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13話
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三人は、あらためてウタバチをおびき寄せ、迎え撃つ為に、花豆の庭をあとにした。
寛奈が穫った花豆はウタバチが滅茶苦茶にしてしまったが、史岐とウロモモが穫った花豆は手つかずのまま放置されていた。それらは、史岐が一つの笊に集めて運ぶ。
寛奈が全力を使う為には、花豆はもちろん、眷属である兎も巻き込む心配のない環境が必要だ。八尋壺の内部を熟知しているウロモモの案内で、いくつかの小川を渡り、なだらかな起伏を超えて歩いた。
見た所、花豆の庭以外の場所には、ほとんど花豆が植わっていない。どうも、花豆を傷つけない事よりも、眷属を巻き込まない事の方が難しいようだ。歩いている途中も何匹か見かけたし、姿が見えなくても、あちらこちらで藪が揺れるのを見た。
時には、道の真ん中で、堂々と昼寝をしている兎もいて、初めのうちは微笑ましく眺めていたのだが、徐々に寛奈は、ちりっと頭の隅が痺れるような感覚を覚え始めた。
(なんだろう……)
八尋壺の兎は、耳のつけ根に赤い小さな花がついている。リボンのようにも見えるそれは、花豆、つまり、ベニバナインゲンの花である。
じっと見ていると、何かを思い出しそうだった。
しかし、当然の事ながら、ウロモモが追い払う。結局、何に関係する記憶なのかさえ思い出せなかった。
目的地に着き、ウロモモが準備を終えるのを木陰で待っている間も、ずっと考えていたが、考えれば考えるほど雑多な記憶ばかり浮かんできて収拾がつかなくなる。
いつの間にか、しかめっ面になっていたのだろう。
顔の前で手を振られて、びくっと視線を上げると、史岐が優しく笑っていた。
「何か、気になる事がある?」
寛奈は咄嗟にぶるぶると首を振る。
だが、もしかしたら、史岐は自分の不安を取り除こうと気を遣ってくれているのかもしれないと気づいたので、思い切って、訊いてみる事にした。
「兎なんですけど……」
「兎?」
「はい。ここの、耳のつけ根に花がついている兎。先輩は、どこかで見た事がありませんか?」
「うーん」史岐は顎をさする。「いや。初めて見ると思う」
「そう、ですよね……」寛奈は吐息をついた。
「兎がどうかしたの?」
寛奈は頷き、ウタバチと遭遇する直前まで回想していた、美蕗と初めて出会った日の事を彼に話した。どういう形で自分達が知り合ったのか、史岐に知っておいてほしいと思ったし、離れた所で作業をしているウロモモは、地面に何かの図形を描いたり、小石のようなものをばら撒いたり、まだ、終わるまで時間がかかりそうだったからだ。
聞き終えた史岐は、沈黙した。
感情の読めない、冷たい石で作られた彫像のような顔で、じっと何かを考えていたが、やがて、
「その公園の名前、わかる?」
と訊いた。
「あ、はい、調べれば、すぐに……」
寛奈はスマートフォンを取り出し、検索しようとする。だが、ネットワークに繋がらない。圏外、と表示されていた。
念の為、史岐のスマートフォンも確認してもらったが、そちらも同じ状態である。
「おおまかな道順を教えてもらえれば、わかると思う」スマートフォンを仕舞いながら、史岐が言う。「県内だよね?」
「はい、それはもちろん」
寛奈は記憶を辿りながら、当日、家を出てから公園に着くまでの道のりを説明した。
「その辺りだと……、櫟の里公園かな」
「あ、そうです、そうです」そんな名前が、石のオブジェに刻まれていたのを思い出して、寛奈は頷いた。「先輩も行った事があるんですか?」
史岐は、その質問には答えなかった。
別の世界を見ているような、虚ろな眼差しを足元に彷徨わせた後、
「もしかして、兎だったんじゃないかな」
と呟いた。
寛奈は首をかしげる。彼の言いたい事が、今ひとつわからない。
史岐は、話すべきかどうか、迷っているように見えたが、一瞬、ウロモモの方を見ると、低い声で話し始めた。
