立つ風に誘われて

真川紅美

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2、尋ねてきたのは

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 そして、数日後。
「やあ、クロエ」
「あ、司祭様! と……」
 クロエの自宅を訪ねた司祭の傍らに軍服を身にまとった軍人が表情無く立っていた。明るくなりかかった表情がこわばって警戒するように一歩後ろに下がってじっと後ろにいた黒髪を後ろに撫でつけた若い軍人を見た。
「あの……」
「突然失礼します。私、レイス大佐の直属の部下、ローガンと申します。レオン元少佐がこちらにいるとうかがって。……大佐が書類の受け渡しをしたいということでしたのでお取次ぎお願いできますでしょうか?」
 固い言葉にクロエは司祭を見て、彼がうなずくのを見て家の中に入った。
「書類って何の書類だ」
 ひょい、と顔をのぞかせたレオンは、見慣れた神官服ではなくクロエの家に置いてあったクロエの父の数少ない荷物にあった服に袖を通していた。クロエの父は実に軍人らしい立派な体格だったらしく、それなりに背の高いレオンも袖を余らせ、厚みも足りなかったらしい。どことなく布の塊に埋もれている子供のような様だ。
 ぶっと噴き出したのは司祭で、レイスの部下も吹き出さないように顔をこわばらせている。
「ずいぶんサイズがあっていないものだが……」
「うるさい。替え持ってきてないから今洗濯中だ」
「だから外に出たくないって……」
「……」
 あきれた顔を見せた司祭はとにかく来なさいと、レオンを促してクロエを置いて、レイスが待つ教会へ案内するのだった。
「何布かぶって遊んでいるんだお前は……」
 レオンのありさまを見たレイスの一言についに部下の堰が決壊した。ぶはっと吹き出したレイスの部下を無視してレオンはすっと目を細めてレイスをにらみつけた。
「だと思ったらちょっと貸してくれ」
「軍服しか持ってきていないが?」
「……シャツとズボン」
「受け取ってくれるなら」
「……」
 そう言って差し出されたのは革の書類袋。もったいぶった書類の受け渡しだが、袋で大体の出所がわかると脳筋な軍人には有効な手立てになっている。革の書類袋は将官以上の署名、出所の命令書を収めておくものだ。おそらく長兄ディールの名前が入っているんだろうなと嫌な顔をしたレオンにレイスは肩をすくめて見せる。
「お前がここに駐留する建前を渡しておく。とりあえずこれで、大体は跳ねのけられる。周りのお客さんはあらかた排除した」
「そりゃあ、ご苦労なこった。で、御一行様は?」
「適当に伸して強制送還」
「……俺狙い?」
「ああ。だから……」
「……」
 戻ってこい。という言葉をレイスが呑んだのがわかったレオンがはあとため息をついた。
「……戻ることは確約できない。だが……」
「お前に覚悟がないのに名前を戻すことはできない。武器が触れない。……触った後、こうやってぶっ倒れるような部下はいらん。戻りたいならそれを直して私のところに来い。伝手がある。私も兄も母を信用しているわけじゃないのはお前もわかっているだろう」
 はっきりと断言したその言葉に部下も司祭も息を飲むが、当のレオンは静かな顔をしてレイスを見ていた。
「少なくとも、あんな言葉を部下にぶつけられる将軍は俺たちにはいらない。兄が昇進して母と同格になったら私も伝手を利用して兄と並び立つか、兄のところに身を寄せてから転属しようと思っている」
「……兄上」
「ゆっくり直せ。お前の分の軍服も置いておこう。いつどうなるかわからないからな」
 ぽん、とぶかぶかのシャツの肩に手を置いて、書類袋を押し付けたレイスはそれ以上何も言うつもりはない。と部下に視線を合わせて出ていこうとした。
「兄上」
「なんだ?」
「……もし。……もし、母が転覆を狙っているとしたら?」
「なんだ、その情報か」
「……やはり」
「ああ。気をつけろ。お前が一番狙われている。お前の頭は母も惜しかったらしい」
「……」
 その言葉に微妙な顔をして黙り込んだレオンは気分の悪さを隠すように深く息を吸ってゆっくりはいた。
「そうなるぐらいなら、俺は自分の頭を潰します」
「そうか。……ならば俺もお前についていこう」
「レイス大佐っ!?」
 間髪入れないその言葉に戸惑ったように部下が彼を呼ぶが、隣に立っている司祭だけが静観の姿勢を崩さなかった。
「お前を一人では逝かせない。これは兄と一致している」
「この国にどれだけの損害をもたらすのか……」
「わかっているつもりだ。だが、……一軍人が証拠なしでできることはこれぐらいだ」
「……」
 暗に証拠を持ってこいと言っているようなレイスの言葉に、レオンの顔がこわばる。
「なに、お前ひとりに言っているわけじゃあないさ。私たちも必死に探しているところだ。では、司祭殿。よろしくお願いします」
「ああ。抜かりなく」
 うなずく司祭に満足げに微笑み、レイスは今度こそその場を立ち去った。その背中を見送ってレオンは切り替えるようにため息をついて司祭を振り返った。
「司祭様」
 洗い終わったら神官服をお返しします。
 そう続けたレオンに司祭はそっと目を伏せた。
「まさか、こういう風に脱ぐとは……」
「仕方ありません。今まで安穏といられたのが……。兄のおかげでしょうね」
「……ああそうだな」
 知っていた。といわんばかりの司祭のうなずき方にレオンの表情も少しだけゆがむ。
「このままクロエの家にかい?」
「ええ。当分厄介になるということを、彼女が望んで」
「……ああ、そうだな。あの子は寂しがり屋だからなあ」
 少しだけ悲しそうな表情をした司祭は、レイスの部下がレイスの分の荷物からシャツとズボンを持って来るのを見て、レオンに視線を移した。
「このまま軍服かい?」
「さあ? それはわかりませんよ」
 部下から服を受け取ったレオンは、着替えと荷物をまとめるために一度居室へと戻って、着替え、持っていく荷物を決めていく。
「武器は……?」
「下の地下に。まあ、持ってきたものが少ないから……」
 そう言いながら、着替えたレオンが引き出しを漁って、一番奥に入っていた巻いた紙を手にとって眉を寄せた。紙には切りこみが多数入り、開いてみれば、一種の暗号のようにも見える形をしている。
「なんじゃそりゃ」
 手伝いに入っていたブライアンが首を傾げるのに、レオンは持ち出し用の袋にそれを突っ込んで彼を見上げた。
に打ち上げられなかったやつですよ」
「あの時?」
 首を傾げたままのブライアンを見ながらレオンはそれ以上は何も語らずに、筆記用具と置いてあるとジャマそうなものを入れて教会を後にするのだった。
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