幼馴染が蒼空(そら)の王となるその日まで、わたしは風の姫になりました ~風の言の葉~

碧桜

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優しい風

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都の夜空を炎で赤く染めた夜から丸二晩過ぎた翌日、都では火事の噂さであちこちが騒がしくなることもなくなり、都の者たちは普段と変わらないいつもの日常に戻っていった。
愁陽はまだ城へは戻っていない。あの夜のままだった。鮮やかな蒼い衣は煤で黒く汚れ、ところどころ破れている。
その恰好のまま、気が付けばあの懐かしい草原くさはらに一人佇んでいた。

あの夜、炎は多くの都の者たちの協力のもと、李家の屋敷の外に燃え広がることはなく鎮火された。あのあと愁陽は火事から逃れる人々の救助と救護に加わり、そのあとも怪我をした者たちの手当や焼け跡の始末などに追われていた。
広い屋敷の三分の二ほど焼失はしたが、死者がでなかったことは幸いだった。
あとは李家の者たちだけで大丈夫だろう。役人の調べも入るだろうし、しばらくは慌ただしいのは仕方ないか。

愁陽は城へ戻る気になれず、どこをどう歩いて来たのか定かではなかったが、いまは草の匂いと心地よい風が、火照った身体を冷やしてくれた。
焼け跡からは、愛麗の遺体は出てこなかった。
火元だった彼女の部屋は跡形なく焼けたので、彼女のものも何ひとつ残っていない。
彼女が庭の外れに立つ古い高楼に居たことは、愁陽以外誰も知らなかった。

愁陽は彼女に別れを告げた後、彼女の亡骸をそのままにして自分だけ階下へと降りると、高楼への入り口の扉を閉めて火を放った。

彼女の弔いのために……
李家は都でも一番の有力な大貴族なのだ。娘のはなむけに古い高楼の一つくらいいいだろう。どうせ使っていない高楼なのだから。
愛麗は火つけの犯人として疑われている。身体に残った剣の傷も怪しまれるだろう。彼女の遺体を人の目にさらしたくなかったし、役人たちに触れさせたくなかった。
やっと自由になったのだ。静かに眠らせてやりたい。

だから古い高楼ごと彼女の罪を封印することにした。
屋敷からも離れて池の傍に建っているため、幸い火が燃え広がることもない。
紅い炎は音を立てながら夜空に向かって高楼を焼き尽くしていった。
彼女を縛り付けていたものが、彼女を解き放ち火の粉を散らしながら天高く昇っていく。ようやく愛麗は自由だ。

高楼の下に広がる池の湖面に解き放たれた炎が静かに映るのを、愁陽は池の畔に一人立って眺めた。炎に赤く染まる頬に一筋の涙が落ちるのを拭うこともなくもなく、ただ静かに見送っていた。



「愁陽さまぁーーーーっ!!」
青い空の下の穏やかな草原くさはらに、聞き慣れたマルの、自分の名を叫ぶ声が響いた。
二頭の馬の蹄の音が聞こえる。

愁陽は、ぎこちなくゆるりと顔を上げた。この二日間、我を忘れたように王の後継者の愁陽として、救助や処理など積極的に動いていたはずなのに、ここに来て気が抜けてしまった。
まるで自分の身体でないみたいに身体とココロが重い。

声のしたほうへ顔を向けると、城門のほうからマルと姉姫の翠蘭が馬で駆けてくる。
二人はみるみる近づいて、マルが転がるように馬の背から飛び降ると、愁陽の傍へと駆け寄った。
見開いた大きな目から涙がこぼれ落ちそうだ。ずいぶん主のことを心配したのだろう。

「怪我はっ、怪我はしてないでしょうかっ!!」
がしっ、と主の二の腕を掴みぶんぶんと揺さぶる。足の先から頭のてっぺんまで怪我はないか確認する。
「そんなに揺さぶるな、怪我はしてないが、お前が痛い」
「はあぁ~、よかった……ったく、もう!心配しましたよ」
マルは安堵で思わず潤んだ目元をごしっと手の甲で拭った。

翠蘭は愁陽の様子を見て察したのか、険しい顔をしたまま静かに馬から降りる。
息を整えたマルはあたりをキョロキョロと見回し、そこに当然あると思っていた人影がいない。

「あれ……?愁陽様、愛麗様は?」
マルの問いかけに、愁陽は視線を落とす。
ただ足元の若草が風に緩やかに揺れている。

「愛麗様にはお会いになれたのでしょう?」
マルはなんの疑いもなく不思議に思って、首を傾げる。
「ああ…………」
「じゃあ、なぜ、おひとりなんですか?」
「………………」
「愛麗様は、いまどちらに?」


