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第一話 初陣

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 兵員搬送用のトラックが荒々しく走り続ける。段差や岩を踏み越え、ぬかるみを一息に渡り、降りしきる青い雨を受けながら走っていく。
 トラック後部のコンテナ内部にはガス警報装置がついていたが、基地を出た時から赤だった。数回の呼吸で死に至るガス濃度。大気はクラストブルーで薄い青に染まっている。兵士たちはガスマスクをつけ、石でできているかのように押し黙っていた。
 普段からこうなのだろうか。
 私は十七人の兵士たちに混ざり、彼らと同じように単管パイプの座席に座っていたが、どう考えても場違いな存在だった。つけているガスマスクは同じものだが、つけている装備は違う。
 彼らは対地殻獣用の戦闘装備だ。ヘルメットとボディスーツをつけ、座席の上には各自の武装が格納されている。
 それに対して私は、てっぺんにカメラの付いた奇妙なヘルメット、体は戦闘服のみでボディースーツはなく、おまけにでかい一眼レフカメラを抱えている。それに私は……左腕が義手だ。戦える体ではないからずっと後方で事務仕事をやっていたが、戦場記録班に抜擢され、めでたく初陣となったわけだ。
 この車両には十八人の兵士が乗れるが、一人欠員が出て十七人となり、その空いた席に私が座っている。欠員補充でもなく、カメラ係としてだ。
 自意識過剰なのかもしれないが、周りの兵士たちからの視線が痛かった。何だこいつは? 何でこんな奴がその席に座っている? そう問われている気がした。
 そう問いただしたいのは私も同じだ。何故私なのだ。何故今なのだ。
 地殻獣との戦いが始まって二年近くになるが、有効な戦術というのは少ない。個別の戦闘での勝利はあっても、全体としては一方的にやられている状況だ。それは一年たった今でもそのままで、だから打開策を求めて色々なことをやっている。それは分かる。
 今回私が任ぜられた戦場記録班というのもその一つだ。各兵士の戦い方で有効な攻撃は何なのか。その攻撃に対して地殻獣はどのように反応するのか。それらを記録し、今後の戦闘に生かす。それは分かるが、そんなものはカメラを一台用意して、例えばこの車両でもいい。戦場を見渡せる場所に置いておけばいいだけの話だ。何故人間がカメラを抱えて、最前線に近寄って録画しなければならないのか。何故二年が経過した今になって、そんなことを言い出しているのか。
 ひょっとしてこれは口減らしなのだろうか? 役に立たない人間を消すための。しかし人は毎日死んでいるし、私だって色々な仕事を兼任していた。食べ物や飲料水はもちろん貴重だったが、それ一人分と天秤にかけて私を殺すことを選ぶなど、それもまたナンセンスな話だ。
 となると、これは大真面目な話なのだ。戦場カメラマンの真似事をして、戦況を打開する情報を手に入れろ。責任は重大だ。
 正気なのか? しかし正気でもそうでなくても、私は戦場に向かっているし、やるべきことをやらねばならない。
 屋外での任務はかなり久しぶりだから、ガスマスクでの呼吸もなんだか慣れない。この血生臭さの漂う酸素は、気分が滅入るだけでなく気持ちも悪くなってくる。その臭いは圧迫感やストレスからくる一種の幻覚らしいが、そうだと自分に言い聞かせてもなかなか消えるものではなかった。
 昨日までこの席に座っていた人は、かろうじてこの席に座って帰っていったらしい。しかし結局出血多量で死んでしまった。この席も血まみれだったそうだ。
 戦闘服越しに、まだ生乾きの座席の感触が伝わってくる。酸素に感じる血生臭さとは、死んでしまった彼の、いや、彼女かもしれない。いずれにせよその人の、死の残り香のように感じられた。
 そして今日も……誰かが死んでしまうかも知れない。それは自分も含めてのことだ。この隊では死ななくても、別の隊、基地全体では、死者のない日というのは極めて稀だ。
 私たちは死に続け、減り続けている。この新潟ベースが陥落する日も、そう遠くはないのかもしれない。
 車両が止まった。急制動にカメラを落とさないように義手で押さえ、右手でパイプ椅子を掴んで姿勢を保った。
 コンテナ前部の天井付近の青い回転灯がつく。出撃の合図だ。兵士たちは素早くシートベルトを外し、頭上の棚から装備を持って車両を降りていく。私はそんな彼らに圧倒されて動けずにいた。下手に動けばぶつかって邪魔をしそうで、動くことができなかったのだ。
 十七人が降りてから私はシートベルトを外して立ち上がり、一眼レフのバッテリーと記録カードを確かめ、外に出た。
