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第一章
ブンちゃん
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一学期が半分過ぎて、ブランコ山の大イチョウの木が、緑の葉でいっぱいになったころ、小学校に一人の転校生がやって来ました。
名前はブンちゃん。
外遊びが大好きな十歳の男の子です。
小さな町なので小学校は一つです。
クラスは一学年に二クラスで、一クラスに二十人しかいません。
だから転校生が来ると、みんな大騒ぎです。
まるで珍しい動物でも見るように、みんながブンちゃんのそばに寄って来て、
「おうち、どこなの?」
「どこから来たの?」
「なんで引っ越して来たの?」
「兄弟いるの?」
「遊ぼう、遊ぼう」
と話しかけてきました。
一人一人に答えるのは大変でしたが、ブンちゃんは嬉しくて仕方ありません。
今日は誰と遊ぼう? 何して遊ぼう?
考えるのも楽しくて、毎日ワクワクしていました。
学校から家に帰ると、玄関にランドセルを投げ出して、すぐ遊びに出かけます。
カン蹴りや高鬼、氷鬼、ドロケイや馬乗り、段ボールで土手すべり。
『達磨さんが転んだ』はちょっと苦手で、いつも一番に動いてしまいました。
神社で木登りもしました。
鳥居の横に大きなイチョウの木がある、静かな神社です。
神社の大イチョウは、夏になると黄緑色の実をたくさんつけて、さわやかな香りを漂わせます。
そして、秋になると多くの人たちが、橙色に変わった実が落ちるのを待ち構えています。
神社の大イチョウをおばあさんの木、ブランコ山の大イチョウをおじいさんの木と呼ぶお年寄りがいます。
神社の大イチョウとブランコ山の大イチョウは、町ができる前からこの土地で生きているからです。
神社にお参りに来た人は、みんな立ち止まってパンパンと手を合わせてくれます。
長生きの木だからありがたいようです。
でもブンちゃんが登るのは、イチョウの木ではなくビワの木です。
境内の横のビワの木には、たくさんの実がなっているからです。
おなかいっぱい食べました。
もちろん神社の人には内緒です。
だから、神主さんに見つかったときは、ビックリして木から落ちそうになったこともありました。
食べたのはビワだけではありません。
トロッとしたイチジクや甘酸っぱい木苺、ザクロもご馳走になりました。
初めて食べるものばかりで、口に入れる時はドキドキしていましたが、あまりの美味しさに、すっかり夢中になっていました。
遊びはいっぱいありました。
クヌギの林でカブトムシを取ったり、池でザリガニを釣ったり、小石を投げて水切りをしたり。
ブンちゃんが暮らしていた都会ではできなかった遊びばかりです。
夏休みに入る前に、河川敷の林の中にガラクタを集めて、秘密基地も作りました。
木を組んで作った入口やタイヤを積んだテーブル、雨が降っても大丈夫なようにブルーシートで屋根も作りました。
秘密基地を作ってからは、秘密基地が待ち合わせの場所です。
宿題をやって、急いで家を飛び出すと、一目散に秘密基地に向かいました。
夏休みの前は、いつもブンちゃんが一番乗りでした。
ブンちゃんはワクワクしながらみんなを待ちます。
何を作ろうか、何をして遊ぼうか、頭の中は楽しいことでいっぱいです。
でも、なかなか人が来ない時もありました。
そんな時、ブンちゃんは空を眺めます。
農家のおじさんからもらった藁でベッドを作り、そこに寝そべって、大きな空を眺めるのです。
吸い込まれそうな青い空。
形を変えながら、ゆっくりと流れる白い雲。
モコモコと少しずつ大きくなっていく入道雲。
長く真っ直ぐな尻尾をつけたジェット機。
ゆったりと空に浮かぶ飛行船。
空では色んなことが起きています。
だから、空を眺めていて飽きることはありません。
ゆったりとした時間が、ブンちゃんの心を和ませるのです。
夏休み最初の日です。
今日もブンちゃんは秘密基地に来ていました。
ブンちゃんが見上げる空をゆったりと雲が流れて行きます。
誰かの手を離れてしまったのか、太陽の光を反射させてキラキラと光る銀色の風船が、雲を追いかけるように飛んで行きます。
風船には何か結ばれています。
(棒?、筒?、何だろう、何だろう、何だろう・・・)
病院の方に向かって流れていく風船を見ながら、ブンちゃんは眠ってしまいました。
どのくらい眠っていたのかは分かりません。
目が覚めると辺りは薄暗くなっていました。
ベッドから起き上がって空を見上げると、白かった雲は濃い灰色に変わっています。
(雨、降って来るかな・・・)
そう思った通り、しばらくして、ブンちゃんの頬にポツっと雨粒が当たりました。
ボタ、ボタボタ、ボタボタボタボタ
瞬く間に大粒の雨が落ちてきて、周りの草を濡らし始めます。
ブルーシートの屋根がボタ、ボタボタと音を鳴らし、木の葉が風に揺れ始めました。
バチバチバチバチ
ものすごい勢いで、雨が降ってきました。
ブルーシートの屋根から、溜まった雨が流れ落ちます。
まるで滝の中にいるような大雨です。
「屋根を作っておいて良かった」
ブンちゃんは少しホッとしました。
でも草に覆われた地面は水浸しです。
秘密基地は大きな水溜まりに飲み込まれていました。
ブンちゃんは足が濡れないようにテーブルに乗って座り込みました。
テーブルの足は半分くらい水の中です。
ブンちゃんは秘密基地から動くことができなくなってしまいました。
ザザザザザ
バチバチバチバチ
強い風が木を揺らし、雨水が溜まったブルーシートの屋根が、今にも壊れそうです。
ウゥーーーーー
突然、唸り声のような音を立て、風が木を大きく揺らしました。
メキッ、メキッ、バキッ!
ザバーン!
ブルーシートのヒモを結んでいた枯枝が折れて、溜まっていた水が、一気に流れ落ちました。
「ウッ!」
ブンちゃんは思わず声を上げました。
バタバタッと音を立てて、ブルーシートが風に飛ばされそうです。
ブンちゃんの体も雨で濡れ始めました。
ブンちゃんは心配そうな表情です。
(洪水になるかも・・・)
そう思った時でした。
ピカッ!
光るのと同時に、一瞬、ブンちゃんの周りが明るくなりました。
「エッ?」
ビックリしたブンちゃんは、テーブルから飛び降りてしまいました。
バシャ!
水は足首のところまで溜まっていました。
靴の中に水が入り、靴下はビショビショです。
でも、そんなことは気にしていられません。
ブンちゃんは土手に向かって走り出します。
ところが、溜まった水と草に足を取られて、上手く走れません。
(なんだよー)
ブンちゃんの顔が不安に歪みます。
それでも、ブンちゃんは無我夢中で足を動かしました。
なんとか水溜まりから抜けて、ブンちゃんは土手を登り始めました。
靴に水が入って、足が重くなっています。
それでも、ブンちゃんは必死に足を持ち上げます。
やっとのことで土手上の散歩コースまで登り切りました。
ブンちゃんが顔を上げて、辺りを見回すと、小学生のような男の子が走って行く姿が目に入りました。
(あれ?あの子・・・)
同じクラスの子に似ていました。
でも、そんなことを気にしていられません。
雨は一層強くなっています。
雨粒が顔に当たって痛いくらいです。
(早く帰らないと・・・)
ブンちゃんは土手を下りる階段に向かって、走り始めました。
ザザザザー
突然、階段のそばのイチョウの木が大きく揺れました。
ブンちゃんは驚いて立ち止まります。
(なんだよー)
木を見上げ、そう思った瞬間でした。
ウゥーーーーー!
ザバザバザバー!
階段に近付こうとするブンちゃんに「こっちに来るな」と言わんばかりに、イチョウの木が激しく揺れ始めました。
「ウワーーーー!」
怖くなったブンちゃんは、引き返して土手を滑り下りてしまいました。
バシャバシャと水しぶきを上げて走り、また秘密基地に戻ってしまいました。
ブンちゃんは全身がびしょ濡れです。
「何だよ、何なんだよ、もう。これじゃ帰れないじゃんかよう・・・」
テーブルの上に載って、ブルーシートを手で掴み、雨に濡れないようにうずくまります。
空は時折りピカッと光りながら、激しい雨をブルーシートに打ち付けます。
(早く止んでよー)
ブンちゃんは不安で不安で仕方ありませんでした。
どれくらいの時間が経ったのかは分かりません。
激しい雨は長くは続きませんでした。
ブンちゃんが秘密基地に戻ってしばらくして、嘘のように雨が上がり、風も収まって、あれほど激しく揺れていたイチョウの木は穏やかに葉を揺らしています。
「やっと止んだ・・・」
ブンちゃんは一安心です。
水も一気に引いて、草はベタっと地面に寝ています。
「すごい雨だったな」
そう言って空を見上げると、ブンちゃんは秘密基地を修理し始めました。
まずは屋根からです。
ブルーシートを張りながら、ブンちゃんはまた空を眺めます。
少しずつ白くなっていく厚い雲。
その厚い雲の切れ間から射し始める太陽の光。
どんどん広がっていく青い空。
ブンちゃんは雨のことなど、すっかり忘れてしまいました。
家に帰ってもブンちゃんは空を眺めます。
西の空に傾いて、大きく膨らんだオレンジ色の太陽。
茜色の夕焼け。
晩ご飯の時に、お母さんが言っていました。
「今日の雨、ゲリラ豪雨って言うんだって」
(そうなんだ・・・)
ブンちゃんは秘密基地でのことを思い出してニヤニヤしました。
寝る前にもブンちゃんは空を眺めます。
手で掴めそうな星いっぱいの空。
そこからこぼれ落ちる流れ星。
前から空を眺めることが好きだったわけではありません。
この町に来てからです。
この町の空は、ブンちゃんが知っている都会の空とは大違いでした。
時間の流れも違います。
ゆったりしているのに、一日がすぐ終わってしまいます。
都会では味わったことのない、なんだか不思議な感じでした。
ブンちゃんは毎日が楽しくて仕方ありません。
引っ越してきたときは不安でいっぱいでしたが、今ではイチョウの木がたくさんある、この小さな町に来られたことを心から嬉しく思っています。
こうして一日一日が過ぎて行き、ブンちゃんにとって、転校して初めての夏休みは、アッと言う間に終わってしまいました。
校庭のイチョウの葉が、濃い緑から少し薄くなり始めたころでした。
二学期が始まって一か月。
十月に入ると、ブンちゃんは一人で遊ぶことが多くなりました。
友達とケンカをしたわけではありません。
一人が好きになったわけでもありません。
二学期の初めのころは、みんなブンちゃんと遊んでくれました。
でも、一人減り、二人減り、段々と遊んでくれる子がいなくなってしまったのです。
それには理由がありました。
少し困った理由です。
実は、
ブンちゃんは『ウソつき』なのです。
今日もブンちゃんはウソをつきました。
教室の壁に落書きしても
「知らないよ。書いてないよ」
図書室の本を破いてしまっても
「知らないよ。初めからやぶれてたよ」
ブンちゃんがウソをついているのだと、みんなは何となく分かっています。
みんなウソはいけないと思っていますから、ウソをつくブンちゃんとは遊ぼうとしないのです。
もちろん、ブンちゃんもウソは悪いことだと分かっています。
でも、正直に謝ることができません。
みんなの前で謝るなんて恥ずかしいし、わざわざ悪者になるなんて、そんな勇気はないのです。
それに、正直に謝っても「どうせ叱られるんだ」と思っています。
「みんなだって、きっとごまかすはずさ」と思っています。
だから、いたずらしてもウソをついてしまいます。
わざとじゃなくてもウソでごまかしてしまいます。
ウソをついて大事件になるなんて、考えたことはありません。
ウソをついて誰かが悲しむなんて、考えたこともありません。
だから、ウソをついて自分が辛く悲しくなるなんて、これっぽっちも考えたことはなかったのです。
楽しみにしていた秋の運動会が終わりました。
教室の窓から校庭を見ると、体育館の横の二本のイチョウの木には、黄色い葉が目立ち始めました。
学校の周りのイチョウの木よりも、黄色い葉が多くて元気がない様子です。
でも、それよりも、プレハブ校舎のそばのイチョウの木は、もっと元気がありませんでした。
黄色い葉ばかりで、よく見ると、もう落ちている葉もあります。
葉が風に揺れて、カサカサとこすれる音が聞こえます。
元気のない乾いた音です。
学校から見えるブランコ山の大イチョウは、まだ濃い緑色です。
だから学校のイチョウの木が黄色くなっていることが、特に元気がないプレハブ校舎のそばのイチョウの木のことが、ブンちゃんには気がかりでした。
少し寒くなりました。
空を見上げると、眩しいほど太陽の光が降り注いでいるのに、腕を載せている窓の手すりは、スッカリ冷たくなっています。
校庭では、長袖を着て遊んでいる子がたくさんいます。
縄跳びをする子も増えました。
ブンちゃんのクラスも来週は縄跳びのテストです。
クラスのみんなも縄跳びを持って校庭に飛び出して行きました。
でもこの日、ブンちゃんは外で遊ぶことができません。
少し熱が出ていて、今朝、お母さんから
「今日は外で遊ぶの我慢してね」
と言われていたのです。
連絡帳にも書かれたので、先生にウソをつけません。
ブンちゃんは空に浮かぶ雲を眺めながら、
「ハァー」
と、何度もため息をつきました。
お昼休みが終わって、五時間目は体育の時間です。
今日は隣のクラスとドッジボールの試合です。
「キャー!」
「ヤッター!」
「ずるいぞ!あたったぞ!」
楽しそうな声が、校庭から聞こえてきます。
教室にいるのはブンちゃん一人です。
「何でおれだけ熱があるんだよ」
ドッジボールの好きなブンちゃんは、聞こえて来るみんなの声にイライラしています。
見ていた本も図鑑も、外が気になって読んでいられません。
全部出しっぱなしで、片付けもしていません。
棚の上や床に本を散らかしたまま、今度は壁に掛けてあるホウキを手に取って、振り回し始めました。
教室の中をウロウロ、ウロウロ、机の間をクネクネ通り、教室の後ろへ移動します。
バットを振るようにホウキを振り回して、野球選手の真似をしたり、ギターを弾く真似をしたり。
ブンちゃんは体を動かしたくて仕方ありません。
「ヘリコプター!」
柄の先に付いたヒモを持ちながら、今度は頭の上で、プロペラのようにホウキを振り回しました。
周りのことなど気にしていません。
誰もいないから、やりたい放題です。
「パワーアップ!」
そう言って、ブンちゃんは大きく腕を回し始めました。
「ブン、ブン、ブーン」
しばらく回していると、シャッと背中の方で、ホウキが何かに触れた感じがしました。
そしてすぐ後に、ボトッ!と音が聞こえました。
振り向いてみると、何かが落ちています。
(アッ!)
ブンちゃんはビックリして体が固まってしまいました。
落ちていたのは、粘土で作った恐竜の首でした。
ブンちゃんはゴクリと唾を飲み込みました。
なぜなら、その首はリキヤ君の恐竜の首だったからです。
リキヤ君はクラスで一番からだが大きくて、一番喧嘩が強い男の子です。
最近はリキヤ君が喧嘩をしているところを見たことはありませんが、ブンちゃんが転校してきて間もない六月に入ったころ、リキヤ君の習字の紙を汚してしまったヒロシ君を、リキヤ君はボカッと殴って泣かしていました。
練習用の紙だし、ヒロシ君もわざとじゃなかったし、ちゃんと謝っていたのに、それでもリキヤ君は殴ったのです。
転校して来たばかりのブンちゃんは、とってもビックリしました。
絶対にリキヤ君を怒らせてはいけないと思いました。
ところが、今回は習字の紙どころではありません。
ブンちゃんが壊してしまった恐竜は、完成したときリキヤ君が自慢するくらい気に入っていた作品です。
良くできていると、二学期になってからも飾ってあった作品です。
そんな作品をブンちゃんが壊したと知ったら、何をされるかわかりません。
ボカッと一発では済まないかも知れません。
「うわああ、やっちゃったあ。どうしよう、どうしよう」
辺りを見回し、誰もいないことを確かめます。
そして、すぐに首を拾って、元通りにしようと、折れたところに付けてみます。
でも、一度とれてしまった首は上手く付きません。
付いたと思っても、手を離すと落ちてしまいます。
「どうしよう、どうしよう」
ブンちゃんは考えます。
元通りにする方法はないのか。
上手くごまかすにはどうすればいいのか。
折れたところを水で濡らしても、粘土はもう柔らかくなりません。
それに、色が変わって、すぐに分かってしまいます。
接着剤は持っていません。
持っているのはセロテープだけです。
ブンちゃんは一生懸命に考えます。
辺りを見回し、道具になるものを探します。
でもなかなか見当たりません。
自分の机に走り寄り、机の中の道具箱を引っ張り出して探します。
でも使えそうな物はありません。
ブンちゃんは一生懸命に考えました。
「あっ、そうだ!」
ブンちゃんはキョロキョロと何かを探します。
(あっ、あれだ!)
ブンちゃんは床にあった図鑑を二冊、手に取りました。
そして、図鑑を寝かせて重ねると、首の取れた恐竜の横に置いたのです。
首を載せてみます。
でも、高さが上手く合いません。
上の図鑑を別の本に替えてみました。
でも、今度も少し合いません。
絵本にしたり、物語の本にしたり、ちょうど良い本が見つかるまで、何度も本を取り替えました。
「よし、これでいい!」
やっと上手く合いました。
ピッタリなのは昆虫の図鑑でした。
慎重に首を載せて、折れた部分をくっつけます。
粘土のデコボコのおかげで、折れたところが分かりにくくなっています。
本に支えられて落ちることもありません。
ブンちゃんは一安心です。
(でも、リキヤ君が最初に本を動かしたら、絶対にバレちゃう。教室にいるのはおれだけだから、おれがやったってバレちゃう)
リキヤ君の怒った顔を思い浮かべると、ブンちゃんは怖くてたまりません。
窓の外からは、みんなの楽しそうな声が聞こえます。
開け放しの窓から、ヒューと冷たい風が吹き込みます。
ブンちゃんの体がブルッと震えました。
気付かれないように、そーっと覗くと、丁度リキヤ君がケンタ君にボールをぶつけたところでした。
あまりの威力にケンタ君がしりもちをつきました。
ブンちゃんはまたゴクリと唾を飲み込みました。
ブンちゃんは考えます。
上手いごまかし方はないか。
自分がやったのではないと思わせるには、どうすればいいのか。
必死になってブンちゃんは考えます。
黒板の上の時計をチラッと見ました。
急がなくてはいけません。
みんなが教室に戻って来てしまいます。
体育の時間が終わるまで、あと十五分しかありませんでした。
恐竜に目を戻し、考えていると、スーッとさわやかな香りがしました。
(あっ)
嗅いだことのある香りです。
目を閉じて大きく香りを吸い込みます。
でも、何の香りか思い出せません。
ブンちゃんは香りのする方を探します。
すると、廊下の洗い場で手を洗っている男の子の姿が目に入りました。
黄色と緑の長袖シャツを着た小柄な男の子です。
(あっ)
ブンちゃんの頭に不思議と名前が浮かんで来ました。
(もしかして、いとりこうた君・・・)
そう、隣のクラスのこうた君です。
でも、ブンちゃんはまだ、本当にこうた君なのか迷っています。
こうた君も転校生です。
でも、ブンちゃんがこうた君を見たのは一度だけで、それも元気のないイチョウの木の下に立っているのを見かけただけです。
顔は良く見えなくて覚えていません。
いつごろ、どこから来たのかは聞いたことがありません。
名前が『いとりこうた』と言うのは、誰かに聞いた覚えがありました。
でも、誰に聞いたのかは思い出せません。
(体が弱くて病院に入院してたって、誰か言ってたよなあ)
でも、誰が言っていたのか覚えていません。
体の弱いこうた君も、外でドッジボールができません。
(激しく動くと咳が出て発作になってしまうから、体育のときは、いつも教室で本を読んでいるって、これも誰かが言ってたよなあ)
でも、やっぱり誰が言ったのか思い出せません。
(そうか! きっとこうた君だ。今日は体の具合がいいから学校に来てるんだな)
ブンちゃんは腕組みしながら頷きます。
(そうだ!)
ブンちゃんはひらめきました。
ニヤッと笑うと、すぐに教室を飛び出して、こうた君のそばに駆け寄りました。
「こんにちは、こうた君?」
こうた君の横に立つと、ブンちゃんはこうた君の顔を覗き込んで、確かめるように声をかけました。
手の石鹸を洗い流しているこうた君が、首だけ横に向けます。
ブンちゃんはドキッとしました。
顔の色は日焼けもない真っ白で、長いまつ毛にクリッとした瞳。
もう少し髪の毛が伸びていれば、女の子と言っても分からないくらいの顔立ちです。
石鹸を流す手も透き通るように白く、折れてしまいそうなくらいの細い指です。
「こんにちは、ブンちゃん」
こうた君がニッコリと微笑んで挨拶を返します。
(やっぱりこうた君だ。でも、何でおれの名前・・・、それに・・・)
初めて話したのに、こうた君があまり驚いていません。
それどころか、声をかけられるのを待っていたような笑顔に、ブンちゃんは戸惑いました。
こうた君は蛇口を閉め、ポケットからハンカチを取り出し、ブンちゃんの方に体を向けます。
胸にプリントされたスティッチの絵が、ブンちゃんの目に入りました。
デパートでブンちゃんが「いいなー」と思ったのに、買ってもらえなかったシャツです。
(あっ! おれの欲しかったやつ)
うらやましかったブンちゃんは、口を少し尖らせます。
「今日はダメよ」と言っていたお母さんの顔と「買ってよ」とごねている自分の姿が頭に浮かびました。
(あっ、違う)
ブンちゃんはハッと我に返ります。
余計なことを考えている暇はないのです。
すぐに笑顔に戻して、こうた君にまた話しかけました。
「えっとね、こうた君、今、本の片付けしてるんだけど・・・」
こうた君はまたニッコリと微笑みます。
ドキッとしたブンちゃんは、思わずこうた君から目を逸らしました。
疑いのない笑顔に、ブンちゃんはこうた君の顔を見ていられません。
でも時間がありません。
チラッとこうた君を見ると、こうた君はまだ微笑んでいます。
堪らずブンちゃんは、
「こっち、こっち」
と言って、まだハンカチを握っているこうた君の腕を引っ張りました。
(あっ)
あまりの腕の細さにビックリしたブンちゃんは、パッと手を離しました。
(木の枝みたい・・・)
手を離したブンちゃんをこうた君が不思議そうに見詰めました。
ブンちゃんは小さな声で、
「ごめんね」
と呟くと、今度は腕ではなく、こうた君の服を優しく掴み直しました。
ブンちゃんはこうた君を教室の扉の前まで連れて来ました。
自分で見ても酷いくらい散らかっています。
ブンちゃんは恐竜をチラッと見ます。
(大丈夫だ)
本に支えられた首は、まだ繋がっているように見えます。
ブンちゃんはチラッとこうた君を見ると、散らかった本や図鑑を小さく指差して言いました。
「手伝ってくれる?」
ブンちゃんはゆっくりとこうた君の方に顔を向け、こうた君の様子を伺いました。
こうた君は真っ直ぐ前を見詰めています。
笑顔はありません。
真剣な眼差しです。
(断られるかな・・・)
ブンちゃんは足元に目を伏せました。
(あっ)
ホウキが目に入りました。
ブンちゃんは慌ててホウキを拾い上げます。
チラッと、横目でこうた君を見ると、こうた君はブンちゃんを見ていません。
まだ真剣な表情です。
散らかった本を見ているでもなく、なんだか窓の外を見詰めているようでした。
小さな声で、ブンちゃんがこうた君に尋ねました。
「どう?」
こうた君はハンカチをポケットにしまいながらブンちゃんを見詰めました。
そして、ニッコリと微笑んで
「うん、いいよ」
と、返事をしました。
ホッとしたブンちゃんは
「よし!」
と、つい声を出してしまいました。
(しまった)
ブンちゃんは、慌ててこうた君から目を逸らし、落ちている本を拾い始めました。
こうた君は片付けをよく手伝っています。
順番がバラバラになった本も傾いた机もきれいに並べ直しています。
嬉しそうに片付けをするこうた君を見て、
(片付けしてニコニコするなんて変なやつだなあ)
と、ブンちゃんは思いました。
(おれなら頼まれても「忙しい」ってウソついて手伝わないだろうな)
そう思ったらなぜか「ハー」と、ため息が出てしまいました。
(あっ、いけない)
ブンちゃんはまた我に返ります。
そして、チラッと黒板上の時計を見ます。
チャイムが鳴るまであと二分です。
(もうすぐだ)
ブンちゃんはタイミングを計っていました。
ブンちゃんはよくない作戦を考えていたのです。
ブンちゃんはたくさんの本を持って、教室の後ろにある本棚に運びながら、片付けをするこうた君の姿を見詰めました。
こうた君は恐竜が飾られた棚のそばにいます。
いよいよ作戦開始です。
「こうた君、恐竜のとこの図鑑を取ってくれる」
ブンちゃんは棚の上の図鑑を指差しました。
折れた首を支えている昆虫の図鑑です。
こうた君はブンちゃんの指差す方に近づくと、図鑑と恐竜をジッと見て、何かを考えている様子です。
(もしかして、ばれちゃったかなあ、何か言われるかなあ)
ブンちゃんの胸はドキドキです。
こうた君の横顔から目が離せません。
こうた君がブンちゃんを見ます。
ブンちゃんはまたドキッとしました。
「うん、いいよ」
こうた君はまたニッコリと微笑みながら、嬉しそうに返事をしました。
(よし!)
