父と娘とカップ焼きそば

父と娘とカップ焼きそば

「お湯捨てる時、火傷しない様に気を付けろよ？」

「わかってるって！　もう！　お父さんはあっち行ってて！」

　台所に置かれたカップ焼きそばの容器から湯気が立ち昇る。
　それに負けないくらい湯気が出そうな顔で怒る娘に、グイグイと背中を押され俺は台所から追いやられた。

「おい、お父さんは心配してだな」

「大丈夫だから、あっち行って！」

　なおも未練がましく台所を覗き込む俺に、娘の凛花りんかはピシャリとそう言って俺を睨む。
　父一人娘一人の家族なんだ、多少過保護になるのは仕方ないじゃないか……

「お父さん！」

「……わかったよ」

　卓上タイマーをセットしながら俺を睨む凛花の迫力に負け、俺はスゴスゴと引き下がった。
　まったく、死んだ母親に怒り方がそっくりだな。
　ふと浮かんだ妻の面影に、娘の成長の喜びとともに、若干の寂しさが込み上げる。

　ボンヤリと炬燵に入りながらテレビを見て過ごす日曜日の午後。
　テレビの音に紛れて、台所から楽しげな娘の鼻歌が聞こえてくる。

　そう言えば、娘が初めてカップ焼きそばを食べたのは何時だったか……
　そうだ、あれは母親が死んでまだ間もない頃だったか。
　色々忙しくて、食事を作ってやる余裕が無かったんだよなぁ……



　まだ幼い娘と共に立つ台所。娘の凛花は手が届かないので踏み台の上だ。
　目の前には、まるで俺達父娘の様に、仲良く並んだカップ焼きそばの容器が置かれている。
　蓋を開け中身を取り出していると、娘が一つの小袋を手に取った。

「これが最初？」

「そう。それが最初」

　娘は苦労しながらも、嬉しそうに『かやく』の小袋を開けると容器に入れた。
　サラサラと、かやくの落ちる乾いた音がする。

「これは『かやく』と言って、キャベツとかのお野菜を乾燥させたものなんだよ？」

「へぇ～。じゃあこっちは？」

　笑顔で見上げてくる娘の手には、小さな袋が二つ。
　母親が死んでから塞ぎがちだった娘の笑顔が嬉しかった。

「それはソースとふりかけ。お湯を捨てた後に入れるんだ。間違っても先に入れちゃダメだぞ？」

　身体を屈め、凛花と視線を合わせて言うと、凛花は嬉しそうに言った。

「大丈夫だよ！　凛花、間違えないよ！」

「そうか。凛花は偉いな」

　そう言って頭を撫でると、凛花は嬉しそうに目を閉じた。

　カチッ

　凛花を撫でていると、セットしておいた電気ケトルが停止する。どうやらお湯が沸いたようだ。

「凛花、お湯が熱いからパパがお湯を入れるよ？」

「え～、凛花がやりたい」

「だーめ。もっとお姉さんになったらな」

「ぶー」

　口を尖らせて不満顔の凛花だが、これは譲れない。
　大事な娘に火傷でもさせたら、それこそ亡き妻に申し訳が立たないからな。

　俺は、凛花にお湯が跳ねない様に気を付けながらお湯を注ぐと、ケトルを戻し容器の蓋をした。

「凛花、そのソースの袋を上に乗せて」

「こう？」

　凛花はそれぞれの蓋の上に、ソースの小袋をそっと乗せた。
　後ろに立つ俺に、踏み台の上で器用に振り向いた凛花が不思議そうな顔で尋ねてきた。

「なんで乗せるの？」

「ソースを温めるのと、蓋が開いちゃわないようにする為。かな」

「ふーん」

　はは。良く分かって無さそうだな。自然に笑みがこぼれる。
　俺は凛花の頭をクシャクシャっと撫でると、タイマーをセットする。

「ここ押して？」

「うん！」

　凛花がボタンを押すと、小さな電子音が鳴りタイマーがカウントダウンを始める。
　俺は冷蔵庫を開け、飲み物の準備をする。

「俺は麦茶でいいか。凛花は何飲む？」

　俺は凛花に尋ねながら振り返った。

「まだかな、まだかな～♪」

　そこには、不思議な歌を歌いながら、タイマーのカウントダウンを見つめる凛花がいた。

「あはははは」

　思わず吹き出してしまった俺を、不思議そうな目で見た凛花だったが、俺の笑いは収まらない。
　最初は不思議だったのだろうが、次第に俺に釣られて凛花も笑いだす。
　何がツボに入ったのか分からないが、二人してタイマーが時間を告げるまで笑い続けた。


