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しおりを挟む「今井? ぼーっとして。誰から?」
「ああ、深町から。暇なら会おうって」
「俺にはこねーのかよ。ひどいな。俺もいるって伝えといて」
「うん」
深町と出会ったころのことを思い出してぼんやりしてしまった。
庭山とは必修が一緒でなんとなく顔を合わせているうちに仲良くなったのだが、まさか深町と庭山が幼馴染とは思わなかったため、庭山に「深町って知ってる? 今井のこと聞かれたんだけど」と言われたときはまた驚いたものだった。
深町となんとなくメッセージのやり取りをしていたとき大学名を伝えたから、そのあと庭山に聞いたのだろう。世間は狭い。
“今、喜一と一緒にアパートにいた。夕方からバイトがあるからそれまでなら”と深町に送信した。
庭山と二人で会うことも、深町と二人で会うことも、そして3人で会うことにも随分慣れた。庭山のように明るくて気さくで誰からも好かれるような人と学生生活を送るのも、深町のような誰もが羨む美貌や頭脳を持ち合わせているような人と遊びにいくことも。
そしてそんな二人と友人関係を作れていることは人見知りの自分には考えられないことでもあった。二人が今井の性格を分かっている上で一緒にいてくれているということがとてもありがたかったが、時に周りから嫉妬の目が向けられ憂鬱になることもあった。ましてや深町はαだ。深町狙いのΩ達に心無い中傷が深く刺さることも多くなった。
今までそんな目にあったことがなく対処に困ることが時々あった。ただ深町も庭山も表立って中傷してくる輩には今井をかばってくれたし釘を刺してもくれた。それが更なる嫌がらせに……となっても、二人が自分のことを傍においてくれるのは嬉しかったから今井も我慢できるだけは我慢をしていた。
庭山が今井のアパートにいると知った深町は自分も行くとだけ電話で伝え、さっさと通話を切ってしまう。
こちらもわりと自分勝手なところがあるが優柔不断な今井には庭山同様、一緒に過ごすにも楽ではあった。
それに部屋の中であれば“なんでお前みたいなヤツがその人たちといるんだ”という嫉妬と奇異が混じった視線に晒されることがなくて安心感がある。
すぐ来ると思っていた深町が今井のアパートに付いたのは今井がバイトへ行く仕度をしているときだった。
「えーもう行くの?」
整った顔をわざと崩して今井に詰め寄る。少し息が乱れているのは急いで来たからだろうか。苦笑しか出来ない今井に代わって庭山がこたえてくれた。
「お前が来るのが遅いんだよ」
「ココ来る前に母親に呼び出されてさー。あーあ、無視しとけばよかった」
「大変ね、次期社長は」
「社長は兄がなるし。俺は多分重役どまり」
「十分だろ」
幼馴染の二人は今井には分からない話をよくする。どうやら深町は有名な企業の社長の息子ということらしいが、企業名を教えてくれない。がっかりされたくないからというが、そんなものなのだろうか。がっかりする社長とは何の社長なのか気になるところではあるが本人に言う気はないし、庭山だって深町が教えたくないと言ってるだけあって今井にはその話題に触れることはなかった。それなのにこうやって今井の前で二人しか分からない話をするのはずるいのではないかと常々思っていた。
「じゃあ、俺バイトに行くけど」
「行ってらっしゃーい」
「気をつけてね」
「あまり煩くしないでよ。鍵はポストね」
「はいはい」
家主が出かけても、二人は残る。こんなことは時々だがあった。それはここのすぐ向にある庭山のアパートでも、深町のマンションでも同じことだ。
だから自然の動作で二人を残して今井は外へと出た。
深町が来たばかりで話しらしい話など何一つしていない。深町の話は楽しいし、今でも三上の話を時々する。それは楽しい時間だったから後ろ髪引かれる思いでバイト先へと歩き出した。
バイトが終わって一息ついたときには23時を回っていた。夏至を過ぎたばかりで昼間は真夏日だと騒がれているが夜となるとまだまだ寒い。バイト先に来るときは着ていなかったパーカーを羽織って帰り道を歩いた。
表の道路から部屋の明かりが見えた。もしかしてまだ2人はいるのだろうか。いるのならば鍵はかかっていないはずだなとドアノブを回した。案の定、玄関には自分のサイズよりも少し大きめのスニーカーがあった。残っていたのは深町のものだけで、庭山は帰っているのかコンビニでも行っているのか靴がなかった。
玄関に足を踏み入れたとき、甘い匂いが全身を包み、頭がくらくらした。眩暈に似ていた。
αの深町から時々感じるフェロモンが、今は一際濃く感じられる。夕方に会ったときはそうでもなかったのに、どうしたのだろうと少しだけ疑問がわいた。
深町のフェロモンはかなりのものらしく、街を歩いていると時々溶けたような表情で近寄ってくる人がいるくらいだ。今までΩといっても出来損ないの今井には深町のフェロモンにあてられたことはなかった。時々ムズムズとするときがあったがそれだけであった。
しかし前回の発情期の前は深町の傍によるだけで酔ったように頭が麻痺してしまい、体が甘い痺れに襲われ深町に抱きつきたくなる衝動にかられた。異変に気づかれたくなくてすぐに用事を作って逃げ出したが、普通のΩは毎回あんな目にあっているのかと怖くなった。不出来な体に慣れてしまっていた。
前回から丁度3ヶ月。もしかして自分もとうとう“普通”のΩになってしまったのだろうか。
なりたかった。でも不都合があまりない出来損ないでよかったのかもしれない。
本来あるべき姿のはずなのに、自分の性が恐ろしくて、部屋のドアがしまっているのに玄関まで香ってくる深町の甘い甘いフェロモンにその場に立ち尽くしてしまった。
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