今度は声を出さずに我慢できました。
ブンちゃんの作戦は進行中です。
ブンちゃんはまたドキドキして、こうた君から目を離せません。
こうた君が恐竜の方を見て図鑑に手を伸ばします。
ブンちゃんはゴクンと息を飲んで、その様子をジッと見ています。
心臓がドキドキしているのが分かります。
このドキドキが聞こえてしまうのではないかと思うほどです。
ブンちゃんは両腕で胸を隠します。
こうた君の細い指が図鑑に触れます。
そして、こうた君が図鑑を持ち上げたその時です。
こうた君が
「あっ!」
と、声を上げました。
図鑑に支えられていた首が外れたのです。
首がゆっくりと図鑑の上を転がり、床に落ちて行きます。
(あっ)
まるでスローモーションのスイッチが入ったようにブンちゃんは感じました。
図鑑を持ったまま、こうた君は落ちていく首を見ています。
こうた君の動きもスローモーションです。
空中にあった首が、床に落ち「ボトッ」と低い音を立てました。
ドクン、ドクンと、自分の心臓がゆっくりと胸を打つのが分かります。
首は少し転がって、こうた君の足元に近付いて行きます。
こうた君が転がっている首をジッと見詰めています。
ブンちゃんも首をジッと見詰めています。
首はこうた君の上履きのつま先に当たります。
そして、つま先の前でゆっくりと揺れています。
「バンッ」
ブンちゃんの持っていた本が滑り落ち、その瞬間、スローモーションのスイッチが切れました。
(やった!)
ブンちゃんは心の中で叫びました。
そして用意していたかのように声を上げたのです。
「何やってんだよ! リキヤ君の恐竜だぞ!」
大きな声でした。
でもその声は、こうた君にではなく、教室の外にいる誰かに聞かせるような声でした。
こうた君はしゃがんで、恐竜の首を拾い上げます。
「キーンコーン、カーンコーン」
五時間目の終わりを知らせるチャイムが鳴りました。
椅子をずらす音が廊下から流れてきます。
でも、こうた君を見詰めるブンちゃんには、チャイムの音も床を鳴らす音も全く聞こえていませんでした。
廊下の方がザワザワと騒がしくなり始めました。
ハッとしたブンちゃんは、五時間目が終わったのだとやっと気が付きました。
「いっちばーん」
ミカちゃんが右手を上げて、勢いよく教室に入ってきました。
「にばーん」
「さんばーん」
ミカちゃんを追いかけるように、ほかの子たちも入ってきます。
みんなの汗が光っています。
ミカちゃんが立ち止まって一点を見詰めています。
右手を上げたままのミカちゃんが目にしたのは、恐竜の首を持って立っているこうた君です。
恐竜の首が折れていることに気付いたミカちゃんは
「ああ、何やってるのよ!」
と、上げた右手をこうた君に向けて指差しました。
そばにいた女の子たちも、ミカちゃんが何のことを言ったのか、何が起こったのか気が付きました。
「いけないんだあー」
ほかの女の子たちも声を上げ、こうた君を責めます。
廊下のザワザワが、教室の中に流れ込んできます。
こうた君が責められる様子を見て、ブンちゃんはドキドキが止まりません。
少しずつ、少しずつ、気付かれないように、その場から離れて行きます。
担任の沙織先生も教室に入ってきました。
ブンちゃんは沙織先生の姿をチラッと見て、
(きっと、こうた君は叱られる)
と思いました。
ブンちゃんの心臓がドクンドクンと高鳴ります。
騒ぎに気付いた沙織先生が、こうた君の方に歩いて行きます。
そして、こうた君を睨み付けているミカちゃんに声をかけました。
「どうしたの?」
ミカちゃんは口を尖らせながら先生の方を見て
「こうた君がリキヤ君の恐竜を壊しました」
そう言って、こうた君が持っている首を指差しました。
沙織先生は俯くこうた君の前で屈むと、優しくこうた君に尋ねました。
「こうた君、壊しちゃったの?」
こうた君は俯きながら答えます。
「ごめんなさい。本を片付けていたら取れちゃたんです」
辺りがざわめきます。
ブンちゃんはこうた君の言葉にハッとしました。
(あ、しまった!)
まだ、自分が本を持ったままなのに気付いたのです。
みんながこうた君を見ています。
あとから入ってきた子たちも、何が起こったのかと、こうた君と沙織先生を見ています。
ブンちゃんは目だけを動かして、誰も自分を見ていないのを確かめると、気付かれないように、そっと本を棚に置きました。
そして、左手でシャツの裾をギュッと握り締めながら、またこうた君を見詰めました。
入口の方がざわつき始めました。
リキヤ君が教室に入ってきたのです。
ブンちゃんの胸がドキンと高鳴りました。
ざわつきがこうた君の方へと流れて行きます。
ミカちゃんがリキヤ君に気付きました。
ミカちゃんはリキヤ君と目が合うと、
「こうた君がリキヤ君の恐竜を壊したわよ」
と言って、またこうた君を指差しました。
リキヤ君がこうた君のそばまで近付いていきます。
ブンちゃんにはリキヤ君がまた一段と大きく見えます。
(こうた君が殴られるかも・・・)
左手が、シャツの裾を更に強く握り締めます。
考えもしなかったことが起こってしまいそうで、ブンちゃんの胸はドキンドキンと高鳴ります。
こうた君はリキヤ君を真っ直ぐに見て言いました。
「リキヤ君、ごめんね。ぼく、リキヤ君の大事な作品こわしちゃった」
リキヤ君は下唇を噛んで何も言いません。
真っ直ぐにこうた君を見詰めています。
ミカちゃんがリキヤ君に確かめるように言いました。
「許せないよねー」
周りの女の子たちも頷いています。
ミカちゃんはまたこうた君を見て続けました。
「それに、何でとなりのクラスのこうた君が本の片付けしてるのよ。体育を休むときは、ほかのクラスに入っちゃいけないのよ」
ミカちゃんの言葉に、ブンちゃんはドキッとしました。
(おれの名前が出ちゃう。こうた君がおれの名前を言っちゃう。どうしよう、どうしよう。こうた君がおれの名前を言ったらおしまいだ。みんなおれを疑うに決まってる)
ブンちゃんはこうなることまで考えていませんでした。
右手もシャツをギュッと握りしめます。
今までたくさんウソをついてごまかしてきたブンちゃんでしたが、こんなにドキドキするのは初めてです。
なぜなら、ウソをついてごまかしたことはありましたが、ウソをついて誰かのせいにしたことは今までなかったからです。
こうた君は下を向いたまま黙っています。
ひそひそと話しながら、みんながこうた君を見ています。
「もう、いいよ」
意外な言葉に、一瞬、教室が静まり返りました。
言ったのはリキヤ君でした。
ブンちゃんは、ハッとしてリキヤ君を見詰めました。
ミカちゃんもリキヤ君を見てビックリした顔をしています。
周りのみんながザワザワし始めました。
今回は大事件です。
一学期にリキヤ君が習字の紙を汚された時より大事件です。
みんながざわつくのは当たり前です。
リキヤ君が素直に許すなんて、みんな考えていなかったのです。
沙織先生がいるからなんて関係ありません。
一学期のリキヤ君なら絶対に許すはずがありません。
みんなもそう思っていたのです。
こうた君は下を向いたままです。
沙織先生がリキヤ君を見て言いました。
「いいの? リキヤ君」
沙織先生の言葉に、リキヤ君は唇を結んで小さく頷きました。
沙織先生は微笑みながら
「偉いわね、リキヤ君」
と言と、リキヤ君の方に歩み寄り、リキヤ君の背中をポンポンと叩きました。
(えっ)
ブンちゃんはドキッとしました。
リキヤ君が笑ったように見えたのです。
こうた君はまたリキヤ君に謝りました。
「リキヤ君、ごめんなさい」
そう言って、持っていた恐竜の首をリキヤ君に渡すと、こうた君は廊下に向かって歩き始めました。
サッと扉までの道が開きます。
黙ったまま、みんながこうた君を見詰めます。
みんなの目がこうた君の背中を追います。
シャツの裾を握っていたブンちゃんの右手は、胸の辺りを強く握り締めています。
俯いて丸まったこうた君の背中を見ていると、胸がギュッと苦しくなったのです。
こうた君が教室から出て行きました。
みんなの目がリキヤ君に向きます。
「リキヤ、どうしたんだ」
「何かあったのか」
また、みんながざわつき始めました。
ミカちゃんは何が何だか分からないと言った表情でリキヤ君を見詰めています。
沙織先生が声を上げました。
「はーい、みんな帰りの準備を始めてね」
ブンちゃんはハッとして沙織先生を見ました。
先生はブンちゃんを見ていました。
先生がニコッと微笑みます。
ブンちゃんは慌てて目を逸らします。
リキヤ君の姿が目に入りました。
リキヤ君は何事もなかったように帰りの準備をしています。
ランドセルの横には、首の折れた恐竜が置いてあります。
ブンちゃんはまだ胸の辺りがザワザワしています。
女の子が声を上げました。
「さむいー」
壁に貼られた習字の紙が風に揺れています
ブンちゃんが周りを見ると、教室はいつもの教室の風景に戻っていました。
ブンちゃんは大きく息を吸い込むと、ゆっくりと静かに、気付かれないように「ハーーー」と息を吐き出しました。
リキヤ君がこうた君を許したことは、ブンちゃんにとって驚きでした。
自分の名前が出なかったことにホッとしたブンちゃんでしたが、悪者になってしまったこうた君の後ろ姿が、頭から離れません。
(こうた君はリキヤ君に許してもらったんだ。だからもういいんだ)
そう自分に言い聞かせても、こうた君の後ろ姿がパッと頭に浮かんできます。
(こうた君は先生にも叱られなかったんだ。だからもういいんだ)
そう強く自分に言い聞かせても、まだ、こうた君の後ろ姿が浮かびます。
ブンちゃんの胸がギュッと締め付けられ、ブンちゃんは胸に手を当てました。
作戦通りに上手くごまかせたはずなのに、ブンちゃんは全く喜べません。
自分が予想していたこととは違うことばかりが起こったからです。
何でこうた君は?
何でリキヤ君は?
何で沙織先生は?
帰りの会もそのことで、ブンちゃんの頭はいっぱいでした。
家に帰っても気になって仕方がありません。
ご飯を食べている時も、お風呂に入っている時も、頭の中には教室での出来事ばかりが浮かんできます。
お布団に入ってもそのことばかりです。
ブンちゃんはなかなか眠ることができません。
月明かりがカーテンの隙間から入って、壁に貼ったスティッチのシールを照らします。
こうた君のシャツが頭に浮かびます。
悲しげな後ろ姿も浮かびます。
ブンちゃんは胸に手を当てて、大きく息を吸い込みました。
すると、
(あっ、この香り)
また、あの時の香りがします。
教室で感じた香りです。
(何だっけ? 何の香りだっけ?)
思い出そうとしても思い出せません。
(嗅いだことあるよなー、何の香りだっけなー)
でもやっぱり思い出せません。
心地よい香りに、ブンちゃんはだんだん眠くなってきました。
「うん、いいよ」
こうた君の声がしました。
(こうた君?)
でも、もう目が開けられません。
こうた君の声に驚いているはずなのに、体が動きません。
心地よい香りに包まれて、ブンちゃんはそのまま眠ってしまいました。
今日は濃いねずみ色の雲が空の低い所にあって、今にも雨が落ちて来そうな空模様です。
飛行機が「ゴーッ」と音を立てて雲の下を飛んでいます。
いつもは遠くて見えない飛行機の模様が、今日ははっきりと分かるくらい近くを飛んでいます。
校庭にはイチョウの木の葉が落ちています。
プレハブ校舎の近くにある、元気のないイチョウの木の葉です。
イチョウの木は、まるで黄色い池の上に立っているようです。
女の子が教室に駆け込んで来て、みんなに伝えるように言いました。
「こうた君、学校休んでるんだって!」
(えっ)
ブンちゃんは驚いて、また胸がドキドキし始めました。
ブンちゃんがゆっくり後ろを見ると、ミカちゃんが隣の席のリキヤ君を見ています。
みんなもリキヤ君に目を向けています。
リキヤ君が何と言うのかを、みんなが気にしているのです。
リキヤ君は唇をギュッと結んで、何か考えるように窓の外に目を向けていましたが、恐竜のあった方に目を向けると、呟くように言いました。
「もともと首を長くしすぎたから、取れるかもしれないと思っていたんだ。わざとじゃないみたいだし、それに、ちゃんと俺を見て謝ってくれたからもういいんだ」
リキヤ君を見ていたミカちゃんも、申し訳なさそうに呟きました。
「私、ひどいこと言っちゃったよね。こうた君、正直に謝っていたし、リキヤ君が許すならもういいよね。私、こうた君に謝らなくちゃ」
そう言うと、恐竜のあった方に目を向けました。
ミカちゃんと一緒にこうた君を責めていた子たちも、こうた君を許し始めました。
「そうだね」
「そうよね」
みんなの言葉に、ブンちゃんは戸惑っています。
(正直に言った方が良かったんじゃないか、こうた君のせいにしなくても良かったんじゃないか、余計なことをしてしまったんじゃないか)
ブンちゃんの胸はドキドキが止まりません。
まるで昨日の出来事がまた繰り返されているように、リキヤ君に謝るこうた君の顔や教室から出て行くこうた君の後ろ姿が頭に浮かんできます。
(あー、何でこうなるんだよー)
「ハーーー・・・」
大きくため息をつき、ブンちゃんは窓の外に目を向けました。
こうた君の姿が曇り空に映ります。
手を洗っているこうた君。
本を片付けているこうた君。
「うん、いいよ」とニッコリと微笑んでいるこうた君。
そして、こうた君を騙そうとしている自分の姿も浮かんできました。
こうた君を教室に引っ張り込む自分。
図鑑を取ってと頼んでいる自分。
「何やってんだよ」と叫んでいる自分。
ブンちゃんは俯くと、右の手のひらをギュッと握り締め、ドンドンと胸を叩きました。
見えなかった太陽が雲に薄っすらと滲み始めました。
(おれはとても卑怯なことしたんじゃないか、やってはいけない悪いことをしたんじゃないか)
椅子から立ち上がると、ブンちゃんは窓の手すりを握り締めました。
こうた君が恐竜を見て黙っている姿が浮かびます。
ブンちゃんの胸が、またギュッと締め付けられました。
(もしかしたら、こうた君、折れた首のこと分かっていたんじゃ・・・)
サッと、恐竜が飾ってあった棚に目を向けました。
(だったら何でおれのせいにしなかったんだ? 何で言い訳しなかったんだ? 何で自分から悪者になったんだ? 何で? 何で?)
昨日の教室での出来事が頭を駆け巡ります。
いくら考えても答えは出ません。
こうた君がなぜそうしたのか、いつもごまかすことしか考えていなかったブンちゃんには、全く分かりません。
(何で? 何で?)
夕方になって、濃いねずみ色の雲からは、やっぱり雨が落ちてきました。
飛行機の「ゴーーーー」という音が近くに聞こえます。
飛行機が空の低いところを飛んでいるのは、ブンちゃんにもすぐに分かりました。
いつもならワクワクして飛行機を見上げるブンちゃんでしたが、そんな気分にはなれません。
ブンちゃんの心も今の空のように、晴れる様子はなかったからです。
音もしない細かい雨が、もう三日も降り続いています。
空を見上げると、ねずみ色の雲に黒い雲が混ざって、町を包むように広がっています。
雨のせいで、元気のないイチョウの木の葉がたくさん落ちています。
木の根元はまた黄色い池のようです。
体育館横の二本のイチョウの木は、黄色い葉が目立ってきましたが、まだ葉に隠れて枝はあまり見えません。
でも、プレハブ校舎のそばの元気のないイチョウの木は、細い枝が見えてしまうほど葉が落ちてしまっています。
ポタポタと枝先から垂れる滴が、ブンちゃんにはイチョウの木が悲しんでいるように見えました。
今日もこうた君は来ませんでした。
ブンちゃんは気持ちが落ち着きません。
(おれが悪いんだ。こうた君のせいにしようとしたおれが悪いんだ)
ブンちゃんの胸はドキドキからズキズキに変わっていました。
悲しそうなイチョウの木を見ていると、こうた君の姿と重なります。
垂れ下がる葉が、俯くこうた君の姿に見えて来ます。
こんな気持ちなるなんて思ってもいませんでした。
ウソをついてこんなに苦しくなるなんて想像もしていませんでした。
こうた君の後ろ姿が頭から離れません。
首を振っても、目をつむっても、空を見上げていても。
ブンちゃんはギュッと胸に手を当てたままでした。
こうた君が休んでから一週間が経ちました。
ねずみ色の雲はまだ町を覆ったままです。
降り続いていた雨は、降ったり止んだりしています。
元気のないイチョウの木の葉は、雨に落とされて、枝がハッキリと見えています。
まるで別の木のようです。
こうた君のことを話す子はいませんでした。
それよりも、ブンちゃんが大人しくなって、いつも外ばかり見ていることの方が、みんなの話題になっていました。
「どうしたんだ、あいつ」
誰かの声が聞こえて来ます。
こうた君のことが気になって仕方がないブンちゃんは、毎日が苦しくてたまりません。
とてもいたずらをしたり騒いだりする気持ちにはなれません。
こうた君のことを考えると、辛くて苦しくて仕方がないのです。
教室の後ろの棚を見ると、残された作品の中に、まだリキヤ君の恐竜があるようにブンちゃんには見えています。
作品が並ぶ棚を見るたびにこうた君を思い出してしまいます。
(こうた君どうしてるんだろう。でも沙織先生には聞けない。こうた君が今どうしているか聞いたら「何で気になるの」って先生に聞かれるかも知れない。沙織先生に、おれがやったって気づかれるかも知れない)
ブンちゃんは迷っています。
でも聞かなければ、いつまでたっても、辛い気持ちはなくならないと分かっています。
沙織先生の顔を見てはため息をつき、沙織先生と目が合うと慌てて目を逸らす。
こんなことの繰り返しでした。
教室の窓から外を見ながら、ブンちゃんは長いため息をつきました。
「ハーーー」
勇気を出せない自分が、情けなくて仕方ありません。
元気のないイチョウの木を見ると、僅かに残った葉が、うなだれるように下を向いています。
元気のないイチョウの木が、またこうた君の姿と重なります。
イチョウの葉が一枚落ちました。
まるでこうた君の目から涙が零れるように、葉はゆっくりと落ちて行きます。
ブンちゃんは胸に手を当てました。
ドキドキして、息が苦しくなっています。
もう我慢できません。
帰りの会が終わったあと、ブンちゃんは思い切って沙織先生に聞くことにしました。
「えーっと・・・」
ブンちゃんは沙織先生の目を見られません。
「何かご用ですか?」
沙織先生がブンちゃんの顔を見詰めます。
「あのー・・・」
ブンちゃんは上着の裾をギュッと握り締めます。
「うん、なーに?」
顔は優しく微笑んでいます。
ブンちゃんは先生の目を一瞬見ますが、目が合うとすぐに顔を下に向けてしまいます。
(このままじゃダメだ)
そう思ったブンちゃんは声を搾り出しました。
「えっとー・・・となりのクラスのこうた君・・・ずっとお休みしているけど、どうしたの?」
やっと言えてホッとしたのか、ブンちゃんは顔をあげて沙織先生を見ました。
(えっ・・・)
沙織先生に笑顔はありませんでした。
微笑んでくれていた沙織先生の顔は、さっきと違って悲しそうでした。
沙織先生は一瞬、窓の外に目を向け、元気のないイチョウの木の方を見詰めると、またブンちゃんを見て残念そうに答えました。
「こうた君、体の具合が良くなくてね、入院しているの」
そう言うと、沙織先生は、また窓の外に目を向けました。
(やっぱり・・・)
ブンちゃんはまた俯きました。
沙織先生がブンちゃんの顔を見詰めて尋ねました。
「こうた君にお話しでもあるの?」
ブンちゃんは先生の言葉にハッとして、一瞬、沙織先生の顔を見ますが、すぐに俯いて答えました。
「ううん、なんでもない」
俯いたまま首を横に振ると、ブンちゃんはトボトボと教室を出て行きました。
(ああ、おれのせいだ。こうた君、悲しくて病気がひどくなったんだ。みんなの前で悪者になっちゃって、絶対おれのせいだ)
下駄箱の前で、ブンちゃんは涙が出そうなのをグッと我慢しました。
校舎を出ると、外は冷たい霧雨が降っています。
元気のないイチョウの木の枝先から滴が落ちます。
ブンちゃんを呼び止めるように、パラッ、パラッとブンちゃんの傘に滴が当たります。
ブンちゃんはイチョウの木を見られません。
校帽を目深にかぶり、傘で顔を隠しながら、ブンちゃんは元気のないイチョウの木の横を通り過ぎて行きました。
少し風の冷たい日曜日です。
降り続いた雨は、朝には止んでいました。
昨日までねずみ色だった雲には、薄っすらと白い雲が混ざっています。
でも、これからスッキリ晴れてくるようには感じられない、そんな空模様でした。
誰もいない学校の横を通ると、元気のないイチョウの木の一番下の枝に、二枚だけ葉が揺れていました。
ブンちゃんは校庭に入って、元気のないイチョウの木のそばまで歩いて行きました。
もともと、校庭には四本のイチョウの木がありました。
西の体育館側に大きなイチョウの木が二本。
東の校舎側に少し背の低いイチョウの木と一番背の低いイチョウの木が二本です。
少し背の低いイチョウの木と言うのが『元気のないイチョウの木』です。
でも、一番背の低いイチョウの木は、夏休みの間になくなっていました。
プレハブ校舎が作られるから、遠くの町に移されてしまったのです。
東の校舎側に残された少し背の低いイチョウの木は、ブンちゃんが転校して来たときから、葉が余り付いていなくて「元気のないイチョウの木だな」とブンちゃんは思っていました。
学校にイチョウの木を見に来るおじいさんがいます。
いつもイチョウの木を見ているので、みんなは『イチョウじいさん』と呼んでいます。
どこに住んでいるかブンちゃんは知りません。
何歳なのかも知りません。
いつも茶色のズボンに濃い緑色の上着を着ていて、ブンちゃんには、なんだか不思議な感じのするおじいさんなのです。
夏休みの前、まだ校庭に四本のイチョウの木があった頃のことです。
このイチョウの木だけが元気がない理由をイチョウじいさんに聞いたことをブンちゃんは思い出しました。
「おじいさん、何でこの木だけ葉があまりついていないの?」
元気のないイチョウの木を見ていたおじいさんは、ブンちゃんをジッと見たあと、またイチョウの木に目を向けました。
「ああ、新しい校舎ができると決まってからじゃなあ、この木が元気をなくしてしまったのは・・・」
おじいさんは木を見上げ、腰を伸ばすように、腰に手を当てて体を起こしながら言いました。
「この町にはイチョウの木がたくさんあるじゃろ。どこに行っても必ずイチョウの木が見られる。ここはイチョウの町なんじゃ。
どのイチョウもみんな神社の大イチョウとブランコ山の大イチョウの子供や孫や曾孫たちなんじゃ。この校庭の四本のイチョウもそうじゃ。いや、それだけじゃない。校舎の裏や体育館の裏、学校の敷地にあるイチョウは、みんな繋がっている家族なんじゃよ」
そう言うと、おじいさんは振り返って体育館の方に目を向けました。
「体育館のそばにある二本のイチョウの大きい方がお父さんの木で、隣がお母さんの木じゃ。そして、元気のないこの木がお兄さんで、今度、校舎が出来る場所にある、あの一番背の低いイチョウの木が妹の木なんじゃ」
おじいさんはしばらく妹の木を見詰めていました。
「お父さんの木は、ブランコ山の大イチョウが、まだ神社の大イチョウと並んで立っていたときに、神社の大イチョウの種から生まれたんじゃ。神社の周りのイチョウの木もそうじゃ。みんな家族なんじゃよ。繋がっているんじゃよ」
おじいさんは木に手を当てて、優しく木の幹をさすりました。
そして、おじいさんは振り返り、ブランコ山の方を見詰め、また話し始めました。
「もうだいぶ昔の話じゃ。まだブランコ山が小高い丘で、ブランコもなく、ブランコ山と言う名前さえ付いていなかった頃のことじゃ。
どこからでも人々を見守ってくれるようにと、神社の大イチョウの一本がブランコ山に運ばれたんじゃ」
おじいさんはブンちゃんを見てニコッ微笑むと、またブランコ山に目を向けました。
「そりゃもう大変じゃった。今みたいにトラックがある時代ではなかったから、人の手だけで運んだんじゃ。たくさんの人の手を借りて、運ぶだけで一月以上かかったんじゃよ」
「そんなに?」
ブンちゃんが驚いて声を上げると、おじいさんは「どうじゃ、すごいじゃろ」と言うような顔でブンちゃんを見ました。
「人々はイチョウの木を『守り木』として大切に扱ったんじゃ。今もそうじゃが、神社の大イチョウは、昔もたくさんの実をつけたんじゃ。人々はその実から種を採り、苗木を育て、一軒一軒が家の守り木としてイチョウの木を育てたんじゃ。そして、家だけじゃなく、川辺や道沿いとか、至る所にイチョウの木を植えていったんじゃ。もちろんブランコ山にもじゃ。そのあと何十年も経ち、人が増え、子供が増えて小学校ができたとき、人々は神社からイチョウの木を小学校に運んで来たんじゃよ。それがあのお父さんの木じゃ」
おじいさんはお父さんの木に目を向けました。
「じゃが一本だけじゃ寂しいじゃろうと、ブランコ山からもう一本運んで来たんじゃ。それがお母さんの木じゃ」
おじいさんはお母さんの木を見詰めました。
「そうか、お父さんの木と結婚させたんだね」
ブンちゃんがそう言うと、おじいさんはブンちゃんを見てニヤッと笑いました。
「夫婦で子供たちを見守って欲しいと願いを込めて、みんなで運んだんじゃ。もう大きな木じゃったから、お母さんの木のときも、そりゃ大変じゃった」
おじいさんは目を瞑って、思い出すように言いました。
「何年かして、お母さんの木からも種が採れるようになったんじゃ。そしたらの、学校の子供たちは、その種から苗木を育て、また学校に植えることにしたんじゃ。十年に一本、学校の誕生日が来るたびに記念としてな。まず校舎の裏が一番じゃった」
「なんで校舎の裏なの?」
「昔は木で造られた木造校舎でな、平屋の校舎が二つあったんじゃ。平屋と言うのは、一階だけと言うことじゃな。今は裏になってしまったが、その木造校舎の間が中庭になっておったんじゃ。。昔の学校は今よりも広かったんじゃよ」
「ふーーん」
「今の校舎の裏のイチョウの木が一番上のお兄さん。次に体育館の裏がお姉さん。ほかのイチョウの木たちも、この木のお兄さんやお姉さんなんじゃよ」
「昔は体育館もなかったの?」
「そうじゃな、昔は違う建物じゃった。じゃが、今の体育館の裏も校庭の一部だったんじゃ」
「へーー、そうなんだ」
「その後、何本もイチョウの木が植えられていったんじゃ。もちろん、校舎の建て替えで移されたものもあったがの。それから何十年か経って、学校が今の形になってからじゃ、校庭にもイチョウの木が植えられたんじゃ。それがさっきも言ったこの木じゃ」
おじいさんは、ゴツゴツした幹をポンポンと叩きました。
「そして、その次の十年が経って植えられたのが、あの妹の木なんじゃよ」
おじいさんは妹の木に目をやると、しばらく、ジッと妹の木を見詰めていました。
「へー、じゃあ、この木は大イチョウの孫ってことだね」
ブンちゃんも腰に手を当ててイチョウの木を見上げました。
「そう言うことじゃな」
おじいさんはブンちゃんを見てニコッと笑いました。
「このイチョウたちは、何で校庭のこの場所に植えられているのか知っているかな?」
おじいさんは、イチョウの木に手を当てながら言いました。
「このイチョウの木たちは、どれも子供たちの役に立っているんじゃよ。夏は太陽の日差しを遮って、教室に涼しい陰を作ってくれる。
冬は葉を散らして、暖かい日差しを教室に届けてくれるんじゃ。
校舎の裏や他のイチョウの木にも火事や強い風から学校を守る役目があるんじゃ。
それにのう、夏が終わると色が変わり始め、秋と冬の間には段々ときれいな黄色に変わって行くじゃろ。その移り変わりが、みんなの心を優しくしてくれるんじゃ。掃除は大変じゃろうが、わしはとっても楽しみなんじゃ」
おじいさんはイチョウの木の幹をさすって、元気のないイチョウの木を励ますように話しました。
「でも新しい校舎ができることになって、妹の木が遠くの町に移されることになってしもうた。だからかのう、かわいそうに、この木は、元気がなくなって、病気になってしまったんじゃ。
しかも、この木の前の教室は、倉庫として使われることになってしまった。子供たちの役にも立てなくなってしまったと思って残念がっているんじゃ」
おじいさんは元気のないイチョウの木を見詰めると、ポンポンと慰めるように優しく幹を叩きました。
そして、木を見上げて寂しそうに呟きました。
「もしかしたら、病気になったこの木は切られてしまうかも知れんのう。切られたら仕舞なんじゃがのう」
元気のないイチョウの木を見るおじいさんの目は、微かに潤んでいるようでした。
(あの時のイチョウじいさん、悲しそうだったなあ)
イチョウじいさんの顔を思い出して、ブンちゃんは元気のないイチョウの木をジッと見詰めました。
イチョウの葉がブンちゃんに手を振るように微かに揺れています。
(そうだ、確かあのあと、木が元気になるように水をあげたんだ)
暑い日が続いて、水が足りないから元気がないのだと思ったブンちゃんは、バケツを持って、何杯も水をかけてあげたのを思い出しました。
ヒューーー
突然、強い風が吹きました。
二枚あった葉の一枚が枝から取れて風に飛ばされました。
葉は校庭の真ん中まで飛ばされ、クルクルとその場を回っています。
大きな円を描いて回っていた葉は、徐々に小さく回りだし、そのままブンちゃんの方に近付いて来ました。
そして、ブンちゃんの前で踊るように、ゆっくりと地面の上で舞い始めました。
(すごい)
ブンちゃんはイチョウの葉から目が離せません。
葉は円を描きながら少しずつ舞い上がって行きます。
そして、徐々に元気のないイチョウの木の方に戻って行きます。
元気のないイチョウの木に近付くと、葉は一気に高く舞い上がりました。
円を描きながら、黄色い葉が空へと舞い上がって行きます。
元気のないイチョウの木を越え、校舎も越え、空高く舞い上がって、次第に見えなくなってしまいました。
(あー、行っちゃったー。でも、なんかすごかったなあ)
ブンちゃんは元気のないイチョウの木に目を戻します。
細い枝に残された葉が揺れて、またブンちゃんに手を振っているようです。
(あっ)
ブンちゃんはハッとしました。
手を振るように揺れる葉が、こうた君と重なったのです。
ギュッと胸に手を当て、ブンちゃんは歩き出しました。
校庭を出て、だんだんと早足になります。
ゆっくり歩いてなどいられません。
今日は大切な用があることをブンちゃんは思い出したのです。
ブンちゃんが向かったのは、町で一番大きな病院です。
ブンちゃんはこうた君が入院している病院を沙織先生から聞いていたのです。
病院は白くて大きな建物です。
塀で囲まれた病院の入口で振り返ると、病院まで続く道の両側には、イチョウの木が何本も立ち並んでいます。
(このイチョウたちも大イチョウの子供たちなのかな?)
