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第19話 剣豪 vs 拳闘士④
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生物が、何かしらの行動を起こすとき。
その起点は、必ず脳にある。
それは例外のない原則であり、疑う余地のない事実だった。
走るにせよ、跳ぶにせよ、拳を振るうにせよ――すべては、脳内で芽生えた「意思」から始まる。
脳で生じた意思は、瞬時に命令へと変換される。
そしてその命令は、肉体の各部位へ向けて、極めて微弱な『電気信号』として放たれるのだ。
目に見えることはない。
音を立てることもない。
とはいうものの、それは確実に、神経という見えない道を疾走し、筋肉へと到達していく。
ピリ、と感じることすらできぬほど微細な流れ。
しかし、その一瞬の電流こそが、生体を動かす絶対の引き金であり、生命活動そのものだった。
つまり――人の体内には、常に電流が巡っている。
生きている限り、決して止まることのない、沈黙の奔流が、である。
鮫という生物は、その事実を知識ではなく、本能として理解している。
獲物が筋肉を収縮させ、尾を打ち、水を蹴り、逃げようとする刹那。
その瞬間に走る、あまりにも微かな電気の揺らぎ。
ピクリ。
水中を伝う、説明のつかぬ違和感。
鮫は、それを決して逃さない。
感じ取った次の瞬間には、思考など挟まぬ。
迷いも、躊躇もなく、捕食行動へと移行する。
喰らうか、喰われるか。
その判断は、電流の揺れ一つで完結するのだ。
この、生体に流れる電流を感知する能力。
それこそが――『ロレンチーニ』。
剣豪は、『空間把握能力』によって、九重の存在を捉えていた。
肺が膨らみ、吐息が漏れる、その微かなリズム。
筋肉が収縮する直前の、わずかな張り。
体重が踵から爪先へ移る、その僅かな偏移。
脈拍の変化すら、掌の上で転がすように理解していた。
とはいうものの、それはまだ表層にすぎない。
剣豪が踏み込んでいたのは、そのさらに奥――
生体内部を流れる『電気信号』の領域だった。
動こうとする意思。
動き出す直前の、曖昧で不確かな予兆。
筋肉が反応する、その一瞬手前。
ピリ……。
空気でも、水でもない、何かが走る。
剣豪は、それらすべてを感知していたのである。
六惺は、超一流と二流の境界について、師匠である烏へと語り始めた。
声は落ち着いており、静かであるものの、その言葉一つ一つには、揺るぎない確信が宿っていた。
「『二流』とは。相手の動きに逆らわず、流れの中で攻撃できること。それでようやく、『二流』と呼べるレベルに達するものと考えます」
「ほーう。相手に逆らうことなく、流れに乗って攻撃して、ようやく『二流』か。だとしたら――何をもって『一流』となるのだ?」
「その先の『一流』の領域とは。相手の動きを先読みし、行動できるならば、『一流』といえるレベルだと言っていいでしょう」
「なるほどな。先読みして『一流』か。つまり、それが『ロレンチーニ』だということなのだな?」
「『ロレンチーニ』が突出した能力であることは間違いありません。ものの、その能力によって先読みをしたとしても、それだけでは拳闘士との能力差を逆転することは出来ないと考えます」
「ほーう。つまり、先読みするだけでは、拳闘士の圧倒的なフィジカル差は埋まらん、というわけか」
「そうです。拳闘士を上回るには、剣豪はもう一つ先の領域へ行く必要があります」
「もう一つ先の領域、だと?」
「相手を支配することです」
「相手を……支配? どういうことだ、それは」
「敵である者を、意図したとおりに動かすこと。それが『超一流』と呼べる領域です」
「なぬ。つまり、拳闘士は剣豪の思うように動かされている、ということか?」
「はい。既に拳闘士は、剣豪の術中に嵌っています」
「うむ……まったく分からんが、それは本当なのか?」
「拳闘士の女は、自分で戦術を組み立て、考え、行動しているつもりでしょう。ですが実際には、そのすべてが剣豪に誘導された結果だということです」
