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社畜と蜘蛛
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12月31日、まもなく各テレビ局でカウントダウンの番組が始まろうとしている時間。そんなお祭りムードの世の中から隔離された薄暗い社内で、俺は年が開けても終わりそうもない量の仕事を、たった一人で続けていた。
暫くすると、遠くの方から除夜の鐘の音が響いてくる。
「はぁ……、何で俺だけが」
だだっ広い室内に、一人だけで居ると、妙に落ち着かない。
せめてもう少し室内を暖かくするか……と、暖房機器の調節をして戻ってきた時、ツゥ――と目の前を白いモノが通過したのが見えた。
何だ? ゴミか? と思い、白いモノが落ちて行った先へと視線を落とす。
「…………なんだ、蜘蛛か」
床に落ちた物へと顔を寄せてみると、そこには透き通った色の小さな蜘蛛が居た。
「一体どこから入り込んできたのやら……」
そう呟くと、椅子に座り直して軽くストレッチする。普段ならば、可哀相だからと紙でも使って外へと逃してやるのだが、今はそんな余裕はない。
「悪く思うなよ」
誰に言うでもなく、そう呟くと、靴を脱いで行儀悪く椅子の上であぐらをかいた。
暫くパソコンの画面を見ながら、細かい表を埋めて行っていると、ふと……再び上の方から何かが落ちてきた気がした。また蜘蛛か? と眉間にシワを寄せて、落ちて行っただろう先を見てみる。
―――やはり先程と同じような蜘蛛だ。どこかで巣でも作っているのだろうかと再度正面を向くと、ツゥ……と、俺の太腿の方へと新たな蜘蛛が落ちてきた。
「なんだんだ、本当に……。そもそも、こんな時期に……蜘蛛の赤ちゃん?」
流石に、そのままにしておくわけにも行かないので、息を吹きかけて振り落とす。
この忙しい時に……と溜息をついて、画面へとまた視線を向けた。
カタカタ……カタカタ……と、キーボードを打つ音と、微かなパソコンのモーター音が静かに響く。
置きっぱなしにしてあったコーヒーは、既に冷めきってしまっていたが、構わずにカップを手に取ると、一口飲む。
寒いのに、冷えた飲み物を飲む虚しさ……。そんな虚無感に脱力した時、再び白いナニカが目の前を落下して行った。
「……………………」
嫌な予感がして、落ちて行った先を恐る恐る見る。
――透明に近い蜘蛛が、一匹。
数秒の沈黙の後、まさかな……と苦笑いを浮かべ、先程飲んでしまったコーヒーを見やる。
暗色の液体の中で、ふと何かが揺らめいた気がした。
「……――ッッッ!!」
声にならない悲鳴を上げながら、己の口元を押さえる。
いくら、数日寝ていないからと言っても、流石に固形物を飲み込んだら分かる筈。そう思いつつも、気付かずに飲んでしまったかもしれない事実に、急激に吐き気が込み上げてきた。
「……っ」
――吐く。そう思って立ち上がろうとすると、幾筋かのキラキラとした光が見えた気がした。
その現実を受け入れたくなくて、中腰になった姿勢のまま、数秒固まってしまう。
その間にも、ツゥ……、ツゥ……と、周囲に何かが落ちてきているのが、視界の端に映った。
嫌な予感しかしない。
多分、これは夢なんだ。
見たくない。見ては、いけない気がする。そう思うのに、つい怖いもの見たさで、そろそろと視線を上へと向ける。
――天井を見上げると、無数の生まれたばかりの蜘蛛が、うじゃうじゃと板の隙間から湧き出していたのが見えた。
……時間がない、こんな時に……。
意識が一瞬、遠のきそうになってしまったが、何とかしなくては……と、数度深呼吸をする。
頭を抱え込んでしまいそうになったが、目の前のパソコンの画面に表示された時刻に気付くと、一気に血の気が引いて行くのを感じた。
それと同時に、自分の中で、何かがプツプツと千切れる様な感覚がある。
――蜘蛛が、どうしたって?
何故だかわからないが、無性に愉快になってしまって、ハハハ……と乾いた笑い声を漏らす。
――とりあえず俺は、仕事を終えないと。
蜘蛛が、何だって言うんだ?
