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絶対的存在

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 相手の感情を察する能力に長けているとされるエンパスだが、私の場合、幼少期の家庭環境も少なからず影響を及ぼしているのではと考える。

 小さい時に親が離婚し、母子家庭となり、その後は母と兄と私と弟の四人で六畳二間の借家暮らしが始まった。
 幸い母方の祖父母もいたし、親戚も多かったので助けの手が入り、生活自体はあまり苦しくなかったと思っている。大変とは言いつつも、毎日ご飯は食べられていたから……。

 だけど家の雰囲気が最悪だった。

 母は怒ると手がつけられない人で、すぐに手を上げるわ怒鳴り散らすわ、最終的には包丁を持ち出してくる。

シングルマザーだったし仕事で疲れてイライラもしていたのだろう。それは理解しなきゃいけないんだろうけど……




 
 もういつ怒りのスイッチが入るか分からないし、どんな言葉や態度が気に障るのか分からないから、私はいつも母の機嫌を伺いながら、常にビクビクしていたのだ。

 それでも人間だからいつも怒ってる訳じゃなく、機嫌が良い日もあり、その時は普通に喋ったりもしたのだろう。だけどやっぱりビクビクしすぎていて、あまり楽しく喋った記憶がない。

 学校ではよくみんなに無視されていて、その悩みを相談した事もあるが、「虐められる方にも問題がある」と返されて、終いにはそういう話聞くと気分が悪くなるからもう言うな!と怒られた。


 けっこう男尊女卑な所もあった。私には特にあたりが強かったから。

 女なんだから家事を手伝え、女なんだからお風呂は最後、女なんだからご飯のオカズはあんまり食べるな。女なんだから……

 怒鳴り散らす程でもないけど何か不満がある時はご飯の配膳の時にも差があった。
 ご飯茶碗などを置く時など、私のだけガンッ! と激しく置くものだから味噌汁などはよく溢れた。


 兄や弟も手を上げられる事はあったけど、私より扱いはマシだった。少なくとも私より尊重されていたし、心配だってされていたしね。暴力の後にフォローがあった人とない人とではやっぱり受け止め方が違うと思う。

 特に母は弟を可愛がっていた。

「◯◯くんかわいい!」と言って毎日のようにふざけ合っては抱きしめていたし、風邪を引いて寝込んだ時は手厚く看病していたし。

 私はというと、今まで一度も抱きしめてもらった事がない。

 悲しかったのは同じく風邪で寝込んだ時。
 家が狭いから寝てると場所を取ってしまうと舌打ちされるのはしょっちゅうで……

 ある日、40度近くまで熱が上がった時だった。迂闊にも何かのお知らせのプリントを出し忘れていて、それが母の怒りを買ってしまった。

 「このボケナスッ!」

 そう言うなり母は私の頭を蹴飛ばした。わざと肩や腕を踏んでいくわ、その後は看病なんてしてくれる筈はなく、私は布団の中で泣いていた。


 まあ、そんな風に、病気になっても女なんだから自分でやれと基本放置は当たり前だし、よっぽど酷い時は、例えば二日も高熱が続けばやっとお粥は持ってきてはくれたけど、それだけだ。とても面倒くさそうに……

あとは「うるさい!」と、家の中で喋っているのも怒られたし、質問するのもダメだった。

 子供なんて、小さい時はなんでも大人に聞くものだと思うが、それがダメだったのだ。大きく溜息をつかれた後、

「……まったく、聞けばなんでも教えてくれると思いやがって……」

 嫌々しく、蔑むようにそう言われて、また心が傷付いた。
 
 あまり喋っちゃいけないのが身について学校ではおとなしい子と言われたし、分からない事があっても分からないままだったから、母にはまた世間知らずと呆れられた。

 宿題をしていて答えが間違っていると「このバカ!」とぶっ叩かれ、帰りが18時を過ぎても叩かれる……

 いつだったか帰りが遅くなったのは泣いてる子がいたからだ。話を聞いて慰めて、その子を家まで送って行ったら帰る時間が遅くなった。家に入るなり思いっきり何度も引っ叩かれた。
 
 とにかく母は自分の感情優先だ。
 私の事情はお構いなしだし、何故帰りが遅くなったのか、その理由さえ聞こうとしないのだ。
 怒られるとその感情にあてられるのか私は頭が真っ白になって言葉がなかなか出てこなかった。


  ――――軍隊みたいだ。

 当時の私は何故かそう思っていた。
 母は上官で絶対的な存在で、私は絶対逆らったりはしてはいけなくて、ただ黙って命令に従うだけ。

 母に対する悩みだけならまだしも、学校ではみんなに無視されたし、夜は金縛りや霊体験に苦しんで……

 もう小学生から死にたい願望が芽生えていた。寝ている間に死んでますようにと、よく寝る前には祈ったものだ。

 そんな精神的にボロボロの中、よくお婆ちゃんや親戚たちは私に母を助けろと言った。

「お母さんは大変なんだから、あなたがお母さんを助けてあげてね」

 そう言われる度、私はいつも心で訴えた。
『じゃあ、私の事は誰が助けてくれるの?』と。

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