを取り立てて下さったのです。その恩に報いるためにも、上司の元で研鑽を積むのがわたしの歓びであったのに。なぜこのような大役にわたしなどを差し出したのか………」
「あんただから任せたんじゃない」
男は目を見開いて「まさかそんな」と口をパクつかせた。
断言はできないけどさ、と魔女はお茶を啜る。
「上司は頭いいんでしょ。なら、あんたが適任と考えて任せたんだよ。あんたは選ばれたんだから、堂々とするんだね」
「堂々と、でしょうか」
そうだよ、と頷いて続ける。
「相手は大国なんでしょ。勉強するものはたくさんある筈だよ。船酔いやプレッシャーでへばってる時間はない。手紙で相手が怒ってすぐ帰ることになろうが、何か知識なり情報なり手にいれなきゃ、骨折り損のくたびれ儲けじゃないか」
男の目に力が宿るのを、魔女は微笑んで見守った。
「あれだけ食べたんだ。船酔いの方は大丈夫だろう。気合いいれて渡り合うんだね」
光に包まれながら、男は力強く頷いてみせた。何か口を動かしているが、その声はすでに聞こえなかった。
ドスッという大きな音と共に現れた気配に、魔女はげんなりと振り返る。
「………今洗い物終わったばかりなんだけど」
「そう言うなよ。分厚く切ってステーキとかでいいからさ」
「解ってないわねー。切って焼きゃいいってワケでもないんですー」
それ持って帰れ帰れ、と手を振る魔女に、大男は動じることなく椅子に座る。
「んじゃ、トンカツ」
「揚げるなんて面倒な工程増えてるじゃない」
魔女は頬を膨らませる。
毎度毎度言いなりに料理なんてしませんよ。
料理上手な天使を持ってる女神の所に持ち込めばいいのよ。こんなやたら大量の肉なんて。
「しょうが焼き」
「あのねぇ」
はっきり断るつもりでキッと振り返る魔女だが、大男が虚ろな目を彷徨わせてテーブルに頬杖をついているのを見ると、一つ大きなため息をつき、ぼやきながら大男が持ってきた包みを開けたのだった。
「お代り。今度はしょうが焼きがいい」
「はっ?さっきステーキ焼いたばかりでしょうが」
「もう食った。お代り」
………あんなに空腹なんてとか同情した私が馬鹿だった。
魔女はぶつぶつ言いながら空のお茶碗と皿を受けとる。
大男は身体に相応しい食欲を見せた。
―――まぁね、食べる元気があるって幸せなことよ。起きて食べることができりゃ英気は養われるからね。
だからってヒトを毎度おさんどん扱いってどうなの?ご飯くらい自分でよそいなさいよ!
怒りに任せて切ったのでやたら山盛りになってしまったキャベツの千切りを誤魔化すために、チャレンジメニューばりにしょうが焼きを乗せまくって持っていく。
地味に重い。
なんとかテーブルに運び、きびすを返したところで「おい」と呼び止められる。
「どこ行くんだ。お前も食べろ」
「お腹空いてない」
「いいからそこ座れ」
「洗い物あるのよ」
大男は方眉を上げると、のしのしと魔女に歩み寄り片手で持ち上げた。
「ちょっと!なにすんの!」
「洗い物なんてどうせこれから増えるんだから座れ」
魔女の抗議もよそに大男は椅子に魔女を丁寧に下ろす。
頬を膨らませながらも動く気配がないことを確認して、大男は満足そうに座り直す。
料理しろだの座れだの、何なのもう。
盛大にため息をついたところで、「ほれ」と声が聞こえた。
見ると、大男がしょうが焼きでご飯を巻いて差し出している。
「いらないって言ってんじゃん」
「ちょっとは食えよ。精をつけないと畑仕事できんぞ」
尚も肉を差し出す大男に魔女は盛大に眉をしかめてみせた。
「あんたが置いてった肉を食べ過ぎて、お腹いっぱいなの!昼寝できないの!」
「なんだ、そんなことか」
ヒトの苦しみをそんなことと一掃しやがった。
「肉を持ってくるなら、自分が食べる量にしてよ。処理も大変なんだから」
大男は悪怯れることなく肉を頬張った。
「野菜ばっか食ってるからそうなるんだ。少しは肉食え。偏食は成長の妨げになるぞ」
「成長………あんた、ヒトにご飯作らせといて喧嘩売るつもり」
「滅相もない。忙しい導きの魔女サマには、充実した食生活をおくって頂きたいだけさ」
「私の充実した睡眠のために肉は最小限にして」
目の据わった魔女を前に、大男は暫し考え込み、良いことを思い付いたとにこりと笑った。
「じゃあ、ここに俺用の寝床を作ろう。そうすりゃ、いつだって肉食えるし、移動も楽だしな」
「ふざけるなっ!私にいいことなんてないじゃないのっ」
怒りで顔を真っ赤にして喚く魔女を前に、大男は機嫌良く肉を食べ続けた。
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