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一章 冬至の招き

現役大学生作家

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 その年の暮れ、温泉同好会には二つのニュースが舞い込んだ。

 一つは、当同好会に所属する学部二年生の廣岡ひろおかみつるが本を出版した事。
 ジャンルは小説だが、同人誌でも自費出版でもない。大手出版社主催のコンテストで賞を取り、その際の副賞として書籍化が確約されていた為、めでたく書店に本が並ぶ事になった、という経緯だ。
 廣岡は元々、あまり喋らないタイプの学生だが、自分の事となると天岩戸あまのいわと並みに硬く口を閉ざしてしまう。その為、彼が学生業のかたわらで作家デビューを果たした事も、初めのうちは、毎月書店の新刊をチェックしているようなごく一部の生徒が知るのみだったが、地方新聞が彼の事を記事に書き、その切り抜きが、デビュー作と共に生協の書店に並んだ事で、廣岡はそれなりに有名になった。
 学内には、小説を専門にするサークルもいくつか存在するが、意外な事に廣岡はそのいずれにも籍を置いていない。温泉同好会一筋の男である。その謎深い一途さに感銘を受けた温泉同好会の面々は、心から彼を祝福した。
 十二月の初めには駅前の老舗すき焼き店で祝賀会が開かれたし、なけなしの生活費を削って書籍の売り上げに貢献する部員も少なからずいた。そのうちの一冊が、今は部室の本棚に収まって、誰でも読めるようになっている。
 現役大学生作家という肩書きを持つ人間が、同好会ふぜいとはいえ、同じサークルから輩出される。
 これ以上に非日常的で、刺激的な出来事は、少なくとも年内にはもう起こるまいと誰もが思っていた。

 しかし、クリスマスの迫った十二月中旬のこと。
 突如、同好会の部室に現れたたいら梓葉あずはによって、その見通しは脆くも崩れ去る。
 部室には、しのりょうもりろう、そしていましんいちが揃っていた。
 これといった目的があったわけではない。講義が終わって、アルバイトが始まるまでの間、アパートに戻ってもう一度出てくるのも億劫おっくうなので、大学のインフラで使い放題の電熱ヒーターと炬燵こたつをフル稼働させて暖を取っていただけで、強いて言うなら、燃料費の節約である。
 誰かが部室に近づいてきている事には、三人とも、早い段階で気づいていた。梓葉の靴の踵がコツ、コツンと響いているのが聞こえたからだ。
 しかし、それが部室の前で止まって、扉がノックされると、彼らはぎょっとして跳ね起きた。そんな律儀な真似をするのは春先にやって来る入部希望の新入生か、そうでなければ、部室の使い方についての改善指導を言い渡しに来た学務の事務員くらいだと相場が決まっている。
『どうぞ。開いています』
 編森吾朗が答えると、そうっと扉が開いて、平梓葉が顔を覗かせた。
 その瞬間の、彼らの驚天動地の慌てぶりは想像にかたくない。
くらがわさんは、こちらにいらっしゃるかしら』
 その簡単な確認を、部室にいた全員が、該当人物の招集を要請するものだと曲解した為、アパートで汁物の残りを温めて夕食にしようとしていた利玖が、急遽、電話で呼び出される羽目になった。
『大変な事になってるから、すぐに来て!』
と切羽詰まった編森吾朗の声に、慌ててコンロの火を消し、鍋を下ろして、自転車で部室棟に駆けつけると、部室から逃げ出してきた三人は、おっかなびっくりといった様子で階段下に身を寄せ合っていた。
 こんな風に岩の裏にくっついて冬を越す虫がいる、と利玖は思う。示し合わせたように黒いジャンパを着ているのも、なんだかさらに虫めいて見えた。
「あ……、来た! 佐倉川さん、こっち」
 篠ノ井諒太が利玖を発見して、手招きをする。
「そんなに大勢でお出迎えいただかなくても結構ですよ」
「だって、俺らなんかじゃ話し相手にならないから」
「初めて部室に来た方を一人でほっぽり出しておく方が、よっぽどまずいと思いますけど……」
 三人は顔を見合わせて閉口する。
 三人寄れば何とやら、とはよく知られたことわざだが、彼らの場合は、三人寄っても度胸が必要最低限に達しなかったらしい。
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