届かぬ想いは宙をきる

城 依見

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わかれて

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  嘆く人もいない、私がいなくなっても。
  そう思えば、とてもすっきりとした気分でいられる。
  こんなにも朝日が眩しいなんて知らなかった……。


   好きだとか、愛してるだなんて。
  つまらない、もっと深いところであなたとは繋がっていると思いたかったのにそれは私の一人相撲みたいだったようね。
  忘れちゃった、もうそういうの全部。なんて、つまらない愚痴ばかりでごめんなさいね。こんな私でもかわいいって、好きだと言ってくれる人はほかにもいるのよ。

  今までありがとう。
  楽しかったわ。
  別れるときは、きれいに別れたいの。
  八神 典子は目覚めると急いで仕事に向かうために、シャワーを浴びる。
 そう、すべてを洗い流すために。それは誰にも自分を見せないために、本当の自分を見せないために全部洗い流す。

 「先に行くわ、荷物も何もかも全部持って帰ってよね」
  楠田 倫也は返事をしないまま、背中を向けて寝たふりをしている。きっと起きている、いや、絶対起きているはずだと典子は知っている。知り合って一年、身長が高くて俳優にでもいそうな顔立ちでもてるはずなのに、私なんかと付き合うことになんらためらいなんかなかった。
  人並み以下の顔立ちで貧相な体つきなのに、どこがいいのかと思っていた。それに気が付くのがちょっと遅かった、なにかおかしいって。

 私がどうも鈍感だったようだ。
 理系で研究職のもてな女にこんなかっこいい男は不揃いだ。
 気が付いてしまった、私は彼の本当の正体に……。 私は少しだけ後悔している。会社の不正を調べるために彼が近寄ってきたことに気が付かなければ……。ずっと一緒にいられたのかなと。

 偶然見てしまった、彼の話しているところを。聞いてしまった。
 本吉 、それが本当の彼の苗字。
「はあ? もちろん。大丈夫ですよ。スマホを拾っただけなのでね。偶然ですけれどそれも自分が接近する前に……」
 
 私は彼の気を引くためにスタバの席にスマホをわざと置いて店を出て、慌ててまた戻るということをした。向かい側の席にいればわかるだろうと思ったし、それで無反応ならば一人でバカみたいに取りに戻った女ということで。

 彼は私のスマホを手に、店の外へ出ようとして私と鉢合わせになり、
「あ、これ」
 と同時に声を出して笑いあうという、よくある展開を演じていたのだ。

 だがこれは単なる始まりに過ぎず、私の勤務するバイオ研究の会社の内部の不正を探るS、いわゆるスパイで、潜入捜査という男に引っかかったふりを私はしていた。

 彼はピロートークに会社のことを聞き出そうとしていたが、あまりに私の口が堅いので次の女に乗り換えようとしていたのが私には何となく理解できた。

「ほかに好きな人ができたんだ」 
 本吉は唐突に私に言った。
「あ、そうなんだ」
 ここで泣いたりすがったり、よくある取り乱し方は好きじゃない。
「ごめん」
「こちらこそ、ありがとう。楽しかったです」 私の会社の最先端の科学的な発明を外国に売ることは法律で禁じられているはずだが、会社を退職してその情報ごと第三国に自分もろとも移るというベタなやり方。
 それを阻止するための公安のSは倫也という男の仕事なのだが、私は敢えてそれをやってのける。
 こんなつまらないところで足踏みなんかしていられない。
 働きにくい国で、つまらない男と遊んでいるのもバカみたいだったし、すでに入金は確認された。そこでは私は一つのコマかもしれないが、すぐに行かずに半年ほど遊んでぶらぶらしてから私は正しい評価をしてくれる国へ旅立つのだ。

 「倫也だけど」
 土曜日の昼下がりに映画館を出ると、電源を入れたスマホにメッセージが入っていた。
 彼が出て行ってから半年後、明日には出国するという時に何を、今更と私は無視して削除した。マンションに帰ると部屋はがらんとして荷物は全部処分してあるのはスーツケースただ一つ。
 ケースをもって私は部屋を出てカギをかけて、403号のポストにカギを入れた。解約の諸々は昨日済ませた。空港の隣のホテルを予約しているので私はパスポートを確認して、タクシーに乗った。ドライバーがブレーキをゆっくり踏んで減速する。
「お客さん、後……」
「行って、構わないで」
「いいんですか?」
「はやく、行ってください」



  ぐっすりとホテルで眠ると、フロントからのモーニングコールが。
  私は受話器を取ると、再び下す。デジタルの時計は朝の7時を示している。


  スーツケースを引いて空港会社のカウンターへ行くと、窓の外は抜けるような青空だった。さようなら日本。そしてありがとう。
  いつか帰ることがあるのだろうか、それとももう戻ることはないのだろうか。私をここまで育んでくれたことを誇りにして生きていきますと思う。殊勝なことだ。
  私はゲートGにデッキが横付けにされると行列に並んだ。

 「典子、僕をまいたつもり?」
  聞いたことのある声がする、すぐ隣から……。
 「僕も一緒に行きたいなと思って」

 「あなたとは別れたはずよ」
  私は驚いた。見送りに来たのだろうと放置していた公安の潜入捜査官はスイスにまでついてくるようだった。私はここで逮捕されるのだろうか? いろいろな思いが交錯する。

 「僕は移り気なんだ、浮気が趣味みたいなもので。だけど典子のことが本当に好きになったのかな」

 適当な女が浮かれそうなセリフを並べているが、私は聞いてなんかいない。
 搭乗券を見せると、乗務員は行ってらっしゃいませと笑顔で頭を下げる。

 私たちは並んでゲートを歩く、その先は飛行機の中。

 「ありがとう、典子のおかげで僕もすべて捨てることができた。自由を手に入れた」


  さて、この話、嘘かほんとか?  
  私はこのイケメンには捨てがたいものはあるけれど、使い切れないほどのお金のほうがはるかに魅力的だと思っていた。さようならか、ありがとうなのかは、またあとで考えれば良い。
  スイスまであなたと昔話をしていれば退屈することはないわ。


                 了
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