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プレイヤーズ・ハルドナリ
9.青白く光る剣
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夕暮れの湖畔を一台の馬車が急いでいる。車内には任務を終えた三番隊が静かに座っていた。
イノリバミを戦闘不能に追い込んだのち、王遣隊などの協力でシラサトの研究機関に移送されるのを見送った四人は、「あとは私がとりもつから」といったタタミの命で病院に移動しているのだった。
フキノは夕日に照らされ茜色に染まった湖をぼんやりと眺めている。長い一日だった。事務所を出ていったのが随分昔のように思える。
カスミは戦闘の疲れからか静かな寝息を立てている。イタルほどではないが、彼女も病院で治療を受ける必要があるだろう。
スズは横たわるイタルを心配そうに見つめていた。時折漏れるうなされるような声に、不安が募る。
「あっ、先輩!」
その時、微かにイタルの目が開いた。何かを探すように黒い瞳が動いている。
「先輩! 無茶しないで!」
スズの呼びかけは果たして届いているのだろうか。虚ろな瞳孔はまるで蝿を追いかけるかのようにまとまりがなくあやふやである。
「……すいません」
口元が動き、しゃがれた声が漏れる。
「助けを呼べばよかったんや、死んだら終わり、隊の評判なんていくらでも取り返せる、焦る必要なんてなかったんや。私もそう、しょうもない見栄を張って図書館に行った、今回の責任は全部……」
車窓から湖を眺めるフキノはイタルを見ずに答えた。怒っているという感情も勿論あったが、今はイタルをここまで追い詰めたのは自分の責任であると後悔し、またイタルの惨状を直視できない自分に憤りを覚えていた。そして、これまたつまらない見栄を張って、部下にその感情を悟られぬようひた隠しにしている自分にも、嫌気がさしていた。
「……すいません」
もう一度繰り返したイタルの言葉を最後に、病院につくまで会話はかわされなかった。ただ、四人はそれぞれの無事を心の中で強く祈っていた。
◇
朦朧とした意識の中で、自分の顔を覗き込む医者の顔を覚えている。元々感覚のなくなっていた四肢に麻酔が回っていくのは不思議な感じだった。
「相当腕のいい治療師がいたんでしょうね」
一つだけ鮮明に聞こえてきた言葉が頭で反響している。
(フキノさん……悪いのは全部俺です)
あの時助けを呼ぼうかとたずねてきた召使いの言葉を断わった自分を恥ずかしく思う。自分なら出来ると慢心していた結果がコレだ。王遣隊を呼べばよかった、それは否定できない正しい判断だった。
プレイヤーは魔族から目をそらさない。けど、自分は自分自身の弱さから目を背けていたのだ。いや、背け続けてきた。このままではいつかこうなる、どこか自分の中でそれを予感しつつも、だ。
瞼が重くなり、頭の隅から広がっていく闇にのまれていくなか、自身の愚かさや劣等感ばかりが残る。
(死んだら終わり)
ただ、最後まで残った一筋の光を頼りにイタルは必死にしがみついていた。
(このしぶとさが……俺の……)
その光までもが失われ、完全に意識を失い闇の底へと落下していくイタルの右手は、まだ必死に何か掴むものを探して動いていた。
次に目が覚めたときに見えたのは白い天井だった。人間は死後神の一部となり、男は天界で時の歯車を管理する仕事につくと言われている。ここはその始まりだろうか、と体を動かした瞬間激痛が走った。
「つ……」
この痛みはどうやら自分が生きているという証拠らしい。一命を取り留めたのだ。
「ヤバ、私が一番に立ち会うのはなんか悪い気がする……一回出直そうかな」
横で困惑する声が聞こえた。重たい頭を動かしてそちらを見ると、ハルドナリの若い事務長トキワ・ハルドナリがあせあせとしている。
「トキワさん……」
「あ……おはようイタルくん! バレちゃった、あはは。まあ、これ見てよ、お見舞いのお花。フキノもカスミちゃんもスズちゃんも毎日……いや、仕事がない日はいつも来てあなたを看病してたんだよ? 今日はたまたま仕事があっただけで、別にあなたの事が一つも心配じゃないとか見捨てたとか、そんなんじゃないから」
隊員が一人減ろうが、プレイヤーズに仕事は舞い込む。軽い仕事にはなるが、三番隊は自分が眠っている間にも活動を続けているのだろう。それを聞いて妙に安心したというか、少し寂しくなったというか、少なくともそのような感情が湧くということは、自分はまだプレイヤーとして活動を続けたいと願っているのだろうか。
「すみません……迷惑をかけて」
「いいよ、みんなあなたの復帰を待ってるから。それに、大怪我は一流のプレイヤーにつきものだよ」
トキワは昔を懐かしむように語り始めた。
「私のお父さんも私が小さいころに一度死にかけてね、病院で泣き続けながら看病したんだけど、パッと目覚めた時には世界が変わった気がするとかなんとか言っちゃって、あんな大怪我した後なのに一層張り切って働くようになった」
トキワ・ハルドナリの父は、自分もよく知るミドウ・ハルドナリ、先代のハルドナリ団長だ。あの、慎重に見えたミドウさんにも依頼で怪我を負うことがあったのか。
