最終到達死点 〜『純血の魔女』は、地獄の街で最強を蹂躙し、悪を無双する〜

samishii kame

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第15話 錬金術師の優男

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――真っ青な天空から、容赦のない陽射しが一直線に降り注いでいた。

繁華街は外国人観光客で溢れかえっている。
異国の言語が波のように押し寄せ、キャリーバッグの車輪がガラガラとアスファルトを擦り、看板から流れる電子音や呼び込みの声が重なり合う。雑多な音はビル群の隙間で反響し、空気そのものを震わせていた。

ここは、魔女がいる都市。

そのビル群の隙間。
1階に構えられた洒落たカフェのオープンデッキに、ひときわ異質な存在があった。

短く揃えられた黄色い髪。
サングラスの奥に隠された鋭い視線。
リクライニングシートへ深く身体を預け、まるで高級リゾートでバカンスを満喫しているかのように、だらりと寝そべっている。

隣のテーブルには、冷気を纏ったパフェ。
グラスの表面には細かな水滴がぷつり、ぷつりと生まれ、やがて重力に負けて、つつ、と静かに流れ落ちていく。

女の名は、九重。
身長は175cm超。
種族は人狼。
職業は拳闘士グラディエーター

その体躯は、屈強な軍人を思わせる。
白かったであろう肌は日焼けで赤く染まり、タンクトップから露出した筋肉は、限界まで鍛え抜かれたことを雄弁に物語っていた。盛り上がる上腕、引き締まった腹筋、分厚い肩――そのすべてが、戦うためだけに作り上げられた肉体である。

とはいうものの。
彼女はいま、敗北の直後にあった。

昨日、純血の魔女――六惺との戦闘に敗れた。
しかもその結果、最大規模を誇る半グレ集団との取引に用意していた、海外から密輸した24kインゴット100㎏を、なすすべもなく強奪されてしまったのだ。

取引の時間は、当然すでに過ぎている。
本来なら事情を説明し、詫びを入れ、何らかのフォローをするところだろう。
だが九重は、何のアクションも起こしていない。
取引はすっぽかし。約束は完全にブッチ。

相手は激怒し、彼女は裏世界における信頼を大きく失墜させた。
――ものの、それらは九重にとって些細なことだった。重要ではない。

最も大事なのは、24金を取り戻すこと。
人に奪われるという行為そのものが、どうしても許せない性分なのだ。
人狼は、強欲なる者である。

九重の脳裏では、映像が何度も再生されていた。
六惺に軽く、ほんの一動作で払い除けられた瞬間。
体が消滅しそうになっていくあの死を予感させる感覚。

思い出そうとしているわけではない。
勝手に、否応なく、脳裏に浮かび上がってくるのだ。
脳は、予測していたものと異なる出来事が起きるほど、記憶を強く刻み込むと言われている。
その理屈でいけば、あの魔女との戦闘は、人生でも最強クラスの衝撃であった。

――この映像は、いつまで流れ続けるのだろうか。

そう考えただけで、胸の奥がずしりと重くなる。
圧倒的な敗北を引き摺り、心は鈍く沈み、切り替えがうまくできない。
サングラスの下で、九重は小さく、ふう、と息を吐いた。

戦いが始まる定刻は、刻一刻と近づいてきている。
魔女との戦闘後、師匠と名乗る烏との話し合いの末、強奪された24金を取り戻すため、伝説の殺し屋と戦う――そんな流れになってしまったのである。

九重は、六惺が約束を守るような性格ではないことを、直感的に理解していた。
とはいうものの、他に選択肢はなかった。
彼女は烏からの提案を、受け入れざるを得ない状況に追い込まれていたのだ。

≪私には、奴等が指名した男と戦うしか選択肢は残されてない。
今は、もうまもなく始まる目の前の戦いに、集中力を高めるところなのだろう≫

九重は、六惺の代理として自分と戦うことになる殺し屋の男について、思考を巡らせる。
裏世界では有名な存在。
獲物は、妖刀・村正。

高性能な銃器が溢れる現代社会において、日本刀一本で戦うという、圧倒的に不利なスタイル。
それにも関わらず、裏社会では世界最強の殺し屋と呼ばれている。
九重の知る者たちも、すでに八十郎の餌食となっていた。

実力は折り紙付き。疑いようもない。
――だが。

剣豪と言っても、所詮は人間。
魔女とは違う。
人狼と人間では、身体能力に比べる余地すらないほどの差がある。
五感すべてにおいても、優劣は明白だ。

自分に及ぶ存在ではない。
女は、そう結論づけていたのである。

そのときだった。
ふっと、空気が変わる。

九重の知っている者の気配が、こちらへ近づいてくる。
殺気はない。敵ではない。
雑居音が反響する中、足音、風に混じる匂い、気配の重なりから、その正体を瞬時に絞り込んでいく。

