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三章 裏庭に棲みついたもの

ところてんのお化け

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 立ち並ぶ木々の間に、質素な着物をまとった人影が二つ見えた。
 無造作に地面に積まれた本の山から、一冊ずつ拾い上げては、それを木の洞に放り込んでいる──そう錯覚したのは、木肌にへばり付いている生きものがあまりにも常軌を逸した大きさで、にわかには、それが動物だと思えなかった為だった。
 体長は優に三メートルを超えている。頭部と胸部、腹部の境界は明瞭ではない。目玉がどこにあるのかもよくわからなかった。
 扁平でありながら、はち切れそうに膨張している。脚の数は、たとえ昼間であっても、近づいて端から順番に数えなければ、全部で一体いくつ付いているのかわからないだろう。
「どうしたんですか……」先頭集団が立ち止まって、不審に思った利玖が後ろから覗き込もうとしたのを、史岐はすんでの所で止めた。
「利玖ちゃん、ちょっとストップ」
「何ですか?」利玖がむっとしたように睨んでくる。
「えっと、あれは、もう平気なのかな。脚が多いと駄目ってやつ」
「脚?」
 いまいち通じていなさそうだったので、史岐は迷った末に、直接的な表現を使う事にした。
「芋虫。苦手でしょ」
 単語を聞いただけで、利玖がかすかに顔をひきつらせるのを見て、全然大丈夫ではなさそうだな、と思う史岐。
 しかし、利玖は勇ましく唇を結んで「舐めないでください」と言った。
「あれから半年経っています。実習でも、何度も昆虫のスケッチをしてきました」
「克服したって事?」
「平べったくて硬そうなやつなら平気です」
「硬そうって、うーん……」史岐は一瞬後ろを見る。どう見ても、それは、硬度や薄っぺらさとは対極の位置にいる出で立ちをしているように思えた。「ムカデみたいな?」
「いいですね」利玖は力強く頷く。「ムカデ、格好良いと思いますよ」
「じゃ、カイコは?」
 やり取りを聞いていた柊牙が訊ねると、やや間が空き、返事が返ってくる前に利玖の顔が一段白くなった。
「うん、よし、わかった」史岐は利玖の肩を掴んで体の向きを百八十度変えさせる。「それ以上考えなくていいから。利玖ちゃん、Uターン」
「は?」
「まあ、見ないに超した事はないよ」匠がゆったりと助け船を出した。「僕らは生まれつき、ああいった物が見える性質たちだからいいとして、おまえは元々、魍魎のたぐいとは無関係の暮らしをしていたのに、五月からこっち、どんどん深入りしてきているだろう。そのうち引き返せなくなるよ」
「ここまで来ておいて今更では……」
 妹の言い分の方が理に適っていると思ったのか、匠は黙ってしまった。
 史岐はふと、キャリーケースの中を整理した時に出てきたペンと手帳がまだ上着の内ポケットに入っている事を思い出し、利玖を伴ってやや後方の軒下に移動した。
「ほら、絵描いてあげるから」
 必要以上に丸々とはさせず、柔らかそうな印象も与えず、かといって実物から乖離し過ぎない塩梅を目指した結果、おでんに入っている竹輪ちくわそっくりのオブジェクトが描き上がった。
「ふーん……」木に密着する竹輪の図を見て、利玖は不満げにぺしぺしと手で紙面を叩く。「ところてんのお化けではないですか。こんな物は全然怖くありませんよ」
「いや、だからデフォルメをね」
「利玖」匠がふいに問うてきた。
「終齢幼虫という用語を知っているかい?」
「え?」利玖は眉をひそめ、すっと視線を脇へずらすと、頭の中に仕舞い込んだ本を次々とめくるように呟き始めた。「えっと……、チョウなどの幼虫は、脱皮をくり返してより大きな体へと成長し、やがて蛹になって羽化をする。その、蛹になる直前の形態の事を、終齢幼虫と呼ぶのだと認識していますが」
「そうだね」匠は頷き、おもむろに言った。
「あれは、ハリルロウの終齢幼虫だよ」
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