「でね、お父さんその後は殆ど大きなけがをしなくなったんだ」
その姿は自分も知っている。血見ずのミドウという渾名でシラサト中に名を広めていた評判のプレイヤーだ。
「……まあ、病気には勝てなかったけどね」
ミドウは自分がハルドナリに入って一年してから、急に肺の病を患って倒れたのだ。あの時は事務所がひっくり返ったように慌てていたのを覚えている。新米ながら、お世話になった人だ。自分も相当悲しかった。
「つまり、君はもっと強く強くなれるってことだ。あれ? 戦えない私が言ってもあまり意味ないよね? あはは」
何か答えなければ、と思ったイタルだが今はなかなか前向きな言葉が出ない。
「……じゃあ私、イタルくんが目を覚ましたことをお医者さんに伝えてくるね。あと三番隊のみんなにも、ね?」
「はい」
「お大事に」
気まずそうに席を外したトキワさんの後ろ姿を見送って、病み上がりとはいえ何も気の利いた言葉を返せない自分に腹が立つ。今はどのような些細なことであっても、自分の責任であると思い込んでしまう状態にあるようだ。
客観的思考をする自分がもう一人、寝台の横に座っている。大けがから目を覚ました後は皆このようになるのだろうか?
静かに白い天井を眺めながら、イタルはふと、自分の家に置いてある装備の数々が心配になる。一体どれぐらいの間意識を失っていたのだろうか。横にある花は俺が寝ている間に何回取り換えられたのだろうか。ツクマの一件から、自宅に置いてある装備の手入れを念入れに行うようになった。しかし、自分が家を空けている今それをしてくれる人間は誰もいない。
父と母、そして妹が、祭りのくじ引きで当選した家族旅行から還らぬ人となったのは六年前の事だ。あの時丁度、学校の試験期間だったイタルは、せっかく当たったのだから気にせずに楽しんできてくれと、一人家に残って、家族を見送った。
それが、両親と妹を見た最後の瞬間となった。魔族に襲われたのだ。きちんと警備の行き届いていたはずの山中の別荘地に魔族が出現し、三人はその魔族に跡形もなく食いちぎられた。いや、食いちぎられたどうかは分からない。ただ、三人のものだと分かる骨は判別できないほどに、と説明を受けたためおそらくそうだろうと、イタルは脳内で見たくもない光景を何度も繰り返してきた。
代わりに帰ってきたのは、旅行を企画した組合と、王遣隊の不備による国からの大量の補償金だった。それこそ、今後数十年は苦も無く生活できるだろうというほどのお金をイタルは学生の時に手に入れたのである。
しかし、心は虚しさで包まれていた。
キセキはありふれた。人は簡単に飢え死ななくなった、娯楽も充分に行き渡るようになった、そして、いち個人の関係者の不慮の死には充分な保証がつくほどに富に余裕が出来た。
だが、家族は死んだ。初めて補償のお金を手に持った時、イタルはそれを何枚か破ってゴミ箱にぶちまけたことを覚えている。このまま家族を失って得た金で暮らしていくのだろうかと思うと、自分が惨めで情けなくなった。だからこそ、イタル・ムギノトキはプレイヤーを志したのである。このまま魔族に家族を殺されたという事実と向き合わないまま生きていくのはどうしても許せなかった。
ある日、考古学者であった父の学者仲間が、父が生前研究していたという遺留品を持って家を訪れた。用件は、研究品のいくつかをお金で取引がしたいとのことらしく、無駄になるならと全てを譲ろうと考えていたが、その中にあった大きな剣にやたら目が魅かれた。
「剣を振るう、答えを教えてくれ……?」
「すごいね、あまり使われない詠語のはずだけど、すらすら読めるんだ」
剣の柄に刻まれていた詠語は、イタルの心をやけに揺さぶった。このモヤモヤとした気分や、やるせない怒りは、この大剣をふるうことで解決するのではないかと思えた。結果イタルは、この大剣をのぞいて全てを考古学者に売り払った。その大剣が装備の特性を吸着すると知ったのは必死に勉学に励んだ少し後のことになる。
その後、学校を無事に卒業したイタルは、王遣隊に入るべく試験を受けたが結果は散々であった。王遣隊の試験は、既定の状況・装備を想定したものだったため、イタルは他の優れたプレイヤー候補に激しく後れをとった。
座学には自信があったものの、肝心の戦闘能力に特筆すべきところのないイタルは、一次の時点でふるい落とされたのである。ならばと前を向きいくつかのプレイヤーズに自分を売り込んだイタルだが、どれだけ大剣の能力を喧伝しても素の戦闘力で難色を示され、話を断わられてきたのだ。
半ば諦め気味で伺ったハルドナリでは、珍しく団長じきじきの面接となった。
「ミドウ・ハルドナリと言います。よろしく」
いつも通りに、自分の戦闘能力や学校での試験結果を見せるイタルは、グイグイと話に乗ってくるほどではないが、興味を持って話を聞くミドウの姿に、いつもと違う感触を得ていた。
「じゃあ、最後に……プレイヤーにとって大切なことはなんですか?」
幾度となく聞かれてきた質問だった。逞しい体躯か? 豪気な統率力か? 明晰な知略か? いくらでも答えようはある中でイタルはいつもこう答えていた。
「目をそらさないことです」
