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第二章

17.

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 翌日も、その翌日も、1週間経ってもレオンは現れなかった。
 警護する兵士は毎日交代していたが、ヴォルターが関わることはなかった。

 リゼットは日々、ベッドの上で過ごしていた。マノンが淹れてくれるお茶を飲むだけ。食事を摂ることはなかった。
 レオンから贈られた指輪は、指が細くなりぶかぶかになったため、外してマノンに仕舞ってもらった。

 お茶も日が経つと、匙ですくって口に入れるようになった。
 マノンに心配されるけれど、意欲が湧かなかった。好きな読書も、文字を読む気持ちになれずベッドサイドに置いたままだった。
 食べないことと睡眠不足がさらに、意欲を削っていた。医師には、病気ではなく心の問題だと言われた。

 ある日、父が部屋を訪れた。
 朝と、夜に王宮の仕事から帰ってきてからと、2度は顔を見にきていた。今日はいつもより早い帰りで、夕陽が窓をオレンジに染める頃。

「リゼット、気分はどうだい。少しは眠れたかい?今日は爵位のことで話があるんだ」
「……」
「ミヨゾティースに、一度出向こうと思っている。伯爵になったら、ミヨゾティースの土地と屋敷をを与えられることになっていて、領民ととりまとめ役の者と会うことになった」
「……」

 反応が薄いリゼット。しかし父は、話を続ける。マノンもそばに寄って、リゼットの手をとった。

「リゼットもどうだい?きっと気分転換になるよ」
「リゼットお嬢様、私もついて行きます。行きましょう」
「……は……ぃ……」

 リゼットは渇いた声で返事をした。
 そうしてまた目を閉じた。
 父は急いで支度を始め、魔導師団へ連絡をとった。しばらくの間は、休暇を取るためだ。
 マノンも、リゼットの荷物をまとめる。自分の荷物は最小限に収めた。
 翌日には出発できる。

 ◇◇◇

 リゼットは目を閉じた後、夢を見ていた。
 繰り返す悪夢。

 リゼットの部屋の扉を開けると、レオンの声がする。声のほうに向かうけれども、レオンの姿は見つけられない。

 いくつも扉を開けると、ヴィルデが現れた。ブランティーヌのお茶会で現れた『闇の配下』だ。
 あの時は髪飾りが守ってくれたが、夢のなかでは、追いかけられる。
 逃げても逃げても、どこからか現れる。けれども、捕まることもなく、ただ逃げるだけ。
 マノンも父も、レオンもいない。
 屋敷の行き止まりに追い詰められて、もうダメだと目を閉じるーー。

 すると、リゼットは目が覚めて、あれは悪夢だったと確認する。
 目を閉じると繰り返される悪夢、レオンと離れてから見るようになっていた。

 ◇◇◇

 翌日の昼前、準備が整い、ミヨゾティースに出発することとなった。
 リゼットの横にマノンが付き添い、向かいに父が座る。リゼットは窓に体をもたれかける。マノンがクッションを使い、体が休めるよう工夫する。キルトのブランケットで体を包み、保温する。
 久しぶりの外はとても眩しく、刺激が強かった。

「リゼット、途中で休憩をとるから、辛くなったら教えるんだよ」

 父がリゼットの頬に触れる。頬は冷たく、唇も血色は決して良くなかった。
 リゼットの反応は薄い。昨日よりも目の下の影は色濃くなっていた。

「休めるようなら、目を閉じて。私たちがいるから、大丈夫だよ」

 リゼットは僅かに頭を動かし、目を閉じた。マノンがリゼットの手に触れ、温めるようにさする。
 父が合図をすると、馬車はゆっくり移動を始めた。
 馬車の背後には、騎士団の兵士が数人馬に乗って警護にあたる。ミヨゾティースでも、普段通り、警護がつくことになっていた。

 途中、何度かリゼットが目覚めると休憩をとった。果物や菓子も用意していたが、お茶を一口飲むとまた目を閉じた。
 時折、苦しそうな顔をする。マノンが背中や手をさすると、穏やかな顔になった。それを繰り返す。
 