そんな事よりも、仕事が終わらない方が、数倍も怖いではないか。
「バカバカしい……」
そう呟くと、自分の鞄の中を漁って、折りたたみ傘を取り出した。
降ってくる蜘蛛を無視すべく、雨傘を広げ、持ち手をガムテープでデスクに貼り付ける。そして、傘の柄を自分の肩に立て掛けた所で、一息ついた。
――これで良い。
これなら蜘蛛が鬱陶しくない。
問題が解決した痛快さに思わず微笑むと、俺は再びカタカタとパソコンを打ち始めた。
ぽつ………………
ぽつ、ぽつ…………
ぽつ、ぽつ、ぽつ…………
まるで大粒の雨の様な音を、布越しに聞きながら、俺は笑った。
落ちてきた蜘蛛をどうするのかは、仕事が終わってから考えよう。
ハハッ……と、再び笑いが込み上げて来そうになったが、自分を落ち着ける為に、一度深呼吸をする。
そして、俺は……目の前の仕事に全神経を集中させた。
暫くすると、遠くの方から除夜の鐘の音が響いてくる。
「はぁ……、何で俺だけが」
だだっ広い室内に、一人だけで居ると、妙に落ち着かない。
せめてもう少し室内を暖かくするか……と、暖房機器の調節をして戻ってきた時、ツゥ――と目の前を白いモノが通過したのが見えた。
何だ? ゴミか? と思い、白いモノが落ちて行った先へと視線を落とす。
「…………なんだ、蜘蛛か」
床に落ちた物へと顔を寄せてみると、そこには透き通った色の小さな蜘蛛が居た。
「一体どこから入り込んできたのやら……」
そう呟くと、椅子に座り直して軽くストレッチする。普段ならば、可哀相だからと紙でも使って外へと逃してやるのだが、今はそんな余裕はない。
「悪く思うなよ」
誰に言うでもなく、そう呟くと、靴を脱いで行儀悪く椅子の上であぐらをかいた。
暫くパソコンの画面を見ながら、細かい表を埋めて行っていると、ふと……再び上の方から何かが落ちてきた気がした。また蜘蛛か? と眉間にシワを寄せて、落ちて行っただろう先を見てみる。
―――やはり先程と同じような蜘蛛だ。どこかで巣でも作っているのだろうかと再度正面を向くと、ツゥ……と、俺の太腿の方へと新たな蜘蛛が落ちてきた。
「なんだんだ、本当に……。そもそも、こんな時期に……蜘蛛の赤ちゃん?」
流石に、そのままにしておくわけにも行かないので、息を吹きかけて振り落とす。
この忙しい時に……と溜息をついて、画面へとまた視線を向けた。
カタカタ……カタカタ……と、キーボードを打つ音と、微かなパソコンのモーター音が静かに響く。
置きっぱなしにしてあったコーヒーは、既に冷めきってしまっていたが、構わずにカップを手に取ると、一口飲む。
寒いのに、冷えた飲み物を飲む虚しさ……。そんな虚無感に脱力した時、再び白いナニカが目の前を落下して行った。
「……………………」
嫌な予感がして、落ちて行った先を恐る恐る見る。
――透明に近い蜘蛛が、一匹。
数秒の沈黙の後、まさかな……と苦笑いを浮かべ、先程飲んでしまったコーヒーを見やる。
暗色の液体の中で、ふと何かが揺らめいた気がした。
「……――ッッッ!!」
声にならない悲鳴を上げながら、己の口元を押さえる。
いくら、数日寝ていないからと言っても、流石に固形物を飲み込んだら分かる筈。そう思いつつも、気付かずに飲んでしまったかもしれない事実に、急激に吐き気が込み上げてきた。
「……っ」
――吐く。そう思って立ち上がろうとすると、幾筋かのキラキラとした光が見えた気がした。
その現実を受け入れたくなくて、中腰になった姿勢のまま、数秒固まってしまう。
その間にも、ツゥ……、ツゥ……と、周囲に何かが落ちてきているのが、視界の端に映った。
嫌な予感しかしない。
多分、これは夢なんだ。
見たくない。見ては、いけない気がする。そう思うのに、つい怖いもの見たさで、そろそろと視線を上へと向ける。
――天井を見上げると、無数の生まれたばかりの蜘蛛が、うじゃうじゃと板の隙間から湧き出していたのが見えた。
……時間がない、こんな時に……。
意識が一瞬、遠のきそうになってしまったが、何とかしなくては……と、数度深呼吸をする。
頭を抱え込んでしまいそうになったが、目の前のパソコンの画面に表示された時刻に気付くと、一気に血の気が引いて行くのを感じた。
それと同時に、自分の中で、何かがプツプツと千切れる様な感覚がある。
――蜘蛛が、どうしたって?
何故だかわからないが、無性に愉快になってしまって、ハハハ……と乾いた笑い声を漏らす。
――とりあえず俺は、仕事を終えないと。
蜘蛛が、何だって言うんだ?
そんな事よりも、仕事が終わらない方が、数倍も怖いではないか。
「バカバカしい……」
そう呟くと、自分の鞄の中を漁って、折りたたみ傘を取り出した。
降ってくる蜘蛛を無視すべく、雨傘を広げ、持ち手をガムテープでデスクに貼り付ける。そして、傘の柄を自分の肩に立て掛けた所で、一息ついた。
――これで良い。
これなら蜘蛛が鬱陶しくない。
問題が解決した痛快さに思わず微笑むと、俺は再びカタカタとパソコンを打ち始めた。
ぽつ………………
ぽつ、ぽつ…………
ぽつ、ぽつ、ぽつ…………
まるで大粒の雨の様な音を、布越しに聞きながら、俺は笑った。
落ちてきた蜘蛛をどうするのかは、仕事が終わってから考えよう。
ハハッ……と、再び笑いが込み上げて来そうになったが、自分を落ち着ける為に、一度深呼吸をする。
そして、俺は……目の前の仕事に全神経を集中させた。
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