「な、なぬぬぬ……。あの行動が、すべて剣豪の思惑どおり、だというのか?」
戦場では、九重が圧倒的な速度を武器に、剣豪を翻弄していた。
シュッ、と空気を裂く音。
ドン、と地を蹴る衝撃。
土煙が舞い、影が弾ける。
踏み込み。
跳躍。
回転。
その一つ一つの動きが、まるでスローモーションのように連なり、
剣豪の死角を突き、弱点を探り、親父を仕留めるためのシミュレーションとして、九重の中で構築されていく。
人狼の女は、確信していた。
自分の速度に、親父は付いてきていない。
反応できていない。
完全に置き去りにしているのだと。
そう、信じて疑わなかったのである。
だが実際には――。
『ロレンチーニ』を発動していた剣豪は、
死角となる位置を含め、拳闘士の動きを、完璧に把握していた。
見えていないのではない。
見ようとする必要すら、なかったのだ。
黄色い髪の女は、自身が積み重ねてきた膨大な経験則と照らし合わせ、
勝利へ至る道筋を、明確に描いていた。
あと数手。
あと一瞬。
その確信が、張り詰めていた緊張を、ほんのわずかに緩ませる。
その刹那。
タブレットを操作していた魔女が、
静かに、しかし決定的な言葉を、烏へと投げかけた。
「師匠は、人がどういう時に油断をするものか、ご存知でしょうか?」
「油断する心理、か。例えばじゃが、自動車事故は慣れた時に起こる、と聞くな」
「はい。自動車事故で例えるなら、もう一つあります」
「うむ。それは――長距離を運転し、家に到着する寸前、だな」
「そうです。疲れが溜まり、緊張感が途切れた瞬間。そしてこの二人の戦いに当てはめるならば……勝利を確信した時こそが、最も敗北に近づく瞬間となります」
「勝利を確信した時に、油断が生まれる。六惺、それが今だと、言っているのだな?」
「はい。拳闘士の女は、いま勝利を確信しているものと思われます」
「それも、剣豪の親父の思惑どおり、ということか」
「はい。彼女は既に、親父に思考をコントロールされている状態です」
「ほーう……剣豪の奴。なかなかやるではないか。さすが我が弟子、といったところだな」
空気が、わずかに軋んだ。
戦場は、静かに、だが確実に、次の局面へと傾き始めていた。
その起点は、必ず脳にある。
それは例外のない原則であり、疑う余地のない事実だった。
走るにせよ、跳ぶにせよ、拳を振るうにせよ――すべては、脳内で芽生えた「意思」から始まる。
脳で生じた意思は、瞬時に命令へと変換される。
そしてその命令は、肉体の各部位へ向けて、極めて微弱な『電気信号』として放たれるのだ。
目に見えることはない。
音を立てることもない。
とはいうものの、それは確実に、神経という見えない道を疾走し、筋肉へと到達していく。
ピリ、と感じることすらできぬほど微細な流れ。
しかし、その一瞬の電流こそが、生体を動かす絶対の引き金であり、生命活動そのものだった。
つまり――人の体内には、常に電流が巡っている。
生きている限り、決して止まることのない、沈黙の奔流が、である。
鮫という生物は、その事実を知識ではなく、本能として理解している。
獲物が筋肉を収縮させ、尾を打ち、水を蹴り、逃げようとする刹那。
その瞬間に走る、あまりにも微かな電気の揺らぎ。
ピクリ。
水中を伝う、説明のつかぬ違和感。
鮫は、それを決して逃さない。
感じ取った次の瞬間には、思考など挟まぬ。
迷いも、躊躇もなく、捕食行動へと移行する。
喰らうか、喰われるか。
その判断は、電流の揺れ一つで完結するのだ。
この、生体に流れる電流を感知する能力。
それこそが――『ロレンチーニ』。
剣豪は、『空間把握能力』によって、九重の存在を捉えていた。
肺が膨らみ、吐息が漏れる、その微かなリズム。
筋肉が収縮する直前の、わずかな張り。
体重が踵から爪先へ移る、その僅かな偏移。
脈拍の変化すら、掌の上で転がすように理解していた。
とはいうものの、それはまだ表層にすぎない。
剣豪が踏み込んでいたのは、そのさらに奥――
生体内部を流れる『電気信号』の領域だった。
動こうとする意思。
動き出す直前の、曖昧で不確かな予兆。
筋肉が反応する、その一瞬手前。
ピリ……。
空気でも、水でもない、何かが走る。