「何だ貴様! 遅れているぞ、何をやっている!」
 外には兵士がいて、私を見つけるや怒鳴ってきた。
「何だ貴様? その装備は……何でカメラなんて持ってる?!」
「私は第四部隊の……戦場記録班です! 今日付で配属されました!」
「戦場記録班……ああ、貴様がそれか! さっさと行け! 第四部隊は中央を進んでいる! 遅れるな!」
 そう言うとその兵士は戦闘指揮車両に向かって走っていった。
 見れば、この辺に残っている兵士は私だけのようだった。皆地殻獣の方へ進んでいて、もう百メートルくらい前方にいるようだった。ボディスーツは身体機能を強化するアシストスーツでもあるため、彼らの動きは俊敏で力強い。単に走るだけなら時速四十キロを超える。しかし私は生身なので、そんな彼らについていくのはとても無理だった。遅れて付いていくしかない。
 私は重たいカメラを抱えて走っている。他の兵士が持っている四〇式削撃銃は十八キロと、スーツのアシストがなければとても持てないほどだが、私のカメラもレンズと合わせて一.五キロを超える。兵士として普段からトレーニングしているわけでもないので、アシストなしでいきなり重たいカメラを抱えて走れと言われても無理がある。
 息が上がる。ガスマスクが邪魔で、耳が擦れて痛い。もうすでに戦闘は始まっているようだが、土煙ではっきりと見えない。地裂からのガス噴出も確認できない。
 あと何メートル走ればいいんだ? 着いた頃にはもう終わっていた、なんてことはないだろうが、早く行かねばならない。こうしている間にも兵士たちは危険な戦いに身をさらしているのだ。私はその戦いを、記録しなければならない。
 戦場が近づき、削撃銃のタングステン弾芯が地殻獣を撃つ音がよく聞こえる。そして劈開の音。彼らの体が衝撃に負けて真っ二つにパキンと割れる音だ。小気味よい音が響く。
 土煙が晴れ、地裂も見えてくる。大地にできた青い裂け目。かさぶたの様に冷えた溶岩が黒く固まり、その内側から青いガス状のクラストブルーを吹き出している。
 結構長い地裂だ。東西方向に……四〇〇か五〇〇メートルはある。右の方を見るとトレンチ・エキスカベータが控えている。地裂に向かってゆっくりと前進を続けているようだ。兵士たちは、あいつが地裂に到着するまでに地殻獣の胞子、拡散態を片付けねばならない。私も写真を撮らないといけない。
 前線の兵士の姿が見える。五〇メートル以上離れているからまだ小さいが、ヘルメットの全方位カメラを起動する。これで三六〇度全てが同時に記録される。
 そして個別の兵士の戦闘状況を、私の判断で撮影する。ドローンでも飛ばしてやればいいのにと思うが、もはやそれだけの資機材を集める事もできないのかもしれない。このカメラも中古っぽい。だがもはや新品がほとんど存在しなくなった世界なので、文句を言っている場合ではない。
 このカメラについているのはズームレンズと呼ばれるレンズだった。45-200mm、F4.0と書かれているが、それが何なのかはよく分からない。ただ言われたのは、レンズの胴を回して設定できるFという数値は11にして撮れと言うことだった。そうでないとボケた写真になりやすいらしい。後はカメラが自動的に設定してくれるとのことだ。ズーム機能については、ズームは使わないでなるべく近くで撮れと言われたが、五〇メートル程度が現実的な距離だ。
 ズームについても、レンズの胴を回すと伸びたり縮んだりして、それで遠くも撮れるようになる。事前に確認したが、一番ズームした状態だと五〇メートルの距離で横幅一〇メートル程度を撮影できる。
 断続的な削撃銃の音が響く。カメラのファインダーを覗くと、液晶に被写体までの距離が表示される。五七メートル。あと一〇メートルほど近寄って、そこで撮影すればいいだろう。戦闘の状況も大体写せる。
 私は足を止め、兵士たちの戦いを見回した。遠くからでは差が分からない。誰が有効的な攻撃を行っているのか、逆に危険な状態にあるのは誰か。まともな説明もないままこの任務に着かされたので、何を撮ればいいのかもよく分かっていない。
 私はカメラのファインダーを覗き、一番近くの兵士に焦点を合わせた。彼、あるいは彼女。名前さえ知らない。だが、私はその兵士の動きを記録することにした。
 カメラの録画ボタンを押すと、液晶に赤い丸が表示される。一度に録画できるのは連続で六〇分までとなっており、六〇分を超える場合は一旦録画が止まるので、再度録画ボタンを押す必要がある。戦闘は大体三〇分ほどの短期決戦なので、一度の録画で間に合うだろう。
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