「……はい、了解です。今日はありがとうございました。結果は後日お送りします」
淡々とその場を立ち去るミドウだったが、イタルは不思議といつものような不安は胸の中に残っていなかった。そして、後日、プレイヤーズ・ハルドナリからは合格の手紙が届いたのである。それから三年、プレイヤーの端くれとして懸命に頑張ってきたつもりである。
「でも……俺は目をそらし続けていたんだな」
一人暮らしをするには広すぎる居間で、明かりもつけずにイタルは呟く。イタルが目をそらし続けてきた何か、闇の中で浮かんできたものは、自分自身の弱さであった。
「プレイヤーズに加入して、三番隊で活動していくうちに、自分ならやれる、たくさんの装備を上手く扱えてると思ってた。思い込んでた」
けど、それは違った。自分は、ただ己の弱さを誤魔化すためだけに、装備を扱っているに過ぎなかったのだ。
今回の一件で、それに初めて気づいた。
「いや、気づかないふりをしていただけか」
誰もいない病室に消え入りそうな言葉が浮かぶ。
俺に、カスミのような繊細に刀を扱う能力があれば、スズのような正確な操祈能力があれば、きっと、もっと強くなれた。俺自身じゃない、装備が優秀なだけなのだ。
「誰がやったって同じだったんだ……」
寝台の横にいる自分が耳元でささやく。日の差し込む病室で、イタルは再び眠りに落ちた。
◇
次に目を覚ました時、イタルの周囲は闇で包まれていた。死後の世界はどの時代であっても様々な議論がされてきたが、闇に包まれた世界こそふさわしいと唱える者も多くいる。
しかし、視界の左側に仄かな明かりが見つかった。そして、一つの影が。
「よっす、調子はどうや?」
「フキノさん……」
仄かな光に照らされていたのは、イタルが今一番顔を合わせたくない人物だった。朧気ではあるが、病院に向かう馬車の中で、イタルはフキノに失望されたという記憶を残していたのだ。
「スズとカスミもさっきまで残ってたんやけどな、遅い時間だから……。私もそろそろ帰ろうと思ってたけど……」
慎重に言葉を選んでいるのだろうか、フキノの言葉はいつものようにまとまりがなく断片的だ。
「まあ、とりあえず元気な顔を見れてよかった。この調子なら大丈夫そうやな」
淡々と喋っているようでどこかぎこちない。このまま席を立って帰っていきそうな口ぶりだったが、フキノは未だその場を離れず、蝋燭の灯りをぼんやりと見つめている。
「イタル……今からさ、私がお前に喋ってない秘密を一つ教えるから、お前も私に喋ってない秘密を一つ教えてくれん?」
と、イタルの目を見つめる。暗闇で光を反射するフキノの眼はどこか幻惑的だ。
「え……?」
「どっち先攻が良い?」
「いや……急に言われても」
「いーや、これは隊長命令や。口ごたえするな」
いつもと違う厳しい言葉だったが、逆に声色はいつものフキノの調子に戻っている。
「じゃあ……俺から行かせていただきます」
普段自分の身の上をあまり喋ることのなかったイタルは、隊員の誰にも家族が魔族に殺された事実を告げたことはなかった。病室の中で自分の考えを整理していたからだろうか、それとも暗闇の中で感覚が麻痺していたのだろうか、それとも隊長の不思議な雰囲気にのまれたのか。
秘密を一つだけと言われたが、イタルは堰をきったように、家族を殺されたこと、そしてそれに対して抱いた感情、自分の中の焦りや劣等感、この世界に抱く不信感をまとまりなく話した。
その間黙って頷いているだけのフキノに思いの丈をぶつけたイタルは最後に「俺は自分自身の弱さに目を背けつづけてきたんです。多分これが俺の隠してきた秘密です」と付け加えた。
「なるほどね……じゃあ、私の番やな」
イタルの暴露に何も返さなかったフキノだったが、イタルはそれでいいと考えていた。きっと現実を突きつけられるだろうから、と弱気な心持ちだったから。
「えーと……暗いな……あったあった」
近くにあった鞄の中を漁っていたフキノは、しばらくして「じゃん」と鍵のついた手帳を取り出してイタルに見せた。これは彼女がいつも媒体として使っているものだ。中に何が書いてあるのかは誰も知らないあの手帳。
「ここに何が書いてあるか今から見せようと思う」
手帳の鍵を外したフキノは覚悟を決めたようにイタルへ開いて見せた。
「見える?」
「すいません……よく見えない」
蝋燭のあかりを遮るような形で顔の近くまで持ってこられたため、何が書いてあるかは良くわからない。
「……そうか、じゃあ自分で言うしかないか」
ため息をついたフキノは手帳を自分の顔の前に持ってくる。
「えー、コホン。梨の月の十六。ツクマの討伐。スズ 臀部に鞭痕 隊の分断がきっかけ、直ぐに合流する術はないか? 梨の月十三 アガタザルの討伐 目立った怪我無し……」
その後もフキノは淡々と手帳に記された文章を読み続けたが、途中で「おい、いいところで止めんかい!」と手帳をパシンと閉じた。
どうやらフキノは日々の依頼で起こった出来事を手帳にマメに記しているらしい。それも、隊員の怪我の状態を中心に。
「いえ、その……」
言葉に詰まったイタル。それが意味することはなんとなくだが分かった。ただ、それをフキノ自身の口から聞きたいと思ったのは身勝手な我儘だろうか?