おじいさんの話を思い出し、ブンちゃんはたくさんの葉が残るイチョウの木を見回しました。
日曜日の病院は、人が少なくて静かです。
でも、鼻がスーッとするような匂いは、前に来た時と同じでした。
人が少ないせいか、ホールが広く感じます。
入口の上のステンドグラスを見ると、テレビで見た外国の教会に来ているようでした。
正面には中庭があって、二階くらいまでの高さの木が立っています。
イチョウの木です。
そして、その木の奥に二本、小さなイチョウの木も植えられています。
前に来たときはたくさんの人に気を取られ、イチョウの木があるなんて分かりませんでした。
(ここにもイチョウの木があるんだ)
ブンちゃんはしばらくイチョウの木に見入ってしまいました。
「違う、違う!」
首を小さく横に振ってそう言うと、目線を戻し、ブンちゃんは辺りを見回しました。
立ち止まっている場合ではありません。
こうた君の部屋を探さなくてはいけないのです。
広いロビーの真ん中で、ブンちゃんはキョロキョロとしています。
掃除のおばさんがいます。
ガードマンのおじさんがいます。
白衣を着ている人もいます。
「ヤマダさーん、ヤマダハナコさーん」
どこにあるのか分からないスピーカーから、女の人の声が響いています。
「はい、はい、はい」と言いながら、おばさんが走っています。
(どうしよう)
誰かにこうた君の部屋を聞く勇気が出ないブンちゃんは、その場をウロウロするばかりです。
(ダメだ、自分で探そう)
ブンちゃんはホールの奥に向かって歩き始めました。
ホールの奥は廊下になっていました。
廊下は長い椅子ばかりが置いてあります。
座っている人がブンちゃんをチラッと見ます。
ブンちゃんは目を合わせないように歩きます。
歩きながら、廊下の両脇にある部屋を覗き込みます。
でも、中にいるのは看護師さんばかりで、ベッドが置いてある部屋がありませんでした。
(この階にはいないみたいだな)
ホールの手前まで戻って、エレベーターの横にある階段を上り、ブンちゃんは二階に向かいました。
二階の廊下ではパジャマを着た人が椅子に座っています。
その人もブンちゃんを見ています。
ブンちゃんは目を合わさないように真っ直ぐ廊下を歩きます。
廊下の奥の窓からイチョウの木が見えています。
(またイチョウの木・・・)
ブンちゃんはまた両脇にある部屋を覗き込みました。
(この階にもいない)
ここにもベッドがある部屋はありませんでした。
今度は駆け足で階段を上りました。
階段を上り切ると、正面には看護師さんが三人いました。
看護師さんは忙しそうに動き回っています。
廊下を見ると、この階には長い椅子がありません。
置いてあるのは鉢に入った大きな葉の植物だけです。
あまり見たことない植物で、葉が大き過ぎて本物には見えません。
おじいさんと目が合いました。
パジャマ姿のおじさんは、ブンちゃんを見詰めてニコッと笑います。
ブンちゃんは思わず目を逸らしました。
隅っこのガラスで囲まれた小さい部屋では、タバコを吸っている男の人がいます。
やっぱりパジャマを着ています。
部屋の窓からまたイチョウの木が見えました。
(この病院の周りにもイチョウの木がたくさんあるんだ・・・)
そう思いながらブンちゃんは廊下を進みました。
廊下には扉がいっぱいあります。
全部の扉が開いています。
ゆっくりと一番近くの扉に近付くと、ドアの横には名前がたくさん書いてあるプレートが掛かっていました。
「ハハハハー」
部屋から笑い声が聞こえます。
そーっと中を覗くとベッドが見えました。
恐る恐る中へ入ってみると、ベッドが六つ並んでいました。
みんなパジャマを着てベッドに横になっています。
眠っていたり、本を読んでいたり、イヤホンをつけてテレビを見ている人もいます。
話をしていたのは、お見舞いに来ている人です。
みんな大人ばかり。
子供はいません。
(なんだ・・・)
ブンちゃんはガッカリしました。
ほかの部屋も探しました。
おじさんばかりの部屋がありました。
女の人だけの部屋もありました。
三階にある全ての部屋を覗いてみましたが、こうた君を見つけることはできませんでした。
ブンちゃんは諦めて階段に戻ります。
看護師さんのいた場所を通り過ぎると、スーッとした匂いが鼻に入ってきました。
注射の時の匂いです。
その匂いと一緒に大きく息を吸い込むと、ブンちゃんはまた階段を駆け上がりました。
四階を探しました。
四階にもいません。
五階を探しました。
五階にもいません。
どの階でも看護師さんが忙しそうに動いていました。
タバコを吸う小さな部屋もありました。
偽物みたいな植物もスーとする匂いも一緒でした。
そして、こうた君がいないのも一緒でした。
六階に来ました。
(あとはここだけだ・・・)
六階は今までの階より少し静かです。
正面のカウンターの中には看護師さんが一人だけです。
看護師さんはブンちゃんに優しく微笑みました。
ブンちゃんは慌てて目を逸らしました。
小さな部屋でタバコを吸っている人はいません。
パジャマで歩いている人もいません。
廊下には今までより扉がたくさんあります。
奥には人が走るマークの入った緑色の明かりが、少し不気味に光っています。
人がたくさんいる部屋はなさそうです。
扉が開いた部屋と閉まった部屋があります。
扉の前には一つだけ名前書かれた小さなプレートが掛けてあります。
でも書いてある名前は、ブンちゃんの知らない漢字ばかりでした。
(こうた君の名前の漢字を先生に聞いておけば良かった。)
「ハーーー」
ブンちゃんは長いため息をつきます。
でも、ここまで来て諦めるわけにはいきません。
(一つ一つ見て行こう)
ブンちゃんはゆっくりと歩き始めました。
一つ目の部屋は扉が開いています。
名前には「佐藤」の文字があります。
「佐藤」は読めました。
ミカちゃんの名字と同じです。
「佐藤」の文字の下には読めない漢字が一つあって、その下に「子」の文字がありました。
(女の人の部屋だな)
そう思いながら中を見ると、ベッドに座る女の子の後ろ姿が目に入りました。
ベッドの上には、体を起こして女の子と話をしているおばあさんがいます。
ブンちゃんに気付いたおばあさんが、ブンちゃんを見て優しく微笑みました。
ブンちゃんは慌てて、扉の前から離れます。
(なんか見たことある人だ。なんか、ミカちゃんのおばあちゃんに似てたな。名前も佐藤だから、もしかしたらミカちゃんのおばちゃんかも・・・だとするとあの子は・・・)
ブンちゃんは立ち止まり、胸に手を当てて、そっと目を閉じました。
こうた君を指差して責めているミカちゃんの姿が浮かびます。
「こうた君に謝らなくちゃ」と言っていたミカちゃんの姿も浮かびます。
(違う、違う。今はこうた君を探さなきゃ)
ハッと我に返り、顔を左右に振って、ミカちゃんの姿を振り払うと、ブンちゃんはまた歩き始めました。
二つ目の部屋は扉が閉まっています。
でも、名前には最後に「子」の文字がついています。
ここも女の人の部屋です。
三つ目はすぐに違うと分かりました。
お母さんと同じ「美」の文字が、名前の最後についていたからです。
四つ目も分かりました。
名前の最後はお父さんと同じ「男」の文字でした。
「ハーー」
ブンちゃんは、なかなか、こうた君と会えません。
とうとう廊下の一番奥、最後の部屋の前に来ました。
この部屋は名前がありません。
扉は開いています。
電気は消えていて、薄暗くなっています。
部屋の奥のカーテンが風に揺れています。
中の様子は分かりません。
ブンちゃんは少しドキドキしています。
恐る恐る、そーっと中に入りました。
部屋は静まり返っています。
人の気配はありません。
(ああ・・・)
部屋の中は枕が置いてあるベッドがあるだけで、誰もいませんでした。
(なんだよ・・・)
ブンちゃんは肩を落とし俯きます。
(何でいないんだろう? これだけ探したのにいないなんて、沙織先生、病院を間違えたのかな?)
「ハー」
小さくため息をつき、ブンちゃんは部屋を出ました。
廊下の奥の窓から入る風が、ブンちゃんの首筋の汗を拭います。
上着を着たまま階段をたくさん上って、たくさん歩き回ったので、ブンちゃんは薄っすらと汗をかいていました。
ブンちゃんは一生懸命です。
いつもなら嫌になって投げ出しているブンちゃんでしたが、今日は違います。
(こうた君に会って言わなくちゃいけない。こうた君に会わないと辛い気持ちはなくならない)
ブンちゃんは心に決めていたのです。
肌を撫でる風がブンちゃんを元気付けます。
(もう一回、下から探し直そう)
こぶしを握り締め、フンと鼻から息を吐き出すと、ブンちゃんまた歩き始めました。
階段の前に立つと、大きく息を吸い込んで「フーー」とゆっくり息を吐き出しました。
周りに人はいません。
さっきまでいた看護師さんもいません。
階段の前はシーンと静まり返っています。
(あれ?)
階段の前に立ったとき、ブンちゃんは不思議に思いました。
(前に来たときは、お母さん六階建てだって言ってたよな? まだ上の階があるんだ・・・)
必死になっていたので気付きませんでしたが、階段はまだ上の階に繋がっていました。
(お母さん、間違えちゃったんだな。ここは七階建てなんだ)
そう思いながら、ブンちゃんは階段を見上げました。
階段の踊り場は明かりが消えていて薄暗くなっています。
壁には「7」の文字が薄っすらと見えます。
上の階から音は聞こえません。
(よし、行くぞ)
そう思って階段を上りかけた時でした。
階段の上からヒラヒラと何かが落ちて来ました。
(なに?)
暗くてよく見えませんでしたが、紙のような、蝶のような、それは左右に揺れながら、ゆっくりとブンちゃんの足元に落ちました。
(あれ? 何でこんなところに?)
それは黄色いイチョウの葉でした。
ブンちゃんは校庭で舞っていたイチョウの葉を思い出しました。
(あのイチョウ? そんなわけないよな・・・)
ブンちゃんはイチョウの葉を拾い上げると、クルクルと指で回しながら、ゆっくりと階段を上り始めました。
階段を上り切ると、今までの階と違って、七階は薄暗くとても静かな階でした。
人の話し声やテレビの音も聞こえません。
看護師さんもいません。
それに、タバコを吸う部屋もありませんでした。
ガラスで仕切られた小さな部屋には、大きな鉢に植えられた、背の低いイチョウの木が立っていました。
全ての葉がきれいな緑色のイチョウです。
(ここから落ちたんだな。あれ? でも葉は緑色だ。)
ブンちゃんは手に持った葉を見詰めます。
(落ちたやつが黄色になって、また落ちて来たんだな)
ブンちゃんは手に持ったイチョウの葉をクルクルと回しながらイチョウの木を見詰めました。
辺りは静かなままです。
廊下を歩くたびにキュッキュッと足音が響きます。
いつもなら、ふざけてわざと音を鳴らすブンちゃんですが、あまりの静かさにそんなことはできません。
そーっと足を踏み出します。
(下の階となんか違う)
下の階では廊下に並んだ扉があったのに、この階では壁に並ぶ扉がありません。
白い壁が続き、扉は廊下の奥に一つだけです。
扉の上の方に小さな明かりが、少し不気味に光っています。
思わず手に持っていたイチョウの葉を握り締めます。
(あの部屋だけだ)
イチョウの葉をポケットにしまうと、ブンちゃんは廊下の奥の部屋に向かって、ゆっくりと歩き出しました。
キュッ、キュッと、小さな音が響きます。
何となく下の階より廊下が長く感じられます。
(ここがホントの最後だ)
明かりは扉についた小さなガラス窓から漏れた光でした。
扉の前に立つと、ブンちゃんは目を閉じて「フー」と息を吐きました。
そして再び目を開けた時でした。
「ここだよ」
(えっ)
部屋の中から男の子の声が聞こえたような気がしました。
辺りを見回しますが、誰もいません。
(気のせいか・・・下の階だな)
ブンちゃんは扉の横に目を向けました。
ここにも名前が書いてあるプレートがありました。
『衣鳥 耕太』
(あっ、沙織先生と同じだ。「いとり」だ)
ブンちゃんは少し驚きましたが、それよりも名前の最後の文字に目を奪われました。
『太』の文字です。
(最後が「た」だ! もしかして、ここかも)
ブンちゃんは一歩、扉の前に近づきます。
音がしないようにゆっくりと扉を横にずらします。
そーっと、そーっとずらします。
片目で見えるくらい扉をずらしました。
左目をつむり、右目だけで中を覗き込みます。
でも少し先に白いカーテンがかかっていて、奥まで見えません。
カーテンが微かに風に揺れます。
窓が開いているようです。
「ここだよ」
(えっ?)
また声が聞こえました。
(もしかして、こうた君?)
扉を静かに広げ、声に引き寄せられるように、ブンちゃんは部屋に足を踏み入れました。
スーッとする匂いはしません。
その代わり、気持ちの良い香りがしました。
(あっ、あの香りだ。えーっと何の香りだっけ・・・)
立ち止まって考えましたが思い出せません。
(違う!)
ブンちゃんは顔を横にブルブルと振ります。
ブンちゃんはカーテンの隙間から、また片目だけで奥を覗きました。
ベッドが見えます。
でも、足の方しか見えなくて、誰がいるのか分かりません。
ブンちゃんはカーテンをそっとめくりました。
ドキドキしながら、音を立てないように、ゆっくり進みます。
ベッドの横の壁に絵が貼ってあるのが見えました。
二枚あります。
『おにいちゃん』と書かれた男の子の絵と、もう一枚は男の子が二人描かれた絵です。
一人はリキヤ君に似ています。
(フフッ、リキヤ君にそっくりだ・・・)
ブンちゃんの顔に笑みが浮かびました。
もう少し進むと、少ししぼんだ銀色の風船が二つ、窓際の手すりに繋がれて風に揺れていました。
(誰かいる)
ベッドで人が寝ているのが見えます。
(あっ、ここだ!)
こうた君が見えました。
ホッとしたブンちゃんは、胸に手を当て、音が出ないように、ゆっくりと大きく深呼吸をしました。
こうた君は口に緑色のマスクをつけています。
薄っすらと透き通ったマスクは、こうた君の息で曇ったり透き通ったりしています。
ベッドの横には、テレビで見たことがある機械が置いてあります。
機械からは「ピッ、ピッ」と音が鳴っています。
女の人が椅子に座っています。
こうた君を見ています。
看護師さんの服は着ていません。
女の人の横顔は少し悲しそうです。
「あのー」
ブンちゃんが声を絞り出します。
女の人がブンちゃんに気付きました。
驚いた様子もなく、女の人はニッコリとブンちゃんに微笑みます。
その笑顔は、初めてこうた君と話した時と同じ、優しい笑顔でした。
(きっと、こうた君のお母さんだ)
そう思ったらドキドキしてきて、ブンちゃんは俯いてしまいました。
「あなた、ブンちゃんね」
女の人はまるでブンちゃんが来ることを知っていたようにブンちゃんの名前を言いました。
(えっ)
ブンちゃんはビックリしました。
「あ、はい・・・でも、なんで・・・」
女の人は眠っているこうた君を見て、囁くように言いました。
「ホントだったね」
優しく、でも、どこか寂しげな笑顔です。
女の人はブンちゃんの方にゆっくり向き直りました。
「耕太がね『ブンちゃんが来るよ』って言っていたのよ」
そう言うと、女の人はニッコリと微笑みました。
(えっ)
ブンちゃんは驚いて言葉が出ません。
「ブンちゃん、一人で来てくれたの?」
女の人は席を立ち、ブンちゃんの前に屈み込みむます。
ブンちゃんが小さくコクッと頷くと
「ありがとう」
そう言って手のひらをブンちゃんの頬に優しく当てました。
柔らかくて温かい手でした。
お母さん以外の人にこんなことをされたのは初めてだったので、恥ずかしくて、ブンちゃんの顔はみるみる赤くなっていきました。
「でも、ごめんね、せっかく来てくれたのに。耕太ね、昨日の夜からずっと眠ったままなの。
昨日のお昼はベッドで本を読んでいたんだけどね・・・」
女の人は寂しそうな笑顔でブンちゃんを見詰めると、ゆっくり立ち上がって、またこうた君に目を向けて言いました。
「耕太ね、とても喜んでいたのよ。『学校でブンちゃんの役に立てたかもしれない』って、ホント嬉しそうに話してくれたの」
(えっ?)
ブンちゃんはこうた君を見ました。
「でもね、どんな役に立ったのかは、恥ずかしがって言わないの」
女の人の言葉に、ブンちゃんは俯いてしまいました。
(やっぱりだ。やっぱりこうた君は知ってたんだ)
「それでね『ブンちゃんが来るかもしれないから手紙書かなくちゃ』って言ってね、一生懸命に書いていたのよ。あんまり夢中になっているから『見せて』って言ったんだけど、絶対に見せてくれないの。『ブンちゃんが来たらお話しすればいいじゃない』って言ったんだけど『口で言うのは恥ずかしいしから』って言うの」
女の人はまだこうた君を見詰めています。
でも、こうた君を見詰める目は、さっきよりも潤んでいて、とても悲しそうです。
女の人はベッドの横の物入の前に立つと、一番上の引き出しから何かを取り出しました。
振り返った女の人が手に持っているのは封筒でした。
女の人は封筒を見ながら優しい笑みを浮かべると、その封筒をブンちゃんに手渡しました。
「はい、どうぞ」
(えっ?)