身長は185㎝前後。
中肉中背。
上品な顔立ちをした異国の男。

かなりのイケメンで、漫画で言えばヒロインの相手役に設定される王子様ポジション。
周囲の女性たちの視線が、ふっと吸い寄せられていくほどの容姿だった。
当の本人も注目されることを理解しているのか、身だしなみにも隙がない。

男の正体は、錬金術師アルケミスト
彼の協力なくして、空港の税関をくぐり抜けることは不可能だった。
24Kインゴットの密輸に成功した要因は、この男の能力によるものだ。

九重と同じ組織に属し、単独で集団戦を可能にする異能を持つ、危険な存在でもある。

とはいうものの、九重は彼を、まるで空気であるかのように無視していた。
優男の方も、そんな塩対応を特に気にする様子はない。

二人はあくまでビジネス上の関係。
異性として意識する要素は皆無であり、互いにプライバシーには距離を置くべきだと理解している。

錬金術師は、待ち合わせでもしていたかのように、隣の空いている席へ断りもなく腰を下ろした。
九重は、ちらりとも視線を向けない。

幅広の歩道を足早に行き交うビジネスマンたちが、異様な存在感を放つカフェテラスの二人へ一瞬だけ視線を投げ、すぐにそれぞれの目的地へと消えていく。

錬金術師は、カフェで購入した珈琲を一口、すうっと啜った。
氷が、カラン、と小さく鳴る。

そして、ゆったりとした口調で、独り言のように言葉を落とした。

「九重。――取引は、どうなっている?」

低く、腹の底を探るような声だった。
言葉が発せられた瞬間、ひたり、と空気が裂ける。
音のないはずの部屋が、きし、と微かに軋んだように錯覚する。

重たい静寂が、じわり、じわりと染み出すように広がっていく。
壁、床、天井――その隅々にまで、息を潜めた沈黙がへばりつく。
返事はない。
あるのは、張り詰めた膜のような無言だけだった。

「……」

しびれを切らしたのか、男が続ける。

「約束の時刻だ。取引場所に、お前の姿はなかったと聞いている。――事実か?」

声音は淡々としている。
とはいうものの、その奥底には、組織特有の苛立ちと焦燥が、ぬめりを帯びて蠢いているのが透けて見えた。
長くこの世界に身を置いていれば、隠そうとしても滲み出る“匂い”がある。