「……まあ、イタルも一杯喋ってくれたし、いうけど……ハルドナリで隊長職につくことが決まった時私は決めたんや、 誰一人として死なせたくないって。それを実現するために、自分なりにどうしたらいいか、隊員が傷ついた時の反省点を記そうと思った。それを媒体にすればもっと強くなれるって思ってた」
思い入れの強いものを媒体にする程、キセキの効果は強まっていく。フキノはそれを狙って手帳を媒体にしたのだろう。
「でも、イタルに大怪我をさせてしまった……。はじめてやで、この手帳に何を書こうかなんて迷ったのは。何回も書いては消して、書いては消してを繰り返してる。でも、理由は色々あると思うけど、私なりに色々考えてみた結果、私もイタルと同じで目をそらした何かがあることに気が付いた。それはな、隊員自身や」
「隊員自身?」
「そう、イタルがどんな思いで戦ってるかなんて、私は知ろうともしなかった。戦いの中で都合よくうわべだけの解決策だのなんだのを考えていただけで、人間自身を見てなかった。お前のその心の中の焦りが分かっていれば、イノリバミの時にもっと慎重に行動できたはずやし、ツクマの時もカスミが人形を斬るのに戸惑ってることなんて、最初分かりもしなかったし……」
段々とフキノの声色が震えていく。彼女の目が潤んでいるのが暗闇の中で分かった。
「イタル……お前もそうや。お前は弱くないよ決して、この私が保証する。防具の扱いも知識も発想も誰にも真似できない唯一のものや。でもな、一人で抱え込みすぎてる……そしてそれは私もそう。一人で掲げた決意に縛られて周りの人間を見ることが出来てない、私やカスミやスズを家族と思えなんてことまでは言わんよ、でも、お前を頼りにしていて……死んだら悲しい思いをする人間がいるってことを忘れんでくれ……」
その言葉を聞いてイタルは自分の中の何かが砕けた音を聞いた。剣を振るい続ける、その言葉にとらわれていた自分は、いつの間にか自分を孤独な存在だと勘違いしていた。あるいは、自分に自信がないから、人との関りを無意識に拒絶していたのかもしれない。
でも、現実はそうではなかった。自分にここまで信頼を寄せてくれる人がいたのだ。そして、その人を裏切りかけた……。
「フキノさん、俺はこのキセキのありふれた世界をどこか信じきれないでいました。自分があんな悲しい出来事に直面したのに、人々は変わらずに平和に暮らすこの世界に嫌気がさしてた。けど、それは違った、俺と一緒で苦しんでる人はまだまだいる、それに俺を頼ってくれる人がいる……」
剣は何のために振るうのか? それは勿論、己自身のためではない。キセキにありふれた世界では自分を守るために振るう剣など必要ない、誰かを救うための剣であるべきだ。
「俺、悔しいです。それにもっと早く気付いていれば、こんな怪我もしなかったし、みんなを悲しませるようなこと―――――」
その時だった、蝋燭の灯りとは別に、室内に青白く輝く光が出現した。驚いた二人はその光の正体が、イタルの大剣であることを突き止める。
寝具の横に置かれていた大剣をフキノが持ち上げて、イタルに見せる。
「空気読まん大剣やなぁ。なんなんコレ?」
「えーっと、ちょっと待ってください」
布団から手を出して大剣にイノリを捧げるイタル。空中に投影される詠語の中に、記憶にない能力が一つ追加されていた。
「汝が信頼するものへ、加護を与える……」
いつの間にか追加されていたこの文字列だが、大剣は一体どこから能力を吸着したのか……。
「フキノさん、俺もっと強くなります。それでもうフキノさんを泣かせるようなマネはしません」
「……別に、ないてへんよ私は」
大剣が発する青白い光から逃れるように、フキノはそっぽを向く。イタルは闇の中で覚悟を燃やしていた。大剣を振るう、答えを教えてくれ。
この世界に生きる自らの存在の意味を、少しだけ理解したような気がした。
イノリバミを戦闘不能に追い込んだのち、王遣隊などの協力でシラサトの研究機関に移送されるのを見送った四人は、「あとは私がとりもつから」といったタタミの命で病院に移動しているのだった。
フキノは夕日に照らされ茜色に染まった湖をぼんやりと眺めている。長い一日だった。事務所を出ていったのが随分昔のように思える。
カスミは戦闘の疲れからか静かな寝息を立てている。イタルほどではないが、彼女も病院で治療を受ける必要があるだろう。
スズは横たわるイタルを心配そうに見つめていた。時折漏れるうなされるような声に、不安が募る。
「あっ、先輩!」
その時、微かにイタルの目が開いた。何かを探すように黒い瞳が動いている。
「先輩! 無茶しないで!」
スズの呼びかけは果たして届いているのだろうか。虚ろな瞳孔はまるで蝿を追いかけるかのようにまとまりがなくあやふやである。
「……すいません」
口元が動き、しゃがれた声が漏れる。
「助けを呼べばよかったんや、死んだら終わり、隊の評判なんていくらでも取り返せる、焦る必要なんてなかったんや。私もそう、しょうもない見栄を張って図書館に行った、今回の責任は全部……」
