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車内は甘く淫蕩な空気で満たされる

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「○○! 今までお疲れさん! これからも頑張れよ!」
「お前が来てくれてから、本当に世話になったな。何時でも遊びに来いよ、俺達待ってるからな!」
「はい、皆さん。今までありがとうございました!」

大きな仕事を済ませた足で店に向かい、作業着のまま行われた別れを惜しむ宴会が終わった午前零時過ぎ。自分より一回り以上年上の男達と駅で別れの挨拶を交わした青年は、駅に入る男達とは別の方向へと歩いて行く。
いつもなら、その方向は自宅方面へと向かうバス乗り場への道だが、今日は違う。その方向にあるのは、一台の高級車。青年を迎えに来た男が所有する高級車だ。
夜の闇の中にその車を見つけた青年は、小走りになってその場所へと近付いていく。車の中にいた男はそれに気付くと車を降り、近寄ってきた青年を有無を言わさずに抱き締めながら優しく声を掛けた。

「○○君、待ってたよ。送別会は愉しめたかい?」
「あ、社長……駄目です。俺、汚れてるから……」

夜中とはいえ人目のある街中で突然抱き締められたことでは無く、作業着に付いている汚れが男のスーツへと移ることを気にして駄目だと告げる青年。そんな青年の言葉を聞いた男は、青年の背中に回していた右手を動かすと青年の顎を緩く掴み、顔を上げさせながら咎める口調で言った。

「こら、二人きりの時は私を何て呼ぶんだっけ?」

二人きりじゃない。周りにはまだバスを待つ人や駅に急ぐ人がまばらにいる。そんな指摘など、青年の思考には浮かばない。
笑みと共に咎められ、教え込まれた呼び方を行うよう促された青年は男によって仕込まれた幸せな屈服の感情を思い出しながら、促された言葉を躊躇いなく口にした。

「あ、ご主人、様……」
「そう、良い子だ」
「あぅ、んむっ……」

上手に言えたご褒美と言わんばかりに注がれた噛み付くような口付け。その口付けに青年は全く拒否を示さず、むしろ口内へと潜り込んだ男の舌を歓迎するように自らの舌を絡み付かせて口付けを更に深くした。
もう、青年には男しか見えていない。男にも、青年しか見えていない。周りの目も気にせずに甘く長い口付けを堪能した男は、口付けで脱力しきった青年を改めて抱き締めつつ、青年の左耳に唇を寄せ掠れた声で言った。

「さぁ、帰ろうか。私達の家に。続きは家でたっぷりしてあげるよ。跡が付くからって我慢してたプレイで、たくさん鳴かせてあげようね、○○」
「ひゃい、ごひゅじん、ひゃま……」

愛しい主が口にした快楽責めの宣言を悦び、青年は自分で汚れが付くと心配したのを忘れて主へと抱き付き返す。
そんな愛らしい反応を見せる青年に表情を緩ませた男は、青年を丁寧に車へと運ぶと名残惜しそうに助手席へと座らせて自身も車へと乗り込むと、口付けの余韻で息を乱している様子を横目で愉しみながら車を発進させた。

「君は私だけの物だ。もう絶対に……逃がさないからね」

自身の会社でアルバイトとして働いていた青年を嘘偽り無い愛情と快楽で躾け、自分に服従させた男が信号待ちの最中に発した言葉は、強すぎる執着心を表わす言葉だ。
相手を自分の所有物だと言い切り、逃がさないと言う。普通に考えれば、それは異常以外の何物でも無い。
しかし、青年にとってはそれはこれ以上無い悦びの言葉だ。これをおかしいと捉える思考など、青年には無い。故に、青年は男の言葉を聞いて嬉しそうに微笑み、返事を行った。

「はい、俺はご主人様だけの物です。これから毎日、俺を可愛がってください。ご主人様」

待ち望んでいた愛しい青年の言葉を聞き、胸に充足感を膨らませながら男は信号が青に変わると同時にアクセルを踏み込んだ。
ついに訪れた邪魔の入らない幸せな二人きりの日々が待っている家へと、青年よりも付き合いの長い会社の者達にも内緒で過ごす青年を淫らに独り占めできる日々が待っている場所へと向かう車の中は、早く青年を可愛がりたい男が放つ淫欲と早く主に可愛がられたい青年が放つ淫欲が混じり合い、もどかしさと甘さが一つになった淫蕩な空気に満たされていた。
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