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米と麦

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18.遠足 後日談(Ⅱ)

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***


 コンコン、とドアをノックする音が部屋に響いた。ふと時計を見上げると、時刻は二十一時。いつもなら、あと一時間後に執事長がお茶を運んでくるのだが…少し怪訝に思いながらも、フェルディナンドは返事をした。

「失礼致します旦那様、ヘレンでございます。」
「………入れ。」

 ヘレンは屋敷の使用人の一人だ。仕事をそつなくこなす有能なメイドだが、執事長ではない。より怪訝な気持ちが深まったが、何かしら事情があるのだろうと思い、入室の許可を与えた。

「失礼します。」

 挨拶とともに入ってきたメイドの手には、ティーセットを乗せたトレイがあった。いつもの初老の紳士は体調でも崩しているのだろうか、そんなことを考えながら仕事を続ける。メイドの注ぐ紅茶のこぽこぽという音が耳に心地よく響く。

「こちら、カモミールティーになります。」

 手は休めないまま、差し出されたカップの方を見て少し眉をひそめる。ジャムの入った小皿とクラッカー数枚が添えられていたからだ。フェルディナンドは基本的に軽食を摂らない。特に夜は。しかも甘いものもあまり得意ではない方だ。新人ならまだしも、何年も仕える彼女がそんなことも知らないのかと思い、少し機嫌を損ねたが、ヘレンはそれを見透かしたように穏やかに笑った。

「そちらのジャムは、今日カミラ様がお持ちくださったものです。」

 その言葉に、フェルディナンドの瞳がほんの少しだけ見開いた。

「昨日、学校で遠足があったとのことです。レシーヌ湖と、サントミモザの街に出かけたみたいで、お土産としていただきました。……お友達が勧めてくださったらしいですよ。」

 「お友達」という言葉に、フェルディナンドの手が止まる。ヘレンはそれを見逃さなかった。

「アインカイザー家のクラリス様と伺いました。」
「あの魔道一家の一人娘か。」

 やっとフェルディナンドが口を開いた。顎に手を当てて何か考えているようだったが、眉間にしわが寄っていないことから、気を悪くしたわけではないらしい。アインカイザー家は、優秀な魔道一族として昔から名を馳せている。今の主人は少し変わり者らしいが、醜聞を聞くようなことはない。加えて、娘のクラリスは歴代きっての実力の持ち主と聞く。どうやらフェルディナンドのお眼鏡にかなった様だ。ヘレンは一人安堵した。

 カミラがまだ小さかった頃、善悪の区別も、貴族社会の醜悪さも理解できなかった彼女は、愛情不足から近づく者全てを快く受け入れた。その中には財や家柄目当てのろくでもない連中も多く、ヘレンを含む使用人達はひどく心配したものだ。しかし、一介の召使いごときが貴族様に口答えなど出来るはずもない。当時、フェルディナンドが多忙を極めていたこと、また母ガブリエラはてんで使えないことから、そのまま黙って見守るしかなかった。
 事件が起きたのは、ここより北にあるローゼンヴァルド家の避暑地であった。そこはローゼンヴァルド家の黒歴史、フェルディナンドの祖父が建てた非常に豪華な別荘だった。景観の良さから度々お茶会や夜会も開催されており、今も貴族会では有名な場所だ。
 当時のカミラの取り巻きがそこに行きたいと言い出した時から、使用人達はなんとなく嫌な気配を察知していたが、当然断れるはずもない。カミラもそれに同意したことから、彼女たちと使用人数名で別荘に訪れたのだ。
 滞在中は特にこれといった問題は起こらなかった。問題はその後、屋敷の管理者達から家具や備品、装飾品が複数なくなっているという報告を受けたのだ。使用人達は一様に顔を真っ青にした。所詮は子どもと侮っていたのが仇となったらしい、大人が一見気づかないようなさりげない場所を狙って、細々としたものが盗まれているようだった。
 騒ぎを聞いたフェルディナンドは、声を上げて怒鳴り散らした。娘には特に厳しく。物を盗まれたことよりも、そんな真似をする下品な輩をほいほいと家にあげた事が許せなかったらしい。幸い、取り巻きの家族に問い詰めたところ大半が口を割り、無事盗品を回収することが出来た。中には最後までしらを切る猛者もいたが。
 この一件からカミラは人間不信になってしまい、友達を作ることを拒むようになった。フェルディナンドも仕事柄忙しく、なかなか娘の面倒を見れない。他に残されたことといったら、せいぜい使用人達が可愛がってあげるくらいだった。
 カミラの人間不信はこの歳になっても治ることはなく、また、彼女自身があまりに完璧なことからどんどん人を寄せ付けなくなってしまった。本来なら通える距離にありながら、父親が学生寮を勧めた時、建前上は自立した精神を養うことが目的だったが、本心では人付き合いを学んで欲しいと思ったからだ。もっとも、この想いはカミラには届いていないが。

 ヘレンはこの父親が驚くほど娘想いで、常に心配していることを知っている。そしてそれがいまいち娘本人に伝わっていないことも。フェルディナンド自身が今のままを望むので口出しはしないが、なんとも不器用な親娘おやこだと、見ていて歯痒い気持ちになることが多々ある。だからせめて、今日の出来事は何が何でもフェルディナンドに伝えたかったのだ。

「色々楽しかったみたいですよ。嬉しそうにお話ししてくださいました。ここのジャムはアインカイザー家御用達らしく、クラリス様がご家族のために買っているのを見て、自分も合わせたそうです。」

 ヘレンの話に、フェルディナンドは口髭を撫でながら、そうか、と一言だけ返した。それが嬉しい時にだけ出る癖であることを、彼は自覚していない。

「お気に召しましたら、明日の朝食でもお出ししますね。」

 そう告げると、ヘレンは一礼して部屋を去っていった。フェルディナンドはクラッカーにジャムを少量つけてかじると、再び机上の書類仕事に取り掛かった。
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