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31.夏休み 街(カミラ・パティ編)(Ⅰ)

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 てくてくと、広めに設計された橋を渡っていく。レンガでできたそれは一歩歩む度、カツンカツンと小気味の良い音を立てた。橋を進む二人の間に一切の会話がないこともあって、その音はより大きく響く。軽快な足音とは裏腹に、パティの心はどんよりと雲っていた。
 
(なーんで、こんなことになっちゃったかなあ…)
 
 ゆるく痛む胃を小さく抑えながら、隣に並ぶカミラを横目で見る。最初こそ居心地を悪そうにしていたものの、今はさほど気にしていないらしい、彼女は悠然と前を向いて歩いている。
 
(まあ、あんたはあたしなんかに物怖じする必要ないもんね。)
 
 勉強、運動は文句なしの首位、魔法の成績だって非常に優秀で、加えて誰もが振り返る美貌の持ち主。落ちこぼれで、顔だってお世辞にも美人とは言えない自分と並んだところで何が怖いものか。過ぎ行く人々がさりげなくカミラ視線を向ける度に、パティの心はますますいたたまれなくなった。
 
「パトリシア様は、橋の先のどのお店にご用事がありまして?」
「ふぇ!?あ、ああ……………クラフトキルトって手芸店よ。」
 
 まずい、不意に質問された為、つい正直に答えてしまった。パティは恐る恐るカミラの反応を待つ。
 
「手芸店……?」
「な、なに!?なんかあんの!?」
「いえ、そういう店に入る方は見たことがなかったので少し意外だな、と。」
 
 その言葉に思わず顔が曇る。そりゃあそうだ。貴族が普通、手芸店などに入るはずがない。裁縫は使用人やお針子の仕事であり、貴族が針や糸なんて持とうものなら、それは自身の財力不足をひけらかすようなものなのだ。お針子一人雇えない財政難の没落一家、と。
 
(ああ~やっちゃった。とっさに嘘、つけないタチなんだよね。まあでも適当な嘘ついたところで、たまたま目撃でもされてそのまま変な噂を立てられても嫌だし……)
 
 パティの実家、ブリントン家は別に貧乏というわけではない。むしろ宝石商で栄えた成り上がり貴族なので、金なら有り余るほど持っている。裁縫はいわば、パティの趣味だ。派手な服装の彼女を見るととてもそうとは思えないが、パティは小さい頃から手芸をするのが好きで、今ではなかなかの腕前の持ち主だ。
 彼女に手芸を教えたのは、遠地に住む父方の祖母であった。若くして宝石商で一財産築いた息子が、仕事の為に都に遷ろうと提案した時、素朴な生活を好む祖母夫婦は「都会の空気が苦手だから」とそのまま田舎に残った。夏と冬の休暇が始まると毎年両方の祖父母宅に訪れるが、パティが一番楽しみなのはこの父方の祖母に会うことである。
 
「ばーば、見て!こないだ教えてもらったくまさん、パティも作ったよ!」
「あら、すごいわねえ。さすがパティだわ。とても上手!」
「へへっ。あのねばーば、パティ、今度はお洋服作りたいな!お姫様みたいな、きらきらでふりふりのスカート!」
「あら~、お洋服はなかなか難しいわよ。ミシンだって必要になるし。」
「みしん?」
「お洋服や、難しいぬいぐるみを作るときに使う魔法具よ。便利だけど、とっても危ないの。パティにはまだ早いわねえ。」
「そんなことないもん!パティ、こないだ八歳になったんだよ!もうおっきい子だもん!」
「おお!パティ、こんなところにいたか、捜したぞ!……母さん、またパティに裁縫を教えたのかい?」
「あら、ブライアン。……ごめんなさい。この子が毎回せがむものだから、つい嬉しくなってしまってね。」
「はあ……頼むよ母さん。僕自身は裁縫を悪いことだとは思わないけど、貴族連中はそういうのを、…その、貧乏人の仕事だと思っているんだ。僕達一家は成り上がりで、社交界に敵も多い。パティに苦労させたくないんだ。申し訳ないけど、あまり教えないでやってくれないか。……折角の母さんの趣味をこんなふうに言って、本当にごめん。」
「ブライアン、いいのよ。私こそ、貴方の苦労を分かってあげられずごめんなさい。……パティが来る前は毎回『もう裁縫を教えちゃダメ』って自分に念を押しているんだけど、あまりに呑み込みが早いからこちらも楽しくなっちゃってね。」
「パティ、そんなにすごいのか………いや、パティには僕からきつく言っておくから、とりあえず、よろしく頼むよ。」
 
 小さい頃、祖母の家を訪れる度、父と祖母が毎回こんな話を繰り返していた。父はパティが裁縫をすることに対し、複雑な気持ちを抱えているようだった。
 成り上がりは貴族界で嫌われる。少しでも庶民のような振る舞いをすれば、すぐねちねちと嫌味や嘲笑を浴びせられた。社交界デビューにとても苦労した自身の経験から、父は子供が庶民らしい行動をすることに人一倍神経質になっていた。彼にとって少しでも品のない行動をすれば、「みんなに嘲笑わらわれても知らないぞ」と叱られることが日常茶飯事であった。
 とはいえ彼自身、母親の趣味を否定したくないらしく、裁縫自体を嫌っているわけではなかった。その為、パティが家で隠れて裁縫をしていても見て見ぬふりをしてくれたし、パティの作った作品は専用の戸棚にひっそりとしまわせてくれている。十四の誕生日には、家族に隠れて高級ミシンをプレゼントしてくれたほどだ。ただ、裁縫趣味を大っぴらに公言することは禁止され、家でも居間などで堂々と手芸をしていたら大きな声で叱られたし、お茶会や夜会でそういった話をすることも固く禁じられていた。
 
(なのに、よりによって公爵令嬢サマにバレちゃうなんて、さいあく…)
 
 ちらりとカミラの顔色を伺う。不思議そうにしているものの、どうやら侮蔑の色はなさそうだ。
 
「あ、あたしのばーばがすんごい手芸?裁縫?みたいなの好きでさあ!あたし自身はよーく分かんないんだけど、もうすぐばーばんち行く予定だからお土産に!ね!ばーばんち、超絶ド田舎だからなかなか買えないみたいなんだよね~!」
 
 嘘は言ってない。ちょうど再来週には祖母宅を訪れる予定だったので、お土産に珍しい布や糸を買っていこうと思っていたのだ。ついでに自分の分も買う予定だったのは内緒だが。
 
「あら、おばあちゃん思いなのね。素敵ねえ…私はあまり祖母のこと知らないのよね。だからちょっと羨ましい。」
 
 釣り目がちな瞳の目じりが少し下がる。ふわりと笑ったカミラは冷たい印象が薄れ、元来の美貌もあいまってとても可愛かった。パティが思わず見とれていると、彼女はいいことを思いついたとばかりに言葉を続けた。
 
「そうね、わたくしもそのお店に行ってみたいわ。もしよければパトリシア様、一緒に連れて行ってくださらない?」
 
「はふぇ!?え、えええ!!い、いや…あんた……じゃなくて、カミラ様もどっか用事あるんじゃなかったっけ?」
「ええ、わたくしも一つ行きたいアクセサリーショップがあったんですけどね。まあ、別に急ぎでもないし、正直、手芸店の方が興味がありますわ。」
 
 まじか…パティの顔が蒼白になる。そんなことはお構いなしに、カミラは意気揚々と彼女の後ろを歩き始めた。どうやら本気でついてくるつもりらしい。いつの間にか二人は橋を渡り終え、広場の向こう岸に着いていた。
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