ミヨゾティースまでの道のりは、通常は馬車で2時間程。休憩を入れながらの移動は、3時間ほどかかった。
 屋敷に到着する頃には、夕暮れになっていた。屋敷は湖に面している。

 屋敷に着くと、使用人が出迎えた。
 屋敷で元々雇われていた者たちで、リゼットの父がそのまま雇うことにしていた。
 リゼットは奥の寝室へ寝かされる。隣にはマノンの控えがあった。
 マノンにいくつか伝えると、父は領民のとりまとめ役と応接室で会う手配をする。
 騎士団の兵士たちにも部屋が用意され、交代でリゼットの部屋の前に立つ。

 ◇◇◇

 応接間に領民のとりまとめ役が、案内される。

「レイシーモルド様、ようこそおいでくださいました」

 初老の領民が一礼をする。とりまとめ役のジョルジュだ。
 その後から、背筋がしっかり伸びているが、ジョルジュより年のいった男性が現れる。
 父に一礼をして、名乗る。

「ようこそ、我が領へ。儂はウルリッヒ・シュメリング。ミヨゾティースの辺境伯じゃ、ようやく会えてうれしいぞ」
「辺境伯様どうして……」

 父は慌てて、一礼をする。

「ジョルジュから今日の話を聞いて、顔を見にきたのじゃ」

 ウルリッヒが上機嫌に答え、ニコニコとしている。父が伯爵となって領地をまとめ、辺境伯はミヨゾティース全土貴族をとりまとめる。
 顔を見にくるというより、こちらから
伺うほうが良かったのではないだろうかと、父は思った。
 しかしウルリッヒはまったく気にしていない様子だった。

「王から話は聞いておるか?」
「どんな話でしょうか?」
「そなたを辺境伯にする話じゃ」

 父は、王の戯れの一つかと思っていた。ただの男爵だった自分が、伯爵になるだけでも十分だというのに、ミヨゾティースの辺境伯になるなどと。
 父の表情に、ウルリッヒは反応する。

「冗談ではないぞ。そなたには十分に才がある、そなたの娘にもだ」
「娘にもですか……?」
「そなたの母の一族は、ミヨゾティースの生まれじゃ。遠い血縁は、ミヨゾティースに住んでおる」
「ええ、それは聞いております。しかし……」

 リゼットはレオンと婚約している。
 ミヨゾティースには、いずれ父だけが残り、リゼットの結婚後に養子を取る予定を立てていた。

「レオナード様との婚姻は変えられぬか?」
「ええ、私の一存ではできません」
「まあ、そうじゃの。儂は、そなたさえ頷いてくれれば全てを任せる気持ちがある。忘れぬように」
「心に留め置きます」

 ウルリッヒは満足そうに頷いた。
 ジョルジュに「時間をとってすまなかったの」と会釈して、立ち去る。
 使用人が、ウルリッヒが帰路についたことを報告すると、父は安堵した。
 ジョルジュとの顔合わせは、スムーズだった。明日からの予定を打ち合わせする。

 ジョルジュが帰った後、応接間でお茶をいただく。
 リゼットのことだけでも心配が多い。それに辺境伯の話を聞くと、ミヨゾティースに来ることは早かったと後悔が襲う。
 迂闊な事を言わぬよう、気を引き締めた。

 ◇◇◇

 翌朝、マノンはお茶とタオル、お湯の入ったボウルをワゴンに乗せて、リゼットの部屋に入る。
 リゼットは天井を向いて、目を閉じていた。
 声をかけると、目を開ける。

「リゼットお嬢様、おはようございます」

 マノンが声をかけると、視線を向ける。唇が「マノン」と動いた。
 マノンはタオルをボウルに入れて、絞る。温かいタオルで、顔と手足を拭く。
 少し体を起こして、クッションで背を支える。お茶を匙で運ぶと、一口飲み込んだ。

「お嬢様、少し風を入れますね」

 窓を開けると、風がそおっと室内に入り込む。
 木々の香りがして、湖の波音と鳥のさえずりが聞こえる。

「み…ず、うみ」
「ええ、すぐそこに湖があるんですよ。窓際に行ってみませんか?」

 マノンが誘うと、リゼットはうなづいた。使用人にも手を貸してもらい、窓際のソファに座る。
 ベッドにいるよりも、風が届き、顔をくすぐる。湖の水面がキラキラと反射している。