車窓から湖を眺めるフキノはイタルを見ずに答えた。怒っているという感情も勿論あったが、今はイタルをここまで追い詰めたのは自分の責任であると後悔し、またイタルの惨状を直視できない自分に憤りを覚えていた。そして、これまたつまらない見栄を張って、部下にその感情を悟られぬようひた隠しにしている自分にも、嫌気がさしていた。
「……すいません」
もう一度繰り返したイタルの言葉を最後に、病院につくまで会話はかわされなかった。ただ、四人はそれぞれの無事を心の中で強く祈っていた。
◇
朦朧とした意識の中で、自分の顔を覗き込む医者の顔を覚えている。元々感覚のなくなっていた四肢に麻酔が回っていくのは不思議な感じだった。
「相当腕のいい治療師がいたんでしょうね」
一つだけ鮮明に聞こえてきた言葉が頭で反響している。
(フキノさん……悪いのは全部俺です)
あの時助けを呼ぼうかとたずねてきた召使いの言葉を断わった自分を恥ずかしく思う。自分なら出来ると慢心していた結果がコレだ。王遣隊を呼べばよかった、それは否定できない正しい判断だった。
プレイヤーは魔族から目をそらさない。けど、自分は自分自身の弱さから目を背けていたのだ。いや、背け続けてきた。このままではいつかこうなる、どこか自分の中でそれを予感しつつも、だ。
瞼が重くなり、頭の隅から広がっていく闇にのまれていくなか、自身の愚かさや劣等感ばかりが残る。
(死んだら終わり)
ただ、最後まで残った一筋の光を頼りにイタルは必死にしがみついていた。
(このしぶとさが……俺の……)
その光までもが失われ、完全に意識を失い闇の底へと落下していくイタルの右手は、まだ必死に何か掴むものを探して動いていた。
次に目が覚めたときに見えたのは白い天井だった。人間は死後神の一部となり、男は天界で時の歯車を管理する仕事につくと言われている。ここはその始まりだろうか、と体を動かした瞬間激痛が走った。
「つ……」
この痛みはどうやら自分が生きているという証拠らしい。一命を取り留めたのだ。
「ヤバ、私が一番に立ち会うのはなんか悪い気がする……一回出直そうかな」
横で困惑する声が聞こえた。重たい頭を動かしてそちらを見ると、ハルドナリの若い事務長トキワ・ハルドナリがあせあせとしている。
「トキワさん……」
「あ……おはようイタルくん! バレちゃった、あはは。まあ、これ見てよ、お見舞いのお花。フキノもカスミちゃんもスズちゃんも毎日……いや、仕事がない日はいつも来てあなたを看病してたんだよ? 今日はたまたま仕事があっただけで、別にあなたの事が一つも心配じゃないとか見捨てたとか、そんなんじゃないから」
隊員が一人減ろうが、プレイヤーズに仕事は舞い込む。軽い仕事にはなるが、三番隊は自分が眠っている間にも活動を続けているのだろう。それを聞いて妙に安心したというか、少し寂しくなったというか、少なくともそのような感情が湧くということは、自分はまだプレイヤーとして活動を続けたいと願っているのだろうか。
「すみません……迷惑をかけて」
「いいよ、みんなあなたの復帰を待ってるから。それに、大怪我は一流のプレイヤーにつきものだよ」
トキワは昔を懐かしむように語り始めた。
「私のお父さんも私が小さいころに一度死にかけてね、病院で泣き続けながら看病したんだけど、パッと目覚めた時には世界が変わった気がするとかなんとか言っちゃって、あんな大怪我した後なのに一層張り切って働くようになった」
トキワ・ハルドナリの父は、自分もよく知るミドウ・ハルドナリ、先代のハルドナリ団長だ。あの、慎重に見えたミドウさんにも依頼で怪我を負うことがあったのか。
「でね、お父さんその後は殆ど大きなけがをしなくなったんだ」
その姿は自分も知っている。血見ずのミドウという渾名でシラサト中に名を広めていた評判のプレイヤーだ。
「……まあ、病気には勝てなかったけどね」
ミドウは自分がハルドナリに入って一年してから、急に肺の病を患って倒れたのだ。あの時は事務所がひっくり返ったように慌てていたのを覚えている。新米ながら、お世話になった人だ。自分も相当悲しかった。
「つまり、君はもっと強く強くなれるってことだ。あれ? 戦えない私が言ってもあまり意味ないよね? あはは」
何か答えなければ、と思ったイタルだが今はなかなか前向きな言葉が出ない。
「……じゃあ私、イタルくんが目を覚ましたことをお医者さんに伝えてくるね。あと三番隊のみんなにも、ね?」
「はい」
「お大事に」
気まずそうに席を外したトキワさんの後ろ姿を見送って、病み上がりとはいえ何も気の利いた言葉を返せない自分に腹が立つ。今はどのような些細なことであっても、自分の責任であると思い込んでしまう状態にあるようだ。
客観的思考をする自分がもう一人、寝台の横に座っている。大けがから目を覚ました後は皆このようになるのだろうか?