「お湯捨ても危ないからパパがやるよ」

「やー！　凛花もやるー！」

　何度か説得を試みたが、なぜかお湯捨ては「やりたい」と言って譲らない。
　説得を諦めた俺は「一緒にやるなら」と言う条件を提示する。

「わかった」

「もっと大きくなったら一人でやっていいから」

「約束だよ？」

「ああ。約束」


　容器を持つ凛花の手の上から俺の手を添える。
　すっぽり包み込めてしまう凛花の手は、非常に小さく頼りない。
　もっとしっかりしなくては！　そう思わせてくれる手だった。

　お湯を捨てた後は、ソースの投入だ。自分でやりたがる凛花に、ソースの袋を渡す。

「袋を開けた時に、こぼれない様に気を付けろよ？」

「うん」

　凛花は真剣な目で慎重に袋を開ける。
　しかし袋は上手に開けたのだが、案の定と言うか、想定内と言うか、容器に入れる際に若干こぼれてしまった。

「ごめんなさい」

「大丈夫。ちょっとこぼれただけだよ」

　容器の縁と台所の作業台に、少しソースが付着している。
　俺は、凛花が手に持ったままだったソースの袋をやさしく取り上げ、剥がした容器の蓋の上に置くと凛花を抱き上げた。
　驚く凛花を無視して蛇口から水を出す。

「さぁ、手を洗って」

　凛花は黙ったまま手を洗う。
　踏み台の上に戻してタオルを渡したが、手は拭くものの顔は落ち込んだままだ。
　俺はティッシュを取ると、凛花に差し出しながら目線を凛花に合わせる。

「じゃあ今度はこれで零しちゃったところを拭いてね」

　無言で受け取った凛花は、言われるがまま零れたソースを拭った。
　ふぅ、しょうがないな。

「凛花。零しちゃっても拭けばいいんだよ？　失敗しちゃっても大丈夫。ほら、綺麗になったろ？」

「うん……綺麗になった」

「失敗してもパパが助けてあげるから大丈夫。パパが失敗したら凛花が助けてくれるだろ？」

「うん！　私が助けてあげる！」

「ありがとう、凛花」

　そう言って凛花を抱きしめる。抱きしめ返してくる小さな腕に、少し目頭が熱くなる。
　俺は一度だけギュッと強めに抱きしめると、凛花から離れた。

「よし！　じゃあ仕上げて食べよう！」

「うん！」

　その後、かき混ぜる時も、青のりをふりかける時も、若干零してしまった凛花だが、今度は自分でティッシュを取りに行き自分で拭いた。
　その時の誇らしげな笑顔は、今でもはっきり覚えている。


　ピピピッピピピッ

　懐かしいタイマーの音が止んで、台所からボコンと音がする。
　そして、ソースの食欲をそそる良い香りが漂ってきた。

「お待たせ～♪」

　凛花がカップ焼きそばの容器を二つ持ってくる。
　炬燵の上に置かれた二つの容器からは、ソースの香りと共に湯気が立ち昇る。
　ふと昔を思い出した俺の隣に、凛花はスルッと入ってきた。

「お父さん。もうちょっとそっち行ってよ」

「なんだよ。そっちに入ればいいだろ？」

　そう言いつつも横にずれる俺だが、内心は困惑気味だ。
　なんで狭いのに俺と同じ場所から炬燵に入るんだ？
　嬉しく無い訳ではないが、ちょっと照れくさい。それ以前に意味が分からん。

　そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、凛花は「いいからいいから♪」と言いながら強引に俺の隣に入ってきた。

「はいお父さん。箸」

「おお、ありがとう」

　困惑したままの俺の横で、凛花は「いただきます」と言ってカップ焼きそばを食べ始める。

「ん～♪　このソースの味、大好き♪」

「奇遇だな。お父さんもこのソース好きなんだよ」

「たまに食べたくなるよね～？」

「そうだな。でもお父さん、麺は縮れ麺の方が好きだった」

「あ、私も！」

　父娘で顔を見合わせ、ぷっと吹き出した。娘と笑い合いながら興じる他愛も無い会話。
　そんな心地よい空間で食べるカップ焼きそばに、少しの幸せを感じる日曜日の午後だった。