この青空の下を歩く夢

花崎有麻

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 学校が終わっても合人は真っ直ぐ家に帰ったりはしない。もちろん部活があるとか、習い事があるとか、そういうことではなく、単純に家族と折り合いが悪いからなるべく家に居たくないという理由だ。
 合人は放課後にほぼ毎日同じ行動をとる。
 まず学校終わりにコンビニに寄り夕食を買う。この時、稀に雑誌なども一緒に購入して、買い物が終わるとその足で廃団地へと向かう。崩落などの危険がある(身をもって体験した)ため、基本的に廃団地は立ち入り禁止区域に指定されているため、なるべく目立たないように、敷地に入る際は周囲を警戒して侵入する。
 目的地はほぼ毎回異なる。廃団地には数多くの部屋があり、その部屋の壁や床をキャンパスにして合人は人物画を描いているのだが、なにも一室だけで済ませているわけではない。
 絵の描ける部屋に絵を描いている。そしてそれを中学生になってからはほぼ毎日続けていた。描く絵によって制作日数は異なるが、毎日のように続けていれば当然、キャンパスになる部屋は日ごとに減っていく。
「一階から描き始めた絵も、もうすぐ終わりか・・・・・・」
 廃団地の六階に足を踏み入れると、ここ最近はそんな感傷に襲われることがある。一階から五階まで、キャンパスになる部屋には全て絵が描かれている。そして六階の部屋も半分以上は絵が描かれた状態になっている。
「・・・・・・卒業までは持たないなぁ、これは」
 二年以上もこの場所で絵を描き続けてきたのだ。思い入れだってあるし、誰にも邪魔されず好きなように絵が描けるのでこの場所はとても気に入っているのだが、部屋の数はもちろん、昨日のような危険なこともあるため、確かに潮時と言えば潮時なのかもしれない。
 だからといって今ここで止めることはない。終わるにしても全ての部屋を、全てのキャンパスに絵を描いてから止めるつもりだ。
 少しだけ寂しい気持ちを引きずりながら、昨日の部屋の隣へ足を踏み入れる。その部屋の様子を確認し、今まで以上に安全確認を厳にして、合人は一つ頷いた。
「よし」
 チョークを握り、部屋の真ん中で目を閉じる。描きたいもの、この団地がまだ人で溢れていたときのことを想像し、この部屋に住む人のことを思い描き、頭の中でイメージとして形にする。
 五分、十分、十五分・・・・・・――。
 長い時間をかけてイメージを固めると、長く息を吐いて目を開き、壁に向けてチョークを走らせた。
 誰も居ない部屋に静かにチョークの音が響く。
 白い線が生まれ、折り重なり、次第に形を成していく。そのまま合人は休むこともなく描き続けた。
 ――・・・・・・。
「・・・・・・ふぅ」
 一段落すると集中が途切れる。
 今は七月の半ば。もう夏と言っても差し支えない季節で日は長くなっている。しかし崩れた壁から見える空の色は真っ黒で、それなりに長い時間、集中していたことがわかった。
 壁際から離れ通学カバンの中からスマホを取り出すとすでに二十時を回っている。時刻を確認すると同時に空腹を感じ、コンビニで買っておいた夕食を食べることにした。
 ペットボトルのお茶とおにぎりとサンドウィッチ、そして気まぐれで買った雑誌を開きつつ食事をしていく。すると、途中で合人の手が止まった。ペットボトルを握る手に力が入り、ベコリと音をたてる。
(景司・・・・・・っ)
 視線を落とした先、そこには双子の兄である景司の特集記事が組まれていた。
 若き天才画家・中島景司――。
 そんな見出しで始まった記事は流し読みするだけでも、景司を担ぎ、その才能を賞賛する内容であることがわかる。
「・・・・・・っ」
 雑誌に映る景司の顔と、景司の描いた一枚の絵の写真。それを見るだけで苛立ち、無意識のうちに舌打ちをした。余計に力の入った手の中ではペットボトルがさらに潰れ、中のお茶が溢れ手を濡らす。
「・・・・・・・・・・・・はぁ」
 キャップを締めて乱暴にペットボトルを床に置く。
 こんなところで苛立ってペットボトルを潰していてもなんにもならない。自分は景司じゃない。兄のような才能はまったくない。いくら妬んでも、羨んでも、雑誌の中の兄に吠えてみても、生まれ持っての才能の差は埋まらない。
 同じ日に、同じ時に生まれた双子の兄弟。
 しかしどうしようもなく、二人は住む世界が違っていた。
 合人は立ち上がると団地の壁に描いている途中の絵を見て、それから雑誌にもう一度視線を落とす。
 見ればわかる。
 自分の絵と、兄の絵。
 圧倒的なまでの、才能の差――。
「くっ・・・・・・」
 苛立ちはさらに募る。雑誌をぐしゃぐしゃに握り潰すと、床に叩きつけるようにして投げ捨てた。乾いた音が、部屋に響く――。