スティッチの絵が描いてある水色の封筒でした。
真ん中には少し震えた文字で『ブンちゃんへ』と書いてあります。
ブンちゃんは眠っているこうた君をチラッと見て、女の人から封筒を受け取りました。
裏を見ると、そこにはプリークリーのシールが貼ってありました。
ブンちゃんは封筒を開けようとシールを剥がします。
でも体の細いプリークリーのシールは上手く剥がれません。
シールが切れないように、ブンちゃんは丁寧にゆっくりと剥がしました。
封筒を開け、中身を取り出すと、手紙が二枚入っていました。
スティッチとエンジェルやジャンバ、プリークリー、ユウナ、それにハムスターヴィールまで、みんな仲良く写真を撮っている絵が描いてありました。
文字はやっぱり震えたような文字です。
でもこうた君が一生懸命に書いてくれたことは、一目見ただけで分かりました。
*****
ブンちゃんへ
ぼくね ブンちゃんが「手伝って」って言ってくれたとき とってもうれしかったよ。
だって ぼく 体が弱いから 先生もクラスのみんなも 心配してくれて つかれるようなこと させてくれないんだ。お母さんは 元気でいるだけで 役に立っているのよって言うけど 役に立ってるって思えないのが ちょっと くやしかった。
恐竜の首が取れているのは すぐに分かったよ。だって 本の上に置いてあっても 首が少しずれているの見えたからね。
ブンちゃん もう少し うまくやらないと。
でも ぼくね 思ったんだ。ぼくがこわしたことにすれば ブンちゃんはみんなにきらわれなくてすむんだなって。
どうだった? うまくいったかな。
でもね ブンちゃん 気にしないでね。ぼくいいからね。
ぼく 悪者になっても 平気だからね。
ぼくね あんまり生きられないかもしれないんだ。
お母さんも お父さんも おじいさんも「ダイジョウブ」って言うけど ぼくと同じだった子を知ってるんだ。病気も同じだった。その子も 学校に行ったり 休んだりしてたんだけど すごい発作が出たら 助からなかったんだ。
発作ってね せきが いっぱい出てね 体が言うこときかないんだ。こんど すごい発作が出たら きっと ぼくも 学校に行けなくなる。だから 学校に行けるうちに だれかの役に立ちたいなって思っていたんだ。そしたら ブンちゃんが 手伝ってって ぼくを呼んでくれたでしょ。ぼく ほんと うれしかったんだよ。
それに 本の片付けだけじゃなくて ブンちゃんがみんなにきらわれないようにできるなんて すごいことだと思ったんだ。みんなにウソついちゃったけど しょうがないよね。
でも あのあと すぐに 発作が出ちゃって 病院に運ばれちゃった。
知ってる子みたいにならなくて良かったけど もしかしたら ぼくが 学校に行けなくて ブンちゃんが 気にするかもしれないって思ったんだ。
だから 手紙を書こうって思ったんだ。
ブンちゃんが 手紙を読んでるってことは 来てくれたんだね。
ぼく もう 会えないってことかな?
ぼく ねてる? 口にマスクつけてる?
マスクつけてたら ブンちゃん ぼくに 話しかけてみてね。でも それで 起きちゃって ブンちゃんと 会ったら はずかしいな。
ブンちゃん ぼく こわくないよ
ブンちゃん ぼくのこと わすれないでね
ありがとう ブンちゃん
耕太
*****
ブンちゃんの目から涙が溢れて、ポタポタと床に落ちました。
なんで、ニコニコして手伝ってくれたのか。
なんで、恐竜の前で考え込んだのか。
なんで、みんなの前で名前を言わなかったのか。
なんで、自分だけ悪者になったのか。
ブンちゃんは全部わかりました。
「ごめんなさい、ごめんんさい、おれ、こうた君に、とっても悪いことしたんです。リキヤ君の恐竜こわしたのおれなのに、こうた君のせいにしたんです。おれがウソついたから、こうた君が悪者になっちゃったんです。ごめんなさい、ごめんなさい」
女の人は静かにブンちゃんを見詰めています。
悲しそうな目で「分かっているわ」と言っているようです。
ブンちゃんはベッドの手すりを握り締めます。
「こうた君ごめんね。あやまるから起きてよ。もうぜったいにウソつかないから。おれ分かったんだ。あやまることは、はずかしいことじゃないって。あやまらないまま、ごまかしたままの方が、ずっとはずかしいんだって。そういう人が本当の悪者なんだって。お願いだから起きてよ。こうた君、お願いだから目を開けてよ」
こうた君は黙ったままです。
楽しい夢でも見ているかのように、穏やかで、優しく、とても満足したような表情でこうた君は眠っています。
ブンちゃんは振り返って女の人を見詰めます。
「こうた君なんで起きないの? なんで起きないの?」
女の人がブンちゃんを抱きしめます。
女の人は泣いています。
女の人の悲しみがブンちゃんにも伝わってきます。
あの香りがします。
思い出せないあの優しい香りがブンちゃんを包みます。
「う、う、うっ、ううー」
我慢できずにブンちゃんは声をあげて泣き出しました。
女の人がまたブンちゃんをギュッと抱きしめます。
からだを小さく震わせて、声を出すのを我慢して、静かに、静かに、女の人は泣いています。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
ブンちゃんは何度も謝りました。
こうた君に許してもらえるように。
こうた君のお母さんに許してもらえるように。
何度も何度も謝りました。
窓から入る優しい風が、涙を拭うようにブンちゃんの頬を撫でます。
風が二人を包み込みます。
風は、まるで両手で抱きしめるように、優しく、優しく、二人を包んでいました。
月曜日、西の空では薄いねずみ色と白の混ざった雲の合間から、太陽の光が地面に向かって降っています。
光はだんだんと太くなり、少しずつ見えなくなっていきました。
光にかわって、今度は青い空が雲の合間から顔を出しました。
水色ではなく、少し濃い青です。
徐々に町の上も青い空が広がって来ました。
久しぶりに感じる青い空です。
この日、ブンちゃんは心に決めていました。
昨日、病院を出たときから決めていました。
みんなの前でブンちゃんは勇気を出したのです。
自分のやったことをごまかして、こうた君のせいにしてしまったこと。
今までたくさんウソをついてしまったこと。
下を向いて、大粒の涙をこぼして、泣きながら全てを話し、みんなに謝りました。
そして、病室でこうた君に言った通り「もうウソはつかない」と、ブンちゃんはみんなに誓ったのです。
ミカちゃんは怒っていました。
何も言いませんでしたが、絶対に許さないといった目でブンちゃんを睨み付けていました。
リキヤ君は外を見ていました。
ブンちゃんが謝る姿を見た後、黙ったままブランコ山を見ていました。
恥ずかしさはありません。
叱られることも覚悟していました。
それだけ酷いことをしたのだと、ブンちゃんは分かっていました。
でも沙織先生は叱りませんでした。
反対に優しく微笑んでいました。
「分かっているわ」と言うように、ブンちゃんを見詰めていました。
火曜日になりました。
誰もブンちゃんに話しかけませんでした。
水曜日もブンちゃんは一人でした。
木曜日の帰り、下駄箱の前で靴を履いていたブンちゃんに、誰かが駆け寄って来ました。
後ろから「じゃあな」と、一言だけ言ってブンちゃんのランドセルをポンと叩くと、そのまま右手を上げて走って行ってしまいました。
リキヤ君でした。
誰よりも一番怒っていると思っていたリキヤ君が声をかけてくれたのです。
ブンちゃんはビックリしました。
嬉しくて、ホッとして、ブンちゃんは昇降口を出ると、空を見上げて、こぼれそうな涙を我慢しました。
青い空には小さな雲が一つ、ゆっくりと流れているのが見えます。
(ありがとう。リキヤ君)
前を向き、遠くを走るリキヤ君の後ろ姿に向かって、ブンちゃんは、そう心の中で呟きました。
でも嬉しい気持ちはわずかな時間だけです。
心はスッキリとは晴れません。
簡単に許されることではないと、ブンちゃんも分かっていました。
金曜日、空には薄い雲が広がっています。
太陽の光が雲にぼんやりと滲んでいます。
風は穏やかで、太陽を隠す雲をどけてくれそうにありません。
転校して来た日のように、何人かがブンちゃんに声をかけてくれました。
ブンちゃんは笑顔でした。
がんばってみんなに笑顔を見せていました。
でも、本当の笑顔ではありません。
まだ、大切な人に「ごめんさい」を聞いてもらっていないからです。
それに、手紙に書かれていたことが頭から離れません。
ブンちゃんの心には、雲がかかったままなのです。
帰りの会が終わって、みんなが一斉に昇降口に向かいます。
ブンちゃんも靴を履き替え、元気のないイチョウの木の下へ行きました。
細い枝の先には、まだ一枚だけ葉が残っていました。
まるで、この場所から離れてしまうのを嫌がるように、必死に枝につかまっています。
イチョウの木にこうた君の姿が重なります。
(日曜日にまた、こうた君に会いに行こう。もうあれから一週間も経つんだから、日曜日にはきっと目を覚ましているはずだ。みんなに謝ったことを言いに行こう。こうた君が悪者じゃないって、みんな知っていると言いに行こう。みんなこうた君を待っていると言えば、絶対に元気になるはずだ。そうだ! 手紙のお礼もしなくちゃ。「ごめんなさい」だけじゃなくて「ありがとう」もちゃんと言わなくちゃ。スティッチのシールを持って行ってあげよう。シールだけじゃなくて、ガチャガチャで取ったスティッチの人形も持って行こう。こうた君が元気になれそうなものを集めて持って行こう。そうだ! 明日と明後日は神社のお祭だ。なんか買って行ってあげよう。スティッチのものを買って行ってあげよう)
ブンちゃんは今にも取れてしまいそうな葉を見ながら、そう心に決めました。
葉が揺れています。
嬉しそうに揺れています。
こうた君の笑顔が浮かびます。
手を振るこうた君の姿が浮かびます。
(そうだ、祭の前にブランコ山に行って、大イチョウの木の下から少しだけ土を持って来よう。その土をかけてあげれば、この木も元気になるかも知れない。大イチョウのパワーで元気になるかも知れない。葉があったら葉も持って来よう。いっしょに埋めてあげよう。待っててね。なるべくたくさん持って来るからね)
ポンポンと木の幹を叩いて、ブンちゃんは微笑みます。
こうた君に会えると考えたら、急に元気が出てきました。
「待っててね。こうた君、待っててね」
ブンちゃんはイチョウの木に向かってそう声を掛けると、元気に走り出しました。
雲の隙間から、僅かに薄い黄色の光が差し込みました。
光がブンちゃんを照らします。
雲にこうた君の姿が映ります。
こうた君は笑っています。
優しい笑顔で見詰めています。
「待っててね。待っててね」
差し込む光に、嬉しそうに目を細めるブンちゃんでした。
風が穏やかな夜になりました。
月明かりに邪魔されて、あまりたくさんは見えませんが、青黒い空には、ところどころハッキリと光る星が見えます。
パジャマに着替えたブンちゃんは、理科で習ったばかりのオリオン座を見ながら、こうた君のことを考えています。
(こうた君、今ごろどうしてるかな? 本でも読んでるのかな? もう眠っちゃったかな? 元気が出るもの食べたかな?)
日曜日に会えることが、ブンちゃんは楽しみで仕方ありません。
天気予報では、明日の土曜日も、明後日の日曜日も晴れると言っていました。
空を良く見ると星だけではなく雲がたくさんあります。
初めてでした。
夜の空でも、昼間と同じように、雲がゆっくりと流れているのを見たのは。
月や星ばかりを見ていて、夜空の雲など気にしたことはありませんでした。
(急に変わるわけがない。暗くなっただけで空が入れ替わるわけじゃないんだ。急に変わるなんてない。こうた君だって・・・)
「ぼく もう 会えないってことかな?」
手紙を書いているこうた君の姿が頭に浮かびました。
(そんなことないさ。本を片付けてた時は、あんなに元気そうだったんだ。きっと少し意地悪しようとしてるんだ。おれがこうた君を騙そうとしたから、少しだけ意地悪しようと思っているんだ。仕方ないさ、おれが悪いんだから。そのくらいの意地悪なんて、おれがしたことに比べたら何でもないことさ。あとで「知ってたよ!」って笑えばいいんだ。そうやって笑い合えばいいんだ。友達になろう。ちゃんと謝って友達になろう。元気になったら一緒に遊ぼう。きっと、友達が少なくて寂しいんだ。だから病気になっちゃうんだ。そうだ! おれのうちでスティッチのゲームをしよう。DVDも見よう。喜んでくれるかな? 喜んでくれるといいなあ)
ニヤニヤしながら、ブンちゃんはこうた君の喜ぶ顔を思い浮かべました。
布団の中に入っても、一緒に笑い合う姿を想像しました。
ブンちゃんは夢の中で、こうた君と会いました。
たくさん会話をしました。
たくさん遊びました。
鬼ごっこもしました。
ドッジボールもしました。
粘土で恐竜も作りました。
スティッチの絵も描きました。
二人は友達になりました。
夢の中で大親友になって、たくさん楽しい時間を過ごしました。
「ブンちゃん、ありがとう、さようなら」
こうた君が手を振りました。
夢の中でニッコリと微笑んで大きく手を振りました。
土曜日と日曜日が過ぎ、三日が経ちました。
月曜日になりました。
久しぶりに水色の空が広がっています。
雲ひとつない空っぽの青い空です。
(昨日も晴れだったのかな)
日曜日の天気をブンちゃんは知りません。
校庭には、風の音を伝えることもなくなった二本のイチョウの木が静かに立っています。
校庭はいつもと違う風景になっていましたが、ブンちゃんは気が付くことができませんでした。
ブンちゃんの心の中は、空っぽになっていたのです。
月曜日なので今朝は朝礼が開かれています。
校長先生が何か話をしています。
でも何を話しているのかブンちゃんの頭の中には入ってきません。
沙織先生が悲しそうに立っています。
俯いて、目にハンカチを当てています。
なぜ沙織先生が悲しんでいるのか、ブンちゃんはその訳を土曜日から知っていました。
こうた君が目を覚ますことはありませんでした。
涙は流れません。
涙がなくなるくらい、ブンちゃんはたくさん泣いていました。
昨日は窓も開けず、カーテンも開けず、家から出ることもできませんでした。
教室はいつもと変わらない様子ですが、ミカちゃんが休んでいるせいか、少しだけ静かな感じがします。
ブンちゃんは窓際の席に座り、遠くの空を眺めています。
ブンちゃんの肩を、リキヤ君がポンと叩きます。
リキヤ君は手すりに頬杖をついて外を眺めます。
言葉はありません。
元気がないブンちゃんを、リキヤ君は気にかけていました。
リキヤ君の横顔を見たとたん、もう出ないと思っていた涙が、ブンちゃんの目に溢れました。
リキヤ君に謝っているこうた君の姿が浮かびます。
(あのとき、リキヤ君に謝らなくちゃいけなかったのはおれなのに、おれが本当に謝らなくちゃいけない人はこうた君なのに、ごめんねこうた君、ごめんね、ごめん・・・)
涙がこぼれ落ちないように、そして、こうた君に気持ちを届かせるように、ブンちゃんは空を見上げました。
誰かがリキヤ君を呼びました。
「リキヤー」
リキヤ君は振り返って返事をしました。
「おう、今、行く」
リキヤ君はチラッとブンちゃんを見ると、またブンちゃんの肩をポンと叩いて歩き出しました。
ブンちゃんは空を眺めたままでした。
そのまま動くことなく、囁くように言いました。
「ありがとう」
ブンちゃんの頬を、涙が一筋流れました。
「隅っこにあったイチョウの木、どっかに運ばれたんだって」
誰かの話し声が耳に入りました。
(えっ?)
ブンちゃんは慌てて立ち上がると、元気のないイチョウの木の方に目を向けました。
(なくなってる・・・)
朝礼の時に感じた、どこか違う風景の理由が分かりました。
金曜日に一枚だけ葉を残していた元気のないイチョウの木がなくなっています。
(おじいさんの言った通りだ)
ブンちゃんはイチョウじいさんの話を思い出し、体育館に目を向けました。
お父さんとお母さんのイチョウの木の下には、たくさんの黄色い葉が落ちて、悲しんでいるように見えます。
フッと、こうた君のお母さんの顔が浮かびました。
ブンちゃんは胸手を当てました。
失ってしまった悲しみ。
取り戻すことのできない悲しみ。
もうどうすることもできない辛さが、ブンちゃんの胸を締め付けました。
ブンちゃんは俯いて目を閉じました。
元気のないイチョウの木の葉が、静かに揺れている景色を、ブンちゃんは思い出していました。
風がブンちゃんの頬を撫でます。
フワッと優しい香りが漂いました。
(あっ、あの香り)
病院で女の人に抱きしめられた時に感じた香りです。
ブンちゃんは静かに目を開けました。
校庭の隅に目を向けると、イチョウの葉が集められている箱から、黄色い葉が一枚飛び出しました。
葉は風に舞い、校庭の真ん中まで来ると、誰もいない校庭で、踊るように舞い始めました。
地面を走るように、宙返りをするように、そこに留まって、まるで何かをブンちゃんに伝えるように舞っています。
「聞こえたよ」
誰かの声がしました。
ハッとしたブンちゃんは、手すりから身を乗り出して辺りを見回します。
でも校庭には誰もいません。
(気のせい・・・)
ブンちゃんは、またイチョウの葉に目を戻します。
葉は、まだ校庭を舞っています。
何かを伝えるように舞っています。
「聞こえたよ」
また声がしました。
聞き覚えのある声です。
(えっ)
ドキッとしたブンちゃんは、いるはずのない姿を探します。
もしかしたら、という思いで辺りを見回します。
でも校庭に人影はありません。
キョロキョロと、目を見開いて探しますが、やっぱり誰もいません。
「はぁーー・・・」
ブンちゃんは長いため息をついて、そのままガクッとうなだれました。
「そんなわけないよな」
足元を見ながら、力なく呟きます。
そして、ゆっくりと顔をあげ、また手すりに腕を載せた時でした。
校庭の奥で誰かが手を振っている姿が目に入りました。
見覚えのある、黄色と緑のシャツを着ています。
(えっーー!)
ブンちゃんはハッとして、目を丸くしました。
こうた君が手を振っています。
ビックリしたブンちゃんは、指で目をこすりました。
そして、窓から身を乗り出すと、もう一度、こうた君の姿を確かめました。
ビューーー
(うっ)
突然、強い風が吹き、ブンちゃんはたまらず、ギュッと目を閉じてしまいました。
すぐに風が止んだのを感じると、ブンちゃんはそっと片方の目を開けて、こうた君がいた所に目を向けました。
でも、こうた君はいません。
手すりを握り締め、身を乗り出して辺りを見回しますが、校庭には誰もいません。
(こうた君だった。絶対こうた君が手を振っていた)
校庭には、さっきまで風に舞っていたイチョウの葉が、また姿を現しました。
(こうた君?)
イチョウの葉はクルクルと回っています。
そして、体育館側の二本のイチョウの木の間を行ったり来たりしながら、校庭の真ん中に戻っては、またクルクルと回りました。
何かを伝えるように、離れたくなさそうに、行ったり来たりを繰り返しています。
また風が強くなり、イチョウの葉が、ゆっくりと宙に舞い上がって行きました。
そして、ブンちゃんのいる教室より高く舞い上がると、クルッと小さな円を描いて、ブランコ山の方に向かって飛んで行ってしまいました。
ブンちゃんは葉を目で追います。
小さくなる黄色い葉を懸命に目で追いました。
一瞬、こうた君が手を振る姿が浮かびました。
(こうた君!)
ブンちゃんの目から溢れた涙が頬を伝います。
もう、葉を目で追うことはできません。
イチョウの葉は涙に滲んで、そのまま見えなくなってしまいました。
(ごめんね、こうた君。ごめんね)
涙を手で拭うと、ブンちゃんはブランコ山を見詰めました。
大イチョウから黄色い葉が風に乗って舞い散るのが微かに見えました。
(大イチョウも悲しんでる・・・)
ブンちゃんは、しばらくの間、ブランコ山に映るこうた君の姿を見詰めていました。
今日は青い空が広がっているのに少し寒い日です。
空の高いところにある雲は、魚のウロコのような模様で、空に張り付くように、動かずジッとしています。
ブンちゃんは川向こうの大きな煙突がある場所まで来ていました。
煙突の煙は空の低い所を流れる雲を追いかける様に漂い、すぐに消えてしまいます。
ブンちゃんの周りには、黒い服を着た人がたくさんいます。
沙織先生も黒い服を着ています。
ブンちゃんと同じくらいの歳の子たちが立っています。
隣のクラスの子たちではありません。
(きっと前の学校の友達なんだろうな)
みんなブンちゃんの知らない子たちばかりでした。
男の人がみんなにお話をしています。
泣きながら話をしています。
聞いている人も目にハンカチを当てて悲しそうです。
沙織先生が泣いています。
知らない子たちも泣いています。
こうた君のお母さんがいます。
こうた君の写真を持って立っています。
写真のこうた君はニッコリと笑っています。
こうた君のお母さんは、写真をギュッと胸に抱きしめて立っています。
小さな女の子もいます。
女の子はこうた君のお母さんの服を掴んで俯いています。
(きっと、こうた君の妹なんだろうな。あの子もたくさん泣いたんだろうな。もう涙が出ないほど泣いたんだろうな)
俯いて顔の見えない女の子を見て、ブンちゃんは鼻の奥がジンとしました。
男の人の話が終わって、みんなが歩き始めました。
こうた君のお母さんもこうた君と一緒に歩き出します。
こうた君がブンちゃんのそばまで来た時、こうた君のお母さんはブンちゃんの前で立ち止まりました。
涙を我慢していたブンちゃんでしたが、ニッコリ笑っているこうた君の顔を目の前で見たら、もう我慢することはできませんでした。
「ブンちゃん来てくれてありがとう。泣いてくれてありがとう。でも、もう悲しまないで。ブンちゃんのせいじゃないの。仕方なかったの」
こうた君のお母さんは、屈んでブンちゃんの目にハンカチを当てました。
「でも・・・でも・・・」
俯くブンちゃんの目から涙が頬を伝い、ポタポタ、ポタポタこぼれます。
「ブンちゃん、病院で『もうウソつかない』って言ってくれたでしょ。あのあと、学校でみんなに正直に話したって、沙織先生から聞いたわ。偉かったわね。ホントに偉かったわね」
その言葉を聞いて、ブンちゃんの目からまた涙が溢れ出しました。
「でも、でも、こうた君に『ごめんなさい』聞いてもらえなかった」
俯き、手のひらを握り締め、ブンちゃんは悔しそうに言いました。
「大丈夫。耕太、喜んでいるわ。ブンちゃんのお役に立てて喜んでいるわ。『ブンちゃんが“ウソつきブンちゃん”から “正直ブンちゃん”に変わるお手伝いができたんだよ』って喜んでいるわ」
顔を上げると、こうた君のお母さんも泣いていました。
こうた君のお母さんはブンちゃんの頬に手を当てて、黙ったまま口をギュっと結んで小さく頷きました。
「ううう、ううう」
俯くブンちゃんお目から大粒の涙がこぼれ落ちました。
沙織先生がポンポンとブンちゃんの背中を優しく叩きます。
ブンちゃんが顔を上げると、こうた君のお母さんと小さい女の子の後ろ姿が見えました。
こうた君のお母さんが車に乗ります。
女の子は男の人とバスに乗ります。
来ていた人たちも、続いてバスに乗り始めます。
ブンちゃんと沙織先生もバスに乗り込みました。
バスは出発すると、すぐにブンちゃんの町に繋がる橋に差し掛かりました。
河川敷では凧揚げをしている人がいます。
川は太陽の光を反射させてキラキラと光っています。
土手で何か食べている女の子の姿がブンちゃんの目に入りました。
(ミカちゃんに似てる・・・)
昨日、学校を休んだミカちゃんの顔が浮かびます。
フッと香りがしました。
(あっ・・・)
優しい香りがブンちゃんを包みます。
(なんの香りだっけ・・・、なんの・・・)
ブンちゃんは目を開けていられません。
バスに揺られながら、ブンちゃんはいつの間にか眠ってしまいました。
バスはブンちゃんたちを乗せ、ブンちゃんの町に入って行きました。
「ブンちゃん、ブンちゃん」
(あっ)
沙織先生の声で、ブンちゃんは目を覚ましました。
ブンちゃんは辺りを見回します。
(どこ? あれ、ブランコ山?)
ブンちゃんはブランコ山のベンチに座っていました。
(そうかバスに揺られて眠っちゃったんだ。きっと男の人と沙織先生が降ろしてくれたんだな)
ブンちゃんはこうた君のお母さんと話した後のことをあまり覚えていませんでした。
バスに乗って、橋を渡って、駅に寄ったのは薄っすらと覚えています。
そのまま学校に寄ったのも薄っすらと覚えています。
でも、どうやってブランコ山で降りたのかは覚えていませんでした。
「ブンちゃん、もう行きましょう。みんな来ちゃうわ」
沙織先生がニッコリと微笑んでいます。
(えっ、来ちゃう? 誰が?)
ブンちゃんはまた辺りをキョロキョロ見回します。
(誰もいない・・・)
公園にいるのはブンちゃんと沙織先生だけでした。
(ああ、小さい子たちが来ちゃうってことか・・・)
ベンチから立ち上がり、目をつむって、ブンちゃんは大きく深呼吸をしました。
「スーー、ハーー」
その時でした。
フッと、また香りがしました。
(あ、あの香り・・・)
ブンちゃんはゆっくりと目を開けると、香りを追うように振り返り、大イチョウを見上げました。
大イチョウはブンちゃんを見守るように、葉を静かに揺らしています。
ブンちゃんは沙織先生をチラッと見ると、今度は遠くの空を眺めました。
高い所に張り付いていたウロコ雲は、いつの間にかなくなっていました。
空は青く澄んでいます。
飛行機が空の高い所をゆっくりと飛んでいます。
風に乗って、雲が流れてきます。
よく見ると、リキヤ君の作った恐竜のような雲です。
ニッコリしたこうた君の顔が雲に映ります。
こうた君が笑っています。
「ごめんね、こうた君。ありがとう、こうた君。わすれないよ、おれ、ぜったい、ぜったい、わすれないよ。だから、こうた君も見ててね。ウソつかないように見ててね」
ブンちゃんがそう呟くと、あの時のようにニコニコしながら返事をしてくれたこうた君の声がハッキリと聞こえました。
「うん、いいよ」
名前はブンちゃん。
外遊びが大好きな十歳の男の子です。
小さな町なので小学校は一つです。
クラスは一学年に二クラスで、一クラスに二十人しかいません。
だから転校生が来ると、みんな大騒ぎです。
まるで珍しい動物でも見るように、みんながブンちゃんのそばに寄って来て、
「おうち、どこなの?」
「どこから来たの?」
「なんで引っ越して来たの?」
「兄弟いるの?」
「遊ぼう、遊ぼう」
と話しかけてきました。
一人一人に答えるのは大変でしたが、ブンちゃんは嬉しくて仕方ありません。
今日は誰と遊ぼう? 何して遊ぼう?