静かに白い天井を眺めながら、イタルはふと、自分の家に置いてある装備の数々が心配になる。一体どれぐらいの間意識を失っていたのだろうか。横にある花は俺が寝ている間に何回取り換えられたのだろうか。ツクマの一件から、自宅に置いてある装備の手入れを念入れに行うようになった。しかし、自分が家を空けている今それをしてくれる人間は誰もいない。
父と母、そして妹が、祭りのくじ引きで当選した家族旅行から還らぬ人となったのは六年前の事だ。あの時丁度、学校の試験期間だったイタルは、せっかく当たったのだから気にせずに楽しんできてくれと、一人家に残って、家族を見送った。
それが、両親と妹を見た最後の瞬間となった。魔族に襲われたのだ。きちんと警備の行き届いていたはずの山中の別荘地に魔族が出現し、三人はその魔族に跡形もなく食いちぎられた。いや、食いちぎられたどうかは分からない。ただ、三人のものだと分かる骨は判別できないほどに、と説明を受けたためおそらくそうだろうと、イタルは脳内で見たくもない光景を何度も繰り返してきた。
代わりに帰ってきたのは、旅行を企画した組合と、王遣隊の不備による国からの大量の補償金だった。それこそ、今後数十年は苦も無く生活できるだろうというほどのお金をイタルは学生の時に手に入れたのである。
しかし、心は虚しさで包まれていた。
キセキはありふれた。人は簡単に飢え死ななくなった、娯楽も充分に行き渡るようになった、そして、いち個人の関係者の不慮の死には充分な保証がつくほどに富に余裕が出来た。
だが、家族は死んだ。初めて補償のお金を手に持った時、イタルはそれを何枚か破ってゴミ箱にぶちまけたことを覚えている。このまま家族を失って得た金で暮らしていくのだろうかと思うと、自分が惨めで情けなくなった。だからこそ、イタル・ムギノトキはプレイヤーを志したのである。このまま魔族に家族を殺されたという事実と向き合わないまま生きていくのはどうしても許せなかった。
ある日、考古学者であった父の学者仲間が、父が生前研究していたという遺留品を持って家を訪れた。用件は、研究品のいくつかをお金で取引がしたいとのことらしく、無駄になるならと全てを譲ろうと考えていたが、その中にあった大きな剣にやたら目が魅かれた。
「剣を振るう、答えを教えてくれ……?」
「すごいね、あまり使われない詠語のはずだけど、すらすら読めるんだ」
剣の柄に刻まれていた詠語は、イタルの心をやけに揺さぶった。このモヤモヤとした気分や、やるせない怒りは、この大剣をふるうことで解決するのではないかと思えた。結果イタルは、この大剣をのぞいて全てを考古学者に売り払った。その大剣が装備の特性を吸着すると知ったのは必死に勉学に励んだ少し後のことになる。
その後、学校を無事に卒業したイタルは、王遣隊に入るべく試験を受けたが結果は散々であった。王遣隊の試験は、既定の状況・装備を想定したものだったため、イタルは他の優れたプレイヤー候補に激しく後れをとった。
座学には自信があったものの、肝心の戦闘能力に特筆すべきところのないイタルは、一次の時点でふるい落とされたのである。ならばと前を向きいくつかのプレイヤーズに自分を売り込んだイタルだが、どれだけ大剣の能力を喧伝しても素の戦闘力で難色を示され、話を断わられてきたのだ。
半ば諦め気味で伺ったハルドナリでは、珍しく団長じきじきの面接となった。
「ミドウ・ハルドナリと言います。よろしく」
いつも通りに、自分の戦闘能力や学校での試験結果を見せるイタルは、グイグイと話に乗ってくるほどではないが、興味を持って話を聞くミドウの姿に、いつもと違う感触を得ていた。
「じゃあ、最後に……プレイヤーにとって大切なことはなんですか?」
幾度となく聞かれてきた質問だった。逞しい体躯か? 豪気な統率力か? 明晰な知略か? いくらでも答えようはある中でイタルはいつもこう答えていた。
「目をそらさないことです」
「……はい、了解です。今日はありがとうございました。結果は後日お送りします」
淡々とその場を立ち去るミドウだったが、イタルは不思議といつものような不安は胸の中に残っていなかった。そして、後日、プレイヤーズ・ハルドナリからは合格の手紙が届いたのである。それから三年、プレイヤーの端くれとして懸命に頑張ってきたつもりである。
「でも……俺は目をそらし続けていたんだな」
一人暮らしをするには広すぎる居間で、明かりもつけずにイタルは呟く。イタルが目をそらし続けてきた何か、闇の中で浮かんできたものは、自分自身の弱さであった。