「……」

九重は、わずかに肩を揺らし――

「……お前な。何を言い出すかと思えば。そんな瑣末なことで、わざわざ確認に来たのか」

はぁ、と短く息を吐いた。
乾き切った吐息。苛立ちと呆れが、絡まり合った音だった。

「どうでもいい。錬金術師アルケミスト。お前が口を出す話じゃない。今すぐ――ここから消えろ」

鋭く、突き放すような言葉。
刃物を放り投げるかのような冷たさで、空間を貫いた。

「いやいや」

男は肩をすくめる。軽口めいた仕草だが、視線だけは一瞬たりとも九重から逸れない。

「俺はお前の監視役だ。無関係、で片づけられる立場じゃないだろ」

ふっと、口角を上げる。

「それに……ボスがな。相当、腹を立てているらしい」

「はー……」

九重は天井を仰ぎ、吐き捨てるように息を漏らす。
鈍い苛立ちが、胸の奥でじわじわと膨らみ、形を持ち始める。

「本当に……面倒な連中だ」

次の瞬間、何かを断ち切るように視線を男へ戻した。

「いいだろう。前々から考えてはいたが……どうやら、ここが潮時らしい」

一拍、間。

「私は――組織を抜ける」

空気が、ぴたり、と止まった。
まるで世界が一瞬だけ呼吸を忘れたかのようだった。

「……組織を、抜けるだと?」

錬金術師の表情が、ほんのわずかに強張る。

「おい……冗談じゃないだろうな。本気で、そう言っているのか?」

「二度も言わせるな」

九重の声は、氷のように冷え切っている。
刃先を喉元に突きつけるような鋭さで、躊躇の欠片もない。

「私の言葉に、撤回はない」

「雑魚組織ごときが、私に指図するな。身の程を知れ」

ぴしり、と言葉が空気を切る。
見えない亀裂が、音もなく走った。

「私はお前たちに懇願されて、組織に所属して“やっていただけ”だ」

一語一語が、針のように突き刺さる。

「もう――雑魚組織に、用はない」

「……本気、というわけか」

男は小さく息を飲み、やがて観念したように、ゆっくりと頷いた。

「分かった。いいだろう」

静かな声音。
しかし、その一言には確かな重みがあった。

「その言葉……一字一句、余すところなくボスに伝えておく」

「もう、用はない」

九重はリラックスシートに身を預けたまま、視線すら向けない。

「……用件が済んだのなら、さっさと消えろ。私は忙しい」

「……待て」

錬金術師が一歩、床を踏みしめる。
こつ、と乾いた靴音が、やけに大きく響いた。

「組織を抜けるつもりなら――100㎏の24Kインゴットを返すのが筋だろう?」

「ああ……その件か」

即答だった。

「無論だ」

「直金額で150億円相当の24金だぞ!」

声が、わずかに荒れる。

「今、その24金は私の手元にない」

九重の声音は、驚くほど淡々としていた。

「返したくとも……返せない」

「……なぜ、ない?」

男の目が、すっと細まる。

「100㎏の24金を強奪されたという噂は……事実なのか?」

「もう一度だけ言う」

九重の声が、さらに低く沈む。
部屋の空気が、ぎし、と軋む。

「錬金術師。お前には無関係だ。今すぐ、私の前から消えろ」

「関係ないわけがないだろう」

男は一歩も退かない。

「俺は組織の命令で来ている。確認役だ。質問に答えろ」

「……忠告だ」

九重の瞳が、獣のそれへと変わる。
視線が絡んだ瞬間、背筋に冷たいものが走る。

「私に殺されたくなければ、ここから立ち去れ」

低く、重い声音。

「組織の命令など、無視した方が……お前の身のためだ」

「無視しろ、だと?」

錬金術師は、苦笑を浮かべた。

「無理だな。俺は組織に忠実でね」

「……そうか」

一拍。
張りつめた沈黙が、ぴん、と張られる。

「……まあいい」

九重は小さく息を吐く。

「奪われた24金は、必ず取り戻す。それで問題はないだろう?」

「……いいだろう」

男は顎に手を当て、思案する素振りを見せる。

「だがな。お前から24金を奪う奴がいるとは……命知らずもいいところだ」

視線が、鋭く研ぎ澄まされる。

「それで――誰だ?」

「……私に、何を聞いている?」

「だから聞いている!」

語気が跳ね上がる。

「お前から24金を強奪した、その命知らずは誰だ!」

「……錬金術師」

九重の声は、完全に冷え切っていた。

「これ以上、話すことはない」

一拍、間を置く。

「次に同じことを口にしてみろ」

空気が、ぴしり、と音を立てて割れる。

「一生歩けなくなる程度には……半殺しにする」

「……そうか」

男は肩をすくめる。

「まあいい。今日はここまでにしておこう」

踵を返しながら、言葉を投げる。

「必ず――24金は返してもらうぞ」



九重が口にした「組織を抜ける」という言葉。
それは冗談でも虚勢でもない。
事実であり、すでに覆らぬ決定事項だった。

錬金術師がどこまで本気で受け止めたのかは分からない。
ものの、九重自身には、戻るつもりなど微塵もなかった。

六惺に敗北した、その衝撃。
確かに、それは尾を引いている。
とはいうものの、それとは別の感情が芽生えていることにも、彼女は気付いていた。

――井の中の蛙、大海を知らず。

その言葉が、ふと脳裏をよぎる。
井戸を抜け、大海へ足を踏み入れた感覚。
胸の奥が、ぞくり、と疼いた。

この都市には、まだ得体の知れない“何か”がある。
戦闘の気配。
血の匂い。
強者の影。

それらが、街の奥底で、静かに、しかし確実に蠢いている。

それは、生まれ持った本能。
強欲と呼ぶに相応しい衝動が、この都市に強く反応している証だった。

そもそも、24金が自分の手元へ戻る可能性など、限りなく低い。
九重は、最初からそう踏んでいる。

その時――。

錬金術師の優男が椅子から立ち上がり、「おっと」と芝居がかった声を漏らした。
振り返り、九重へ視線を送る。

「そうだ、そうだ……危うく忘れるところだった」

軽い調子。

「少し妙な情報を掴んでな。せっかくだ、教えてやる」

「……」

九重は反応しない。
短く揃えた黄色い髪の女は、リラックスシートに寝そべったまま、視線すら動かさなかった。

今の彼女にとって重要なのは、“これから戦うこと”。
余計な情報は雑音に過ぎない。
ものの、男は構わず話し続ける。

「この街に、相当危険な連中が入り込んだという噂だ」

「……危険な、連中?」

「黒魔術士教会の枢機卿と、聖堂騎士団の連中だ」

「……黒魔道士教会の枢機卿が、この都市に?」

「ああ。名を聞けば、誰もが知っているビッグネームだろう?」

黒魔術士教会。
聖堂騎士団。
いずれも裏世界に名を轟かせる組織であり、六惺を敵視する存在。

特に黒魔道士教会は、強い私怨を抱いている。
とはいうものの、六惺――純血の魔女からすれば、異能を振り回す危険人物ではあるが、所詮は反社会的勢力の一種。

つまり――雑魚、である。

錬金術師は話し終えると、ミッション完了とでも言いたげに満足そうな表情を浮かべ、店の外へと歩き出した。

そして――
指定された定刻。

六惺の使い魔である烏が、ばさり、と重たい羽音を立てる。
黒い影が落ち、九重の元へ、静かに舞い降りてきた。
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