考えるのも楽しくて、毎日ワクワクしていました。
学校から家に帰ると、玄関にランドセルを投げ出して、すぐ遊びに出かけます。
カン蹴りや高鬼、氷鬼、ドロケイや馬乗り、段ボールで土手すべり。
『達磨さんが転んだ』はちょっと苦手で、いつも一番に動いてしまいました。
神社で木登りもしました。
鳥居の横に大きなイチョウの木がある、静かな神社です。
神社の大イチョウは、夏になると黄緑色の実をたくさんつけて、さわやかな香りを漂わせます。
そして、秋になると多くの人たちが、橙色に変わった実が落ちるのを待ち構えています。
神社の大イチョウをおばあさんの木、ブランコ山の大イチョウをおじいさんの木と呼ぶお年寄りがいます。
神社の大イチョウとブランコ山の大イチョウは、町ができる前からこの土地で生きているからです。
神社にお参りに来た人は、みんな立ち止まってパンパンと手を合わせてくれます。
長生きの木だからありがたいようです。
でもブンちゃんが登るのは、イチョウの木ではなくビワの木です。
境内の横のビワの木には、たくさんの実がなっているからです。
おなかいっぱい食べました。
もちろん神社の人には内緒です。
だから、神主さんに見つかったときは、ビックリして木から落ちそうになったこともありました。
食べたのはビワだけではありません。
トロッとしたイチジクや甘酸っぱい木苺、ザクロもご馳走になりました。
初めて食べるものばかりで、口に入れる時はドキドキしていましたが、あまりの美味しさに、すっかり夢中になっていました。
遊びはいっぱいありました。
クヌギの林でカブトムシを取ったり、池でザリガニを釣ったり、小石を投げて水切りをしたり。
ブンちゃんが暮らしていた都会ではできなかった遊びばかりです。
夏休みに入る前に、河川敷の林の中にガラクタを集めて、秘密基地も作りました。
木を組んで作った入口やタイヤを積んだテーブル、雨が降っても大丈夫なようにブルーシートで屋根も作りました。
秘密基地を作ってからは、秘密基地が待ち合わせの場所です。
宿題をやって、急いで家を飛び出すと、一目散に秘密基地に向かいました。
夏休みの前は、いつもブンちゃんが一番乗りでした。
ブンちゃんはワクワクしながらみんなを待ちます。
何を作ろうか、何をして遊ぼうか、頭の中は楽しいことでいっぱいです。
でも、なかなか人が来ない時もありました。
そんな時、ブンちゃんは空を眺めます。
農家のおじさんからもらった藁でベッドを作り、そこに寝そべって、大きな空を眺めるのです。
吸い込まれそうな青い空。
形を変えながら、ゆっくりと流れる白い雲。
モコモコと少しずつ大きくなっていく入道雲。
長く真っ直ぐな尻尾をつけたジェット機。
ゆったりと空に浮かぶ飛行船。
空では色んなことが起きています。
だから、空を眺めていて飽きることはありません。
ゆったりとした時間が、ブンちゃんの心を和ませるのです。
夏休み最初の日です。
今日もブンちゃんは秘密基地に来ていました。
ブンちゃんが見上げる空をゆったりと雲が流れて行きます。
誰かの手を離れてしまったのか、太陽の光を反射させてキラキラと光る銀色の風船が、雲を追いかけるように飛んで行きます。
風船には何か結ばれています。
(棒?、筒?、何だろう、何だろう、何だろう・・・)
病院の方に向かって流れていく風船を見ながら、ブンちゃんは眠ってしまいました。
どのくらい眠っていたのかは分かりません。
目が覚めると辺りは薄暗くなっていました。
ベッドから起き上がって空を見上げると、白かった雲は濃い灰色に変わっています。
(雨、降って来るかな・・・)
そう思った通り、しばらくして、ブンちゃんの頬にポツっと雨粒が当たりました。
ボタ、ボタボタ、ボタボタボタボタ
瞬く間に大粒の雨が落ちてきて、周りの草を濡らし始めます。
ブルーシートの屋根がボタ、ボタボタと音を鳴らし、木の葉が風に揺れ始めました。
バチバチバチバチ
ものすごい勢いで、雨が降ってきました。
ブルーシートの屋根から、溜まった雨が流れ落ちます。
まるで滝の中にいるような大雨です。
「屋根を作っておいて良かった」
ブンちゃんは少しホッとしました。
でも草に覆われた地面は水浸しです。
秘密基地は大きな水溜まりに飲み込まれていました。
ブンちゃんは足が濡れないようにテーブルに乗って座り込みました。
テーブルの足は半分くらい水の中です。
ブンちゃんは秘密基地から動くことができなくなってしまいました。
ザザザザザ
バチバチバチバチ
強い風が木を揺らし、雨水が溜まったブルーシートの屋根が、今にも壊れそうです。
ウゥーーーーー
突然、唸り声のような音を立て、風が木を大きく揺らしました。
メキッ、メキッ、バキッ!
ザバーン!
ブルーシートのヒモを結んでいた枯枝が折れて、溜まっていた水が、一気に流れ落ちました。
「ウッ!」
ブンちゃんは思わず声を上げました。
バタバタッと音を立てて、ブルーシートが風に飛ばされそうです。
ブンちゃんの体も雨で濡れ始めました。
ブンちゃんは心配そうな表情です。
(洪水になるかも・・・)
そう思った時でした。
ピカッ!
光るのと同時に、一瞬、ブンちゃんの周りが明るくなりました。
「エッ?」
ビックリしたブンちゃんは、テーブルから飛び降りてしまいました。
バシャ!
水は足首のところまで溜まっていました。
靴の中に水が入り、靴下はビショビショです。
でも、そんなことは気にしていられません。
ブンちゃんは土手に向かって走り出します。
ところが、溜まった水と草に足を取られて、上手く走れません。
(なんだよー)
ブンちゃんの顔が不安に歪みます。
それでも、ブンちゃんは無我夢中で足を動かしました。
なんとか水溜まりから抜けて、ブンちゃんは土手を登り始めました。
靴に水が入って、足が重くなっています。
それでも、ブンちゃんは必死に足を持ち上げます。
やっとのことで土手上の散歩コースまで登り切りました。
ブンちゃんが顔を上げて、辺りを見回すと、小学生のような男の子が走って行く姿が目に入りました。
(あれ?あの子・・・)
同じクラスの子に似ていました。
でも、そんなことを気にしていられません。
雨は一層強くなっています。
雨粒が顔に当たって痛いくらいです。
(早く帰らないと・・・)
ブンちゃんは土手を下りる階段に向かって、走り始めました。
ザザザザー
突然、階段のそばのイチョウの木が大きく揺れました。
ブンちゃんは驚いて立ち止まります。
(なんだよー)
木を見上げ、そう思った瞬間でした。
ウゥーーーーー!
ザバザバザバー!
階段に近付こうとするブンちゃんに「こっちに来るな」と言わんばかりに、イチョウの木が激しく揺れ始めました。
「ウワーーーー!」
怖くなったブンちゃんは、引き返して土手を滑り下りてしまいました。
バシャバシャと水しぶきを上げて走り、また秘密基地に戻ってしまいました。
ブンちゃんは全身がびしょ濡れです。
「何だよ、何なんだよ、もう。これじゃ帰れないじゃんかよう・・・」
テーブルの上に載って、ブルーシートを手で掴み、雨に濡れないようにうずくまります。
空は時折りピカッと光りながら、激しい雨をブルーシートに打ち付けます。
(早く止んでよー)
ブンちゃんは不安で不安で仕方ありませんでした。
どれくらいの時間が経ったのかは分かりません。
激しい雨は長くは続きませんでした。
ブンちゃんが秘密基地に戻ってしばらくして、嘘のように雨が上がり、風も収まって、あれほど激しく揺れていたイチョウの木は穏やかに葉を揺らしています。
「やっと止んだ・・・」
ブンちゃんは一安心です。
水も一気に引いて、草はベタっと地面に寝ています。
「すごい雨だったな」
そう言って空を見上げると、ブンちゃんは秘密基地を修理し始めました。
まずは屋根からです。
ブルーシートを張りながら、ブンちゃんはまた空を眺めます。
少しずつ白くなっていく厚い雲。
その厚い雲の切れ間から射し始める太陽の光。
どんどん広がっていく青い空。
ブンちゃんは雨のことなど、すっかり忘れてしまいました。
家に帰ってもブンちゃんは空を眺めます。
西の空に傾いて、大きく膨らんだオレンジ色の太陽。
茜色の夕焼け。
晩ご飯の時に、お母さんが言っていました。
「今日の雨、ゲリラ豪雨って言うんだって」
(そうなんだ・・・)
ブンちゃんは秘密基地でのことを思い出してニヤニヤしました。
寝る前にもブンちゃんは空を眺めます。
手で掴めそうな星いっぱいの空。
そこからこぼれ落ちる流れ星。
前から空を眺めることが好きだったわけではありません。
この町に来てからです。
この町の空は、ブンちゃんが知っている都会の空とは大違いでした。
時間の流れも違います。
ゆったりしているのに、一日がすぐ終わってしまいます。
都会では味わったことのない、なんだか不思議な感じでした。
ブンちゃんは毎日が楽しくて仕方ありません。
引っ越してきたときは不安でいっぱいでしたが、今ではイチョウの木がたくさんある、この小さな町に来られたことを心から嬉しく思っています。
こうして一日一日が過ぎて行き、ブンちゃんにとって、転校して初めての夏休みは、アッと言う間に終わってしまいました。
校庭のイチョウの葉が、濃い緑から少し薄くなり始めたころでした。
二学期が始まって一か月。
十月に入ると、ブンちゃんは一人で遊ぶことが多くなりました。
友達とケンカをしたわけではありません。
一人が好きになったわけでもありません。
二学期の初めのころは、みんなブンちゃんと遊んでくれました。
でも、一人減り、二人減り、段々と遊んでくれる子がいなくなってしまったのです。
それには理由がありました。
少し困った理由です。
実は、
ブンちゃんは『ウソつき』なのです。
今日もブンちゃんはウソをつきました。
教室の壁に落書きしても
「知らないよ。書いてないよ」
図書室の本を破いてしまっても
「知らないよ。初めからやぶれてたよ」
ブンちゃんがウソをついているのだと、みんなは何となく分かっています。
みんなウソはいけないと思っていますから、ウソをつくブンちゃんとは遊ぼうとしないのです。
もちろん、ブンちゃんもウソは悪いことだと分かっています。
でも、正直に謝ることができません。
みんなの前で謝るなんて恥ずかしいし、わざわざ悪者になるなんて、そんな勇気はないのです。
それに、正直に謝っても「どうせ叱られるんだ」と思っています。
「みんなだって、きっとごまかすはずさ」と思っています。
だから、いたずらしてもウソをついてしまいます。
わざとじゃなくてもウソでごまかしてしまいます。
ウソをついて大事件になるなんて、考えたことはありません。
ウソをついて誰かが悲しむなんて、考えたこともありません。
だから、ウソをついて自分が辛く悲しくなるなんて、これっぽっちも考えたことはなかったのです。
楽しみにしていた秋の運動会が終わりました。
教室の窓から校庭を見ると、体育館の横の二本のイチョウの木には、黄色い葉が目立ち始めました。
学校の周りのイチョウの木よりも、黄色い葉が多くて元気がない様子です。
でも、それよりも、プレハブ校舎のそばのイチョウの木は、もっと元気がありませんでした。
黄色い葉ばかりで、よく見ると、もう落ちている葉もあります。
葉が風に揺れて、カサカサとこすれる音が聞こえます。
元気のない乾いた音です。
学校から見えるブランコ山の大イチョウは、まだ濃い緑色です。
だから学校のイチョウの木が黄色くなっていることが、特に元気がないプレハブ校舎のそばのイチョウの木のことが、ブンちゃんには気がかりでした。
少し寒くなりました。
空を見上げると、眩しいほど太陽の光が降り注いでいるのに、腕を載せている窓の手すりは、スッカリ冷たくなっています。
校庭では、長袖を着て遊んでいる子がたくさんいます。
縄跳びをする子も増えました。
ブンちゃんのクラスも来週は縄跳びのテストです。
クラスのみんなも縄跳びを持って校庭に飛び出して行きました。
でもこの日、ブンちゃんは外で遊ぶことができません。
少し熱が出ていて、今朝、お母さんから
「今日は外で遊ぶの我慢してね」
と言われていたのです。
連絡帳にも書かれたので、先生にウソをつけません。
ブンちゃんは空に浮かぶ雲を眺めながら、
「ハァー」
と、何度もため息をつきました。
お昼休みが終わって、五時間目は体育の時間です。
今日は隣のクラスとドッジボールの試合です。
「キャー!」
「ヤッター!」
「ずるいぞ!あたったぞ!」
楽しそうな声が、校庭から聞こえてきます。
教室にいるのはブンちゃん一人です。
「何でおれだけ熱があるんだよ」
ドッジボールの好きなブンちゃんは、聞こえて来るみんなの声にイライラしています。
見ていた本も図鑑も、外が気になって読んでいられません。
全部出しっぱなしで、片付けもしていません。
棚の上や床に本を散らかしたまま、今度は壁に掛けてあるホウキを手に取って、振り回し始めました。
教室の中をウロウロ、ウロウロ、机の間をクネクネ通り、教室の後ろへ移動します。
バットを振るようにホウキを振り回して、野球選手の真似をしたり、ギターを弾く真似をしたり。
ブンちゃんは体を動かしたくて仕方ありません。
「ヘリコプター!」
柄の先に付いたヒモを持ちながら、今度は頭の上で、プロペラのようにホウキを振り回しました。
周りのことなど気にしていません。
誰もいないから、やりたい放題です。
「パワーアップ!」
そう言って、ブンちゃんは大きく腕を回し始めました。
「ブン、ブン、ブーン」
しばらく回していると、シャッと背中の方で、ホウキが何かに触れた感じがしました。
そしてすぐ後に、ボトッ!と音が聞こえました。
振り向いてみると、何かが落ちています。
(アッ!)
ブンちゃんはビックリして体が固まってしまいました。
落ちていたのは、粘土で作った恐竜の首でした。
ブンちゃんはゴクリと唾を飲み込みました。
なぜなら、その首はリキヤ君の恐竜の首だったからです。
リキヤ君はクラスで一番からだが大きくて、一番喧嘩が強い男の子です。
最近はリキヤ君が喧嘩をしているところを見たことはありませんが、ブンちゃんが転校してきて間もない六月に入ったころ、リキヤ君の習字の紙を汚してしまったヒロシ君を、リキヤ君はボカッと殴って泣かしていました。
練習用の紙だし、ヒロシ君もわざとじゃなかったし、ちゃんと謝っていたのに、それでもリキヤ君は殴ったのです。
転校して来たばかりのブンちゃんは、とってもビックリしました。
絶対にリキヤ君を怒らせてはいけないと思いました。
ところが、今回は習字の紙どころではありません。
ブンちゃんが壊してしまった恐竜は、完成したときリキヤ君が自慢するくらい気に入っていた作品です。
良くできていると、二学期になってからも飾ってあった作品です。
そんな作品をブンちゃんが壊したと知ったら、何をされるかわかりません。
ボカッと一発では済まないかも知れません。
「うわああ、やっちゃったあ。どうしよう、どうしよう」
辺りを見回し、誰もいないことを確かめます。
そして、すぐに首を拾って、元通りにしようと、折れたところに付けてみます。
でも、一度とれてしまった首は上手く付きません。
付いたと思っても、手を離すと落ちてしまいます。
「どうしよう、どうしよう」
ブンちゃんは考えます。
元通りにする方法はないのか。
上手くごまかすにはどうすればいいのか。
折れたところを水で濡らしても、粘土はもう柔らかくなりません。
それに、色が変わって、すぐに分かってしまいます。
接着剤は持っていません。
持っているのはセロテープだけです。
ブンちゃんは一生懸命に考えます。
辺りを見回し、道具になるものを探します。
でもなかなか見当たりません。
自分の机に走り寄り、机の中の道具箱を引っ張り出して探します。
でも使えそうな物はありません。
ブンちゃんは一生懸命に考えました。
「あっ、そうだ!」
ブンちゃんはキョロキョロと何かを探します。
(あっ、あれだ!)
ブンちゃんは床にあった図鑑を二冊、手に取りました。
そして、図鑑を寝かせて重ねると、首の取れた恐竜の横に置いたのです。
首を載せてみます。
でも、高さが上手く合いません。
上の図鑑を別の本に替えてみました。
でも、今度も少し合いません。
絵本にしたり、物語の本にしたり、ちょうど良い本が見つかるまで、何度も本を取り替えました。
「よし、これでいい!」
やっと上手く合いました。
ピッタリなのは昆虫の図鑑でした。
慎重に首を載せて、折れた部分をくっつけます。
粘土のデコボコのおかげで、折れたところが分かりにくくなっています。
本に支えられて落ちることもありません。
ブンちゃんは一安心です。
(でも、リキヤ君が最初に本を動かしたら、絶対にバレちゃう。教室にいるのはおれだけだから、おれがやったってバレちゃう)
リキヤ君の怒った顔を思い浮かべると、ブンちゃんは怖くてたまりません。
窓の外からは、みんなの楽しそうな声が聞こえます。
開け放しの窓から、ヒューと冷たい風が吹き込みます。
ブンちゃんの体がブルッと震えました。
気付かれないように、そーっと覗くと、丁度リキヤ君がケンタ君にボールをぶつけたところでした。
あまりの威力にケンタ君がしりもちをつきました。
ブンちゃんはまたゴクリと唾を飲み込みました。
ブンちゃんは考えます。
上手いごまかし方はないか。
自分がやったのではないと思わせるには、どうすればいいのか。
必死になってブンちゃんは考えます。
黒板の上の時計をチラッと見ました。
急がなくてはいけません。
みんなが教室に戻って来てしまいます。
体育の時間が終わるまで、あと十五分しかありませんでした。
恐竜に目を戻し、考えていると、スーッとさわやかな香りがしました。
(あっ)
嗅いだことのある香りです。
目を閉じて大きく香りを吸い込みます。
でも、何の香りか思い出せません。
ブンちゃんは香りのする方を探します。
すると、廊下の洗い場で手を洗っている男の子の姿が目に入りました。
黄色と緑の長袖シャツを着た小柄な男の子です。
(あっ)
ブンちゃんの頭に不思議と名前が浮かんで来ました。
(もしかして、いとりこうた君・・・)
そう、隣のクラスのこうた君です。
でも、ブンちゃんはまだ、本当にこうた君なのか迷っています。
こうた君も転校生です。
でも、ブンちゃんがこうた君を見たのは一度だけで、それも元気のないイチョウの木の下に立っているのを見かけただけです。
顔は良く見えなくて覚えていません。
いつごろ、どこから来たのかは聞いたことがありません。
名前が『いとりこうた』と言うのは、誰かに聞いた覚えがありました。
でも、誰に聞いたのかは思い出せません。
(体が弱くて病院に入院してたって、誰か言ってたよなあ)
でも、誰が言っていたのか覚えていません。
体の弱いこうた君も、外でドッジボールができません。
(激しく動くと咳が出て発作になってしまうから、体育のときは、いつも教室で本を読んでいるって、これも誰かが言ってたよなあ)
でも、やっぱり誰が言ったのか思い出せません。
(そうか! きっとこうた君だ。今日は体の具合がいいから学校に来てるんだな)
ブンちゃんは腕組みしながら頷きます。
(そうだ!)
ブンちゃんはひらめきました。
ニヤッと笑うと、すぐに教室を飛び出して、こうた君のそばに駆け寄りました。
「こんにちは、こうた君?」
こうた君の横に立つと、ブンちゃんはこうた君の顔を覗き込んで、確かめるように声をかけました。
手の石鹸を洗い流しているこうた君が、首だけ横に向けます。
ブンちゃんはドキッとしました。
顔の色は日焼けもない真っ白で、長いまつ毛にクリッとした瞳。
もう少し髪の毛が伸びていれば、女の子と言っても分からないくらいの顔立ちです。
石鹸を流す手も透き通るように白く、折れてしまいそうなくらいの細い指です。
「こんにちは、ブンちゃん」
こうた君がニッコリと微笑んで挨拶を返します。
(やっぱりこうた君だ。でも、何でおれの名前・・・、それに・・・)
初めて話したのに、こうた君があまり驚いていません。
それどころか、声をかけられるのを待っていたような笑顔に、ブンちゃんは戸惑いました。
こうた君は蛇口を閉め、ポケットからハンカチを取り出し、ブンちゃんの方に体を向けます。
胸にプリントされたスティッチの絵が、ブンちゃんの目に入りました。
デパートでブンちゃんが「いいなー」と思ったのに、買ってもらえなかったシャツです。
(あっ! おれの欲しかったやつ)
うらやましかったブンちゃんは、口を少し尖らせます。
「今日はダメよ」と言っていたお母さんの顔と「買ってよ」とごねている自分の姿が頭に浮かびました。
(あっ、違う)
ブンちゃんはハッと我に返ります。
余計なことを考えている暇はないのです。
すぐに笑顔に戻して、こうた君にまた話しかけました。
「えっとね、こうた君、今、本の片付けしてるんだけど・・・」
こうた君はまたニッコリと微笑みます。
ドキッとしたブンちゃんは、思わずこうた君から目を逸らしました。
疑いのない笑顔に、ブンちゃんはこうた君の顔を見ていられません。
でも時間がありません。
チラッとこうた君を見ると、こうた君はまだ微笑んでいます。
堪らずブンちゃんは、
「こっち、こっち」
と言って、まだハンカチを握っているこうた君の腕を引っ張りました。
(あっ)
あまりの腕の細さにビックリしたブンちゃんは、パッと手を離しました。
(木の枝みたい・・・)
手を離したブンちゃんをこうた君が不思議そうに見詰めました。
ブンちゃんは小さな声で、
「ごめんね」
と呟くと、今度は腕ではなく、こうた君の服を優しく掴み直しました。
ブンちゃんはこうた君を教室の扉の前まで連れて来ました。
自分で見ても酷いくらい散らかっています。
ブンちゃんは恐竜をチラッと見ます。
(大丈夫だ)
本に支えられた首は、まだ繋がっているように見えます。
ブンちゃんはチラッとこうた君を見ると、散らかった本や図鑑を小さく指差して言いました。
「手伝ってくれる?」
ブンちゃんはゆっくりとこうた君の方に顔を向け、こうた君の様子を伺いました。
こうた君は真っ直ぐ前を見詰めています。
笑顔はありません。
真剣な眼差しです。
(断られるかな・・・)
ブンちゃんは足元に目を伏せました。
(あっ)
ホウキが目に入りました。
ブンちゃんは慌ててホウキを拾い上げます。
チラッと、横目でこうた君を見ると、こうた君はブンちゃんを見ていません。
まだ真剣な表情です。
散らかった本を見ているでもなく、なんだか窓の外を見詰めているようでした。
小さな声で、ブンちゃんがこうた君に尋ねました。
「どう?」
こうた君はハンカチをポケットにしまいながらブンちゃんを見詰めました。
そして、ニッコリと微笑んで
「うん、いいよ」
と、返事をしました。
ホッとしたブンちゃんは
「よし!」
と、つい声を出してしまいました。
(しまった)
ブンちゃんは、慌ててこうた君から目を逸らし、落ちている本を拾い始めました。
こうた君は片付けをよく手伝っています。
順番がバラバラになった本も傾いた机もきれいに並べ直しています。
嬉しそうに片付けをするこうた君を見て、
(片付けしてニコニコするなんて変なやつだなあ)
と、ブンちゃんは思いました。
(おれなら頼まれても「忙しい」ってウソついて手伝わないだろうな)
そう思ったらなぜか「ハー」と、ため息が出てしまいました。
(あっ、いけない)
ブンちゃんはまた我に返ります。
そして、チラッと黒板上の時計を見ます。
チャイムが鳴るまであと二分です。
(もうすぐだ)
ブンちゃんはタイミングを計っていました。
ブンちゃんはよくない作戦を考えていたのです。
ブンちゃんはたくさんの本を持って、教室の後ろにある本棚に運びながら、片付けをするこうた君の姿を見詰めました。
こうた君は恐竜が飾られた棚のそばにいます。
いよいよ作戦開始です。
「こうた君、恐竜のとこの図鑑を取ってくれる」
ブンちゃんは棚の上の図鑑を指差しました。
折れた首を支えている昆虫の図鑑です。
こうた君はブンちゃんの指差す方に近づくと、図鑑と恐竜をジッと見て、何かを考えている様子です。
(もしかして、ばれちゃったかなあ、何か言われるかなあ)
ブンちゃんの胸はドキドキです。
こうた君の横顔から目が離せません。
こうた君がブンちゃんを見ます。
ブンちゃんはまたドキッとしました。
「うん、いいよ」
こうた君はまたニッコリと微笑みながら、嬉しそうに返事をしました。
(よし!)