「プレイヤーズに加入して、三番隊で活動していくうちに、自分ならやれる、たくさんの装備を上手く扱えてると思ってた。思い込んでた」
けど、それは違った。自分は、ただ己の弱さを誤魔化すためだけに、装備を扱っているに過ぎなかったのだ。
今回の一件で、それに初めて気づいた。
「いや、気づかないふりをしていただけか」
誰もいない病室に消え入りそうな言葉が浮かぶ。
俺に、カスミのような繊細に刀を扱う能力があれば、スズのような正確な操祈能力があれば、きっと、もっと強くなれた。俺自身じゃない、装備が優秀なだけなのだ。
「誰がやったって同じだったんだ……」
寝台の横にいる自分が耳元でささやく。日の差し込む病室で、イタルは再び眠りに落ちた。
◇
次に目を覚ました時、イタルの周囲は闇で包まれていた。死後の世界はどの時代であっても様々な議論がされてきたが、闇に包まれた世界こそふさわしいと唱える者も多くいる。
しかし、視界の左側に仄かな明かりが見つかった。そして、一つの影が。
「よっす、調子はどうや?」
「フキノさん……」
仄かな光に照らされていたのは、イタルが今一番顔を合わせたくない人物だった。朧気ではあるが、病院に向かう馬車の中で、イタルはフキノに失望されたという記憶を残していたのだ。
「スズとカスミもさっきまで残ってたんやけどな、遅い時間だから……。私もそろそろ帰ろうと思ってたけど……」
慎重に言葉を選んでいるのだろうか、フキノの言葉はいつものようにまとまりがなく断片的だ。
「まあ、とりあえず元気な顔を見れてよかった。この調子なら大丈夫そうやな」
淡々と喋っているようでどこかぎこちない。このまま席を立って帰っていきそうな口ぶりだったが、フキノは未だその場を離れず、蝋燭の灯りをぼんやりと見つめている。
「イタル……今からさ、私がお前に喋ってない秘密を一つ教えるから、お前も私に喋ってない秘密を一つ教えてくれん?」
と、イタルの目を見つめる。暗闇で光を反射するフキノの眼はどこか幻惑的だ。
「え……?」
「どっち先攻が良い?」
「いや……急に言われても」
「いーや、これは隊長命令や。口ごたえするな」
いつもと違う厳しい言葉だったが、逆に声色はいつものフキノの調子に戻っている。
「じゃあ……俺から行かせていただきます」
普段自分の身の上をあまり喋ることのなかったイタルは、隊員の誰にも家族が魔族に殺された事実を告げたことはなかった。病室の中で自分の考えを整理していたからだろうか、それとも暗闇の中で感覚が麻痺していたのだろうか、それとも隊長の不思議な雰囲気にのまれたのか。
秘密を一つだけと言われたが、イタルは堰をきったように、家族を殺されたこと、そしてそれに対して抱いた感情、自分の中の焦りや劣等感、この世界に抱く不信感をまとまりなく話した。
その間黙って頷いているだけのフキノに思いの丈をぶつけたイタルは最後に「俺は自分自身の弱さに目を背けつづけてきたんです。多分これが俺の隠してきた秘密です」と付け加えた。
「なるほどね……じゃあ、私の番やな」
イタルの暴露に何も返さなかったフキノだったが、イタルはそれでいいと考えていた。きっと現実を突きつけられるだろうから、と弱気な心持ちだったから。
「えーと……暗いな……あったあった」
近くにあった鞄の中を漁っていたフキノは、しばらくして「じゃん」と鍵のついた手帳を取り出してイタルに見せた。これは彼女がいつも媒体として使っているものだ。中に何が書いてあるのかは誰も知らないあの手帳。
「ここに何が書いてあるか今から見せようと思う」
手帳の鍵を外したフキノは覚悟を決めたようにイタルへ開いて見せた。
「見える?」
「すいません……よく見えない」
蝋燭のあかりを遮るような形で顔の近くまで持ってこられたため、何が書いてあるかは良くわからない。
「……そうか、じゃあ自分で言うしかないか」
ため息をついたフキノは手帳を自分の顔の前に持ってくる。
「えー、コホン。梨の月の十六。ツクマの討伐。スズ 臀部に鞭痕 隊の分断がきっかけ、直ぐに合流する術はないか? 梨の月十三 アガタザルの討伐 目立った怪我無し……」
その後もフキノは淡々と手帳に記された文章を読み続けたが、途中で「おい、いいところで止めんかい!」と手帳をパシンと閉じた。
どうやらフキノは日々の依頼で起こった出来事を手帳にマメに記しているらしい。それも、隊員の怪我の状態を中心に。
「いえ、その……」
言葉に詰まったイタル。それが意味することはなんとなくだが分かった。ただ、それをフキノ自身の口から聞きたいと思ったのは身勝手な我儘だろうか?
