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一章

第二話【外への憧れと葛藤】1

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 朝から廊下が騒がしい。
 きゃーきゃー黄色い声が上がっている。

(最近雇った若い侍女たちかしら……その内メアリーに注意されそうね)

 ぼんやりする頭でそう考えていたら、案の定注意する声が響き渡る。
 
「あんたたち! 今からお嬢様を起こしに行くとはいえ静かになさい! 主人のことを第一に考えるのが仕事ですよ!」
「も……申し訳ありません」

(ほらやっぱり)

 エヴァはくすりと笑みを漏らしながら自分付きの侍女の到着を待つ。

「お嬢様ー! おはようございます、朝でございますよー」

 ノックをしてから入って来る栗色の髪を一つに結んだ背の高い女性、メアリーは、慣れた様子で室内のカーテンを開けていく。
 エヴァは目をぱっちりとさせ起き上がる。

「メアリー、あなたの声も結構響いていたわよ」
「え! ま、まぁなんということでしょう! 申し訳ありません!」
「ふふ、いいの。おかげですぐに目が覚めたわ。私のために注意をしてくれてありがとう」
「聞こえていたのですね。本当に申し訳ありません」

 照れながら申し訳なさそうに謝る侍女のメアリー。エヴァより七つ年上の彼女は四年前から仕えてくれている。
 
 ブラックフォード家で女性を雇うのは最低限にとどめられている。エヴァがいることにより常に吸血鬼に狙われる可能性が高く、命の危険があるからだ。
 そのため敷地内に従業員用の別邸が用意されており騎士や他の従業員は住み込みで働いてくれる者が多い。

「さっき廊下が騒がしかったのはどうしたの?」

 洗顔用の水をセットしているメアリーに、先ほどの黄色い声について尋ねる。

「ああ、それは……――――」
 
 突如、バタン! という大きな音と共に甲高い声が響き渡った。
 
「エヴァお嬢様ぁ~」

 瞬間、メアリーはサッと身を翻し侍女服のスカートの下に隠していたナイフを手に取り、素早く声の主の左胸目掛けて突き刺そうとする。

「メアリー待って!」

 ピタ、と止まるナイフ。

「ひっ……!」

 甲高い声でエヴァを呼ぶ者は若い侍女だった。真っ青な顔で冷や汗を流し、事の重大さを理解したらしい。
 メアリーはため息をひとつ付き、ゆっくりとナイフを下した。

「勝手にお嬢様の部屋に入ってはいけないと注意したはずよね? 次やったら吸血鬼と間違えて殺すよ?」

 冷たい目で見下ろすメアリーに更に真っ青になり震える侍女。

「だっ……だってメアリーさんだってすぐ入っていったから……」
「あたしはちゃんとノックをしたし、お嬢様付きの騎士の役割も担っているからそもそも特別なの。気を付けなさい」
「ご、ごめんなさぁ~い」

 間延びした声に本当に反省してるのか頭が痛くなるメアリー。エヴァもまた困った顔になる。

「それで? お嬢様にどういった要件ですか? あたしが呼ぶまでドレスの支度はまだのはずですが」
「あ、いぃえ~! クライム様が朝からお見えになったので呼びに来ただけです~」
「クライム?」

 それでさっき廊下がうるさかったのかと納得。クライムは若い侍女に人気があるらしい。
 ただ、彼もメアリーと同様に、エヴァの部屋に入る事を許可されている専属騎士だからわざわざ侍女を遣わせなくても……と思った。

「別に頼んでいませんが」
「あ、クライム」

 いつもの無表情でエヴァの部屋の入口まで来たクライムは、冷たい声で事実だけを告げる。

「クライム様ぁ~! 違うんです! 昨晩助けて頂いたお礼にクライム様の手を煩わせないようにしようと……」
「いえ、全く煩わしくないので結構です。昨晩のこともお気になさらず。もう下がってください」
「え~! そんなぁ……」
「ほら、行きますよ! それではエヴァお嬢様、後程お支度に参りますね。失礼致しました」

 そう言って若い侍女を引きずりながら去って行くメアリー。
 パタン、と静かに扉が閉じる音だけが響き、クライムと二人きりになった。
 
 チラ、と静かに佇む彼を見る。
 相変わらずの無表情で、疲れの色は一切見えない。美しい金色の瞳もそのままだ。
 
(そういえばお父様ったらクライム以外の男性とは密室で二人きりになるなとおっしゃっていたけど、クライムは特別よね……。やっぱり私の婿になるのかしら……)

 今まで考えた事がなかったわけではないが、いざクライムと結婚するのではと想像すると変に意識してしまう。
 
(世話をしてくれるお兄ちゃんって感じだったけれど、昨日のことがあって少し緊張するかも……)

 そう考えていると、昨日彼が怪我をしていたことや頭痛のことも思い出しほんのり赤くなっていた顔が白くなる。

「た、体調は大丈夫なの?」
「はい。ご心配をおかけしてすみません」
「そう……今日はずっと休んでていいのに。無理しないで」
「無理はしていないので大丈夫です。それよりお嬢様」

 サッと差し出したのはチラシ。
 そこには三日後、城下町で夏の豊穣を予祝する祭りがあること、旅芸人が来ることなどが書かれていた。

「これは……!」
「お嬢様が行きたがっていたお祭りです」
「でも、こんなのどうして……」

 だって行ける訳がない。
 いくら王都が見える距離に屋敷があっても馬車で片道八時間はかかる。王都には野良吸血鬼を避ける結界はあるが、エヴァを守ってくれる結界はないので宿に泊まることが出来ずその日の内に帰宅しなければいけない。
 万が一夜になれば王都には貴族の吸血鬼とそれに管理された吸血鬼が住んでいるのでエヴァを見たら正気を失い襲ってくる可能性があった。
 
 クライムはエヴァの手をそっと握る。
 思わず彼を見ると優しく輝く金色がこちらを覗いていた。
 
「馬車ではなく馬を飛ばせば三時間半程で着けるでしょう。朝早くに出て日が落ちる前に帰ってくれば大丈夫です。なにより、私がお嬢様を全力でお守り致します」
「クライム…………」

 (だめ……、違うのクライム。あなたを犠牲にしてまで自由を得たいとは思っていない)

「お嬢様が考えていることはわかります。しかし……貴女が幼い頃から外へ憧れていたのを知っています。それにこの先いつチャンスがあるかわかりません。私が一生お守りすることも出来るか……わかりません」

 その言葉にハッとする。

「それは……クライムが私の傍からいなくなってしまうっていう意味? それとも私が他の人と……」

 クライムは困った顔をして微笑む。
 そのどちらの可能性もある、ということかもしれない。
 エヴァは嫌な気持ちになり思わず俯く。

「私は……もうお母様のように私のせいで誰も死んでほしくないの。だからまた私の我儘で……」
「いいえ」

 優しい手つきで顔を上げられる。

「むしろもっと我儘になっていいのです。お嬢様には、自由でいてほしいのです」
「自由……」

 本当に、いいのだろうか。
 またあの悲劇が起きないとは限らない。

 迷っていると、クライムは手を放しいつもの距離をとる。
 
「まだ時間はあります。行くか行かないかはお嬢様次第です。ただ、もし行くとお決めになりましたら私が全力でお守り致しますのでご安心を」

 そう言って礼をし、静かに退室した。
 エヴァはただ黙って見つめることしかできなかった。
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