今度は声を出さずに我慢できました。
ブンちゃんの作戦は進行中です。
ブンちゃんはまたドキドキして、こうた君から目を離せません。
こうた君が恐竜の方を見て図鑑に手を伸ばします。
ブンちゃんはゴクンと息を飲んで、その様子をジッと見ています。
心臓がドキドキしているのが分かります。
このドキドキが聞こえてしまうのではないかと思うほどです。
ブンちゃんは両腕で胸を隠します。
こうた君の細い指が図鑑に触れます。
そして、こうた君が図鑑を持ち上げたその時です。
こうた君が
「あっ!」
と、声を上げました。
図鑑に支えられていた首が外れたのです。
首がゆっくりと図鑑の上を転がり、床に落ちて行きます。
(あっ)
まるでスローモーションのスイッチが入ったようにブンちゃんは感じました。
図鑑を持ったまま、こうた君は落ちていく首を見ています。
こうた君の動きもスローモーションです。
空中にあった首が、床に落ち「ボトッ」と低い音を立てました。
ドクン、ドクンと、自分の心臓がゆっくりと胸を打つのが分かります。
首は少し転がって、こうた君の足元に近付いて行きます。
こうた君が転がっている首をジッと見詰めています。
ブンちゃんも首をジッと見詰めています。
首はこうた君の上履きのつま先に当たります。
そして、つま先の前でゆっくりと揺れています。
「バンッ」
ブンちゃんの持っていた本が滑り落ち、その瞬間、スローモーションのスイッチが切れました。
(やった!)
ブンちゃんは心の中で叫びました。
そして用意していたかのように声を上げたのです。
「何やってんだよ! リキヤ君の恐竜だぞ!」
大きな声でした。
でもその声は、こうた君にではなく、教室の外にいる誰かに聞かせるような声でした。
こうた君はしゃがんで、恐竜の首を拾い上げます。
「キーンコーン、カーンコーン」
五時間目の終わりを知らせるチャイムが鳴りました。
椅子をずらす音が廊下から流れてきます。
でも、こうた君を見詰めるブンちゃんには、チャイムの音も床を鳴らす音も全く聞こえていませんでした。
廊下の方がザワザワと騒がしくなり始めました。
ハッとしたブンちゃんは、五時間目が終わったのだとやっと気が付きました。
「いっちばーん」
ミカちゃんが右手を上げて、勢いよく教室に入ってきました。
「にばーん」
「さんばーん」
ミカちゃんを追いかけるように、ほかの子たちも入ってきます。
みんなの汗が光っています。
ミカちゃんが立ち止まって一点を見詰めています。
右手を上げたままのミカちゃんが目にしたのは、恐竜の首を持って立っているこうた君です。
恐竜の首が折れていることに気付いたミカちゃんは
「ああ、何やってるのよ!」
と、上げた右手をこうた君に向けて指差しました。
そばにいた女の子たちも、ミカちゃんが何のことを言ったのか、何が起こったのか気が付きました。
「いけないんだあー」
ほかの女の子たちも声を上げ、こうた君を責めます。
廊下のザワザワが、教室の中に流れ込んできます。
こうた君が責められる様子を見て、ブンちゃんはドキドキが止まりません。
少しずつ、少しずつ、気付かれないように、その場から離れて行きます。
担任の沙織先生も教室に入ってきました。
ブンちゃんは沙織先生の姿をチラッと見て、
(きっと、こうた君は叱られる)
と思いました。
ブンちゃんの心臓がドクンドクンと高鳴ります。
騒ぎに気付いた沙織先生が、こうた君の方に歩いて行きます。
そして、こうた君を睨み付けているミカちゃんに声をかけました。
「どうしたの?」
ミカちゃんは口を尖らせながら先生の方を見て
「こうた君がリキヤ君の恐竜を壊しました」
そう言って、こうた君が持っている首を指差しました。
沙織先生は俯くこうた君の前で屈むと、優しくこうた君に尋ねました。
「こうた君、壊しちゃったの?」
こうた君は俯きながら答えます。
「ごめんなさい。本を片付けていたら取れちゃたんです」
辺りがざわめきます。
ブンちゃんはこうた君の言葉にハッとしました。
(あ、しまった!)
まだ、自分が本を持ったままなのに気付いたのです。
みんながこうた君を見ています。
あとから入ってきた子たちも、何が起こったのかと、こうた君と沙織先生を見ています。
ブンちゃんは目だけを動かして、誰も自分を見ていないのを確かめると、気付かれないように、そっと本を棚に置きました。
そして、左手でシャツの裾をギュッと握り締めながら、またこうた君を見詰めました。
入口の方がざわつき始めました。
リキヤ君が教室に入ってきたのです。
ブンちゃんの胸がドキンと高鳴りました。
ざわつきがこうた君の方へと流れて行きます。
ミカちゃんがリキヤ君に気付きました。
ミカちゃんはリキヤ君と目が合うと、
「こうた君がリキヤ君の恐竜を壊したわよ」
と言って、またこうた君を指差しました。
リキヤ君がこうた君のそばまで近付いていきます。
ブンちゃんにはリキヤ君がまた一段と大きく見えます。
(こうた君が殴られるかも・・・)
左手が、シャツの裾を更に強く握り締めます。
考えもしなかったことが起こってしまいそうで、ブンちゃんの胸はドキンドキンと高鳴ります。
こうた君はリキヤ君を真っ直ぐに見て言いました。
「リキヤ君、ごめんね。ぼく、リキヤ君の大事な作品こわしちゃった」
リキヤ君は下唇を噛んで何も言いません。
真っ直ぐにこうた君を見詰めています。
ミカちゃんがリキヤ君に確かめるように言いました。
「許せないよねー」
周りの女の子たちも頷いています。
ミカちゃんはまたこうた君を見て続けました。
「それに、何でとなりのクラスのこうた君が本の片付けしてるのよ。体育を休むときは、ほかのクラスに入っちゃいけないのよ」
ミカちゃんの言葉に、ブンちゃんはドキッとしました。
(おれの名前が出ちゃう。こうた君がおれの名前を言っちゃう。どうしよう、どうしよう。こうた君がおれの名前を言ったらおしまいだ。みんなおれを疑うに決まってる)
ブンちゃんはこうなることまで考えていませんでした。
右手もシャツをギュッと握りしめます。
今までたくさんウソをついてごまかしてきたブンちゃんでしたが、こんなにドキドキするのは初めてです。
なぜなら、ウソをついてごまかしたことはありましたが、ウソをついて誰かのせいにしたことは今までなかったからです。
こうた君は下を向いたまま黙っています。
ひそひそと話しながら、みんながこうた君を見ています。
「もう、いいよ」
意外な言葉に、一瞬、教室が静まり返りました。
言ったのはリキヤ君でした。
ブンちゃんは、ハッとしてリキヤ君を見詰めました。
ミカちゃんもリキヤ君を見てビックリした顔をしています。
周りのみんながザワザワし始めました。
今回は大事件です。
一学期にリキヤ君が習字の紙を汚された時より大事件です。
みんながざわつくのは当たり前です。
リキヤ君が素直に許すなんて、みんな考えていなかったのです。
沙織先生がいるからなんて関係ありません。
一学期のリキヤ君なら絶対に許すはずがありません。
みんなもそう思っていたのです。
こうた君は下を向いたままです。
沙織先生がリキヤ君を見て言いました。
「いいの? リキヤ君」
沙織先生の言葉に、リキヤ君は唇を結んで小さく頷きました。
沙織先生は微笑みながら
「偉いわね、リキヤ君」
と言と、リキヤ君の方に歩み寄り、リキヤ君の背中をポンポンと叩きました。
(えっ)
ブンちゃんはドキッとしました。
リキヤ君が笑ったように見えたのです。
こうた君はまたリキヤ君に謝りました。
「リキヤ君、ごめんなさい」
そう言って、持っていた恐竜の首をリキヤ君に渡すと、こうた君は廊下に向かって歩き始めました。
サッと扉までの道が開きます。
黙ったまま、みんながこうた君を見詰めます。
みんなの目がこうた君の背中を追います。
シャツの裾を握っていたブンちゃんの右手は、胸の辺りを強く握り締めています。
俯いて丸まったこうた君の背中を見ていると、胸がギュッと苦しくなったのです。
こうた君が教室から出て行きました。
みんなの目がリキヤ君に向きます。
「リキヤ、どうしたんだ」
「何かあったのか」
また、みんながざわつき始めました。
ミカちゃんは何が何だか分からないと言った表情でリキヤ君を見詰めています。
沙織先生が声を上げました。
「はーい、みんな帰りの準備を始めてね」
ブンちゃんはハッとして沙織先生を見ました。
先生はブンちゃんを見ていました。
先生がニコッと微笑みます。
ブンちゃんは慌てて目を逸らします。
リキヤ君の姿が目に入りました。
リキヤ君は何事もなかったように帰りの準備をしています。
ランドセルの横には、首の折れた恐竜が置いてあります。
ブンちゃんはまだ胸の辺りがザワザワしています。
女の子が声を上げました。
「さむいー」
壁に貼られた習字の紙が風に揺れています
ブンちゃんが周りを見ると、教室はいつもの教室の風景に戻っていました。
ブンちゃんは大きく息を吸い込むと、ゆっくりと静かに、気付かれないように「ハーーー」と息を吐き出しました。
リキヤ君がこうた君を許したことは、ブンちゃんにとって驚きでした。
自分の名前が出なかったことにホッとしたブンちゃんでしたが、悪者になってしまったこうた君の後ろ姿が、頭から離れません。
(こうた君はリキヤ君に許してもらったんだ。だからもういいんだ)
そう自分に言い聞かせても、こうた君の後ろ姿がパッと頭に浮かんできます。
(こうた君は先生にも叱られなかったんだ。だからもういいんだ)
そう強く自分に言い聞かせても、まだ、こうた君の後ろ姿が浮かびます。
ブンちゃんの胸がギュッと締め付けられ、ブンちゃんは胸に手を当てました。
作戦通りに上手くごまかせたはずなのに、ブンちゃんは全く喜べません。
自分が予想していたこととは違うことばかりが起こったからです。
何でこうた君は?
何でリキヤ君は?
何で沙織先生は?
帰りの会もそのことで、ブンちゃんの頭はいっぱいでした。
家に帰っても気になって仕方がありません。
ご飯を食べている時も、お風呂に入っている時も、頭の中には教室での出来事ばかりが浮かんできます。
お布団に入ってもそのことばかりです。
ブンちゃんはなかなか眠ることができません。
月明かりがカーテンの隙間から入って、壁に貼ったスティッチのシールを照らします。
こうた君のシャツが頭に浮かびます。
悲しげな後ろ姿も浮かびます。
ブンちゃんは胸に手を当てて、大きく息を吸い込みました。
すると、
(あっ、この香り)
また、あの時の香りがします。
教室で感じた香りです。
(何だっけ? 何の香りだっけ?)
思い出そうとしても思い出せません。
(嗅いだことあるよなー、何の香りだっけなー)
でもやっぱり思い出せません。
心地よい香りに、ブンちゃんはだんだん眠くなってきました。
「うん、いいよ」
こうた君の声がしました。
(こうた君?)
でも、もう目が開けられません。
こうた君の声に驚いているはずなのに、体が動きません。
心地よい香りに包まれて、ブンちゃんはそのまま眠ってしまいました。
今日は濃いねずみ色の雲が空の低い所にあって、今にも雨が落ちて来そうな空模様です。
飛行機が「ゴーッ」と音を立てて雲の下を飛んでいます。
いつもは遠くて見えない飛行機の模様が、今日ははっきりと分かるくらい近くを飛んでいます。
校庭にはイチョウの木の葉が落ちています。
プレハブ校舎の近くにある、元気のないイチョウの木の葉です。
イチョウの木は、まるで黄色い池の上に立っているようです。
女の子が教室に駆け込んで来て、みんなに伝えるように言いました。
「こうた君、学校休んでるんだって!」
(えっ)
ブンちゃんは驚いて、また胸がドキドキし始めました。
ブンちゃんがゆっくり後ろを見ると、ミカちゃんが隣の席のリキヤ君を見ています。
みんなもリキヤ君に目を向けています。
リキヤ君が何と言うのかを、みんなが気にしているのです。
リキヤ君は唇をギュッと結んで、何か考えるように窓の外に目を向けていましたが、恐竜のあった方に目を向けると、呟くように言いました。
「もともと首を長くしすぎたから、取れるかもしれないと思っていたんだ。わざとじゃないみたいだし、それに、ちゃんと俺を見て謝ってくれたからもういいんだ」
リキヤ君を見ていたミカちゃんも、申し訳なさそうに呟きました。
「私、ひどいこと言っちゃったよね。こうた君、正直に謝っていたし、リキヤ君が許すならもういいよね。私、こうた君に謝らなくちゃ」
そう言うと、恐竜のあった方に目を向けました。
ミカちゃんと一緒にこうた君を責めていた子たちも、こうた君を許し始めました。
「そうだね」
「そうよね」
みんなの言葉に、ブンちゃんは戸惑っています。
(正直に言った方が良かったんじゃないか、こうた君のせいにしなくても良かったんじゃないか、余計なことをしてしまったんじゃないか)
ブンちゃんの胸はドキドキが止まりません。
まるで昨日の出来事がまた繰り返されているように、リキヤ君に謝るこうた君の顔や教室から出て行くこうた君の後ろ姿が頭に浮かんできます。
(あー、何でこうなるんだよー)
「ハーーー・・・」
大きくため息をつき、ブンちゃんは窓の外に目を向けました。
こうた君の姿が曇り空に映ります。
手を洗っているこうた君。
本を片付けているこうた君。
「うん、いいよ」とニッコリと微笑んでいるこうた君。
そして、こうた君を騙そうとしている自分の姿も浮かんできました。
こうた君を教室に引っ張り込む自分。
図鑑を取ってと頼んでいる自分。
「何やってんだよ」と叫んでいる自分。
ブンちゃんは俯くと、右の手のひらをギュッと握り締め、ドンドンと胸を叩きました。
見えなかった太陽が雲に薄っすらと滲み始めました。
(おれはとても卑怯なことしたんじゃないか、やってはいけない悪いことをしたんじゃないか)
椅子から立ち上がると、ブンちゃんは窓の手すりを握り締めました。
こうた君が恐竜を見て黙っている姿が浮かびます。
ブンちゃんの胸が、またギュッと締め付けられました。
(もしかしたら、こうた君、折れた首のこと分かっていたんじゃ・・・)
サッと、恐竜が飾ってあった棚に目を向けました。
(だったら何でおれのせいにしなかったんだ? 何で言い訳しなかったんだ? 何で自分から悪者になったんだ? 何で? 何で?)
昨日の教室での出来事が頭を駆け巡ります。
いくら考えても答えは出ません。
こうた君がなぜそうしたのか、いつもごまかすことしか考えていなかったブンちゃんには、全く分かりません。
(何で? 何で?)
夕方になって、濃いねずみ色の雲からは、やっぱり雨が落ちてきました。
飛行機の「ゴーーーー」という音が近くに聞こえます。
飛行機が空の低いところを飛んでいるのは、ブンちゃんにもすぐに分かりました。
いつもならワクワクして飛行機を見上げるブンちゃんでしたが、そんな気分にはなれません。
ブンちゃんの心も今の空のように、晴れる様子はなかったからです。
音もしない細かい雨が、もう三日も降り続いています。
空を見上げると、ねずみ色の雲に黒い雲が混ざって、町を包むように広がっています。
雨のせいで、元気のないイチョウの木の葉がたくさん落ちています。
木の根元はまた黄色い池のようです。
体育館横の二本のイチョウの木は、黄色い葉が目立ってきましたが、まだ葉に隠れて枝はあまり見えません。
でも、プレハブ校舎のそばの元気のないイチョウの木は、細い枝が見えてしまうほど葉が落ちてしまっています。
ポタポタと枝先から垂れる滴が、ブンちゃんにはイチョウの木が悲しんでいるように見えました。
今日もこうた君は来ませんでした。
ブンちゃんは気持ちが落ち着きません。
(おれが悪いんだ。こうた君のせいにしようとしたおれが悪いんだ)
ブンちゃんの胸はドキドキからズキズキに変わっていました。
悲しそうなイチョウの木を見ていると、こうた君の姿と重なります。
垂れ下がる葉が、俯くこうた君の姿に見えて来ます。
こんな気持ちなるなんて思ってもいませんでした。
ウソをついてこんなに苦しくなるなんて想像もしていませんでした。
こうた君の後ろ姿が頭から離れません。
首を振っても、目をつむっても、空を見上げていても。
ブンちゃんはギュッと胸に手を当てたままでした。
こうた君が休んでから一週間が経ちました。
ねずみ色の雲はまだ町を覆ったままです。
降り続いていた雨は、降ったり止んだりしています。
元気のないイチョウの木の葉は、雨に落とされて、枝がハッキリと見えています。
まるで別の木のようです。
こうた君のことを話す子はいませんでした。
それよりも、ブンちゃんが大人しくなって、いつも外ばかり見ていることの方が、みんなの話題になっていました。
「どうしたんだ、あいつ」
誰かの声が聞こえて来ます。
こうた君のことが気になって仕方がないブンちゃんは、毎日が苦しくてたまりません。
とてもいたずらをしたり騒いだりする気持ちにはなれません。
こうた君のことを考えると、辛くて苦しくて仕方がないのです。
教室の後ろの棚を見ると、残された作品の中に、まだリキヤ君の恐竜があるようにブンちゃんには見えています。
作品が並ぶ棚を見るたびにこうた君を思い出してしまいます。
(こうた君どうしてるんだろう。でも沙織先生には聞けない。こうた君が今どうしているか聞いたら「何で気になるの」って先生に聞かれるかも知れない。沙織先生に、おれがやったって気づかれるかも知れない)
ブンちゃんは迷っています。
でも聞かなければ、いつまでたっても、辛い気持ちはなくならないと分かっています。
沙織先生の顔を見てはため息をつき、沙織先生と目が合うと慌てて目を逸らす。
こんなことの繰り返しでした。
教室の窓から外を見ながら、ブンちゃんは長いため息をつきました。
「ハーーー」
勇気を出せない自分が、情けなくて仕方ありません。
元気のないイチョウの木を見ると、僅かに残った葉が、うなだれるように下を向いています。
元気のないイチョウの木が、またこうた君の姿と重なります。
イチョウの葉が一枚落ちました。
まるでこうた君の目から涙が零れるように、葉はゆっくりと落ちて行きます。
ブンちゃんは胸に手を当てました。
ドキドキして、息が苦しくなっています。
もう我慢できません。
帰りの会が終わったあと、ブンちゃんは思い切って沙織先生に聞くことにしました。
「えーっと・・・」
ブンちゃんは沙織先生の目を見られません。
「何かご用ですか?」
沙織先生がブンちゃんの顔を見詰めます。
「あのー・・・」
ブンちゃんは上着の裾をギュッと握り締めます。
「うん、なーに?」
顔は優しく微笑んでいます。
ブンちゃんは先生の目を一瞬見ますが、目が合うとすぐに顔を下に向けてしまいます。
(このままじゃダメだ)
そう思ったブンちゃんは声を搾り出しました。
「えっとー・・・となりのクラスのこうた君・・・ずっとお休みしているけど、どうしたの?」
やっと言えてホッとしたのか、ブンちゃんは顔をあげて沙織先生を見ました。
(えっ・・・)
沙織先生に笑顔はありませんでした。
微笑んでくれていた沙織先生の顔は、さっきと違って悲しそうでした。
沙織先生は一瞬、窓の外に目を向け、元気のないイチョウの木の方を見詰めると、またブンちゃんを見て残念そうに答えました。
「こうた君、体の具合が良くなくてね、入院しているの」
そう言うと、沙織先生は、また窓の外に目を向けました。
(やっぱり・・・)
ブンちゃんはまた俯きました。
沙織先生がブンちゃんの顔を見詰めて尋ねました。
「こうた君にお話しでもあるの?」
ブンちゃんは先生の言葉にハッとして、一瞬、沙織先生の顔を見ますが、すぐに俯いて答えました。
「ううん、なんでもない」
俯いたまま首を横に振ると、ブンちゃんはトボトボと教室を出て行きました。
(ああ、おれのせいだ。こうた君、悲しくて病気がひどくなったんだ。みんなの前で悪者になっちゃって、絶対おれのせいだ)
下駄箱の前で、ブンちゃんは涙が出そうなのをグッと我慢しました。
校舎を出ると、外は冷たい霧雨が降っています。
元気のないイチョウの木の枝先から滴が落ちます。
ブンちゃんを呼び止めるように、パラッ、パラッとブンちゃんの傘に滴が当たります。
ブンちゃんはイチョウの木を見られません。
校帽を目深にかぶり、傘で顔を隠しながら、ブンちゃんは元気のないイチョウの木の横を通り過ぎて行きました。
少し風の冷たい日曜日です。
降り続いた雨は、朝には止んでいました。
昨日までねずみ色だった雲には、薄っすらと白い雲が混ざっています。
でも、これからスッキリ晴れてくるようには感じられない、そんな空模様でした。
誰もいない学校の横を通ると、元気のないイチョウの木の一番下の枝に、二枚だけ葉が揺れていました。
ブンちゃんは校庭に入って、元気のないイチョウの木のそばまで歩いて行きました。
もともと、校庭には四本のイチョウの木がありました。
西の体育館側に大きなイチョウの木が二本。
東の校舎側に少し背の低いイチョウの木と一番背の低いイチョウの木が二本です。
少し背の低いイチョウの木と言うのが『元気のないイチョウの木』です。
でも、一番背の低いイチョウの木は、夏休みの間になくなっていました。
プレハブ校舎が作られるから、遠くの町に移されてしまったのです。
東の校舎側に残された少し背の低いイチョウの木は、ブンちゃんが転校して来たときから、葉が余り付いていなくて「元気のないイチョウの木だな」とブンちゃんは思っていました。
学校にイチョウの木を見に来るおじいさんがいます。
いつもイチョウの木を見ているので、みんなは『イチョウじいさん』と呼んでいます。
どこに住んでいるかブンちゃんは知りません。
何歳なのかも知りません。
いつも茶色のズボンに濃い緑色の上着を着ていて、ブンちゃんには、なんだか不思議な感じのするおじいさんなのです。
夏休みの前、まだ校庭に四本のイチョウの木があった頃のことです。
このイチョウの木だけが元気がない理由をイチョウじいさんに聞いたことをブンちゃんは思い出しました。
「おじいさん、何でこの木だけ葉があまりついていないの?」
元気のないイチョウの木を見ていたおじいさんは、ブンちゃんをジッと見たあと、またイチョウの木に目を向けました。
「ああ、新しい校舎ができると決まってからじゃなあ、この木が元気をなくしてしまったのは・・・」
おじいさんは木を見上げ、腰を伸ばすように、腰に手を当てて体を起こしながら言いました。
「この町にはイチョウの木がたくさんあるじゃろ。どこに行っても必ずイチョウの木が見られる。ここはイチョウの町なんじゃ。
どのイチョウもみんな神社の大イチョウとブランコ山の大イチョウの子供や孫や曾孫たちなんじゃ。この校庭の四本のイチョウもそうじゃ。いや、それだけじゃない。校舎の裏や体育館の裏、学校の敷地にあるイチョウは、みんな繋がっている家族なんじゃよ」
そう言うと、おじいさんは振り返って体育館の方に目を向けました。
「体育館のそばにある二本のイチョウの大きい方がお父さんの木で、隣がお母さんの木じゃ。そして、元気のないこの木がお兄さんで、今度、校舎が出来る場所にある、あの一番背の低いイチョウの木が妹の木なんじゃ」
おじいさんはしばらく妹の木を見詰めていました。
「お父さんの木は、ブランコ山の大イチョウが、まだ神社の大イチョウと並んで立っていたときに、神社の大イチョウの種から生まれたんじゃ。神社の周りのイチョウの木もそうじゃ。みんな家族なんじゃよ。繋がっているんじゃよ」
おじいさんは木に手を当てて、優しく木の幹をさすりました。
そして、おじいさんは振り返り、ブランコ山の方を見詰め、また話し始めました。
「もうだいぶ昔の話じゃ。まだブランコ山が小高い丘で、ブランコもなく、ブランコ山と言う名前さえ付いていなかった頃のことじゃ。
どこからでも人々を見守ってくれるようにと、神社の大イチョウの一本がブランコ山に運ばれたんじゃ」
おじいさんはブンちゃんを見てニコッ微笑むと、またブランコ山に目を向けました。
「そりゃもう大変じゃった。今みたいにトラックがある時代ではなかったから、人の手だけで運んだんじゃ。たくさんの人の手を借りて、運ぶだけで一月以上かかったんじゃよ」
「そんなに?」
ブンちゃんが驚いて声を上げると、おじいさんは「どうじゃ、すごいじゃろ」と言うような顔でブンちゃんを見ました。
「人々はイチョウの木を『守り木』として大切に扱ったんじゃ。今もそうじゃが、神社の大イチョウは、昔もたくさんの実をつけたんじゃ。人々はその実から種を採り、苗木を育て、一軒一軒が家の守り木としてイチョウの木を育てたんじゃ。そして、家だけじゃなく、川辺や道沿いとか、至る所にイチョウの木を植えていったんじゃ。もちろんブランコ山にもじゃ。そのあと何十年も経ち、人が増え、子供が増えて小学校ができたとき、人々は神社からイチョウの木を小学校に運んで来たんじゃよ。それがあのお父さんの木じゃ」
おじいさんはお父さんの木に目を向けました。
「じゃが一本だけじゃ寂しいじゃろうと、ブランコ山からもう一本運んで来たんじゃ。それがお母さんの木じゃ」
おじいさんはお母さんの木を見詰めました。
「そうか、お父さんの木と結婚させたんだね」
ブンちゃんがそう言うと、おじいさんはブンちゃんを見てニヤッと笑いました。
「夫婦で子供たちを見守って欲しいと願いを込めて、みんなで運んだんじゃ。もう大きな木じゃったから、お母さんの木のときも、そりゃ大変じゃった」
おじいさんは目を瞑って、思い出すように言いました。
「何年かして、お母さんの木からも種が採れるようになったんじゃ。そしたらの、学校の子供たちは、その種から苗木を育て、また学校に植えることにしたんじゃ。十年に一本、学校の誕生日が来るたびに記念としてな。まず校舎の裏が一番じゃった」
「なんで校舎の裏なの?」
「昔は木で造られた木造校舎でな、平屋の校舎が二つあったんじゃ。平屋と言うのは、一階だけと言うことじゃな。今は裏になってしまったが、その木造校舎の間が中庭になっておったんじゃ。。昔の学校は今よりも広かったんじゃよ」
「ふーーん」
「今の校舎の裏のイチョウの木が一番上のお兄さん。次に体育館の裏がお姉さん。ほかのイチョウの木たちも、この木のお兄さんやお姉さんなんじゃよ」
「昔は体育館もなかったの?」
「そうじゃな、昔は違う建物じゃった。じゃが、今の体育館の裏も校庭の一部だったんじゃ」
「へーー、そうなんだ」
「その後、何本もイチョウの木が植えられていったんじゃ。もちろん、校舎の建て替えで移されたものもあったがの。それから何十年か経って、学校が今の形になってからじゃ、校庭にもイチョウの木が植えられたんじゃ。それがさっきも言ったこの木じゃ」
おじいさんは、ゴツゴツした幹をポンポンと叩きました。
「そして、その次の十年が経って植えられたのが、あの妹の木なんじゃよ」
おじいさんは妹の木に目をやると、しばらく、ジッと妹の木を見詰めていました。
「へー、じゃあ、この木は大イチョウの孫ってことだね」
ブンちゃんも腰に手を当ててイチョウの木を見上げました。
「そう言うことじゃな」
おじいさんはブンちゃんを見てニコッと笑いました。
「このイチョウたちは、何で校庭のこの場所に植えられているのか知っているかな?」
おじいさんは、イチョウの木に手を当てながら言いました。
「このイチョウの木たちは、どれも子供たちの役に立っているんじゃよ。夏は太陽の日差しを遮って、教室に涼しい陰を作ってくれる。
冬は葉を散らして、暖かい日差しを教室に届けてくれるんじゃ。
校舎の裏や他のイチョウの木にも火事や強い風から学校を守る役目があるんじゃ。
それにのう、夏が終わると色が変わり始め、秋と冬の間には段々ときれいな黄色に変わって行くじゃろ。その移り変わりが、みんなの心を優しくしてくれるんじゃ。掃除は大変じゃろうが、わしはとっても楽しみなんじゃ」
おじいさんはイチョウの木の幹をさすって、元気のないイチョウの木を励ますように話しました。
「でも新しい校舎ができることになって、妹の木が遠くの町に移されることになってしもうた。だからかのう、かわいそうに、この木は、元気がなくなって、病気になってしまったんじゃ。
しかも、この木の前の教室は、倉庫として使われることになってしまった。子供たちの役にも立てなくなってしまったと思って残念がっているんじゃ」
おじいさんは元気のないイチョウの木を見詰めると、ポンポンと慰めるように優しく幹を叩きました。
そして、木を見上げて寂しそうに呟きました。
「もしかしたら、病気になったこの木は切られてしまうかも知れんのう。切られたら仕舞なんじゃがのう」
元気のないイチョウの木を見るおじいさんの目は、微かに潤んでいるようでした。
(あの時のイチョウじいさん、悲しそうだったなあ)
イチョウじいさんの顔を思い出して、ブンちゃんは元気のないイチョウの木をジッと見詰めました。
イチョウの葉がブンちゃんに手を振るように微かに揺れています。
(そうだ、確かあのあと、木が元気になるように水をあげたんだ)
暑い日が続いて、水が足りないから元気がないのだと思ったブンちゃんは、バケツを持って、何杯も水をかけてあげたのを思い出しました。
ヒューーー
突然、強い風が吹きました。
二枚あった葉の一枚が枝から取れて風に飛ばされました。
葉は校庭の真ん中まで飛ばされ、クルクルとその場を回っています。
大きな円を描いて回っていた葉は、徐々に小さく回りだし、そのままブンちゃんの方に近付いて来ました。
そして、ブンちゃんの前で踊るように、ゆっくりと地面の上で舞い始めました。
(すごい)
ブンちゃんはイチョウの葉から目が離せません。
葉は円を描きながら少しずつ舞い上がって行きます。
そして、徐々に元気のないイチョウの木の方に戻って行きます。
元気のないイチョウの木に近付くと、葉は一気に高く舞い上がりました。
円を描きながら、黄色い葉が空へと舞い上がって行きます。
元気のないイチョウの木を越え、校舎も越え、空高く舞い上がって、次第に見えなくなってしまいました。
(あー、行っちゃったー。でも、なんかすごかったなあ)
ブンちゃんは元気のないイチョウの木に目を戻します。
細い枝に残された葉が揺れて、またブンちゃんに手を振っているようです。
(あっ)
ブンちゃんはハッとしました。
手を振るように揺れる葉が、こうた君と重なったのです。
ギュッと胸に手を当て、ブンちゃんは歩き出しました。
校庭を出て、だんだんと早足になります。
ゆっくり歩いてなどいられません。
今日は大切な用があることをブンちゃんは思い出したのです。
ブンちゃんが向かったのは、町で一番大きな病院です。
ブンちゃんはこうた君が入院している病院を沙織先生から聞いていたのです。
病院は白くて大きな建物です。
塀で囲まれた病院の入口で振り返ると、病院まで続く道の両側には、イチョウの木が何本も立ち並んでいます。
(このイチョウたちも大イチョウの子供たちなのかな?)
