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男は絶望を知らずに怒りを抱く

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悪事を企てる組織に潜り込み、悪事の内容や構成員の情報を本部に送る特殊任務を与えられていた一人の男。だが、その任務は想像を大きく上回る広い人脈を持つ組織の者達に見透かされており、男は潜入から一日も経たずに食事に混ぜられた無味無臭の催眠薬によって眠らされ、組織の持つ拠点の地下に閉じ込められてしまった。
パンツ以外の衣類と様々な道具を奪われた裸体を、ほぼ隙間無く黒いガムテープでぐるぐる巻きにされた、文字通り手も足も出せない状態でだ。
身体の横にきっちりと揃えた左右の腕は、胴体にきつく括り付けられ全く動かせない。足も同じで、男は足を開く事はおろか指先で何かを掴む事すら出来ないようガムテープで拘束されていて、男は立ちたくても立てず地下室の床で芋虫のように転がる姿を強いられている。
男の行動の自由を奪うなら、首から下を包む黒のテープだけで十分過ぎるくらいに事足りている。しかし、男を捕らえた組織の者達はここに更なる拘束を加えた。それは男の頭部の鼻以外の部分をテープで覆い、視覚と聴覚と言葉を制限する拘束。男に何も出来ない状況を与え、屈辱と惨めさを存分に味わわせる拘束だ。

「んー…っ! んぐ……んふ、ふぅぅぅ…っ!」

唯一自由な鼻からプスプスと息を漏らしながら、男は黒のガムテープに包まれた肉体を必死にのた打たせて状況を好転させようと試みる。もちろん、厳重な拘束はそんな弱い足掻きでは振り解けない。男が幾らのた打ち回っても、無我夢中で暴れても、生まれるのはガムテープが立てる耳障りな音だけだ。

「うー……! うぐ、むぐぅぅぅぅ…っ」

もはや、男は自力で拘束から抜け出す事は不可能だろう。諦め悪くもがきながらも男はその事実を理解している。
故に、男は心の内で仲間に希望を託していた。潜入した自分からの報告が無ければ、何かがあったとの判断がされる。そうしたら、きっと仲間が来てくれる。そう考え、男は自分の不甲斐無さを感じつつも絶望に打ちひしがれてはいなかった。
けれど、男は知らない。残酷な事実を、知らない。男を捕らえた組織は男が潜入者である事を見抜いていただけではなく、本部への連絡手段と連絡に使われる器具のパスワードもすでに把握しているという絶望を、知らない。

すでに潜入計画が見抜かれ潜入初日に男が捕らわれた事と、連絡に使う器具を敵が扱えるという情報を知らない男の仲間達は、敵の一味が送った報告を何の疑いも無く信じ、救援を出す発想には決して至らない。
当然、男の仲間は男がガムテープでぐるぐる巻きにされて地下室に監禁されている状態を知る由も無く、男が地下室に送り込まれた淫薬交じりの気体や淫薬入りの餌で発情を強要され濡れた悲鳴を上げながら毎日のように朝も昼も無く淫らに苦しめられても、報告が異常無く送られていたら男の仲間達は、淫らに苦しむ男を救いには来てくれないのだ。

「ふー、ふぅぅーっ……!」

希望を胸に抱いている男は、すでに全ての希望が潰されている事も、すでに淫薬交じりの気体がじわじわと地下室に送り込まれている事も知らぬまま、自分を捕らえた悪に対する怒りを湧き上がらせていた。
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