「……風になったよ」

愁陽は喉の奥がひどくひりつくような気がした。
愛麗と高楼で別れて以来、彼女の死を認める言葉を口にすることが出来なかった。
喉の奥から何かが込み上げてくる。

「…………風?」
ようやくマルにも愛麗がいない理由がなんとなくわかった。
「っ!!……そんなっ!!どうしてですかっ、わからないですよっ!!」
マルが叫ぶ。
「だって……っ、だって!!」

「マル」
翠蘭が、静かに諭すようにマルの肩に手をのせて言った。
マルは信じられないという驚愕の色を浮かべて彼女を見上げるが、感情が混乱して何を言えばいいのか、わからない。ただ口をパクパクするだけで、うまく言葉にできない。
「翠、蘭…さ、ま……」
翠蘭は、そんなマルにわかっている、というように静かに瞬きをすると、愁陽のほうへと顔を向けた。
「そう、風になったの。……それが、彼女の選んだ道なのね」

今になって彼女の死が、愁陽の中で現実となっていく。
体の横に重く垂れさがる両腕の、震える掌を力なく握り締める。項垂れたままの彼を、翠蘭はただ静かに見つめている。そんな彼に敢えて明るく問う。
「愛麗は、笑っていた?」
「…………ええ。…とても……、優しく……」
「そう、よかった」
翠蘭が安心したように、静かに口元に笑みを浮かべた。

そんな二人を信じられないという顔をして、マルは声を荒げた。
「っ、何故なんですかっ!?……なぜっ、お二人はそんなに、落ち着いていられるんですか!?」
「マル」
翠蘭が優しいをして静かに言う。
「受け入れてあげましょう。これが、彼女の選んだことなの」
「でもっ!!」
マルの気持ちは痛いほどよくわかる。
「そんなに言っては、彼女が悲しむわ」
「……翠蘭様」
翠蘭に優しく諭されて、マルは少しだけ落ち着きを取り戻した。

愁陽は顔をあげることができないまま、自分の足元で若草が春風にそよそよと揺れているのをぼんやりと見ていた。
「…………愛麗は……、これで、よかったのでしょうか。……彼女は、何のために生きて……私達は何のために……」
「さあ、私にもまだわからないわ。死ぬまでわからないのかもね」
翠蘭は長い黒髪が風に流れるままにまかせている。彼女は、でも…と言葉を続けた。
「生きた時間の長さだけではなく、大事なのは、どのように生きるかじゃないかしら。彼女は、それを選んだのよ。愛麗として、生きることを」
愁陽が顔をゆるりと上げた。
「愛麗として……」

愁陽が震える眼差しをあげると、姉姫の穏やかだけれど力強い瞳がそこにあった。
「姉さん……、俺は、これからどうしたらいいのでしょう」
翠蘭がよく通る凛とした声で答える。
「アンタは、今のアンタのままでいればいいのよ。何も変わることはないわ。それが彼女の愛したアンタなのだから」
「姉さん……」

少しの沈黙のあと、
「……って、え!?…ええっ!?」
愁陽は姉のさらっと言った一言に、遅れて気づいて驚きの声をあげた。それにつられて翠蘭も驚きの声をあげる。
「はあぁっ!?って、アンタ、まさか気づいてなかったのぉ!?」

「いや……て、まあ、ちょっとは……そうかな?って、思ったり思わなかったり?」
「て、なんで疑問形っ」
「だって期待して、あとでやっぱり違いました~てイヤじゃないか。って、ほら!そういうことって、なかなか…ハハ…ハ、ハ……」
愁陽は乾いた笑いで誤魔化した。
「ばっかじゃないの!?心底呆れるわぁ~!我が弟ながら、ほんっとに、情けないわねっ!イケてない」
「……そんなに言わなくてもいいでしょう」
不貞腐れ気味に横向いて愁陽が言うと、翠蘭が笑って言った。
「ふふ、愛麗も呆れて笑っているわ」
「あぁ~、彼女の場合、怒ってますよ」
愁陽も目を伏せて笑みを浮かべる。
「アンタもそうやって笑ってなさいよ。いつまでも泣いていては、彼女も悲しむわ」
愁陽は顔をあげ翠蘭のを見る
「……そうですね」
と、小さく笑みを浮かべた。

そんな三人を、ふわり、と春の風が包み込んだ。
「あ、風が優しくなってきた」
嬉しそうにマルが空に両手を伸ばして声を弾ませた。


三人で草原くさはらの中、青い空を見上げる。
どこまでも高く、広く、青く澄んだ空が続いていた。
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