おじいさんの話を思い出し、ブンちゃんはたくさんの葉が残るイチョウの木を見回しました。
日曜日の病院は、人が少なくて静かです。
でも、鼻がスーッとするような匂いは、前に来た時と同じでした。
人が少ないせいか、ホールが広く感じます。
入口の上のステンドグラスを見ると、テレビで見た外国の教会に来ているようでした。
正面には中庭があって、二階くらいまでの高さの木が立っています。
イチョウの木です。
そして、その木の奥に二本、小さなイチョウの木も植えられています。
前に来たときはたくさんの人に気を取られ、イチョウの木があるなんて分かりませんでした。
(ここにもイチョウの木があるんだ)
ブンちゃんはしばらくイチョウの木に見入ってしまいました。
「違う、違う!」
首を小さく横に振ってそう言うと、目線を戻し、ブンちゃんは辺りを見回しました。
立ち止まっている場合ではありません。
こうた君の部屋を探さなくてはいけないのです。
広いロビーの真ん中で、ブンちゃんはキョロキョロとしています。
掃除のおばさんがいます。
ガードマンのおじさんがいます。
白衣を着ている人もいます。
「ヤマダさーん、ヤマダハナコさーん」
どこにあるのか分からないスピーカーから、女の人の声が響いています。
「はい、はい、はい」と言いながら、おばさんが走っています。
(どうしよう)
誰かにこうた君の部屋を聞く勇気が出ないブンちゃんは、その場をウロウロするばかりです。
(ダメだ、自分で探そう)
ブンちゃんはホールの奥に向かって歩き始めました。
ホールの奥は廊下になっていました。
廊下は長い椅子ばかりが置いてあります。
座っている人がブンちゃんをチラッと見ます。
ブンちゃんは目を合わせないように歩きます。
歩きながら、廊下の両脇にある部屋を覗き込みます。
でも、中にいるのは看護師さんばかりで、ベッドが置いてある部屋がありませんでした。
(この階にはいないみたいだな)
ホールの手前まで戻って、エレベーターの横にある階段を上り、ブンちゃんは二階に向かいました。
二階の廊下ではパジャマを着た人が椅子に座っています。
その人もブンちゃんを見ています。
ブンちゃんは目を合わさないように真っ直ぐ廊下を歩きます。
廊下の奥の窓からイチョウの木が見えています。
(またイチョウの木・・・)
ブンちゃんはまた両脇にある部屋を覗き込みました。
(この階にもいない)
ここにもベッドがある部屋はありませんでした。
今度は駆け足で階段を上りました。
階段を上り切ると、正面には看護師さんが三人いました。
看護師さんは忙しそうに動き回っています。
廊下を見ると、この階には長い椅子がありません。
置いてあるのは鉢に入った大きな葉の植物だけです。
あまり見たことない植物で、葉が大き過ぎて本物には見えません。
おじいさんと目が合いました。
パジャマ姿のおじさんは、ブンちゃんを見詰めてニコッと笑います。
ブンちゃんは思わず目を逸らしました。
隅っこのガラスで囲まれた小さい部屋では、タバコを吸っている男の人がいます。
やっぱりパジャマを着ています。
部屋の窓からまたイチョウの木が見えました。
(この病院の周りにもイチョウの木がたくさんあるんだ・・・)
そう思いながらブンちゃんは廊下を進みました。
廊下には扉がいっぱいあります。
全部の扉が開いています。
ゆっくりと一番近くの扉に近付くと、ドアの横には名前がたくさん書いてあるプレートが掛かっていました。
「ハハハハー」
部屋から笑い声が聞こえます。
そーっと中を覗くとベッドが見えました。
恐る恐る中へ入ってみると、ベッドが六つ並んでいました。
みんなパジャマを着てベッドに横になっています。
眠っていたり、本を読んでいたり、イヤホンをつけてテレビを見ている人もいます。
話をしていたのは、お見舞いに来ている人です。
みんな大人ばかり。
子供はいません。
(なんだ・・・)
ブンちゃんはガッカリしました。
ほかの部屋も探しました。
おじさんばかりの部屋がありました。
女の人だけの部屋もありました。
三階にある全ての部屋を覗いてみましたが、こうた君を見つけることはできませんでした。
ブンちゃんは諦めて階段に戻ります。
看護師さんのいた場所を通り過ぎると、スーッとした匂いが鼻に入ってきました。
注射の時の匂いです。
その匂いと一緒に大きく息を吸い込むと、ブンちゃんはまた階段を駆け上がりました。
四階を探しました。
四階にもいません。
五階を探しました。
五階にもいません。
どの階でも看護師さんが忙しそうに動いていました。
タバコを吸う小さな部屋もありました。
偽物みたいな植物もスーとする匂いも一緒でした。
そして、こうた君がいないのも一緒でした。
六階に来ました。
(あとはここだけだ・・・)
六階は今までの階より少し静かです。
正面のカウンターの中には看護師さんが一人だけです。
看護師さんはブンちゃんに優しく微笑みました。
ブンちゃんは慌てて目を逸らしました。
小さな部屋でタバコを吸っている人はいません。
パジャマで歩いている人もいません。
廊下には今までより扉がたくさんあります。
奥には人が走るマークの入った緑色の明かりが、少し不気味に光っています。
人がたくさんいる部屋はなさそうです。
扉が開いた部屋と閉まった部屋があります。
扉の前には一つだけ名前書かれた小さなプレートが掛けてあります。
でも書いてある名前は、ブンちゃんの知らない漢字ばかりでした。
(こうた君の名前の漢字を先生に聞いておけば良かった。)
「ハーーー」
ブンちゃんは長いため息をつきます。
でも、ここまで来て諦めるわけにはいきません。
(一つ一つ見て行こう)
ブンちゃんはゆっくりと歩き始めました。
一つ目の部屋は扉が開いています。
名前には「佐藤」の文字があります。
「佐藤」は読めました。
ミカちゃんの名字と同じです。
「佐藤」の文字の下には読めない漢字が一つあって、その下に「子」の文字がありました。
(女の人の部屋だな)
そう思いながら中を見ると、ベッドに座る女の子の後ろ姿が目に入りました。
ベッドの上には、体を起こして女の子と話をしているおばあさんがいます。
ブンちゃんに気付いたおばあさんが、ブンちゃんを見て優しく微笑みました。
ブンちゃんは慌てて、扉の前から離れます。
(なんか見たことある人だ。なんか、ミカちゃんのおばあちゃんに似てたな。名前も佐藤だから、もしかしたらミカちゃんのおばちゃんかも・・・だとするとあの子は・・・)
ブンちゃんは立ち止まり、胸に手を当てて、そっと目を閉じました。
こうた君を指差して責めているミカちゃんの姿が浮かびます。
「こうた君に謝らなくちゃ」と言っていたミカちゃんの姿も浮かびます。
(違う、違う。今はこうた君を探さなきゃ)
ハッと我に返り、顔を左右に振って、ミカちゃんの姿を振り払うと、ブンちゃんはまた歩き始めました。
二つ目の部屋は扉が閉まっています。
でも、名前には最後に「子」の文字がついています。
ここも女の人の部屋です。
三つ目はすぐに違うと分かりました。
お母さんと同じ「美」の文字が、名前の最後についていたからです。
四つ目も分かりました。
名前の最後はお父さんと同じ「男」の文字でした。
「ハーー」
ブンちゃんは、なかなか、こうた君と会えません。
とうとう廊下の一番奥、最後の部屋の前に来ました。
この部屋は名前がありません。
扉は開いています。
電気は消えていて、薄暗くなっています。
部屋の奥のカーテンが風に揺れています。
中の様子は分かりません。
ブンちゃんは少しドキドキしています。
恐る恐る、そーっと中に入りました。
部屋は静まり返っています。
人の気配はありません。
(ああ・・・)
部屋の中は枕が置いてあるベッドがあるだけで、誰もいませんでした。
(なんだよ・・・)
ブンちゃんは肩を落とし俯きます。
(何でいないんだろう? これだけ探したのにいないなんて、沙織先生、病院を間違えたのかな?)
「ハー」
小さくため息をつき、ブンちゃんは部屋を出ました。
廊下の奥の窓から入る風が、ブンちゃんの首筋の汗を拭います。
上着を着たまま階段をたくさん上って、たくさん歩き回ったので、ブンちゃんは薄っすらと汗をかいていました。
ブンちゃんは一生懸命です。
いつもなら嫌になって投げ出しているブンちゃんでしたが、今日は違います。
(こうた君に会って言わなくちゃいけない。こうた君に会わないと辛い気持ちはなくならない)
ブンちゃんは心に決めていたのです。
肌を撫でる風がブンちゃんを元気付けます。
(もう一回、下から探し直そう)
こぶしを握り締め、フンと鼻から息を吐き出すと、ブンちゃんまた歩き始めました。
階段の前に立つと、大きく息を吸い込んで「フーー」とゆっくり息を吐き出しました。
周りに人はいません。
さっきまでいた看護師さんもいません。
階段の前はシーンと静まり返っています。
(あれ?)
階段の前に立ったとき、ブンちゃんは不思議に思いました。
(前に来たときは、お母さん六階建てだって言ってたよな? まだ上の階があるんだ・・・)
必死になっていたので気付きませんでしたが、階段はまだ上の階に繋がっていました。
(お母さん、間違えちゃったんだな。ここは七階建てなんだ)
そう思いながら、ブンちゃんは階段を見上げました。
階段の踊り場は明かりが消えていて薄暗くなっています。
壁には「7」の文字が薄っすらと見えます。
上の階から音は聞こえません。
(よし、行くぞ)
そう思って階段を上りかけた時でした。
階段の上からヒラヒラと何かが落ちて来ました。
(なに?)
暗くてよく見えませんでしたが、紙のような、蝶のような、それは左右に揺れながら、ゆっくりとブンちゃんの足元に落ちました。
(あれ? 何でこんなところに?)
それは黄色いイチョウの葉でした。
ブンちゃんは校庭で舞っていたイチョウの葉を思い出しました。
(あのイチョウ? そんなわけないよな・・・)
ブンちゃんはイチョウの葉を拾い上げると、クルクルと指で回しながら、ゆっくりと階段を上り始めました。
階段を上り切ると、今までの階と違って、七階は薄暗くとても静かな階でした。
人の話し声やテレビの音も聞こえません。
看護師さんもいません。
それに、タバコを吸う部屋もありませんでした。
ガラスで仕切られた小さな部屋には、大きな鉢に植えられた、背の低いイチョウの木が立っていました。
全ての葉がきれいな緑色のイチョウです。
(ここから落ちたんだな。あれ? でも葉は緑色だ。)
ブンちゃんは手に持った葉を見詰めます。
(落ちたやつが黄色になって、また落ちて来たんだな)
ブンちゃんは手に持ったイチョウの葉をクルクルと回しながらイチョウの木を見詰めました。
辺りは静かなままです。
廊下を歩くたびにキュッキュッと足音が響きます。
いつもなら、ふざけてわざと音を鳴らすブンちゃんですが、あまりの静かさにそんなことはできません。
そーっと足を踏み出します。
(下の階となんか違う)
下の階では廊下に並んだ扉があったのに、この階では壁に並ぶ扉がありません。
白い壁が続き、扉は廊下の奥に一つだけです。
扉の上の方に小さな明かりが、少し不気味に光っています。
思わず手に持っていたイチョウの葉を握り締めます。
(あの部屋だけだ)
イチョウの葉をポケットにしまうと、ブンちゃんは廊下の奥の部屋に向かって、ゆっくりと歩き出しました。
キュッ、キュッと、小さな音が響きます。
何となく下の階より廊下が長く感じられます。
(ここがホントの最後だ)
明かりは扉についた小さなガラス窓から漏れた光でした。
扉の前に立つと、ブンちゃんは目を閉じて「フー」と息を吐きました。
そして再び目を開けた時でした。
「ここだよ」
(えっ)
部屋の中から男の子の声が聞こえたような気がしました。
辺りを見回しますが、誰もいません。
(気のせいか・・・下の階だな)
ブンちゃんは扉の横に目を向けました。
ここにも名前が書いてあるプレートがありました。
『衣鳥 耕太』
(あっ、沙織先生と同じだ。「いとり」だ)
ブンちゃんは少し驚きましたが、それよりも名前の最後の文字に目を奪われました。
『太』の文字です。
(最後が「た」だ! もしかして、ここかも)
ブンちゃんは一歩、扉の前に近づきます。
音がしないようにゆっくりと扉を横にずらします。
そーっと、そーっとずらします。
片目で見えるくらい扉をずらしました。
左目をつむり、右目だけで中を覗き込みます。
でも少し先に白いカーテンがかかっていて、奥まで見えません。
カーテンが微かに風に揺れます。
窓が開いているようです。
「ここだよ」
(えっ?)
また声が聞こえました。
(もしかして、こうた君?)
扉を静かに広げ、声に引き寄せられるように、ブンちゃんは部屋に足を踏み入れました。
スーッとする匂いはしません。
その代わり、気持ちの良い香りがしました。
(あっ、あの香りだ。えーっと何の香りだっけ・・・)
立ち止まって考えましたが思い出せません。
(違う!)
ブンちゃんは顔を横にブルブルと振ります。
ブンちゃんはカーテンの隙間から、また片目だけで奥を覗きました。
ベッドが見えます。
でも、足の方しか見えなくて、誰がいるのか分かりません。
ブンちゃんはカーテンをそっとめくりました。
ドキドキしながら、音を立てないように、ゆっくり進みます。
ベッドの横の壁に絵が貼ってあるのが見えました。
二枚あります。
『おにいちゃん』と書かれた男の子の絵と、もう一枚は男の子が二人描かれた絵です。
一人はリキヤ君に似ています。
(フフッ、リキヤ君にそっくりだ・・・)
ブンちゃんの顔に笑みが浮かびました。
もう少し進むと、少ししぼんだ銀色の風船が二つ、窓際の手すりに繋がれて風に揺れていました。
(誰かいる)
ベッドで人が寝ているのが見えます。
(あっ、ここだ!)
こうた君が見えました。
ホッとしたブンちゃんは、胸に手を当て、音が出ないように、ゆっくりと大きく深呼吸をしました。
こうた君は口に緑色のマスクをつけています。
薄っすらと透き通ったマスクは、こうた君の息で曇ったり透き通ったりしています。
ベッドの横には、テレビで見たことがある機械が置いてあります。
機械からは「ピッ、ピッ」と音が鳴っています。
女の人が椅子に座っています。
こうた君を見ています。
看護師さんの服は着ていません。
女の人の横顔は少し悲しそうです。
「あのー」
ブンちゃんが声を絞り出します。
女の人がブンちゃんに気付きました。
驚いた様子もなく、女の人はニッコリとブンちゃんに微笑みます。
その笑顔は、初めてこうた君と話した時と同じ、優しい笑顔でした。
(きっと、こうた君のお母さんだ)
そう思ったらドキドキしてきて、ブンちゃんは俯いてしまいました。
「あなた、ブンちゃんね」
女の人はまるでブンちゃんが来ることを知っていたようにブンちゃんの名前を言いました。
(えっ)
ブンちゃんはビックリしました。
「あ、はい・・・でも、なんで・・・」
女の人は眠っているこうた君を見て、囁くように言いました。
「ホントだったね」
優しく、でも、どこか寂しげな笑顔です。
女の人はブンちゃんの方にゆっくり向き直りました。
「耕太がね『ブンちゃんが来るよ』って言っていたのよ」
そう言うと、女の人はニッコリと微笑みました。
(えっ)
ブンちゃんは驚いて言葉が出ません。
「ブンちゃん、一人で来てくれたの?」
女の人は席を立ち、ブンちゃんの前に屈み込みむます。
ブンちゃんが小さくコクッと頷くと
「ありがとう」
そう言って手のひらをブンちゃんの頬に優しく当てました。
柔らかくて温かい手でした。
お母さん以外の人にこんなことをされたのは初めてだったので、恥ずかしくて、ブンちゃんの顔はみるみる赤くなっていきました。
「でも、ごめんね、せっかく来てくれたのに。耕太ね、昨日の夜からずっと眠ったままなの。
昨日のお昼はベッドで本を読んでいたんだけどね・・・」
女の人は寂しそうな笑顔でブンちゃんを見詰めると、ゆっくり立ち上がって、またこうた君に目を向けて言いました。
「耕太ね、とても喜んでいたのよ。『学校でブンちゃんの役に立てたかもしれない』って、ホント嬉しそうに話してくれたの」
(えっ?)
ブンちゃんはこうた君を見ました。
「でもね、どんな役に立ったのかは、恥ずかしがって言わないの」
女の人の言葉に、ブンちゃんは俯いてしまいました。
(やっぱりだ。やっぱりこうた君は知ってたんだ)
「それでね『ブンちゃんが来るかもしれないから手紙書かなくちゃ』って言ってね、一生懸命に書いていたのよ。あんまり夢中になっているから『見せて』って言ったんだけど、絶対に見せてくれないの。『ブンちゃんが来たらお話しすればいいじゃない』って言ったんだけど『口で言うのは恥ずかしいしから』って言うの」
女の人はまだこうた君を見詰めています。
でも、こうた君を見詰める目は、さっきよりも潤んでいて、とても悲しそうです。
女の人はベッドの横の物入の前に立つと、一番上の引き出しから何かを取り出しました。
振り返った女の人が手に持っているのは封筒でした。
女の人は封筒を見ながら優しい笑みを浮かべると、その封筒をブンちゃんに手渡しました。
「はい、どうぞ」
(えっ?)