「……まあ、イタルも一杯喋ってくれたし、いうけど……ハルドナリで隊長職につくことが決まった時私は決めたんや、 誰一人として死なせたくないって。それを実現するために、自分なりにどうしたらいいか、隊員が傷ついた時の反省点を記そうと思った。それを媒体にすればもっと強くなれるって思ってた」
思い入れの強いものを媒体にする程、キセキの効果は強まっていく。フキノはそれを狙って手帳を媒体にしたのだろう。
「でも、イタルに大怪我をさせてしまった……。はじめてやで、この手帳に何を書こうかなんて迷ったのは。何回も書いては消して、書いては消してを繰り返してる。でも、理由は色々あると思うけど、私なりに色々考えてみた結果、私もイタルと同じで目をそらした何かがあることに気が付いた。それはな、隊員自身や」
「隊員自身?」
「そう、イタルがどんな思いで戦ってるかなんて、私は知ろうともしなかった。戦いの中で都合よくうわべだけの解決策だのなんだのを考えていただけで、人間自身を見てなかった。お前のその心の中の焦りが分かっていれば、イノリバミの時にもっと慎重に行動できたはずやし、ツクマの時もカスミが人形を斬るのに戸惑ってることなんて、最初分かりもしなかったし……」
段々とフキノの声色が震えていく。彼女の目が潤んでいるのが暗闇の中で分かった。
「イタル……お前もそうや。お前は弱くないよ決して、この私が保証する。防具の扱いも知識も発想も誰にも真似できない唯一のものや。でもな、一人で抱え込みすぎてる……そしてそれは私もそう。一人で掲げた決意に縛られて周りの人間を見ることが出来てない、私やカスミやスズを家族と思えなんてことまでは言わんよ、でも、お前を頼りにしていて……死んだら悲しい思いをする人間がいるってことを忘れんでくれ……」
その言葉を聞いてイタルは自分の中の何かが砕けた音を聞いた。剣を振るい続ける、その言葉にとらわれていた自分は、いつの間にか自分を孤独な存在だと勘違いしていた。あるいは、自分に自信がないから、人との関りを無意識に拒絶していたのかもしれない。
でも、現実はそうではなかった。自分にここまで信頼を寄せてくれる人がいたのだ。そして、その人を裏切りかけた……。
「フキノさん、俺はこのキセキのありふれた世界をどこか信じきれないでいました。自分があんな悲しい出来事に直面したのに、人々は変わらずに平和に暮らすこの世界に嫌気がさしてた。けど、それは違った、俺と一緒で苦しんでる人はまだまだいる、それに俺を頼ってくれる人がいる……」
剣は何のために振るうのか? それは勿論、己自身のためではない。キセキにありふれた世界では自分を守るために振るう剣など必要ない、誰かを救うための剣であるべきだ。
「俺、悔しいです。それにもっと早く気付いていれば、こんな怪我もしなかったし、みんなを悲しませるようなこと―――――」
その時だった、蝋燭の灯りとは別に、室内に青白く輝く光が出現した。驚いた二人はその光の正体が、イタルの大剣であることを突き止める。
寝具の横に置かれていた大剣をフキノが持ち上げて、イタルに見せる。
「空気読まん大剣やなぁ。なんなんコレ?」
「えーっと、ちょっと待ってください」
布団から手を出して大剣にイノリを捧げるイタル。空中に投影される詠語の中に、記憶にない能力が一つ追加されていた。
「汝が信頼するものへ、加護を与える……」
いつの間にか追加されていたこの文字列だが、大剣は一体どこから能力を吸着したのか……。
「フキノさん、俺もっと強くなります。それでもうフキノさんを泣かせるようなマネはしません」
「……別に、ないてへんよ私は」
大剣が発する青白い光から逃れるように、フキノはそっぽを向く。イタルは闇の中で覚悟を燃やしていた。大剣を振るう、答えを教えてくれ。
この世界に生きる自らの存在の意味を、少しだけ理解したような気がした。
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