「みずうみに、行き……たい」
「警護の兵士に頼みますか?」

 リゼットは首を横に振った。
 体を触れられるのを拒む。
 どうしましょうと、マノンが悩む。使用人と体を支えて移動するには、少し距離がある。
 すると使用人が、椅子に車輪がついたものを持ってきた。

「以前の領主様が使用していた車椅子です。段差に気をつければ、湖までこれで移動できます」
「ありがとうございます。リゼットお嬢様、温かい格好をしていきましょうね」
「……あ、りが、とう」

 ブランケットで体を包み、車椅子に乗せる。クッションを各所にあてる。
 段差でも、マノンと使用人だけで十分移動できた。

 湖のそばに来ると、波音が強くなる。
 一定のリズムで聞こえる波音はリラックス効果がありそうだ。

「リゼットお嬢様、魚がいますよ」

 マノンが波に近づいて様子を伺った。
 魚が水際まで近づいて、口をパクパク動かしている。
 近くには餌売り場があり、観光客向けに餌付けをさせているようだった。

「もう少し元気になったら、餌をあげてみましょう。風が強くなりましたし、一度戻りましょうか」

 マノンが車椅子を移動させようとしたが、車輪が砂地にひっかかり動かない。
 前後に動かすと、車輪は砂にのめり込んでいく。使用人にも手を貸してもらうが、砂が絡んで車輪を駄目にしたようだった。

「お嬢様、申し訳ありません!今、人手を呼んできます」

 マノンが使用人に、人を呼んでくるよう指示をする。
 慌てて走っていく使用人。戻ってくるまで、数分はかかるだろう。
 マノンはリゼットの手をとり、さする。少しでも暖かくなるように。

「どうしましたか?」

マノンは男性の声に振り返る。

「ヴォルター様……!どうしてこちらに?」

 ひざまづいて挨拶をする。
 ヴォルターは気にしないように声をかけて、マノンに近づく。

「貴女はリゼット様の側仕えですよね、どうしてここに?」
「リゼット様と、今あの屋敷に来ているのです」
「リゼット様は?」

 マノンはブランケットのなかのリゼットを、見た。
 ヴォルターはそれで察する。

「私が手伝ってもよろしいでしょうか?」

 リゼットは反応しなかった、目を閉じている。
 マノンは悩んで、ヴォルターにお願いすることにした。ヴォルターはブランケットごとリゼットを抱き上げる。マノンは車椅子を畳み、一緒についていく。

 屋敷に着く頃には、使用人が数人向かってくるのが見えた。
 ヴォルターは、屋敷の中までリゼットを運ぶ。応接間のソファへ、リゼットを下ろして座らせた。
 
「……ヴォ、ルター……?」

 リゼットが目を開いた。ヴォルターの顔を見て、驚く。
 どうしてここに?という顔をしている。

「リゼット様、まさかミヨゾティースでお会いできると思いませんでした。私は謹慎中で故郷に帰っていたところです」
「ど、うして……わたく、し?」
「リゼット様に責はありません、私が迂闊だったのです」
「ご、めんな……さ……」

 リゼットは言葉につまり、涙があふれる。マノンが背を優しく撫でる。

「申し上げにくいのですが、リゼット様は」
「ええ、私はこれで失礼します」

 ヴォルターは立ち上がる。
 数歩進んだあと、思い出したように立ち止まる。

「レオナード様は、今もリゼット様を好きです。また遠征に出ていて、戻られたら会いに行くと思います。どうか、それまでに癒えますように……」

 背を向けて話して、立ち去る。

 リゼットはベッドに戻り、寝かされる。そのまま眠るけれど、悪夢にうなされることはなかった。

 翌朝、マノンが朝の支度をしに部屋へ入る。リゼットは窓際のソファに座っていた。

「おはよう、マノン」

 少し顔色がよく見え、マノンはとても喜んで抱きついた。
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