スティッチの絵が描いてある水色の封筒でした。
真ん中には少し震えた文字で『ブンちゃんへ』と書いてあります。
ブンちゃんは眠っているこうた君をチラッと見て、女の人から封筒を受け取りました。
裏を見ると、そこにはプリークリーのシールが貼ってありました。
ブンちゃんは封筒を開けようとシールを剥がします。
でも体の細いプリークリーのシールは上手く剥がれません。
シールが切れないように、ブンちゃんは丁寧にゆっくりと剥がしました。
封筒を開け、中身を取り出すと、手紙が二枚入っていました。
スティッチとエンジェルやジャンバ、プリークリー、ユウナ、それにハムスターヴィールまで、みんな仲良く写真を撮っている絵が描いてありました。
文字はやっぱり震えたような文字です。
でもこうた君が一生懸命に書いてくれたことは、一目見ただけで分かりました。
*****
ブンちゃんへ
ぼくね ブンちゃんが「手伝って」って言ってくれたとき とってもうれしかったよ。
だって ぼく 体が弱いから 先生もクラスのみんなも 心配してくれて つかれるようなこと させてくれないんだ。お母さんは 元気でいるだけで 役に立っているのよって言うけど 役に立ってるって思えないのが ちょっと くやしかった。
恐竜の首が取れているのは すぐに分かったよ。だって 本の上に置いてあっても 首が少しずれているの見えたからね。
ブンちゃん もう少し うまくやらないと。
でも ぼくね 思ったんだ。ぼくがこわしたことにすれば ブンちゃんはみんなにきらわれなくてすむんだなって。
どうだった? うまくいったかな。
でもね ブンちゃん 気にしないでね。ぼくいいからね。
ぼく 悪者になっても 平気だからね。
ぼくね あんまり生きられないかもしれないんだ。
お母さんも お父さんも おじいさんも「ダイジョウブ」って言うけど ぼくと同じだった子を知ってるんだ。病気も同じだった。その子も 学校に行ったり 休んだりしてたんだけど すごい発作が出たら 助からなかったんだ。
発作ってね せきが いっぱい出てね 体が言うこときかないんだ。こんど すごい発作が出たら きっと ぼくも 学校に行けなくなる。だから 学校に行けるうちに だれかの役に立ちたいなって思っていたんだ。そしたら ブンちゃんが 手伝ってって ぼくを呼んでくれたでしょ。ぼく ほんと うれしかったんだよ。
それに 本の片付けだけじゃなくて ブンちゃんがみんなにきらわれないようにできるなんて すごいことだと思ったんだ。みんなにウソついちゃったけど しょうがないよね。
でも あのあと すぐに 発作が出ちゃって 病院に運ばれちゃった。
知ってる子みたいにならなくて良かったけど もしかしたら ぼくが 学校に行けなくて ブンちゃんが 気にするかもしれないって思ったんだ。
だから 手紙を書こうって思ったんだ。
ブンちゃんが 手紙を読んでるってことは 来てくれたんだね。
ぼく もう 会えないってことかな?
ぼく ねてる? 口にマスクつけてる?
マスクつけてたら ブンちゃん ぼくに 話しかけてみてね。でも それで 起きちゃって ブンちゃんと 会ったら はずかしいな。
ブンちゃん ぼく こわくないよ
ブンちゃん ぼくのこと わすれないでね
ありがとう ブンちゃん
耕太
*****
ブンちゃんの目から涙が溢れて、ポタポタと床に落ちました。
なんで、ニコニコして手伝ってくれたのか。
なんで、恐竜の前で考え込んだのか。
なんで、みんなの前で名前を言わなかったのか。
なんで、自分だけ悪者になったのか。
ブンちゃんは全部わかりました。
「ごめんなさい、ごめんんさい、おれ、こうた君に、とっても悪いことしたんです。リキヤ君の恐竜こわしたのおれなのに、こうた君のせいにしたんです。おれがウソついたから、こうた君が悪者になっちゃったんです。ごめんなさい、ごめんなさい」
女の人は静かにブンちゃんを見詰めています。
悲しそうな目で「分かっているわ」と言っているようです。
ブンちゃんはベッドの手すりを握り締めます。
「こうた君ごめんね。あやまるから起きてよ。もうぜったいにウソつかないから。おれ分かったんだ。あやまることは、はずかしいことじゃないって。あやまらないまま、ごまかしたままの方が、ずっとはずかしいんだって。そういう人が本当の悪者なんだって。お願いだから起きてよ。こうた君、お願いだから目を開けてよ」
こうた君は黙ったままです。
楽しい夢でも見ているかのように、穏やかで、優しく、とても満足したような表情でこうた君は眠っています。
ブンちゃんは振り返って女の人を見詰めます。
「こうた君なんで起きないの? なんで起きないの?」
女の人がブンちゃんを抱きしめます。
女の人は泣いています。
女の人の悲しみがブンちゃんにも伝わってきます。
あの香りがします。
思い出せないあの優しい香りがブンちゃんを包みます。
「う、う、うっ、ううー」
我慢できずにブンちゃんは声をあげて泣き出しました。
女の人がまたブンちゃんをギュッと抱きしめます。
からだを小さく震わせて、声を出すのを我慢して、静かに、静かに、女の人は泣いています。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
ブンちゃんは何度も謝りました。
こうた君に許してもらえるように。
こうた君のお母さんに許してもらえるように。
何度も何度も謝りました。
窓から入る優しい風が、涙を拭うようにブンちゃんの頬を撫でます。
風が二人を包み込みます。
風は、まるで両手で抱きしめるように、優しく、優しく、二人を包んでいました。
月曜日、西の空では薄いねずみ色と白の混ざった雲の合間から、太陽の光が地面に向かって降っています。
光はだんだんと太くなり、少しずつ見えなくなっていきました。
光にかわって、今度は青い空が雲の合間から顔を出しました。
水色ではなく、少し濃い青です。
徐々に町の上も青い空が広がって来ました。
久しぶりに感じる青い空です。
この日、ブンちゃんは心に決めていました。
昨日、病院を出たときから決めていました。
みんなの前でブンちゃんは勇気を出したのです。
自分のやったことをごまかして、こうた君のせいにしてしまったこと。
今までたくさんウソをついてしまったこと。
下を向いて、大粒の涙をこぼして、泣きながら全てを話し、みんなに謝りました。
そして、病室でこうた君に言った通り「もうウソはつかない」と、ブンちゃんはみんなに誓ったのです。
ミカちゃんは怒っていました。
何も言いませんでしたが、絶対に許さないといった目でブンちゃんを睨み付けていました。
リキヤ君は外を見ていました。
ブンちゃんが謝る姿を見た後、黙ったままブランコ山を見ていました。
恥ずかしさはありません。
叱られることも覚悟していました。
それだけ酷いことをしたのだと、ブンちゃんは分かっていました。
でも沙織先生は叱りませんでした。
反対に優しく微笑んでいました。
「分かっているわ」と言うように、ブンちゃんを見詰めていました。
火曜日になりました。
誰もブンちゃんに話しかけませんでした。
水曜日もブンちゃんは一人でした。
木曜日の帰り、下駄箱の前で靴を履いていたブンちゃんに、誰かが駆け寄って来ました。
後ろから「じゃあな」と、一言だけ言ってブンちゃんのランドセルをポンと叩くと、そのまま右手を上げて走って行ってしまいました。
リキヤ君でした。
誰よりも一番怒っていると思っていたリキヤ君が声をかけてくれたのです。
ブンちゃんはビックリしました。
嬉しくて、ホッとして、ブンちゃんは昇降口を出ると、空を見上げて、こぼれそうな涙を我慢しました。
青い空には小さな雲が一つ、ゆっくりと流れているのが見えます。
(ありがとう。リキヤ君)
前を向き、遠くを走るリキヤ君の後ろ姿に向かって、ブンちゃんは、そう心の中で呟きました。
でも嬉しい気持ちはわずかな時間だけです。
心はスッキリとは晴れません。
簡単に許されることではないと、ブンちゃんも分かっていました。
金曜日、空には薄い雲が広がっています。
太陽の光が雲にぼんやりと滲んでいます。
風は穏やかで、太陽を隠す雲をどけてくれそうにありません。
転校して来た日のように、何人かがブンちゃんに声をかけてくれました。
ブンちゃんは笑顔でした。
がんばってみんなに笑顔を見せていました。
でも、本当の笑顔ではありません。
まだ、大切な人に「ごめんさい」を聞いてもらっていないからです。
それに、手紙に書かれていたことが頭から離れません。
ブンちゃんの心には、雲がかかったままなのです。
帰りの会が終わって、みんなが一斉に昇降口に向かいます。
ブンちゃんも靴を履き替え、元気のないイチョウの木の下へ行きました。
細い枝の先には、まだ一枚だけ葉が残っていました。
まるで、この場所から離れてしまうのを嫌がるように、必死に枝につかまっています。
イチョウの木にこうた君の姿が重なります。
(日曜日にまた、こうた君に会いに行こう。もうあれから一週間も経つんだから、日曜日にはきっと目を覚ましているはずだ。みんなに謝ったことを言いに行こう。こうた君が悪者じゃないって、みんな知っていると言いに行こう。みんなこうた君を待っていると言えば、絶対に元気になるはずだ。そうだ! 手紙のお礼もしなくちゃ。「ごめんなさい」だけじゃなくて「ありがとう」もちゃんと言わなくちゃ。スティッチのシールを持って行ってあげよう。シールだけじゃなくて、ガチャガチャで取ったスティッチの人形も持って行こう。こうた君が元気になれそうなものを集めて持って行こう。そうだ! 明日と明後日は神社のお祭だ。なんか買って行ってあげよう。スティッチのものを買って行ってあげよう)
ブンちゃんは今にも取れてしまいそうな葉を見ながら、そう心に決めました。
葉が揺れています。
嬉しそうに揺れています。
こうた君の笑顔が浮かびます。
手を振るこうた君の姿が浮かびます。
(そうだ、祭の前にブランコ山に行って、大イチョウの木の下から少しだけ土を持って来よう。その土をかけてあげれば、この木も元気になるかも知れない。大イチョウのパワーで元気になるかも知れない。葉があったら葉も持って来よう。いっしょに埋めてあげよう。待っててね。なるべくたくさん持って来るからね)
ポンポンと木の幹を叩いて、ブンちゃんは微笑みます。
こうた君に会えると考えたら、急に元気が出てきました。
「待っててね。こうた君、待っててね」
ブンちゃんはイチョウの木に向かってそう声を掛けると、元気に走り出しました。
雲の隙間から、僅かに薄い黄色の光が差し込みました。
光がブンちゃんを照らします。
雲にこうた君の姿が映ります。
こうた君は笑っています。
優しい笑顔で見詰めています。
「待っててね。待っててね」
差し込む光に、嬉しそうに目を細めるブンちゃんでした。
風が穏やかな夜になりました。
月明かりに邪魔されて、あまりたくさんは見えませんが、青黒い空には、ところどころハッキリと光る星が見えます。
パジャマに着替えたブンちゃんは、理科で習ったばかりのオリオン座を見ながら、こうた君のことを考えています。
(こうた君、今ごろどうしてるかな? 本でも読んでるのかな? もう眠っちゃったかな? 元気が出るもの食べたかな?)
日曜日に会えることが、ブンちゃんは楽しみで仕方ありません。
天気予報では、明日の土曜日も、明後日の日曜日も晴れると言っていました。
空を良く見ると星だけではなく雲がたくさんあります。
初めてでした。
夜の空でも、昼間と同じように、雲がゆっくりと流れているのを見たのは。
月や星ばかりを見ていて、夜空の雲など気にしたことはありませんでした。
(急に変わるわけがない。暗くなっただけで空が入れ替わるわけじゃないんだ。急に変わるなんてない。こうた君だって・・・)
「ぼく もう 会えないってことかな?」
手紙を書いているこうた君の姿が頭に浮かびました。
(そんなことないさ。本を片付けてた時は、あんなに元気そうだったんだ。きっと少し意地悪しようとしてるんだ。おれがこうた君を騙そうとしたから、少しだけ意地悪しようと思っているんだ。仕方ないさ、おれが悪いんだから。そのくらいの意地悪なんて、おれがしたことに比べたら何でもないことさ。あとで「知ってたよ!」って笑えばいいんだ。そうやって笑い合えばいいんだ。友達になろう。ちゃんと謝って友達になろう。元気になったら一緒に遊ぼう。きっと、友達が少なくて寂しいんだ。だから病気になっちゃうんだ。そうだ! おれのうちでスティッチのゲームをしよう。DVDも見よう。喜んでくれるかな? 喜んでくれるといいなあ)
ニヤニヤしながら、ブンちゃんはこうた君の喜ぶ顔を思い浮かべました。
布団の中に入っても、一緒に笑い合う姿を想像しました。
ブンちゃんは夢の中で、こうた君と会いました。
たくさん会話をしました。
たくさん遊びました。
鬼ごっこもしました。
ドッジボールもしました。
粘土で恐竜も作りました。
スティッチの絵も描きました。
二人は友達になりました。
夢の中で大親友になって、たくさん楽しい時間を過ごしました。
「ブンちゃん、ありがとう、さようなら」
こうた君が手を振りました。
夢の中でニッコリと微笑んで大きく手を振りました。
土曜日と日曜日が過ぎ、三日が経ちました。
月曜日になりました。
久しぶりに水色の空が広がっています。
雲ひとつない空っぽの青い空です。
(昨日も晴れだったのかな)
日曜日の天気をブンちゃんは知りません。
校庭には、風の音を伝えることもなくなった二本のイチョウの木が静かに立っています。
校庭はいつもと違う風景になっていましたが、ブンちゃんは気が付くことができませんでした。
ブンちゃんの心の中は、空っぽになっていたのです。
月曜日なので今朝は朝礼が開かれています。
校長先生が何か話をしています。
でも何を話しているのかブンちゃんの頭の中には入ってきません。
沙織先生が悲しそうに立っています。
俯いて、目にハンカチを当てています。
なぜ沙織先生が悲しんでいるのか、ブンちゃんはその訳を土曜日から知っていました。
こうた君が目を覚ますことはありませんでした。
涙は流れません。
涙がなくなるくらい、ブンちゃんはたくさん泣いていました。
昨日は窓も開けず、カーテンも開けず、家から出ることもできませんでした。
教室はいつもと変わらない様子ですが、ミカちゃんが休んでいるせいか、少しだけ静かな感じがします。
ブンちゃんは窓際の席に座り、遠くの空を眺めています。
ブンちゃんの肩を、リキヤ君がポンと叩きます。
リキヤ君は手すりに頬杖をついて外を眺めます。
言葉はありません。
元気がないブンちゃんを、リキヤ君は気にかけていました。
リキヤ君の横顔を見たとたん、もう出ないと思っていた涙が、ブンちゃんの目に溢れました。
リキヤ君に謝っているこうた君の姿が浮かびます。
(あのとき、リキヤ君に謝らなくちゃいけなかったのはおれなのに、おれが本当に謝らなくちゃいけない人はこうた君なのに、ごめんねこうた君、ごめんね、ごめん・・・)
涙がこぼれ落ちないように、そして、こうた君に気持ちを届かせるように、ブンちゃんは空を見上げました。
誰かがリキヤ君を呼びました。
「リキヤー」
リキヤ君は振り返って返事をしました。
「おう、今、行く」
リキヤ君はチラッとブンちゃんを見ると、またブンちゃんの肩をポンと叩いて歩き出しました。
ブンちゃんは空を眺めたままでした。
そのまま動くことなく、囁くように言いました。
「ありがとう」
ブンちゃんの頬を、涙が一筋流れました。
「隅っこにあったイチョウの木、どっかに運ばれたんだって」
誰かの話し声が耳に入りました。
(えっ?)
ブンちゃんは慌てて立ち上がると、元気のないイチョウの木の方に目を向けました。
(なくなってる・・・)
朝礼の時に感じた、どこか違う風景の理由が分かりました。
金曜日に一枚だけ葉を残していた元気のないイチョウの木がなくなっています。
(おじいさんの言った通りだ)
ブンちゃんはイチョウじいさんの話を思い出し、体育館に目を向けました。
お父さんとお母さんのイチョウの木の下には、たくさんの黄色い葉が落ちて、悲しんでいるように見えます。
フッと、こうた君のお母さんの顔が浮かびました。
ブンちゃんは胸手を当てました。
失ってしまった悲しみ。
取り戻すことのできない悲しみ。
もうどうすることもできない辛さが、ブンちゃんの胸を締め付けました。
ブンちゃんは俯いて目を閉じました。
元気のないイチョウの木の葉が、静かに揺れている景色を、ブンちゃんは思い出していました。
風がブンちゃんの頬を撫でます。
フワッと優しい香りが漂いました。
(あっ、あの香り)
病院で女の人に抱きしめられた時に感じた香りです。
ブンちゃんは静かに目を開けました。
校庭の隅に目を向けると、イチョウの葉が集められている箱から、黄色い葉が一枚飛び出しました。
葉は風に舞い、校庭の真ん中まで来ると、誰もいない校庭で、踊るように舞い始めました。
地面を走るように、宙返りをするように、そこに留まって、まるで何かをブンちゃんに伝えるように舞っています。
「聞こえたよ」
誰かの声がしました。
ハッとしたブンちゃんは、手すりから身を乗り出して辺りを見回します。
でも校庭には誰もいません。
(気のせい・・・)
ブンちゃんは、またイチョウの葉に目を戻します。
葉は、まだ校庭を舞っています。
何かを伝えるように舞っています。
「聞こえたよ」
また声がしました。
聞き覚えのある声です。
(えっ)
ドキッとしたブンちゃんは、いるはずのない姿を探します。
もしかしたら、という思いで辺りを見回します。
でも校庭に人影はありません。
キョロキョロと、目を見開いて探しますが、やっぱり誰もいません。
「はぁーー・・・」
ブンちゃんは長いため息をついて、そのままガクッとうなだれました。
「そんなわけないよな」
足元を見ながら、力なく呟きます。
そして、ゆっくりと顔をあげ、また手すりに腕を載せた時でした。
校庭の奥で誰かが手を振っている姿が目に入りました。
見覚えのある、黄色と緑のシャツを着ています。
(えっーー!)
ブンちゃんはハッとして、目を丸くしました。
こうた君が手を振っています。
ビックリしたブンちゃんは、指で目をこすりました。
そして、窓から身を乗り出すと、もう一度、こうた君の姿を確かめました。
ビューーー
(うっ)
突然、強い風が吹き、ブンちゃんはたまらず、ギュッと目を閉じてしまいました。
すぐに風が止んだのを感じると、ブンちゃんはそっと片方の目を開けて、こうた君がいた所に目を向けました。
でも、こうた君はいません。
手すりを握り締め、身を乗り出して辺りを見回しますが、校庭には誰もいません。
(こうた君だった。絶対こうた君が手を振っていた)
校庭には、さっきまで風に舞っていたイチョウの葉が、また姿を現しました。
(こうた君?)
イチョウの葉はクルクルと回っています。
そして、体育館側の二本のイチョウの木の間を行ったり来たりしながら、校庭の真ん中に戻っては、またクルクルと回りました。
何かを伝えるように、離れたくなさそうに、行ったり来たりを繰り返しています。
また風が強くなり、イチョウの葉が、ゆっくりと宙に舞い上がって行きました。
そして、ブンちゃんのいる教室より高く舞い上がると、クルッと小さな円を描いて、ブランコ山の方に向かって飛んで行ってしまいました。
ブンちゃんは葉を目で追います。
小さくなる黄色い葉を懸命に目で追いました。
一瞬、こうた君が手を振る姿が浮かびました。
(こうた君!)
ブンちゃんの目から溢れた涙が頬を伝います。
もう、葉を目で追うことはできません。
イチョウの葉は涙に滲んで、そのまま見えなくなってしまいました。
(ごめんね、こうた君。ごめんね)
涙を手で拭うと、ブンちゃんはブランコ山を見詰めました。
大イチョウから黄色い葉が風に乗って舞い散るのが微かに見えました。
(大イチョウも悲しんでる・・・)
ブンちゃんは、しばらくの間、ブランコ山に映るこうた君の姿を見詰めていました。
今日は青い空が広がっているのに少し寒い日です。
空の高いところにある雲は、魚のウロコのような模様で、空に張り付くように、動かずジッとしています。
ブンちゃんは川向こうの大きな煙突がある場所まで来ていました。
煙突の煙は空の低い所を流れる雲を追いかける様に漂い、すぐに消えてしまいます。
ブンちゃんの周りには、黒い服を着た人がたくさんいます。
沙織先生も黒い服を着ています。
ブンちゃんと同じくらいの歳の子たちが立っています。
隣のクラスの子たちではありません。
(きっと前の学校の友達なんだろうな)
みんなブンちゃんの知らない子たちばかりでした。
男の人がみんなにお話をしています。
泣きながら話をしています。
聞いている人も目にハンカチを当てて悲しそうです。
沙織先生が泣いています。
知らない子たちも泣いています。
こうた君のお母さんがいます。
こうた君の写真を持って立っています。
写真のこうた君はニッコリと笑っています。
こうた君のお母さんは、写真をギュッと胸に抱きしめて立っています。
小さな女の子もいます。
女の子はこうた君のお母さんの服を掴んで俯いています。
(きっと、こうた君の妹なんだろうな。あの子もたくさん泣いたんだろうな。もう涙が出ないほど泣いたんだろうな)
俯いて顔の見えない女の子を見て、ブンちゃんは鼻の奥がジンとしました。
男の人の話が終わって、みんなが歩き始めました。
こうた君のお母さんもこうた君と一緒に歩き出します。
こうた君がブンちゃんのそばまで来た時、こうた君のお母さんはブンちゃんの前で立ち止まりました。
涙を我慢していたブンちゃんでしたが、ニッコリ笑っているこうた君の顔を目の前で見たら、もう我慢することはできませんでした。
「ブンちゃん来てくれてありがとう。泣いてくれてありがとう。でも、もう悲しまないで。ブンちゃんのせいじゃないの。仕方なかったの」
こうた君のお母さんは、屈んでブンちゃんの目にハンカチを当てました。
「でも・・・でも・・・」
俯くブンちゃんの目から涙が頬を伝い、ポタポタ、ポタポタこぼれます。
「ブンちゃん、病院で『もうウソつかない』って言ってくれたでしょ。あのあと、学校でみんなに正直に話したって、沙織先生から聞いたわ。偉かったわね。ホントに偉かったわね」
その言葉を聞いて、ブンちゃんの目からまた涙が溢れ出しました。
「でも、でも、こうた君に『ごめんなさい』聞いてもらえなかった」
俯き、手のひらを握り締め、ブンちゃんは悔しそうに言いました。
「大丈夫。耕太、喜んでいるわ。ブンちゃんのお役に立てて喜んでいるわ。『ブンちゃんが“ウソつきブンちゃん”から “正直ブンちゃん”に変わるお手伝いができたんだよ』って喜んでいるわ」
顔を上げると、こうた君のお母さんも泣いていました。
こうた君のお母さんはブンちゃんの頬に手を当てて、黙ったまま口をギュっと結んで小さく頷きました。
「ううう、ううう」
俯くブンちゃんお目から大粒の涙がこぼれ落ちました。
沙織先生がポンポンとブンちゃんの背中を優しく叩きます。
ブンちゃんが顔を上げると、こうた君のお母さんと小さい女の子の後ろ姿が見えました。
こうた君のお母さんが車に乗ります。
女の子は男の人とバスに乗ります。
来ていた人たちも、続いてバスに乗り始めます。
ブンちゃんと沙織先生もバスに乗り込みました。
バスは出発すると、すぐにブンちゃんの町に繋がる橋に差し掛かりました。
河川敷では凧揚げをしている人がいます。
川は太陽の光を反射させてキラキラと光っています。
土手で何か食べている女の子の姿がブンちゃんの目に入りました。
(ミカちゃんに似てる・・・)
昨日、学校を休んだミカちゃんの顔が浮かびます。
フッと香りがしました。
(あっ・・・)
優しい香りがブンちゃんを包みます。
(なんの香りだっけ・・・、なんの・・・)
ブンちゃんは目を開けていられません。
バスに揺られながら、ブンちゃんはいつの間にか眠ってしまいました。
バスはブンちゃんたちを乗せ、ブンちゃんの町に入って行きました。
「ブンちゃん、ブンちゃん」
(あっ)
沙織先生の声で、ブンちゃんは目を覚ましました。
ブンちゃんは辺りを見回します。
(どこ? あれ、ブランコ山?)
ブンちゃんはブランコ山のベンチに座っていました。
(そうかバスに揺られて眠っちゃったんだ。きっと男の人と沙織先生が降ろしてくれたんだな)
ブンちゃんはこうた君のお母さんと話した後のことをあまり覚えていませんでした。
バスに乗って、橋を渡って、駅に寄ったのは薄っすらと覚えています。
そのまま学校に寄ったのも薄っすらと覚えています。
でも、どうやってブランコ山で降りたのかは覚えていませんでした。
「ブンちゃん、もう行きましょう。みんな来ちゃうわ」
沙織先生がニッコリと微笑んでいます。
(えっ、来ちゃう? 誰が?)
ブンちゃんはまた辺りをキョロキョロ見回します。
(誰もいない・・・)
公園にいるのはブンちゃんと沙織先生だけでした。
(ああ、小さい子たちが来ちゃうってことか・・・)
ベンチから立ち上がり、目をつむって、ブンちゃんは大きく深呼吸をしました。
「スーー、ハーー」
その時でした。
フッと、また香りがしました。
(あ、あの香り・・・)
ブンちゃんはゆっくりと目を開けると、香りを追うように振り返り、大イチョウを見上げました。
大イチョウはブンちゃんを見守るように、葉を静かに揺らしています。
ブンちゃんは沙織先生をチラッと見ると、今度は遠くの空を眺めました。
高い所に張り付いていたウロコ雲は、いつの間にかなくなっていました。
空は青く澄んでいます。
飛行機が空の高い所をゆっくりと飛んでいます。
風に乗って、雲が流れてきます。
よく見ると、リキヤ君の作った恐竜のような雲です。
ニッコリしたこうた君の顔が雲に映ります。
こうた君が笑っています。
「ごめんね、こうた君。ありがとう、こうた君。わすれないよ、おれ、ぜったい、ぜったい、わすれないよ。だから、こうた君も見ててね。ウソつかないように見ててね」
ブンちゃんがそう呟くと、あの時のようにニコニコしながら返事をしてくれたこうた君の声がハッキリと聞こえました。
「うん、いいよ」
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