剣豪は、それらすべてを感知していたのである。
六惺は、超一流と二流の境界について、師匠である烏へと語り始めた。
声は落ち着いており、静かであるものの、その言葉一つ一つには、揺るぎない確信が宿っていた。
「『二流』とは。相手の動きに逆らわず、流れの中で攻撃できること。それでようやく、『二流』と呼べるレベルに達するものと考えます」
「ほーう。相手に逆らうことなく、流れに乗って攻撃して、ようやく『二流』か。だとしたら――何をもって『一流』となるのだ?」
「その先の『一流』の領域とは。相手の動きを先読みし、行動できるならば、『一流』といえるレベルだと言っていいでしょう」
「なるほどな。先読みして『一流』か。つまり、それが『ロレンチーニ』だということなのだな?」
「『ロレンチーニ』が突出した能力であることは間違いありません。ものの、その能力によって先読みをしたとしても、それだけでは拳闘士との能力差を逆転することは出来ないと考えます」
「ほーう。つまり、先読みするだけでは、拳闘士の圧倒的なフィジカル差は埋まらん、というわけか」
「そうです。拳闘士を上回るには、剣豪はもう一つ先の領域へ行く必要があります」
「もう一つ先の領域、だと?」
「相手を支配することです」
「相手を……支配? どういうことだ、それは」
「敵である者を、意図したとおりに動かすこと。それが『超一流』と呼べる領域です」
「なぬ。つまり、拳闘士は剣豪の思うように動かされている、ということか?」
「はい。既に拳闘士は、剣豪の術中に嵌っています」
「うむ……まったく分からんが、それは本当なのか?」
「拳闘士の女は、自分で戦術を組み立て、考え、行動しているつもりでしょう。ですが実際には、そのすべてが剣豪に誘導された結果だということです」
「な、なぬぬぬ……。あの行動が、すべて剣豪の思惑どおり、だというのか?」
戦場では、九重が圧倒的な速度を武器に、剣豪を翻弄していた。
シュッ、と空気を裂く音。
ドン、と地を蹴る衝撃。
土煙が舞い、影が弾ける。
踏み込み。
跳躍。
回転。
その一つ一つの動きが、まるでスローモーションのように連なり、
剣豪の死角を突き、弱点を探り、親父を仕留めるためのシミュレーションとして、九重の中で構築されていく。
人狼の女は、確信していた。
自分の速度に、親父は付いてきていない。
反応できていない。
完全に置き去りにしているのだと。
そう、信じて疑わなかったのである。
だが実際には――。
『ロレンチーニ』を発動していた剣豪は、
死角となる位置を含め、拳闘士の動きを、完璧に把握していた。
見えていないのではない。
見ようとする必要すら、なかったのだ。
黄色い髪の女は、自身が積み重ねてきた膨大な経験則と照らし合わせ、
勝利へ至る道筋を、明確に描いていた。
あと数手。
あと一瞬。
その確信が、張り詰めていた緊張を、ほんのわずかに緩ませる。
その刹那。
タブレットを操作していた魔女が、
静かに、しかし決定的な言葉を、烏へと投げかけた。
「師匠は、人がどういう時に油断をするものか、ご存知でしょうか?」
「油断する心理、か。例えばじゃが、自動車事故は慣れた時に起こる、と聞くな」
「はい。自動車事故で例えるなら、もう一つあります」
「うむ。それは――長距離を運転し、家に到着する寸前、だな」
「そうです。疲れが溜まり、緊張感が途切れた瞬間。そしてこの二人の戦いに当てはめるならば……勝利を確信した時こそが、最も敗北に近づく瞬間となります」
「勝利を確信した時に、油断が生まれる。六惺、それが今だと、言っているのだな?」
「はい。拳闘士の女は、いま勝利を確信しているものと思われます」
「それも、剣豪の親父の思惑どおり、ということか」
「はい。彼女は既に、親父に思考をコントロールされている状態です」
「ほーう……剣豪の奴。なかなかやるではないか。さすが我が弟子、といったところだな」
空気が、わずかに軋んだ。
戦場は、静かに、だが確実に、次の局面へと傾き始めていた。
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