「あの日、美蕗は授業の課題で、絵を描かなければいけなかった。描きやすい題材がある場所には、同級生が集まっていてやり辛い。人目を避けて池畔までやって来たけれど、そこには風景ぐらいしか描けそうなものがない。
限られた時間で、見ものになる風景画を描くのは、素人にとっては難しい。だけど、槻本家の評判に影響する事を考えれば、ありきたりな絵を提出する訳にもいかない。
そこに、兎が現れた。あそこは、山が近いから、野生の兎がいてもおかしくないけれど、野生動物っていうのは基本的に人間を警戒して、距離を取ろうとするから、その線はたぶん、薄い。
櫟の里公園には、動物を飼育しているコーナはない。だから、あの場所へ写生会に行って、兎を描いたら、それは特別な一枚になるはずだった。
でも、兎に言葉は通じない。デッサンをする間、動かずに待っていてくれと言っても、聞いてくれる訳じゃない」
史岐は口を閉じる。
今度は、彼が何を話したいのか、寛奈にもわかった。
「先輩の言う通りだとすると……」寛奈は、腕をさすりながら話す。少し声が震える。「みいちゃんは、課題を早く終わらせる為に、ウタバチさんの眷属を殺してしまった。ウタバチさんは、眷属を殺した道具を二度と使えないように、みいちゃんが大切にしているオルゴールに封印した。罪の意識を、ずっと忘れないように。大切なオルゴールだから、オルゴールごと捨てて記憶から消し去るという決断も、簡単には出来ないとわかっていた。そうやってみいちゃんをジレンマに陥らせて、苦しめようとした……?」
「甘粕さんは、美蕗がそれで傷つくと思う?」
「思いません」寛奈は、はっきりと確信をもって答えていた。
「僕もそう思う」
「じゃあ、どうして……」
しかし、話はそこで中断する。
ウロモモがこちらに向かって、大きく手を振ったのだ。準備が終わったという合図だった。
「わからない。当時の美蕗に訊く以外、確かめる術はない」
史岐はそう言って、木陰から出る。数歩進んだ所で、こちらを振り返り、幹に背中を預けたまま動けずにいる寛奈に向かって日向から微笑みかけた。
「行こう、甘粕さん」
寛奈が穫った花豆はウタバチが滅茶苦茶にしてしまったが、史岐とウロモモが穫った花豆は手つかずのまま放置されていた。それらは、史岐が一つの笊に集めて運ぶ。
寛奈が全力を使う為には、花豆はもちろん、眷属である兎も巻き込む心配のない環境が必要だ。八尋壺の内部を熟知しているウロモモの案内で、いくつかの小川を渡り、なだらかな起伏を超えて歩いた。
見た所、花豆の庭以外の場所には、ほとんど花豆が植わっていない。どうも、花豆を傷つけない事よりも、眷属を巻き込まない事の方が難しいようだ。歩いている途中も何匹か見かけたし、姿が見えなくても、あちらこちらで藪が揺れるのを見た。
時には、道の真ん中で、堂々と昼寝をしている兎もいて、初めのうちは微笑ましく眺めていたのだが、徐々に寛奈は、ちりっと頭の隅が痺れるような感覚を覚え始めた。
(なんだろう……)
八尋壺の兎は、耳のつけ根に赤い小さな花がついている。リボンのようにも見えるそれは、花豆、つまり、ベニバナインゲンの花である。
じっと見ていると、何かを思い出しそうだった。
しかし、当然の事ながら、ウロモモが追い払う。結局、何に関係する記憶なのかさえ思い出せなかった。
目的地に着き、ウロモモが準備を終えるのを木陰で待っている間も、ずっと考えていたが、考えれば考えるほど雑多な記憶ばかり浮かんできて収拾がつかなくなる。
いつの間にか、しかめっ面になっていたのだろう。
顔の前で手を振られて、びくっと視線を上げると、史岐が優しく笑っていた。
「何か、気になる事がある?」
寛奈は咄嗟にぶるぶると首を振る。
だが、もしかしたら、史岐は自分の不安を取り除こうと気を遣ってくれているのかもしれないと気づいたので、思い切って、訊いてみる事にした。
「兎なんですけど……」
「兎?」
「はい。ここの、耳のつけ根に花がついている兎。先輩は、どこかで見た事がありませんか?」