「――うわっ、びっくりしたっ」

 声がして、反射的に振り向いた。
 部屋の窓際、壊れた窓枠のところにいつの間にか一人の少女が顔を覗かせていた。
 月夜の中で輝く金色の長い髪、不気味なまでに存在を主張する赤い瞳、死者を思わせるような白い肌、そして背中から生える黒い羽。
 昨日、合人を助けてくれたあの少女だ。
「えと・・・・・・こんばんは?」
 ここは廃団地の六階。その窓枠の外から顔を覗かせながら少女は小さく首を傾げる。背中ではゆっくりと羽が羽ばたいている。
「うーんと、やっぱり、怖がらないね」
「え?」
「昨日もそうだったから。高いとこから落っこちたときは悲鳴を上げたのに、わたしが飛んで助けたときは怖がったりはしてないように見えたから」
 怖がっていないというのには僅かに語弊がある。
 あのときは落下のショックと、突然目の前に現われた空飛ぶ少女の存在に驚いて声が出なかっただけ。思考が追いつかなかっただけだ。
 だが少女はそんな合人の気持ちに気づかずに続ける。
「わたしのことが怖くないのなら、もしかして少しお話できるかなって」
 言うと、ぎこちない笑みを張り付かせて少女は窓枠から身を乗り出し部屋の中に入ってきた。床の上に立つと広げていた羽を小さくたたみ、居心地悪そうに金色の前髪を弄りだす。
「は、話・・・・・・?」
 昨晩のことはもちろん夢だなんて思っていない。
 落っこちて死にかけたことも、目の前の彼女に助けられたことも、その彼女の姿が普通の人間とは明らかに異なっていたことも。
 でもあまりに異質で、想像もしていなかった展開で、怖がるとか驚くとかよりもまず先に頭がフリーズしていたのだ。目の前の現実を脳が処理できていない。感情が表に出ないのだ。
「あー、やっぱり、だめ?」
 チラチラと合人を窺いながら少女は訊ねる。心なしかその赤い瞳が潤んでいるように見えた。
 目の前の彼女は明らかに異質だ。でも見た目の大部分は自分と年齢のそう変わらない少女だ。そんな女の子の泣きそうな顔を見て、怖がったり驚いたりする感情よりも先に焦りが生まれ、その焦りと混乱から思考能力はさらに低下する。
「だめってことはないけど」
 気づけばそう口にしていた。
 自分でもなにを言っているんだと思う。
 目の前の少女はあまりに異質だ。
 赤い瞳も、背中の羽も、空を飛べることも、普通の人間ならありえない。
 彼女は異質だ。普通ではない。本来ならばきっと関わるべきではない存在なのだと思う。
 ――でも。
(――・・・・・・この娘は、特別ななにかだ――っ)
「――ホント? ありがとっ!」
 少女の異質さを、合人は特別さと受け取った。全身の血が熱くなるのを感じる。初めて景司の絵が世界で評価されたときと似た感覚だった。
 自分にはないなにかしらの特別なもの。妬み、羨み、そして焦がれるその感覚が合人の中で渦巻く。
「それじゃあ、改めて自己紹介」
 崩れた窓から風が吹き込み少女の髪を揺らした。顔にかかるその髪を手で押さえながら、少女は言う。
「わたしはエミリー。エミリー・ニール」
 名前を告げ、一瞬の逡巡。
 そして――。
「――わたしは、吸血鬼なんだ」
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