「うーん」史岐は顎をさする。「いや。初めて見ると思う」
「そう、ですよね……」寛奈は吐息をついた。
「兎がどうかしたの?」
寛奈は頷き、ウタバチと遭遇する直前まで回想していた、美蕗と初めて出会った日の事を彼に話した。どういう形で自分達が知り合ったのか、史岐に知っておいてほしいと思ったし、離れた所で作業をしているウロモモは、地面に何かの図形を描いたり、小石のようなものをばら撒いたり、まだ、終わるまで時間がかかりそうだったからだ。
聞き終えた史岐は、沈黙した。
感情の読めない、冷たい石で作られた彫像のような顔で、じっと何かを考えていたが、やがて、
「その公園の名前、わかる?」
と訊いた。
「あ、はい、調べれば、すぐに……」
寛奈はスマートフォンを取り出し、検索しようとする。だが、ネットワークに繋がらない。圏外、と表示されていた。
念の為、史岐のスマートフォンも確認してもらったが、そちらも同じ状態である。
「おおまかな道順を教えてもらえれば、わかると思う」スマートフォンを仕舞いながら、史岐が言う。「県内だよね?」
「はい、それはもちろん」
寛奈は記憶を辿りながら、当日、家を出てから公園に着くまでの道のりを説明した。
「その辺りだと……、櫟の里公園かな」
「あ、そうです、そうです」そんな名前が、石のオブジェに刻まれていたのを思い出して、寛奈は頷いた。「先輩も行った事があるんですか?」
史岐は、その質問には答えなかった。
別の世界を見ているような、虚ろな眼差しを足元に彷徨わせた後、
「もしかして、兎だったんじゃないかな」
と呟いた。
寛奈は首をかしげる。彼の言いたい事が、今ひとつわからない。
史岐は、話すべきかどうか、迷っているように見えたが、一瞬、ウロモモの方を見ると、低い声で話し始めた。
「あの日、美蕗は授業の課題で、絵を描かなければいけなかった。描きやすい題材がある場所には、同級生が集まっていてやり辛い。人目を避けて池畔までやって来たけれど、そこには風景ぐらいしか描けそうなものがない。
限られた時間で、見ものになる風景画を描くのは、素人にとっては難しい。だけど、槻本家の評判に影響する事を考えれば、ありきたりな絵を提出する訳にもいかない。
そこに、兎が現れた。あそこは、山が近いから、野生の兎がいてもおかしくないけれど、野生動物っていうのは基本的に人間を警戒して、距離を取ろうとするから、その線はたぶん、薄い。
櫟の里公園には、動物を飼育しているコーナはない。だから、あの場所へ写生会に行って、兎を描いたら、それは特別な一枚になるはずだった。
でも、兎に言葉は通じない。デッサンをする間、動かずに待っていてくれと言っても、聞いてくれる訳じゃない」
史岐は口を閉じる。
今度は、彼が何を話したいのか、寛奈にもわかった。
「先輩の言う通りだとすると……」寛奈は、腕をさすりながら話す。少し声が震える。「みいちゃんは、課題を早く終わらせる為に、ウタバチさんの眷属を殺してしまった。ウタバチさんは、眷属を殺した道具を二度と使えないように、みいちゃんが大切にしているオルゴールに封印した。罪の意識を、ずっと忘れないように。大切なオルゴールだから、オルゴールごと捨てて記憶から消し去るという決断も、簡単には出来ないとわかっていた。そうやってみいちゃんをジレンマに陥らせて、苦しめようとした……?」
「甘粕さんは、美蕗がそれで傷つくと思う?」
「思いません」寛奈は、はっきりと確信をもって答えていた。
「僕もそう思う」
「じゃあ、どうして……」
しかし、話はそこで中断する。
ウロモモがこちらに向かって、大きく手を振ったのだ。準備が終わったという合図だった。
「わからない。当時の美蕗に訊く以外、確かめる術はない」
史岐はそう言って、木陰から出る。数歩進んだ所で、こちらを振り返り、幹に背中を預けたまま動けずにいる寛奈に向かって日向から微笑みかけた。
「行こう、甘粕さん」
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